子爵令嬢の告解
「ああ、此処にいたんですね、シスターアリサ」
中央教会の祈り場で膝をついて祈りをささげていた時に背後から声がかかり、アリサは静かに後ろを振り返った。
「ニクラウス司教様」
祈り場の出入口の扉から司教のニクラウスが姿を現し自分に向って来るのに気が付くと、アリサは徐に立ち上がり恭しく膝を曲げた。
「司教ではなく明日にはただの修道士です」
「でも、まだここでは司教様ですから」
「教会に入って2週間ですが、どうですか、慣れましたか?」
ニクラウスがそう問いかけながらアリサを信者が座る椅子の方へと誘導し、其処に座る様に促す。
アリサは小さく会釈すると其処に腰かけ、薄く微笑んだ。
「まだ解らない事も沢山ございますが、存外、楽しく過ごさせて頂いております」
「それは何よりです」
ニクラウスが嬉しそうに微笑むのを横目に見つめてから、アリサは感情の読めない微笑みを浮かべて目の前の女神像に視線を向けた。
「何を祈ってらっしゃったのですか?」
「…お詫びをしておりました」
「詫びですか?」
「ええ、そうです」
「それは何方に?…とお伺いしても?」
「お聞きになられたら、きっと後悔なさると思います」
「だけど貴女は懺悔したがっている様にお見受けしますが…?」
ニクラウスの言葉にアリサが哀しそうな顔でゆっくりと俯く。
その姿を見つめていたニクラウスは立ち上がるとアリサに手を差し出した。
「告解室へ行きましょう。あそこなら防音魔法がかかっていますから他の方に話を聞かれることもない」
アリサは暫らくニクラウスをじっと見上げていたが、ニクラウスにニッコリ微笑みかけられると小さく頷き立ち上がった。
告解室の信者が入室する部屋へと入ったアリサは椅子に腰かけると凛とした姿勢と声で話し始めた。
「わたくしは自分がコモンノルド公爵家の娘である事を知っておりました」
「それは、義祖父であるセバスティアン様から聞いていたという事ですか?」
「いいえ、義祖父様は何も…」
「では、勘というヤツでしょうか?」
「いいえ、それも違います。わたくしは自分が生まれた時の事を覚えているのです」
「覚えて…いる?赤児のときの記憶があるという事ですか?」
「わたくしはわたくしが生まれた時に母の命を奪い、公爵に離れの屋敷へと捨てられた事を覚えております。義祖母様は公爵がすぐにわたくしに素敵な名前を付けてくださると、そう言っていたけれど、あの人が離れの屋敷に来ることは一度もありませんでした。」
思い出すように少し遠くを見つめながらアリサは話を続ける。
「公爵の目を盗んでは、義祖父様や義祖母様がわたくしにミルクを持ってきてくれはしましたが、二人が忙しいと1日中何も口にできない時もありました…とてもひもじかったのです。なので、二人が来れない時にわたくしに食事を与えてくれる存在が必要だと思い、ランドリーメイドのビビアンを離れに招き入れようと考えました。」
「ちょ、ちょっと待ってください、それは一体幾つの時の話で…」
「生まれて恐らく半年くらいだったかと…」
「半年?まだ赤児ではありませんか!」
「ええ、そうですね。話を続けても?」
「ああ、ええ、どうぞ」
「あの頃ビビアンは産まれてすぐの子供を亡くしていて、毎日洗濯の合間に離れの側の植え込みに隠れては泣いておりましたの。なので、彼女が其処に泣きに来た時に彼女に聞こえる様に大きな声で泣いたのです。その泣き声に気づいたビビアンはこっそり離れのわたくしのいる部屋に忍び込んで来てくれました。そうして、わたくしに自分の乳を飲ませてくれました。しばらくして、義祖父様義祖母様に見つかってしまいましたが、母乳をくれる存在は二人にも都合が良かった様でビビアンには何らお咎めもなく、寧ろ二人からの依頼で頻繁に乳を与えに来てくれました。ただ、3人共必要最低限のお世話だけをして帰って行くので誰とも話すことなく4年間を過ごしました。義祖父様義祖母様が引き取って下さらなければわたくしは一生お話の出来ない人間になっていたと思います。」
格子の隙間から見える冷めた瞳で淡々と語るアリサにニクラウスが薄ら恐怖を感じ始める。
「フィール子爵領での生活はとても幸せでした。母の事だけが大切な公爵と違って、義祖父様も義祖母様も義父様も義母様もわたくしを愛してくださった。このまま此処で幸せに暮らしていけると思っていた時、突然、公爵がフィール子爵領にやって来る様になりました。夏の長期休暇時に子爵家には不似合いな家庭教師を連れて…」
アリサがふぅと息を吐く
「父親らしいことをなさりたかったのかも知れませんが、子爵家の養女には必要のない教育だったかと。戸籍がない以上、高度な教育を受けても公爵家に帰ることなど出来ませんから。だけど、それであの人が満足するのならと教育を受けました。家庭教師の先生は伯爵位の方で、子爵令嬢に教えるのは屈辱だったのでしょう、よく公爵のいない所ではお茶をかけられたり、鞭で叩かれたり致しました」
アリサが微笑みを浮かべる。
「そのうち、公爵だけでも厄介なのに何故かサミュエル様もやって来る様になって…」
「貴女が9歳の時に初めてお会いしたとお伺いしてます」
「そんな話もなさったのですね…あの方、初めてお会いした時、『初めて会うのに懐かしい感じがする』って仰ったの。当り前ですわよね、わたくし、母に似ておりますもの」
「アリサ嬢…」
「『運命』って何なんでしょう?サミュエル様も王太子様も『運命だ』、『運命だ』と同じ事ばかり仰って…わたくし、あの時から『運命』という言葉が大嫌いになりました」
アリサが眼を閉じて少し小首を傾げて肩を落とす。
「自分が『聖女』の力を持っていることも気が付いておりました。騒ぎを起こすつもりはなかったのですが不本意にも騒動へと発展してしまって…でも、それを利用すれば良いのではないかと、そう考えたのです」
「利用…?」
「わたくしが平和に生活していくにはあの方々は邪魔でしたから」
「…」
「面白いくらいわたくしの思惑通りに行動してくださる方々ばかりで…ただ、エレオノーラ様には巻き込んでしまって申し訳ないと思っております。」
「すべてあなたが仕組んだことだという事ですか?」
「総てではございません。リノリー様のお怪我はあの方自身のミスでらっしゃいますし、ビンセント様は愚かな王太子に巻き込まれただけの事。わたくしは『運命』などという目に見えない不安定なものに心酔なさっている方々にそんなモノは存在しないという事を証明したかったのです」
「運命…」
「予想外だったのは、サミュエル様がわたくしを連れ去ったことくらいでしょうか?司教様が焚きつけたとお伺いしましたけど?」
「そのことについては、申し訳ございません。怖い思いをさせてしまいましたね」
「いいえ、寧ろ感謝しておりますわ。あの方をどうやって遠ざけ様か思案している所でしたから、とても助かりました。」
「何を言っているのですか、あの方が紳士だったから無事だっただけで下手をすれば…」
「皆さま、あの方が『紳士』だから何も起こらなかったと思ってらっしゃるけれど、ただ単に『ヘタレ』なので何もできなかったというのが真実ですのよ、おかしいでしょう?」
そう言ってくすくすと笑う
「公爵の事なので、彼があんな事件を起こせばこの国から追い出してくれるだろうと思っておりました」
「もしかして、貴女は公爵家に復讐がしたかったのですか?」
「いいえ、復讐したいという気持ちはございません。ただわたくしは、平平凡凡に、心穏やかに幸せに暮らしたかっただけなのです」
「先ほど祈り場でお詫びと言っていたのは一体何方に…?」
「ご迷惑をおかけしたエレオノーラ様と、ニクラウス司教様、貴方に…」
「私…ですか?」
「ずっと騙していたことを申し訳なかったと思っております」
アリサが椅子に腰かけたまま深々と頭を下げる。
「貴女が公爵と母を慕っていることを存じておりました。そんな貴方ならキチンと動いてくださると…」
「まさか…」
アリサは何も答えず椅子から立ち上がるとスカートの端をすっと摘み、淑女の礼を行ってニクラウスに背を向けた。
扉をゆっくりと開けて外へ出る瞬間、アリサが聞き取れないほどの小さな声でつぶやく
「こんなわたくしが果たして本当に『聖女』なのでしょうか?」
「え?今何と?」
問い返したニクラウスに背を向けたままアリサは告解室を後にした。
暗くなった告解室の中でニクラウスは呆然としたまま扉を見つめ続けた。
ただ沈黙だけがその場を支配していた。




