十二話 騎士団副団長とポチ
騎士団副団長の執務室。そこでは一人の男がつまらなそうに書類仕事を片付けていた。
月はすでに空高く登っており、王都の水瓶からは湿った空気が流れ込んできていて、仕事をする気力を奪ってゆく。
昼間のカラッと気持ちの良い風と、夜のじめじめとした空気とを比べると、天国と地国ほどの差が感じられるのだった。
こんな夜には、キンキンに冷やしたエールとあぶったロブヌターで乾杯と行きたい。仕事なんて忘れて、酒を飲んで体を動かしたいと、男はうなだれる。
しかし、男の前には決済を待つ書類が積みあがっている。本来は副団長の処理するべき仕事なのだが、男は見て見ぬふりができず、自分が出来る範囲でと書類に手を出しているのだった。
そんな彼は同僚達に、親しみを込めて(副団長の)犬と呼ばれていた。
そんなポチが、終わらない仕事と帰らない副団長にうめき声をあげていた時だった。
ばたばた、と常にはない足音が聞こえたかと思うと、乱暴に執務室の扉が開かれたのだ。開けたのは勿論副団長である。
「すまない、今帰った」
ディーノが眉を寄せて、気まずげに言う。
仕事で呼ばれていたのだから、もっと偉そうにしてて良いのにと思いながら、ちょっと嬉しそうに副官は立ちあがって主を迎えた。
「おつかれさまでした。あ、コーヒーいかがですか?」
「ああ。いただこうか」
しっかり用意してあったアイスコーヒーを、大きめのグラスに移して、ディーノに差し出す。こんな蒸し熱い夜には冷たいアイスコーヒーが一番である──どうせ、今日の仕事はまだまだ残っているのだから。
「まったく、頭が痛くなることばかりだ」
ディーノは部屋の入り口近く、応接用に置いてあるソファに座ると、受け取ったアイスコーヒーを半分まで一気に飲みほした。
その後頭を押さえていたのは、与えられた仕事の所為なのか、はたまたアイスコーヒーを一気飲みしたからなのかはポチには判断がつかなかった。
「随分長かったんですね。……聞いていいですか?」
ポチがディーノのナナメ前に陣取る。
「何、結局はいつもの無茶ぶり、というやつだ」
「それって、夕方に小隊組んで出てったのと関係ありますか? 何か勇者に理由があるって聞きましたけど」
ポチは昼間情報収集に外出していたので、騎士団内で何があったのかはっきりは見ていない。騎士団を動かす命令も、副団長副官以上から直接命令があったようで、書類の一枚も回ってきてはいなかった。
正式な書類はない。ただ部下達に下された命令を、口頭で確認しただけだった。
そこで分かったのは、騎士達一個小隊──およそ三十名──が、勇者を迎えに出発する神官の護衛についた、ということだった。
「彼らは田舎に勇者を迎えに行ったよ。今回の無茶ぶりは勇者に関してだな。なんと神殿から、勇者の旅に聖女様を同行させろ、と言ってきた」
「は? 何ですか、それ。え、ちょっと。無茶にもほどがありませんか。神殿のヤツら、頭大丈夫ですか? あの人形姫様が旅って……しかも、なんでソレを騎士団に行ってくるんですか?」
「聖女様御一行の護衛をしろ、ということらしいがな」
「……ソレ、御一行ってのがすごく気になるんですけど。だいたい、なんで聖女様が旅にでることになったんですか? アノ姫様の意思じゃないでしょ。神託で何か言われたわけでもないんでしょ」
そもそも、今回の”勇者を迎えに行く神官の護衛”というのも、あほらしいとポチは感じていた。
勇者がまだ未熟である、というのは仕方がない。王都を離れれば魔獣に襲われる危険があるというのも分かる。そのため、勇者を迎えに行く必要がある、というのも同意しよう。
だが、神官が迎えに行く必要があるのか。特にもう何年も神殿から出たこともない、脆弱な高位神官達がそろって迎えに出発するなど。
しかも、馬に乗れない彼らのために、わざわざ馬車まで用意したという。
野宿もできない彼らのために宿場宿場で宿を取り、周囲を騎士で固めて安全を確保しながら進む──騎士だけで行けば、半分の時間でかの土地に到着するだろうにと、ポチは思ってしまうのだった。
今回、高位神官が行くだけで、一個小隊である。
これが聖女様を中心とした、御一行となればどんな騒ぎになるか、想像に難くない。
「きっかけになったのは魔術師達だな。トルク殿が勇者に同行すると宣言したため、神殿が張り合った、というわけだ」
しかも、その旅にはトルク──清流のトルクが、宮廷魔術師の頂点とも言われる清流のトルクが付いてくるのだ。
これは絶対に厄事である。間違いない。できれば──否、絶対に近寄りたくない、最低の厄事だった。
同時に気がついたことがあった。
それは、昼間にディーノへと言付かった手紙──この差出人がなにを考えていたのか、今はっきりと理解したのだ。
「うわー、うわー。なんっつーか、納得しました。──コレ、外歩いてた時に副団長のご友人から渡されましたんで。お渡ししますね」
「私の友人? 誰だ」
「王子様一行です。四人揃って旅支度でしたよ」
ディーノの友人の王子様、つまりノアである。忘れないようにと、目につくように机の上においていたモノを取って、ディーノの前に差し出す。丁寧な字でしたためられた手紙を、ディーノは親の敵のように睨みつけた。
無言のまましばらく睨みつけて、ようやくディーノは言葉を絞り出した。
「…………………………見たくないんだが」
「ちゃんと渡しましたから、後で見といてくださいよ。それでですね、それを受け取るときに、フツーに神託の内容を聞かされたんですけど。あの人達なに考えてるんスか。なんでオレにバラすんですかね。────理解できねェよ」
「お前に伝えれば、確実に私に伝わるという事だ。間違いではない」
残念ながら、今回の神託の内容はポチからではなく、神官から聞くことになったが。
それでもポチがディーノの耳であり目であり、手足であるのは間違いない。そこを踏まえてのノアの伝言であったのだ。
ふてくされたように手を振って──それでも、ポチの口元は緩んでいた。何よりもディーノに近いと断じられたのが、嬉しかったのだ。
ディーノは手紙に手を出そうかどうしようかと迷って──その迷いは、ぐうぅ、という空腹の訴えでかき消されていった。
「あーあ。結局、昼飯が夕飯になっちゃいましたね。せっかくのロブヌター料理が冷たくなっちゃいました。おしいことしました」
隣室──執務控室に、昼食時のロブヌター料理を保管しているのを、ポチが思い出して言う。
折角の有名店のテイクアウトだったのに──この場合はデリバリーと言うべきだろうか──とにかく、美味しい料理が冷めてしまったのは残念であった。
「仕方あるまい。皆の分も頼んでおいたのだが、食べただろうか?」
「お昼にいただきましたよ。さすが有名店ですって褒めてました」
十分に用意された料理から、二人分をより分けて隣室にとっているのだ。冷たくなってしまった料理を温めようか、とポチが動こうとする。
しかし、ディーノがそれを止めた。食事の前に、切りの良い所まで話しておきたいと、そういうのだった。
「もう少し待て。
確認しておきたいのだが。朝に頼んでいた事はどうだっただろうか」
「特に不審なことはないみたいですよ。やっぱり逃げ出したんじゃないですかね」
逃げ出したメイドはずいぶんとヒアシンス家を嫌っていたという。
周囲にも仕事の愚痴をこぼし、チャンスがあれば出ていきたいと、いつも言っていたのだった。周りも「とうとう出て行ったのか」「彼女にしては持ったんじゃないか」とあわてることなく受け止めていた。
もっとも、ヒアシンス家を出た後の足取りがまったく追えないのは不明だが、そのツテができたから出て行ったとも考えられるわけで。
その話を聞いて、ディーノは頷いた。
「そうか。まぁ、問題なさそうだな。
今後、私は神殿相手の調整に忙しくなるだろう。都の治安はお前に任せる。私の代わりにしっかり頼むぞ」
「了解ッス」
「うむ。さしあたっての打ち合わせは以上とする。後は腹ごしらえをしてからだな」
「りょーうかいです。それじゃあ、料理を温めてきますんで、副団長は手紙読んでおいてくださいね」
優秀な副官はそれだけ言うと、今度こそ隣室へ向かおうとして──空になったグラスにさりげなくコーヒーを足していった。
随分とまめなことだとディーノは苦笑して、読みたくないなぁと机の上の手紙をやっぱり睨みつけたのだった。
ポチは犬と呼ばれていますが、人族です。




