子供みたいな男
楊が俺を愛している?
頭の中が真っ白になった俺は、葉子を見て、それから葉子の娘の鈴子を見て、最後に葉子の孫の梨々子を見た。
鈴子と梨々子は葉子の言葉にうんうんと頷き同意をしており、俺は自分が今何処にいるのか、何の話をしていたのか急にわからなくなっていた。
若年性痴ほう症ってあるのかもしれないな、と、自分が韜晦どころか崩壊していくような不安まで感じていた。
共感力が無いからといって、ここまで他人の言葉が理解できない事態など今まであり得なかったのである。
「ちょっと、何か言いなさいよ!」
「え?何かって、え?何の話ですか?」
「しらばっくれないで。勝利はあなたからもらったミニカーを、それは大事にしているのよ。いっつもスーツのポケットに入れて。それを指摘した途端に顔を真っ赤にして逃げ出して行って。それから勝利は我が家に来なくなってしまったのよ!」
俺はそのエピソードに涙が流れるくらいだ。
情けなさに両手で自分の顔を覆ってしまった事など、……そういえば玄人を養子にしてから何度もあったなと、俺は気が付いた。
玄人は食べ物以外の貰い物は全て「思い出」として、俺が彼専用のクローゼットに改造した押し入れに片付けてしまう習性を持っている。
「あぁ、楊も思い出男だったか。畜生。あの似た者同士め。」
「どういうこと?」
俺は適当に顔を拭うと、三人の怒れる女性達の顔をゆっくりと見回した。
葉子は怒りばかり、鈴子は喪失感を前面に、そして、婚約者だった梨々子は全てに自信を失っている顔で俯いている。
楊がどうしても切り捨てられずにずるずると何年も彼女達と付き合ったのは、楊が葉子の夫だった雅敏の生まれ変わりだったからと彼は思い込んでいるが、彼は純粋にこの三人の美女達を愛しているのだと、俺は見回して気が付いた。
年は行き過ぎているが、会話も楽しい元気いっぱいの葉子という過去に愛した女。
細やかな気遣いを忘れず、はかなげな外見と違い自分を持っている鈴子という現在を生きている女。
誰もがうらやむ美貌と知能を持っていながら、不確かな未来そのもののように、全く自分に自信のない梨々子。
玄人が彼女達を過去と未来と現在を司るノルンという三姉妹の女神のようだと言っていたその通りに、彼女達は三者三様に魅力的な世代違いの美女であるのである。
ただの男が運命の女神に抵抗できるわけもない。
「あたし達は何を言われても勝利を愛しているの。あたし達が傷ついたとしてもそれはあたし達の勝手なんだから、あんたの思う真実を教えて頂戴。」
口を閉じた俺に痺れを切らせた葉子の言葉だが、俺はかなりの気力を奮い立たせて俺に縋る目を向けている彼女を宥める言葉を出すどころか、大きく吐息を吐き出す事しかできなかった。
「和尚様、母はああいってはおりますけれども、お答えによっては私達は勝利さんを煩わせないように距離を置く覚悟もありますのよ。」
鈴子の声に再び楊を何があっても離さないらしき美女達をぐるりと見回したのだが、鈴子は言葉の割には悲壮感も無い静かな顔を俺に見せており、葉子は娘の言葉に承服しかねると顔に書いており、そして、梨々子はこの事態が自分一人のせいであるかのように俯いていた。
俺の口が動いたのは、梨々子という哀れな少女の為にだけだった。
「何をって言われましてもね、あいつはね、子供なんですよ。だから、いいなと見つけたものは、次から次へと溜め込む。そしてね、宝物だってメンテナンスは必要でしょう。沢山すぎてどこから手を付ければ良いのかわからなくなると、あいつは逃げるんだ。そういう事なんですよ。俺のミニカーなんか宝物でもなんでもなく、ポケットにいれたまま忘れていたが真実でしょうよ。いい男ぶっていた男が、子供っぽさを見つかったことが恥ずかしいと逃げちゃった、それだけの話ですよ。」
俺を目を細めて睨むようにして見つめてきた葉子が、くいっと片眉を動かした。
「それが勝利があたし達から姿を消したという理由?勝利が子供っぽいなんて、今更じゃないのよ。それで逃げたわけじゃない。あんたが隠したんじゃない。」
「いいえ。咄嗟に逃げ出したのはそれが真実ですよ。その後は、ハハハ、確かに、ここ一か月のあいつの不在は俺が匿ったせいですね。あいつは危険だったから。」
葉子はそこで俺に罵りの言葉を吐き出そうとしたのか、腰をあげながら「あ」と一声あげたのだが、すぐに口をぎゅうっと閉じると椅子に座り直して俺を睨み返してきた。
彼女の頬は呼吸をも止めたかのように真っ赤に燃えている。
「あぁ。あなたの怒りは違う所にもありましたか。」
「この、糞坊主。」
俺は楊を完全に安全にするために、葉子のように俺を糞坊主と罵り虐めてくるほどの怖い近所に住む高齢女性四名を、楊を守るための攻撃機能付き監視カメラにしたのである。
彼女達のその機能は、彼女達の監視対象であるらしき玄人に対して実証済みである。
例えば、玄人がちょっと暗い顔をした日には、俺が虐めたのだと思い込んだ彼女達に俺が囲まれて叱られるという、物凄く迷惑な高性能ぶりだ。
葉子の悔しそうな表情によれば、きっと、葉子どころか近所に住む金虫母娘でさえ排除するほどに良い動きをしたに違いない。
「まだあいつは危険なの?」
「危険は去った、で、一応はいいでしょうが、まだ様子見です。それから、俺からの助言ですが、これからはあいつを人間の男だと思わない方がいいですよ。外猫です。首輪をつけて家猫にしようとすれば、機嫌を悪くして帰って来ない。探せば探しただけ他所に逃げる。」
「あら、そういえばそうね。私が浪貝さんや磯田さん、それに、浜口さんと沖さん、だったかしら。一緒にお茶会をするたびに勝利さんが軽食を摘まみに顔を見せに来たものね。うふふ、そう言われれば猫ね。猫みたい。」
「――鈴子さんは、あの四人とお友達だったので?」
「うふふ。親しいお友達に、なったの。浪貝さんは梨々子がすぐにやめてしまったピアノの先生でしょう。知らないわけじゃあないわ。彼女達が勝利さんへの防壁となるならば、突破すればいいだけの話でしょう。」
口元に左手を添えて貴婦人の様にコロコロと笑う鈴子に怖気が走ったが、俺は彼女に気取られない様に笑顔を崩さなかった。
玄人がこのおっとりとした女性を「楊の最大の敵」と名指しした時には聞き流していたのだが、俺は玄人にそう言わしめた鈴子の真髄をようやく知ったのである。
これではあの間抜けな楊が逃げ切れる筈が無い。
「ちょっと、ママ。ママだけまさ君に会っていたの!」
「鈴子!あんたは!あんただけ勝利に会っていたの!」
当り前だが仲間割れと非難が沸き起こったが、策士である鈴子が動じるはずなど無く、のほほんと母親と娘をいなしてしまった。
「うーん。でもすぐに、山口さんばかりがお茶会に招かれるようになったから、ほんのちょっとだけね。次はお母さんか梨々子を一緒に勝利さんのお宅に伺うわね、を計画していたのに、残念。山口さんは王子様みたいだって、皆さんは勝利さんよりも山口さんの方がお好きみたいで。」
俺は山口から「楊がご近所付き合いを山口に全部委ねてくる。」と、愚痴メールを受け取っていたことを思い出していた。
楊は必死に鈴子から逃げていた模様だ。
本庁との合同捜査と言う名目で楊を閉じ込めていたので、素直な彼は職務に巻き込まないようにと鈴子達から身を隠そうとしていたのだろう。
「ふふ、でも本当に勝利さんは美味しいものには目が無いものね。確かに、猫そっくり。それじゃあ、娘の婚約関係なしに、うーん、梨々子がいない時にでも食事に寄っていいのよって、声をかけて下さる?あなたの大好きな新鮮な白身魚を、オーブンでカリっと焼いて待っているわって。」
クスクスと笑いながら娘を完全に裏切る言葉を言いきった鈴子に、俺は彼女の夫である金虫警視長へ大きな同情を抱きながら、玄人が言っていた言葉に完全に追従していた。
楊の最大の敵は鈴子だ。
玄人は武本物産の当主だけあって、実は人を見る目があるのであろうか。
「私無しでまさ君と付き合おうなんて、ママひどい!まさ君は私のまさ君でしょう!」
「あら、その大事なまさ君と婚約破棄をしたのはあなたでしょう。婚約破棄迄して勉強したかったのならば、ドイツ語が出来ないからって簡単に日本に帰って来ないで、向こうで勉強に打ち込んでいれば良かったじゃない。」
「ママの意地悪!」
梨々子は冷血な母親を罵ると、二階の自分の部屋へと小学生の子供のように駆け込んでいった。
俺は目の前で繰り広げられた母娘の愛憎劇に、楊の本当の姿など伝えずに、俺の愛人だと彼女達を突っぱねていた方が双方にとって幸せだったのではないかと反省しきりだ。
そんな娘と孫の醜態にどんな顔をしているのかと葉子を見返せば、彼女は右頬に片手を当てて何かを企んでいるような微笑を顔に浮かべていた。
「なにか、葉子さん。」
「ふふ。別に。確かに、マサトシは子供だったわってね。」
俺は心の中で親友に謝っていた。




