⑦~1章完結~
工房の奥、エリアスの作業部屋は今日も変わらず静寂に包まれていた。
作業台に向かうエリアスは、集中しきった様子で特製の極細ペンを走らせていた。魔力をインクのように走らせ、魔石上に複雑で繊細な魔術式を刻んでいる。
そんなエリアスとは対照的に、工房内は、金属を加工する硬質な音や作業員たちの声が響き、活気に満ちていた。
そこへ、一人の若い作業員が少し困ったように、工房の奥に駆け込んできた。彼はハインツを見つけると、小声で耳打ちする。
「ハインツさん。例の、以前エリアス様に追い出されたあの青年が、また来てまして。」
ハインツはエリアスに頼まれた資料を抱えながら、「そうですか。意外と早かったですね。」と短く答えた。驚く様子もなく、まるで来ることを予期していたかのような、穏やかな微笑みを浮かべる。
ハインツは作業員を連れて工房の入り口へと向かった。
そこには、以前よりも少しだけ自信のある面持ちになったルカスが立っていた。ハインツと目が合うと、ルカスは深々と頭を下げる。
「……お久しぶりです、ハインツさん」
「ええ、本当にお久しぶりですね。少し落ち着いた雰囲気になられましたね。」
「あ、え、ありがとうございます。」
戸惑うルカスにハインツはそれ以上何も聞かず、促すようにエリアスの作業部屋へと続く扉を指し示した。
「ちょうど坊ちゃんに休憩をとらせようと思っていたところです。どうぞ、こちらへ。」
ハインツに案内され、ルカスは背筋を伸ばしてエリアスの作業部屋の扉を叩いた。返事を待たずに扉を開けると、そこには相変わらず集中を切らさないエリアスの背中がある。
「ハインツ、休憩はまだいらないと言ったはずだ。」
エリアスは振り向くことなく声をあげた。
「・・・・・お久しぶりです、エリアス様。」
エリアスの手が、一瞬だけ止まる。ハインツは背後で静かに扉を閉めると、エリアスのそばへ移動した。それを合図にするかのように振り返ったエリアスは、冷え切った眼差しをルカスに向けた。
「何しに来た。二度と来るなと言っただろう。」
ルカスの瞳には、以前のような甘えはない。彼はエリアスの鋭い視線を真正面から受け止め、ゆっくりと胸ポケットに手を差し入れ、小さく、不格好な金属製の筒を取り出した。
それを大事に掌にのせ、エリアスの目の前に差し出した。
エリアスはしばらく怪訝そうにルカスの顔を見ていたが、やはり気になったのかその金属筒へと視線を移し、その手に取った。
ずっしりとした手応え。見たことのない物理的な歯車とボタン。上部には穴のようなものが空いている。
しばらく金属筒を上から、下からと観察しエリアスは一つ頷いた。
「・・・・なるほど。火をつける魔術具か?」
エリアスはその表面を指でなぞる。魔力伝導率の低い、ありふれた安価な金属。この小ささでは使用している魔石の大きさもかなり小さいもののはず。精密な魔術回路などは組めないだろう。
だが、魔術具の下部部品を慎重に外し中を覗き込んだ瞬間、エリアスの瞳がわずかに開かれた。
極限まで魔力の抵抗を減らし、微量の魔力を効率的に「火の力」へ変換するその設計。極々小さな魔石に刻まれていた魔術式は、簡易ながらも整えられたものだった。
エリアスは無言のまま、脇に控えていたハインツにそれを放り投げた。
「ハインツ。使ってみろ。」
「おや、私がですか?」
ハインツはそれを受け取ると、迷いのない手つきでボタンを押した。
カチリ。
硬質な音とともに、小さな炎がハインツの指先で揺らめいた。
「ほう。これは驚きました。特別な魔力操作なしにこれほど簡単に火が起こせるとは。それにこの小ささ、持ち歩きには大変便利ですね。実に画期的な品です。」
ハインツは感心した様子で炎を消し、静かに歩み寄ると、丁重にルカスへその道具を返した。エリアスはハインツの仕草を横目に、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ふん、発想は悪くない。」
この世界では、「火」は炎の魔力を持つものの特権であった。魔術が広まってからは魔術コンロや暖炉なども開発されたが、「火」を持ち歩くという発想はなく、野営のある冒険者や騎士達は炎の魔力を持つものに頼むか、火打石などを用いて火をつけるというのが常だった。
エリアスは作業台の脇に積んである紙束をガサガサと漁ると、その中から数枚を取り出しルカスの目の前へ突き出した。それは、エリアス自身がこれまで練り上げてきた、魔術回路の設計図の一部だった。
「今の回路でも悪くはないが、まだ魔力の伝導効率は上げられる。「火」の力への変換時に力が逃げてしまっているから、火力がでないんだ。ここに、君の組んだ回路の『欠陥』を補うためのヒントがある。」
ルカスは呆然と、突き出された設計図と、依然として不機嫌そうなエリアスの横顔を見比べる。何が起きているのか理解できず、その場で立ち尽くしてしまった。
「え、あの、エリアス様? これは、どういう・・・。」
そんなルカスの肩を、ハインツが優しく叩く。ハインツはルカスの耳元で、エリアスに聞こえないような声でこう告げた。
「よかったですね、ルカス君。坊ちゃんは、あなたの作ったその道具を、この工房の新しい製品として扱うつもりですよ。」
「えっ!」
「素直ではありませんが、坊ちゃんなりに、あなたの発想力を認めたということです。さあ、その図面を受け取って、目を通しておいてください。」
ハインツは悪戯っぽく微笑むと、エリアスの手から設計図を受取りルカスに渡した。
ルカスは設計図と自分のライターを強く握りしめ、言葉を失ったまま何度も深く頭を下げた。
「ありがとうございます。・・・本当に、ありがとうございます!」
ルカスはエリアスの背中に向かってそう絞り出すと、足早に作業部屋を後にした。工房の重い扉が閉まるまで、彼は何度も振り返り、その光景が夢ではないことを確かめるようにしていた。
静寂が戻った工房で、エリアスは作業台のペンを手に取った。
「最後まで騒がしい奴だ。」
エリアスはペン先を紙に走らせながら、ぶっきらぼうに言い放った。
「次の打ち合わせは明日の午後だ。それまでに、さっきの設計図を完璧に頭に叩き込んでおけと伝えておけ。」
ハインツは、ふっと微笑みながらエリアスの背中に声をかける。
「坊ちゃん。完成が楽しみですね。」
「ふん、まだまだ設計も回路構築も未熟の半人前だ。完成までどれだけかかることやら。」
エリアスはそう突き放したが、その口元はわずかに緩んでいた。
彼は再度手元の紙に視線を落とす。
その紙には「雇用条件書」と書かれていた。
一方、数か月前よりも少しだけしっかりとした足取りで、ルカスが夜の街へと歩み出していく。空には星が瞬き、彼の手には、エリアスから託された設計図という名の「未来」が握られていた。




