表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~  作者: 橋本洋一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/31

「――武士は卑怯な振る舞いはしねえんだ」

 ぎらぎらと日が辺りを熱気に包んでいる。

 まるで射抜くようだった。


 乃村は油断なく、上段に構えている。

 合わせるように奴の左手へと剣先を向ける――平正眼の構えだ。剣術における上段への対策である。


「良い構えだ……あの四之助が手こずるのも分かる」

「はっ。その言い方だと自分は手こずらないと捉えられるが」

「そう聞こえたのなら――事実だ」


 言い終わる瞬間、乃村は一足飛びに迫った。

 その足運びは熟練した技術を感じさせる。

 刃を峰で受けるしかなかった――下手をすれば刀を叩き斬られる。


「きゃあああ!」

「ふでさん! こっちに来て!」


 甲高い声を上げて、亀若丸がふでに言う。

 様子は分からないが、周助のそばに寄ったのだろう。


「うおおおおお!」


 気合を込めた一押しで乃村を跳ね飛ばした。

 嶋田と違って力はないが……その分、速さはある。現に体勢をすぐに立て直した。


「なかなかにやる……」

「ふん……周助、二人を連れて逃げろ」


 乃村から目を切らずに指示を出す。

 三下たちはいきなりのことで腰を抜かしている。もはや脅威ではない。


「二人がかりで戦わないのか?」

「俺たちは連携ができるほど互いの剣を知らん。それはこいつと戦うには致命的だ。さらに言えば――」


 八双の構えに変えた俺は自然と笑っていた。

 楽しいからではない。

 笑っていないとやってられないからだ。


「――武士は卑怯な振る舞いはしねえんだ」

「分かった! よし、二人とも行くぞ!」

「ちょっと待って、腰が……」

「俺が背負ってやるから!」


 三人が逃げる際、亀若丸は「死なないでね、源八郎!」と呼びかけてきた。


「死んだらおいら許さないから! 絶対に帰ってきてね!」


 応ずるように頷いた――見えたのかは分からない。

 その間、中段に構えていた乃村。

 攻撃に転ずることはできたはずだ。


「どうして斬りかかってこない?」

「感動的な別れに水は差さない。それに二人がかりで来られても面倒だ。そして――」


 乃村は犬歯を剥き出しにして笑った。

 獰猛な野犬を想起させる。

 刀を握り直した。


「――剣士として血が騒いだ。お前と戦いたい」

「そうかい。そいつは光栄だな」


 後ろで店の者が「ひいいい!?」と悲鳴を上げていた。

 三下の二人は身を寄せて固まっている。

 そんなことはどうでもいい。

 目の前の乃村に集中しろ。

 でなければ――死ぬ。


「行くぞ……源八郎!」


 中段に構えた乃村は突きを放った。

 虚を突かれたわけではないが、少し意外だった。思慮の外と言ってもいい。

 突きは受けることは難しいが躱すことは容易い。

 それは斬撃とは異なり一点の攻撃だからだ。


 だから俺は後ろに下がることなく、右斜め前に躱した。

 見え見えの突きだったこともあるが下がると俺の刀は届かない。

 ならば前に進むことが最適だ――


「しゃらあ!」


 短い気合とともに乃村は突きを斬撃に変えた。

 詳しく言えば手首をくるりと回して左に薙いできた。

 突きは囮でこれが狙いか――そう思う間もなく、刃が俺の顔を抉った。


「ぐっ――」


 左頬が斬り裂かれた。そう認識したときには激痛が走っていた。熱くて冷たいという矛盾を孕んだ、たとえようもない感覚だ。飛び散る血がゆっくりと雫として見えた。


 このままだとやられると思った俺は咄嗟に乃村の伸び切った腕、その右手首に向かって刀を振るった。苦し紛れと言われても仕方ない斬撃だった。


 それでも長年の修練のおかげか、乃村の内小手を斬ることができた。びっしゅ、という音が聞こえる。


「……四之助が言っていた、窮鼠猫を噛むか」


 手首を斬られた乃村は懐から小汚い布を取り出して、素早く結んで止血した。

 あれでは満足に刀を振れないだろうが、それは顔を斬られた俺も同じだった。


「まだ、やるか?」

「やめておく。ここでお前を殺せても手負いになるだろう。そんな状態ではあの手練れの返り討ちに遭う」


 剣術だけじゃねえ、頭も切れるようだ。

 なるだけ傲慢かつ余裕を装って「いいのか? 俺を殺せる好機だぞ」と挑発する。強気でいかなければ弱っていると思われる。


「前言撤回だ。お前を殺すのは――少々手こずる」

「…………」

「ここは一時退かせてもらう」


 こちらの虚勢を見透かしたような発言だった。

 右手を庇いながら去っていく乃村――姿が見えなくなったので、ふうっとため息をついて、その場にうずくまる。血を流し過ぎたのだろう。


「おいあんた……大丈夫か?」


 周助に殴られた三下が俺に近づく。

 やる気かと思ったが、心配している表情が浮かんでいる。

 俺は「大事ない」と言うが、立てそうになかった。


「それより、お前たちに提案がある。ふでという女を返す代わりに協力しろ」

「ふ、ふでを返す? そりゃあ、助かるが……何をしたらいい?」


 殺し合いを見たせいだろう。正常な判断ができていない。

 ここで俺の提案を聞かずに周助を追いかければいいのだが、それを考えられないのだろう。


「今すぐ周助の元へ向かってほしい。そしてこう伝えてくれ」


 慄く二人を前に俺はきっぱりと告げた。


「俺のことは構うな。乃村との決着をつけてから追いつく、と」



◆◇◆◇



「だ、旦那。針と糸、それから鏡を持って参りました……」

「ああ。ご苦労だった」


 三下の一人が残って傷の手当を手伝う。

 もう一人は俺からの言伝を届けに周助を追いかけていた。

 茶屋の主が「出てってくれ!」と引きつった顔で怒鳴ったので、仕方なく近くの寂れた神社の軒先で休むことになった。


「旦那……まさか、ご自身で縫うつもりですか?」

「当たり前だ。お前、縫えるのか?」


 ぶんぶんと首を横に振る三下。

 俺は鏡を見ながらちくちくと縫い始めた。

 異物と痛みが顔に刺さり血が滴るが、それらを一切無視して傷が塞がるように糸を走らせる。


 目の端で三下が顔を歪ませていて、お前は縫われてないだろと言いたくなった。

 玉結びして糸を断つと、鏡を見て塞がったことを確認する。

 跡は残るがこれでいいだろう。


「よし。それで……お前の名は?」

「た、太郎兵衛と言います……」

「助かったぞ太郎兵衛。どれ、約束を果たしに行くか」


 俺が立ち上がると「ご無理なさらず……」と太郎兵衛はおどおどする。

 顔を裂かれたのだから当然の対応だが、無用な心配だった。

 血を失ったが、手先は痺れていない。きちんと刀を握れる。


「早く行かねばならん。お前はどうする?」

「ついて行きますよ……元は俺たちがあの浪人を連れてきたんですから」


 それを言うなら周助が勘違いしたのがいけないが、そこは言及しなかった。

 負い目を感じている者の弱みに付け込むのは性に合わないが、今は猫の手も借りたい。


「しかし、お強いですね……ええっと」

「三輪源八郎だ」

「三輪様でございますね。どこかの剣術指南役ですか?」


 神社の鳥居を出て太郎兵衛が話しかけてきた。

 間が持たないのを嫌い性質なのだろうか。


「いや。違うな。そんな大層な者ではない」

「はあ……それより、その周助さんがいらっしゃるのは、粕壁の宿なのですか?」

「次に泊る宿をそこにしていたんだ。はぐれてもそこで合流できる」

「でも、あの浪人、乃村との決着を着けるはずでは?」

「あの乃村も粕壁に来るだろう……あの三人は目立つからな」


 親子連れに見えるかもしれないが、亀若丸はきっと泣いているだろう。

 ふでも動揺して周助も気が立っているに違いない。

 だから目立ってしまう。


 自然と早足になってしまう。

 さんさんと照り付ける日差しが弱まってきていることもある。

 もうすぐ夕暮れ時だ。

 黄昏から夜の帳が下りるまで、なんとか粕壁の宿に着きたい。

 まったく、俺たちの旅が上手くいったことねえな、亀若丸よ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ