熊もたおせる彼女は 4
ラウルがヘイゼルを砦まで送ることを拒んだので、帰りはふたりだった。
砂漠は風もほとんどない。
ゆっくり馬を歩かせながらヘイゼルはいろいろな話をしてくれた。ファゴットの森で暮らした時間のこと。長い退屈な夜を書物でなぐさめていたこと。森は庭のようなもので、春にはあちこちで可憐な花が咲いたこと。そして秋には甘い紅葉の香りがしたこと。
ジャジャという弟がわりがいたけれど、ずっと、女友達が欲しかったこと。
そんな、たわいのないことを。
「姫さま」
「なあに」
「私、決めました。自分の知識と経験をすべてあなたのために使います」
驚いたようにエメラルド色の瞳が見開かれる。ミシャは続けた。
「アズマイラさまにつかえた三年間も、きっと無駄ではなかったんです。今ならそう思えます」
さっきラウルが捨て台詞のようにいったのである。クマも倒せる姫君だから、おひとりで帰っても支障ありますまいと。それにカチンときたミシャは言い返した。ヘイゼルがなにかいおうとしたが、きっぱり遮って。
『姫さまはなにも答えなくてけっこうです。わたくしがお返事しますので』
そしてアズマイラのひんやりとした口調をイメージしながら続けた。あごを引き、目線はまっすぐ相手へ。言葉には強さではなく圧をのせる。
『もちろんそれでけっこうですわ。命を助けられて礼もいえない男性に送っていただいても、かえってうちの姫さまの名折れになりますもの』
ラウルの青ざめた顔を思い出して、ヘイゼルはくすくす笑った。
「あの時のミシャはかなり迫力があった」
「あんなの誰だっていえます」
「そんなことない、あれはウースラが怒ったときより怖かった」
「まあ、アズマイラさまは宮廷屈指の怖い女性ですからね……」
そんな流れで、アズマイラのもとで働くことになった事情も話した。
娼館で働いたのち、いきなり後宮に突っ込まれたのだと話すとヘイゼルは真顔になった。
「それは、よほどあなたを恐れていたのね」
「──え?」
「徹底してあなたの心を折ろうとしたのは、それだけあなたのことが脅威だったからでしょう」
思ってもいなかったことをいわれて、ミシャは息をのんだ。
「そう……なのでしょうか」
「それ以外に理由がある?」
考えてみたら、ないのだった。
後宮にはいってからわかった。自分以外の家族はみな処刑されたこと。それなのに、なぜ自分だけ生かされているのか不思議だった。
これにもヘイゼルは少し考えてからいった。
「これはわたしの想像ですけど、ダルリンブルの血筋を残したかった可能性もあるわね。もうひとつは、あなたの頭のなかにある一族の知識を失いたくなかったのではないかしら」
ダルリンブルの家は、戦略に強い家だった。だからこそもとは庶民だったにもかかわらず貴族位をもらうまでになったのだが、不思議と直系の男たちはみな戦略に秀でていた。
そうかもしれないとミシャは思う。
「うちはもともと、学者の家系だったんです」
ぽつりぽつりとミシャは話しはじめた。
「そこを買われて、王宮に出入りを許されたのがはじまりです。そして当時の王から重宝され、爵位を頂戴いたしました。そんな家でしたから、当然戦略や外交については代々語り継がれてきた教えがございます。女であっても子どもであっても分け隔てなく教育してくれる家でもありました」
「素晴らしいことね」
「ところが、わたしの父は少し気が弱い人だったのですね。やさしい人でした。私は大好きでしたが、当主として最善であるとはいいがたかった。争いが苦手で、策略も嫌いで、表裏がなく、他人を蹴落としたり汚いことができる人ではなかったのです。──むろん、誰もそんなことが好きな人などいませんが、必要な時にはやらなくてはもっと悪いことになります」
ヘイゼルは黙ってうなずく。
「だからわたしは痛いほどわかっているつもりです。正しいことをするためには、力を行使することや手を汚すことを避けては通れないって」
「確か……オーランガワード初の軍事参謀だったのよね」
「そうです」
「ダルリンブル家以前には、この国には参謀という肩書はなかったと本で読んだけれど、本当?」
「本当です」
「光栄なことだわ。わたしは今、その血筋を受け継いだ女性をこの目で見ているのね」
素直な称賛のまなざしに、ミシャは思った。
ガーヤさまのいうとおりだ。本当に、この方には侍女が必要だと。
(ここには、確かに流行の口紅はない)
日は傾き、空をピンクとオレンジ色に染めていた。
砂漠が最もロマンティックな様相を呈する時刻である。
(華やかな最新モードのドレスもない。でも、この方がいる)
ダルリンブルは庶民の出なのでよく思わない旧貴族たちも多く、また突出して出世したせいで嫉妬も多かった。だからミシャは幼いころから事あるごとに教わった。
『たやすく他人に心を許してはいけない』
『なにをいうかよりも、なにをいわないかが大事』
そして最後にはこう締めくくられた。
『だが、この人こそと思う相手に出会ったら、その人に身も心も捧げるつもりでつかえなさい』
もうすぐ砦についてしまう。その前に、ミシャはいうべきことがあった。
「あの、姫さま、なぜ今回ラウルさまのご招待を受けられたのですか」
「書物をね、持ってきてくれたというから」
「姫さまは書物を偏愛されていらっしゃいますもんね」
そうなのとヘイゼルは大きく首を縦にふった。
「最初に見せられた本は興味深かったのよ。帝王学の権威が書いた書籍だった……それなのに、天幕で見せられたものは軽薄な流行恋愛小説だったわ。あれを同じ人が選んだとはとても思えない」
「そうですね。姫さまの興味を引くために、誰かが最初の一冊を選んだと見るのが妥当でしょう」
そうよね、いったい誰なのかしらとヘイゼルが考え込む。
「まるで、私のことをよく知っている人が選んだみたいな……」
「──ですが、姫さま」
「なあに」
「政治や歴史、それに戦略に関わる書物が読みたいなら、これからは、わたしがいるではないですか」
ヘイゼルが驚いたようにミシャをふりむく。
「私のことを生きた書物だとお思い下さい。どんな内容でも知っている限りお話しいたします。きれいな話からどす黒い話まで。歴史や政治の裏話もたいていは存じております」
「ミシャ……」
「あんな男を頼る必要はございません。これからはわたしに聞いてくださいな」
ヘイゼルは鮮やかな緑色の瞳をぱちぱちとまたたかせた。
まるで、嬉しくてたまらない贈り物をもらったみたいに。
「……頼もしいわ」
その声の震えが、彼女の感動をあらわしていた。
「あなたが来てくれて、よかった」
──この人に、一生涯かけておつかえする。
そう心に決めた人が、自分のことを喜んでくれている。
それがミシャを内側から揺り動かしていた。
恥ずかしいような、照れくさいような、でも喜びがはるかに上回っているような。
黙っていたら果てしなく照れてしまいそうだったので、ミシャはいった。
「試しになにか、聞いてみたいことはありますか?」
「そうね……」
ヘイゼルはちょっと考えている。
なにを聞かれるのだろう。あまり古いことは覚えていないこともあるかもしれない。
ミシャがどきどきして待っていると、ヘイゼルは興味を隠せないというように目をキラキラさせて再び振り返った。
「あのね、もし話したくないことならいいのだけど」
「はい」
「さっきのラウルさまって、ほんとに顔見知りなの? だとしたら、どんなお客様だった?」
「ああ、いけ好かない男でしたね」
ミシャは即答した。打てば響く反応のよさにヘイゼルが声をあげて笑う。
「どんな、どんなっ」
「いやもう、とにかく感じが悪いんですよ。暴力をふるうとか体に傷をつけるとかするなら楼主に相談もできたんですが、そこまではしないんですよね。女の子たちみんな嫌ってましたよ」
「そうなんだ!」
「できるだけ金を使わず、らくして女と仲良くなりたい、しかも相手は誰でもいいっていうのが行動に現れてるんですよねえ」
「そんなむしのいい方法ないでしょ!」
「ないんですよ。でもその当たり前のことがわからないらしくて……」
店の外で何度も待ち伏せされたことや、女を見下した態度のことなどをミシャは思いつくままに話し、ヘイゼルはなにそればっかじゃないの、と身体を二つ折りにして笑った。
砦につくまで、それは続いた。
まるで、姫と侍女ではなくてただの女友達みたいに。




