EP 9
「悪魔の求人票と、前金100枚の罠」
ルナミス冒険者ギルドの裏路地。
優太は、虚ろな目で宙を見つめながらアメリカンスピリットを吹かしていた。
足元には、日本の『尼存』から届いた巨大な段ボール箱。
そしてその横では、見習い女神のリリスが『朝倉月人・等身大純金メッキフィギュア(シークレットライブDVD付き)』を抱きしめて、恍惚の表情を浮かべている。
「うふふふ……ルチアナ先輩、喜んでくれるかなぁ。これでお団子食べ放題の約束、守ってくれますよねっ!」
「……なぁ、リリス。俺の首の頸動脈、お前の『エンジェルすまーとふぉん』の角で思い切り叩き割ってくれないか? ホーリー・スマッシュで」
「ダメですよ優太さん! 自暴自棄は健康に悪いですぅ!」
リボ払い、95万円(金貨95枚)。
せっかく天魔窟で死蟲王のコアを命がけで回収し、90万円の借金を完済したというのに、そのわずか3分後に借金が『増額』してループしたのだ。
メスを握る優太の右手が、微かにプルプルと震えている。
「よう、医者センセイ。随分とシケたツラしてんなぁ」
そこへ、路地裏にフラフラと現れたのはウィスターだった。
だが、その格好を見て優太は目を見開いた。
「お前……なんでパンツ一丁なんだ? 世界樹の杖はどうした」
「ん? ああ、ルナミスパーラーの『CR異世界転生トラックでドン!』に金貨30枚全ツッパしたら、見事に全部呑まれてよ。スッテンテンになったから、服も質に入れてきたわ。杖は流石に店長がビビって買い取ってくれなかったがな」
「たった一晩で300万円溶かしたのかこのエルフは!?」
「ユ、ユウタ……」
そこへさらに、青ざめた顔のダイヤがよろよろと歩いてきた。
紅蓮の装甲はピカピカに磨き上げられ、背中の天魔竜聖剣も完璧な手入れが施されている。
「ダイヤ、お前は無事……って、まさか」
「あ、ああ……。武器のオーバーホールと、魔導サブマシンガンの『徹甲マナ弾』を大人買いしたら、金貨30枚が綺麗に消え去った……。今夜の宿代どころか、タロパウチを買う銅貨一枚残っていない……」
借金95万のメディック。
パンツ一丁のギャンブル依存エルフ。
所持金ゼロの重装甲貧乏令嬢。
そして、等身大フィギュアを抱きかかえるスリの女神。
「……詰んだな、俺たちのパーティー」
優太は二本目のアメスピに火を点けようとしたが、指が震えてマッチが折れた。
「ええい、泣き言を言っている場合ではない! ギルドで新しい依頼を探すぞ! ゴブリンを300体狩れば、とりあえず全員の明日の飯代にはなる!」
ダイヤが空腹で腹を鳴らしながらギルドの扉を開けようとした、その時だった。
「そこのお兄さん、お姉さん方! ギョーサン儲け話、ありまっせ!!」
ギルドの広場の中央で、やけに景気の良い声が響いた。
声の主は、コテコテの関西弁を喋る、煙管を持った猫耳族の青年——ニャングルだった。手には黄金の算盤を持っている。
その横には、ルナミス帝国執事検定1級の証である『銀の懐中時計』を光らせた、長身で怜悧な眼差しの人狼族・リバロンが、優雅にティーセットを広げて紅茶を淹れていた。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ルナミス、レオンハート、アバロンの三カ国緩衝地帯、『ポポロ村』からの大口依頼やで!」
ニャングルの呼び込みに、冒険者たちがザワザワと集まる。
優太たちも、藁にもすがる思いでその人だかりへ近づいた。
「ポポロ村……? 確か、農業が盛んなただの田舎村じゃなかったか?」
ダイヤが首を傾げる。
「ただの田舎やのうて、今は重要な戦略拠点なんや! そこで今回募集するんはズバリ、『ポポロ村・地域村興し応援隊』や! 業務内容は村の警備と、農作業のちょっとした手伝い! それだけや!」
ニャングルが算盤を弾きながら、ニヤリと笑う。
「そしてなんと……今回の契約金は、ドーンと前払いで『金貨100枚』や!!」
「「「「!!?」」」」
金貨100枚。日本円にして100万円。
その破格すぎる条件に、優太、ダイヤ、ウィスター、リリスの四人は完全に硬直した。
「おい……村の警備と農作業で、前金100枚? 相場が狂いすぎてる。絶対に裏があるぞ」
優太が即座に疑いの目を向ける。TCCCの基本、美味すぎる話はIED(即席爆発装置)の罠だ。
だが、ニャングルは優太の視線に気づくと、スッと目を細め、驚くべき『神眼』の動体視力で優太の筋肉の強張りと焦りを読み取った。
(……ほう。このパーカーの兄ちゃん、とんでもない『借金』のプレッシャー抱えとるな。それにあの手のタコ……刃物と人体を扱い慣れとる)
ニャングルはススッと優太に擦り寄り、『人を動かす』の極意のままに囁いた。
「お兄さん、ええ目ぇしとるな。実はな、村の自警団が最近の小競り合いで怪我人続出なんや。あんたみたいな『腕の立つ医者』が、ウチの村には喉から手が出るほど欲しいんやで」
「……医者?」
優太の眉がピクリと動く。
「ええ。誠実で、患者を『壊さずに』治せる、まともな医療従事者が急務なのです」
横から、執事のリバロンが美しい所作で優太に紅茶を差し出しながら言葉を添えた。
「現在の当村の医療体制は……少々、『物理的な衝撃』を伴うものでして。村人が治療を恐れて逃げ出している有様なのです」
「物理的な衝撃……? まぁいい、確かに俺は医者だ。だが、それでも前金100枚は異常だ」
優太が警戒を解かない中、パンフレットの束を抱えた一人の少女がトコトコと歩いてきた。
「あのっ、よろしくお願いしますねっ!」
ウサギの耳を持つ、とびきり可愛らしい少女だった。
ラフなパーカー姿だが、足元だけはゴツい特注の安全靴(タローマン製)を履いている。彼女こそ、ポポロ村の村長・キャルルである。
「私、村長のキャルルと言います! 決して怪しい仕事じゃありません! 私たち、村を本当に大切にしてくれる優しい人を探してるんですぅ」
キャルルは純度100%の笑顔で、優太の手をきゅっと握った。
その手の温もりと、あまりにも真っ直ぐな瞳。
「ほらユウタ! 彼女があんなに一生懸命頼んでいるのだぞ! 疑うのは騎士道に反する!」
「そうそう! 金貨100枚あれば、みたらし団子が10万本買えますぅ!」
「俺もパンツ一丁から抜け出せるしよ。サインしようぜ」
完全に金に目が眩んだダイヤ、リリス、ウィスターの三人が、リバロンが差し出した『雇用契約書』に、ろくに読みもせずに次々とサインを書き込んでしまった。
「お、おいお前ら! 契約書は端から端まで目を通せと——!」
「優太さんっ、お願いします!」
キャルルが上目遣いで、優太の顔を覗き込む。
(……前金100枚。これがあれば、あの呪いのクレカの借金を『今すぐ』一括返済できる。マグローザ漁船の恐怖から、完全に解放される……!)
極限の疲労と借金のストレスで、優太の防衛医大生としての冷徹な判断力は、見事に麻痺させられていた。
「……分かった。俺もサインする」
優太が羽ペンで名前を書き入れた瞬間。
ニャングルの口角が、ニィッと三日月型に吊り上がった。
「毎度おおきに! これにて契約成立や!!」
リバロンが契約書を恭しく懐に収め、代わりにズッシリと重い金貨100枚の入った袋を優太の手に押し付けた。
キャルルは「えへへっ」と嬉しそうに笑いながら、口笛を吹いている。
「よしっ、これで借金完済だ……!」
優太は金貨の重みに安堵の息を吐いた。
——だが、彼はまだ気づいていなかった。
この『契約書』が、100万円の借金など可愛く見えるほどの、恐るべき地獄への片道切符であるということに。




