第35話 二週間の客 ― Two Weeks as a Guest
ユリアン・ヴァルツを城館の客室へ迎え入れた翌朝、セレナはいつもより少し早く会議室へ向かった。
夜のうちに風は弱まっていたものの、朝の空気は冷たく、石造りの廊下を歩くだけでも靴底から冷気が伝わってくる。会議室ではすでに暖炉へ火が入り、乾いた薪の匂いが漂っていたが、長机の表面にはまだ冷たさが残っていた。
呼び集めたのはハロルド、ガレス、ミレイユ、ローヴェルの四人だけである。ユリアン本人は同席させていない。彼の希望を聞く前に、まずアルヴェイン側としてどこまで認められるのか、方針を決めておく必要があった。
「まず確認したいんだけど、ユリアン殿は今、一時保護という扱いになっているのよね?」
セレナが席に着き、昨日まとめた条件書へ目を落とすと、ハロルドが頷いた。
「はい。武器を預かり、外出には護衛を付け、兵の募集や軍事的な連絡を禁じております。客人として遇しておりますが、行動には一定の制限を設けています」
「そこは昨日決めたからいいの。でも、いつまで置いておくのかは決めていないでしょう?」
セレナが顔を上げると、四人は互いに視線を交わした。昨日は突然現れたヴァルツ家の三男をどう扱うかだけで精一杯だったが、一晩経てば次の問題が見えてくる。
「三日や一週間ならともかく、一か月、二か月と続いたらどうするの? まさか春まで客室を使わせるわけにもいかないでしょう」
「食費だけなら大した負担ではございませんが、警備や護衛、書簡の確認、客室の維持に加え、外交上の問題もございます」
ミレイユは帳面を開き、滞在に伴う費用を指で示した。
「四人分の食事より、むしろ人を割かなければならないことの方が負担になります。現在は避難民の受け入れも続いておりますから、余裕があるとは申せません」
「そうよね。普通の十九歳の青年を一人泊めているわけじゃないもの」
セレナは椅子の背へ身体を預けた。ユリアン自身は争いから離れたいだけだと言っていたが、ヴァルツ子爵の三男という立場まで捨てられるわけではない。
「長く滞在させれば、それだけアルヴェインが彼を抱えている意味も大きく見られるのかしら?」
「その通りです。一晩か二晩なら、逃げ込んできた者を一時的に保護したと説明できます。しかし一月、二月と滞在が続けば、なぜアルヴェイン家が三男を手元に置いているのか、周囲は理由を探し始めるでしょう」
ローヴェルの説明に、セレナは小さく息を吐いた。
「本人に野心がなくても、周りはそう見てくれないのね」
「昨日も申し上げましたが、本人の意思と周囲からの見え方は別です」
「昨日から何も変わっていないってことね。分かったわ。それなら、こちらから期限を決めましょう」
ハロルドは少し考え、一か月ほどを提案した。しかし、セレナは首を傾げた。
「一か月は長くない? 十日くらいでもいい気がするけど」
「逃げてきたばかりですから、十日では落ち着いて今後を考える時間が足りないかもしれません」
「それなら二週間にしましょう。馬を休ませて本人も疲れを取り、ヴァルツ領の状況を確かめる時間はあるでしょう?」
ハロルドが頷いたのを見て、セレナは条件書へ指を置いた。
「二週間は今の条件で保護する。ただし、その日に必ず追い出すという意味にはしないわ。その間に本人にも今後どうするのか考えてもらって、期限が来たら改めて話し合うの」
「妥当かと存じます。では、本人へ示す選択肢も整理しておきましょう」
ガレスに促され、セレナは昨日のユリアンとの会話を思い返した。
「まず一つ目は、ヴァルツ領へ帰ること。本人は嫌がるでしょうけど、二週間後には状況が変わっているかもしれないもの」
「長男と子爵の争いが収まれば、帰還も考えられましょうな」
ガレスが頷くと、セレナは机の端に置かれた交易記録へ視線を向けた。
「二つ目は、別の領地へ行くことよ。本当に争いから離れたいなら、ヴァルツにもアルヴェインにもいない方が確実でしょう?」
「他領への亡命ということでしょうか。陸路では途中の情勢に左右されますし、護衛を付ける必要も出てまいります」
ミレイユの懸念に、セレナは首を振った。
「陸路じゃなくて海を使うの。うちには港があるでしょう。南へ向かう商船に乗せてもらえれば、争いのある地域を通らずに済むわ」
「沿岸の都市や別の港へ向かう船は、定期便ではありませんが出入りしております。船主と行き先次第では、貴族一人と従者三名を乗せることも可能でしょう」
「それなら、本人が望めば船を探して、乗船するところまでは手伝うことにしましょう」
ガレスが僅かに眉を寄せた。
「亡命先まで護衛を付けて送り届けるわけではないのですな?」
「そこまではしないわ。アルヴェインの港から船に乗るところまでよ。その先は本人に何とかしてもらう。よその領地まで兵を送ったら、私たちが亡命を正式に支援したことになってしまうでしょう」
ハロルドは満足そうに頷き、書類へ内容を書き留めた。
「では、三つ目はどうされますか?」
「……アルヴェインに残ることね」
セレナは少しだけ顔をしかめた。三つの中では、それが最も面倒な選択肢だった。
「二週間を過ぎても残りたいと言うなら、今までと同じ客人扱いは続けられないわ。部屋と食事を用意して、護衛まで付けて、何もしなくていいというわけにはいかないもの」
「滞在費を負担させるお考えですか?」
ミレイユが尋ねると、セレナは首を振った。
「お金はいらないわ。それより、彼が知っていることを教えてもらいたいの」
ローヴェルが顔を上げた。
「ヴァルツ領の情報ですか?」
「そう。街道や村の位置、家臣たちの関係、父親や兄たちの考え方。それに、どの地域で兵が動いていて、どこから避難民が流れてきそうなのかも知りたいわ」
言葉にしていくうちに、必要な情報が思った以上に多いことに気づいた。アルヴェインはヴァルツ領の内乱へ兵を出すつもりはないが、その影響はすでに境界を越えている。避難民が増えれば食料や住居が必要になり、交易が滞れば領内の暮らしにも影響する。敗走した武装集団が流れ込む可能性も考えておかなければならなかった。
「隣領の事情を知ることは、うちを守ることにもつながるでしょう。長く滞在するなら、彼にもできる範囲で協力してもらいたいの」
「使えるものは使うべきですな」
ガレスが頷くと、セレナはすぐに顔を向けた。
「言い方が悪いわよ。ユリアン殿を旗印にして家督争いへ担ぎ出したり、彼の名前を使ってヴァルツ領へ攻め込んだりするつもりはないんだから」
「承知しております。ただ、情報を得られるなら利用しない手はありません」
「それは否定しないわ。でも、答えたくないことまで無理に聞き出すのはなしよ」
ローヴェルは静かに頷いた。
「ただし、何も答えず、何もせず、それでも安全な場所に置いてほしいというのであれば、長期滞在の条件としては認められない。そういうことですね」
「そういうこと。本人が争いを嫌うのは自由だけど、こちらにも守らなければならない領民がいるもの」
ハロルドの口元が僅かに緩んだ。
「ずいぶん領主らしくなられましたな」
「何よ、その言い方。今までは違ったってこと?」
「褒めております」
「本当に?」
「もちろんでございます」
セレナは少し疑わしそうにハロルドを見たが、それ以上は追及しなかった。
◇
会議の最後に、ハロルドが三つの選択肢を一枚の紙へまとめた。
第一に、二週間の保護期間中にヴァルツ領へ帰還すること。第二に、他領へ去ることを望む場合、アルヴェイン港から出る適当な商船を探し、乗船までは協力すること。第三に、二週間を超えて滞在する場合は条件を改め、領内の安全に必要な範囲でヴァルツ領についての情報や助言を求めること。
「これでいいかしら?」
セレナが全員を見回すと、ミレイユとガレスは頷いた。ローヴェルだけは紙を見つめたまま、少し考えるように口を開いた。
「一つだけ。ユリアン殿が、こちらの想定していない第四の選択肢を示してくる可能性もあります」
「第四? 例えば何?」
「それは本人が決めることでしょう。私たちの考えた三つの道しかないとは限りません」
セレナは少し考え、それから頷いた。
「そうね。その時は話を聞きましょう。少なくとも、本人の考えを聞く前に全部決めつける必要はないわ」
これで、アルヴェイン側の方針はまとまった。昨日のように、相手を前にしてから慌てて条件を考えることにはならずに済みそうだった。
◇
ユリアンを会議室へ呼んだのは昼食の後だった。
昨日より顔色はよくなり、髪も整えられていたが、目の下にはまだ薄く疲労が残っている。客室で十分眠ったとは聞いていたものの、数日の逃避行で積み重なった疲れは一晩では抜けないのだろう。
今回はハロルドだけを同席させ、セレナは向かいの椅子へ座るよう促した。
「昨日の続きよ。今日は、これからの滞在について話したいの」
「承知しました。……私は、もう出ていかなければならないのでしょうか?」
「まだ追い出さないわ。ただ、いつまでも一時保護というわけにはいかないから、まず二週間という期限を決めたの」
ユリアンは僅かに眉を上げた。
「二週間ですか?」
「その間は昨日決めた条件のまま、客人として滞在していいわ。食事も部屋も用意するし、急いで結論を出せとは言わない。ただし、その先どうするかは考えてほしいの」
「二週間後には、何か決めなければならないということですね」
「そういうこと。私たちが考えた選択肢は三つあるわ」
セレナは机に置いた紙をユリアンの方へ向けた。
「まず、ヴァルツ領へ帰ること。今は無理でも、争いが収まれば帰れるかもしれないでしょう?」
「……今のところ、帰るつもりはありません」
「それは分かっているわ。でも、二週間後も同じ状況とは限らないから、選択肢には残しておきましょう」
ユリアンは渋い表情のまま頷いた。
「二つ目は、ほかの領地へ行くことよ。争いから本当に離れたいなら、そちらの方がいいかもしれないわね」
「他領へ、ですか。しかし陸路では、父や兄の兵に見つかる可能性があります」
「だから海を使うの。アルヴェインには港があるでしょう。南へ向かう商船を探して、行き先が合えばあなたと従者三人を乗せてもらえるよう話をするわ」
ユリアンは驚いたように顔を上げた。
「そこまでしていただけるのですか?」
「船に乗るところまでよ。亡命先を探したり、向こうまで兵を付けて送り届けたりはしないわ。その先は自分で何とかしてちょうだい」
「それで十分です。考えてもいなかった方法でした」
ユリアンはしばらく紙へ目を落とし、南へ向かう船について考えているようだった。セレナは少し待ってから、三つ目の選択肢を告げた。
「最後は、このままアルヴェインに残ること。ただし、二週間を過ぎても滞在するなら、今とは条件が変わるわ」
「残ることも認めていただけるのですか?」
「無条件ではないわ。長くいるなら、少し働いてもらいたいの」
ユリアンは不思議そうに瞬きをした。
「働く、というのは……畑を耕すのでしょうか?」
「できるの?」
「経験はありませんが、教えていただければ」
「そこじゃないわよ。主に頭を使ってもらうの」
セレナが呆れたように答えると、ユリアンは少しだけ笑った。しかし、続く説明を聞くうちに、その表情は真剣なものへ変わっていった。
「ヴァルツ領の街道や村、家臣たちのことを教えてほしいの。お父さんやお兄さんたちがどういう人で、何を考えて動いているのかも、あなたなら分かることがあるでしょう?」
「……それは、私を利用するということですか?」
予想していた質問だったので、セレナは目を逸らさずに答えた。
「長く滞在するなら、そうなるわ。でも、あなたを旗印にして家督争いへ担ぎ出すつもりはないし、ヴァルツ領を奪うために使うつもりもない。欲しいのは、アルヴェインを守るための情報よ」
セレナは机の上に置かれた避難民の報告書へ目を向けた。
「あなたの領地で争いが始まってから、もう百人以上の人がこちらへ逃げてきているの。交易にも影響が出ているし、もし武装した兵まで流れ込んできたら、こちらも対応しなければならないでしょう。何が起きそうなのか、少しでも早く知っておきたいのよ」
ユリアンは黙って話を聞いていた。
「もちろん、答えたくないことまで無理に聞き出すつもりはないわ。でも、何も話したくないし何もしたくない、それでも安全な部屋と食事だけはずっと用意してほしい、というのは認められないの」
しばらく沈黙が続いた。窓の外では冬の海風が低く唸り、暖炉では薪が小さく爆ぜている。室内には焼けた木の匂いと、昼食の後に運ばれてきた薄い茶の香りが残っていた。
やがてユリアンは小さく息を吐き、セレナを見た。
「思っていたより厳しい方ですね」
「優しい領主だと思って来たの?」
「少なくとも、事情を聞く前に引き渡すような方ではないと聞いていました」
「それと、ずっと養ってあげるのは別の話よ」
「……確かに、その通りですね」
ユリアンは僅かに笑みを浮かべ、改めて紙へ目を落とした。
「では、二週間考えさせてください。ヴァルツへ戻るか、ほかの土地へ去るか、それともアルヴェインに残るか」
「ええ。今すぐ答えを出す必要はないわ」
「ただ、残るなら私の知識を利用するということですね」
「言い方が少し気になるけど、間違ってはいないわ」
セレナがそう答えると、ユリアンの笑みがほんの少し深くなった。
「正直ですね、アルヴェイン男爵」
「お互い、その方が話は早いでしょう?」
「はい。私もそう思います」
今度の返事には迷いがなかった。
◇
ユリアンが部屋を出た後、ハロルドは机の上に残された紙を見つめながら、静かに口を開いた。
「閣下は、三男殿がどの道を選ばれると思われますか?」
「分からないわ。ヴァルツへ帰るかもしれないし、海を渡って別の土地へ行くかもしれない。ここに残る可能性だってあるでしょう」
「珍しく即答されませんな」
「だって、本人が決めることだもの。私が勝手に決めても仕方ないじゃない」
セレナは閉じられた扉を見つめ、それから少し考えて付け加えた。
「でも、もし残ることを選んだら、ちゃんと働いてもらうわよ」
「頭を使って、でございますな?」
「主にね」
ハロルドは小さく笑い、セレナも机の上の条件書へ視線を落とした。
二週間。その間だけは、ユリアンは何の役目も負わない客人として過ごせる。しかし、それを過ぎてもアルヴェインに残るのであれば、彼との関係は今とは違うものになるだろう。
少なくとも、ただの迷惑な客という呼び方だけでは、済まなくなるのかもしれなかった。




