おまけ
その後の話。蛇足
シルヴィアが十二歳になった年、第二王子の婚約者が決定した。
巻き戻る前の世界でシルヴィアを陥れたのは王子とその婚約者の王女だとルークは睨んでいた。
シルヴィアの父である侯爵が亡くなった後、力を失った侯爵家は最早王子にとって切り捨てるべき対象だった。
しかし替わりの婚約者はなかなか見つからない。
気位の高い第二王子は自分の妃が侯爵家以下の身分であることなど我慢がならなかった。
国内には目ぼしい令嬢が居らず、王子の目は国外へ向いた。
王女と婚約するためにはシルヴィアの存在が邪魔だった。力を失ったとはいえ侯爵家は国内の高位貴族であり、国外の王族との婚姻よりも自国の貴族との婚姻の方が歓迎される風潮があった。
シルヴィアは八歳の頃から王子妃となる為教育を受け、国民にも周知され親しまれていた。筆頭侯爵家の姫として家柄も血筋も文句のつけようがなく、また、清楚で可愛らしい容貌と穏やかな人柄も歓迎されていた。
父親を亡くしたばかりのシルヴィアを悼む者も多かった。そんな中、一方的に婚約破棄をすれば非難されることは容易に想像出来た。
第二王子は自分が非難されずに婚約を破棄する方法を模索したのだろう。
それが「シルヴィアは隣国と通じて自国の情報を売り渡していたため、それに気付いた自分と隣国の王女が協力してシルヴィアの陰謀を挫く」という壮大な出鱈目だった。
そんな出鱈目がまかり通り、シルヴィアが殺されたのは侯爵が既に死んでいたことが大きい。
ルークは第二王子と隣国の王女を赦す気はなかった。
罪は巻き戻り前の二人にあるのであって、現在の二人がシルヴィアを害したわけではない。だが二人の性根が善良になったわけではない。
自分の都合のために無実のシルヴィアを罠に嵌めて殺したのだ。
彼らを放置しておいては何をしでかすか分かった物ではない。
ルークは侯爵に懸念を伝えた。
侯爵の身に政敵の魔の手が迫る危険性についても、巻き戻り前に実際に起こった出来事を起こり得る可能性の一つとして伝えた。
侯爵はルークの心配性に最初は戸惑ったものの、第二王子の性分は概ね見抜いていたのでルークの懸念を受け入れた。
隣国の王女についても、人をやって調べさせた。
王女は人の物を欲しがる性質で、最初は姉の婚約者、次は妹の婚約者を誘惑し、破談に追い込んでいた。
手に余る王女を隣国の王は厄介払いとばかりに第二王子に押し付けようとしていたのだった。
婚姻を半年後に控え、隣国から王女がやって来た。
王女は半年の花嫁修業を経て、第二王子と婚姻を結んだ。しかしそのすぐ後、問題を起こす。
王女は王太子を誘惑しようとした。そのことに侯爵や王太子妃の父である公爵、王や王太子自身も驚きを禁じ得なかった。
彼らは事前に侯爵の調べ上げた王女の素行を把握していたが、表向きは隠されていたその性癖をそう簡単に受け入れることは出来なかった。しかし実際に現れた王女は、結婚後半年も経たずに王太子へその身を押し付けてきたのだった。
すぐに護衛に取り押さえられて未遂に終わったが。
王女は人の物にしか興味を持てない性質らしかった。
問題もなくあっさりと決まった自分の夫である第二王子には全く執着出来なかった。
醜聞は表沙汰に出来ず、王女は離宮に幽閉となった。表向きは病気療養だ。野放しにしてはいずれ刃傷沙汰が起きかねない。かと言って離縁したくとも、王女の祖国は王女の受け入れを拒否した。
第二王子にとっては大誤算だった。王女でありながら、王家からは縁を切られたも同然の扱い。身分だけは高いものの何の力もない女。その上尻軽。
兄である王太子に言い寄ったことは不快以外の何物でもない。そのせいで夫である自分も王太子妃や公爵、王太子の侍従や側近たちからも白い目で見られる羽目になった。屈辱だった。
第二王子に向けられる視線に同情や憐れみは殆どない。何故か妻と同類と見做されて、距離を取られた。
王女の醜聞は緘口令が敷かれて事実は伏せられていたが、結婚までの半年の間の王女の振舞いは人々の眉を顰めさせるに十分過ぎるものだった。
仕えてくれる侍女や、交流を持った令嬢の物や恋人を巧みに奪い、翻弄する。
半年の間では、実際に恋人を奪われた者はいなかったが、ちょっかいをかけたり誘惑したりと女性たちの気持ちを不安にさせたり、苛立たせていたのだ。
理由は公表されていないものの、王女が幽閉扱いとなったことは瞬く間に広がり、女性たちを安堵させた。
殆どの者が第二王子を遠巻きにする中、王子の婚約者が王女に決まるまでその候補だった一部の令嬢たちは王子の第二夫人になれるのではないかと色めき立った。
彼女たちはぎりぎりまで王子の婚約者を目指していた為、未だ婚約者が決まっていない者たちだった。
同年代に令嬢が少ない状況なので本来であれば直ぐに婚約者が決まりそうなものだが、彼女たちの場合、王子妃を巡ってのいがみ合いが凄まじく、貴族中に知れ渡っていた為、忌避されたのだった。
そんな令嬢たちが王女の失墜を見て大人しくしているはずもなく。
王子妃の椅子を巡って再び熾烈な戦いを繰り広げるのだった。彼女たちは王子妃の地位しか見ていなかった。けれどそれは第二王子も同じで自分の妃には侯爵位以上の家柄の令嬢しか認めない。
ある意味お似合いの者たちだったが、想いは一方通行だった。
シルヴィアに意地悪をしていた令嬢たちは漏れなく嫁ぎ遅れとなり、殆どが年老いた男の後妻や妾となった。
第二王子は自分の妃が名ばかりの王女であることが我慢できず、次第に歪んだ感情を元公爵令嬢であった王太子妃へと向けるようになる。
(兄上は王太子というだけで公爵令嬢を妃にした。不公平だ。赦し難い。彼女は私の妃にこそふさわしい)
数か月後、第二王子の訃報が公表された。
流行り病で亡くなったとされているが、謀反を起こしたため、密やかに処刑されたのだった。その数か月後、第二王子の妻だった王女も後を追うように亡くなったと伝えられる。
謀反を起こした王子の妻として連帯責任を負い、処刑されたのだ。
一説によると、第二王子を唆したのは妻の王女だったとされている。
王太子を誘惑したが、すげなくあしらわれたことを根に持ち、簒奪を企てたのだ、と。
別の説では、奔放な王女に嫌気がさした第二王子が、貞淑な王太子妃に横恋慕し、彼女を自分のものにするために謀反を企てたのだという。
それらの噂は実しやかに社交界に広まり、第二王子と王女の死は悲劇ではなく唾棄すべき当然の報いだと密やかに囁かれた。
また、王女が公費を湯水のように使っていたことや、第二王子の傍若無人な振る舞いがどこからともなく噂された。
既に二人がこの世にいないことがせめてもの救いだった。
王家は沈黙を貫き、事態の鎮静化を忍耐強く待つしかなかった。
それは王太子妃の懐妊が発表されるとさらに憶測を呼んだ。
曰く、果たして生まれて来る子は王太子の子か――それとも。
噂の出どころは分からず仕舞いだった。
日夜面白おかしい噂話が飛び交う社交界からは遠く離れた侯爵家の領地では、新侯爵となったルークが書斎で部下から齎される報告書に目を通していた。
くだらない噂話などどうでもよかった。第二王子と王女が死んだこともどうでもよかった。
ただ一つだけ、彼の大切な妻に危害が及ばなければ。
巻き戻り前の世界で、シルヴィアに危害を加えた者たちには悉く天罰が落ちた。
第二王子も王女も自滅した。王子妃を狙っていたハイエナどもも不幸な結婚に落ちた。
シルヴィアを死に追いやった王家にも害が及んでいる。
これでシルヴィアを害する脅威は殆ど消えたはずだ。
「ルーク、お茶の用意が出来たわ。休憩にしませんか?」
可愛らしい最愛の妻の声にルークは顔を上げ、頬を綻ばせた。
手元に有った報告書に火をつけ、暖炉に放り投げると、足取り軽く書斎を後にした。