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2025年11月22日土曜日

カレーについて


 先日の餃子についての回で、『TVCMで栗原はるみのカレーがうまそうだったので作った』と書いたが、以前からカレーは定期的に作っていました。前にも書いたように、料理をするようになったのは、娘達が生まれてからで、タマネギを飴色になるまで炒めたりして、結構凝ったカレーを作ってました。今回は、TVの画像が絵的にうまそうだったので、アレンジは一切加えず、作り方の説明に忠実に従って作り、もっとスパイスが効いたものを想像していたのですが、まあ、うまいカレーでした。妻も、「何か黄色っぽくて昔食べたカレーだね。」と言っていました。

 黄色っぽくて昔食べたカレー。私は食べたことが無かった。また家(製麺所)の話になるが、母は朝から晩まで働いていて、料理に掛ける時間が無かった。しかし、子供は4人居て(8つ上の長男、6つ上の長女、私、6つ下の妹)腹を空かせて晩飯を待っている。大抵は、中華料理屋で使っている大きな中華鍋で炒め物をして、そのまま鍋ごと食卓の中央にデンっと置き、その鍋の中のものを家族が四方八方からつついて食べるスタイルであった。しかし、そうした過酷な生存競争が繰り広げられる中で、1人弱者が居たわけで、それが私であった。

 私は極度の偏食であった。野菜は食べない。肉も脂身がだめ。魚も食えない。で、何を食っていたのかというと、昼間駄菓子をひたすら食って、夕食には毎日自転車で(ラッパの音とともに)売りに来る豆腐やふりかけ、生卵(卵ご飯)を食っていました。(「食いたくない奴は食わんでいい」が父の方針)。また、当時必然的に外食が多かったのだが、焼肉屋の時は恐怖であった。例えば私が8歳であった時、妹は2歳、姉が14歳、兄は16歳で、兄姉は育ち盛り。焼肉なんて猛烈に食う。肉で唯一食えるロース肉(カルビは食えない)を狙っていると、焼くそばから(レアで)ガンガン食われ、結局タマゴスープで腹を満たすことになる。まさに地獄であった。

 そんな兄姉の好物がカレーであった。しかも辛いカレー。特に兄はカレーには目の無い人で、母を見る度に「カレー作ってくれよ。毎日でもいいよ。」と言ってたので、それを聞く度に今日はカレーになるのかと怯えていました。今から思うと、母の作るカレーは、手間暇を掛けない分、カレー粉だけの味がとんがってるドロっとしていない、シャビシャビの辛いだけのカレーでした。色も茶色に近い。そら、料理に掛ける時間が無いのだから当たり前だけど、そのカレーを、うまいうまいと食っていたのが兄であった。

 でも、私をカレーに目覚めさせてくれたのも、また兄であった。兄は東京の明治大学(後の私の母校になる)に行っていて、一度東京の兄の部屋へ泊まりに行った事がある。その時兄が連れて行ってくれたのが、東銀座にあるカレー屋ナイル。私は中学生でまだカレーは苦手だったのだが、せっかくだからと無理に食べた。その後、自分が同じく上京した時、思い出して行ってみて、ナイルのカレーにハマりました。以降40年以上東京に行くたびに食ってます。お勧めは、『ムルギランチ』。

 そういえば、娘達が小学生の頃、実家の車を借りてスキーに行った事がある。一泊泊まり、早朝に実家を出発したのだが、朝食にあの母のカレーが出てきた。その頃既に多少痴呆が始まっていた母は、「お前の好物だろう。」って。それは、兄です、お母さん。ぼくの好物はちゃんぽん。(言えなかったけど。)味は、というと、予想通り何の深みもない粉っぽいカレーで、妻も娘達も、微妙な顔して明らかに無理して食っていました。すまん。

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