第百六十六話 港町ハーフェン
シーノスサイド領は、帝国においても、ここデュシス大陸においても重要な要所である。大陸の北東部に位置するこの土地は、大海洋の一つであるオーシャンズホールと面している。
その為、この位置に港を建設することは他の大陸への足掛かりとなるという考えのもと、国を挙げての一大事業とされ、その工事にも多大な予算を投入された。
だが、峻厳な山々に囲まれたこの地の入り江に開港するのは、至極骨の折れる作業でもあり、工期も十年、二十年と費やされていき――その間に、帝国の様相も変化、他国との関係悪化、さる事件をきっかけに冒険者ギルドとの間に軋轢が生じ、それが結果的にグランガイム帝国からの冒険者ギルド撤退という事態を引き起こし、帝国内に逗留していた冒険者たちも消えるように姿を消した。
迷宮資源の多くを、他国同様冒険者からの採取に依存していたが故、これをきっかけに帝国の国としての価値は大きく暴落。
その結果、国を挙げての大事業と銘打たれていた港の建設も、当初の港湾都市計画から大きく規模が縮小され、凡そ二十年の時を経て、ようやく港町ハーフェンとして日の目を浴びることとなったのである――
ハーフェンは今やのんびりとした港町として知られるようになっていた。
もともとあった巨大港湾都市計画が頓挫し、結局は漁業が主流の町としてしめやかに開港することとなったからだ。
だが、今やそれで良かったと考える人々もいる。結局、人口一万人に満たないような規模の港町のまま年月は過ぎていっているが、その分町全体の雰囲気が穏やかで過ごしやすい。
帝国内でも珍しい、派手さこそないが安穏とした日々を与えてくれる町だ。
それに、小さくてもこの町には貴重な鉱山も存在する。
海岸の反対側、三方を山々に囲まれたハーフェンだが、その内の一つ、北のソルト山脈は塩の精霊の恵みに富んでおり、これによってとても美しく純度の高い塩結晶が採掘されることでも有名になった。
透明感があり、まるで水晶のようでもあるハーフェンの塩結晶はソルトクリスタルと呼ばれ、塩の原料としてだけではなく、工芸品や宝飾品の材料としても利用されている。
沖合に出れば魚の種類も豊富であり、ハーフェンでは新鮮な魚料理が食べられると観光目的の旅人もよく訪れてくれる。
塩結晶を原料として出来た塩はエグミがなく、洗練された上品な味。この塩を使って塩漬けにすると日持ちする上にまた違った味わいを楽しむことが出来るのも特徴だ。
この町とその周辺の村々、いわゆるシーノスサイド領は、港町ハーフェンを望める高台に城を構えし、ソルト城伯によって治められている。
漁業や塩結晶の採掘されることもあり、当初の予定であった大都市とは言えないが、町全体としては潤っている方と言えるだろう。
税率もほどほどであり、環境も良い。西のビューティ山脈には町の水源となるビューティ湖が広がっており、その美しさはちょっとした自慢でもあり、西の山頂から見下ろすとコバルトブルーの大海を背にした美しい港町を楽しむことが出来る。
港町ハーフェンは帝国に御しながらも、まるで外からは隔離された別空間のような雰囲気にさせてくれる町だ。
スローライフを彷彿させるのんびりさが町全体から漂っており、皆が日々幸せを噛み締めながら生きていた――
そう、生きていた、それまでは――だが、安穏とした日々は、僅かな綻びで終わりを告げるものである。
「――あれは、まさか!?」
その日、灯塔に見張り番として立っていた男が異変に気がついたのは港の朝市が終わって間もなくの事であった。
男はすぐにもう一人の見張り番を伝令に走らせ、灯塔に設置された鐘を派手に打ち鳴らした。
これは町全体に緊急警報として利用されるものである。多くの場合は、しけ、が迫っている時に危険を知らせるために鳴らすことが多いが、その日は雲一つない快晴、海も朝凪の状態であり、とても天候が崩れるようには思えない。
だからこそ、一時町中は騒然となった。なぜなら自然災害を除いてこの鐘がなることなど、他の要因、つまり外敵が迫っている事以外考えられないからだ。
そこでまず住人が考えたのは、魔物の接近だが、しかしこのあたりの山や森にはこれといった迷宮も存在せず、魔物もそれほど脅威度の高くない獣系が主である。
これまでも魔物が町近くまで降りてきたことはあったが、衛兵がいれば十分対応出来る程度であった。
そうなると、魔物程度でこの警鐘は考えられないといえ――つまり。
『海賊だーーーー! 海賊がやって来たぞーーーー!』
それが、この町の平和を脅かすこととなる最初の警告となり――後の悲劇の始まりでもあった。
『この俺が水滸海賊団をまとめ上げる大船長、水のセイレンだ』
結局、ハーフェンは海賊団の寄港を認めざるを得なかった。勿論それとて望んで受け入れたわけではない。
予定より規模が縮小されたとは言え、ハーフェンは大海洋に繋がる玄関口の一つだ。
当然、こういった事態を想定し、帝国兵もある程度駐屯し、いざという時のための船団も数隻確保されていた。旧式のキャラック船ではあったが、魔導大砲も数門備え、甲板の前後にも設置された死角のない作り。
そこいらの海賊程度ならかるく蹴散らせる程度の戦力は保有していた――にも関わらず、相手はあまりに圧倒的すぎた。
五隻の海賊船でやってきた水滸海賊団は、その船の性能もさることながら、各船の船長や乗組員の戦闘力があまりに高すぎており、ハーフェン自慢の船団は、戦闘が始まって僅か十分足らずで全滅、船体は奪われ、艦長も水兵も、見せしめだと言わんばかりに皆殺しにされ、鮫の餌とされた。
『お前たちの選択肢は一つしかない。この港を大人しく俺達水滸海賊団に明け渡し、今この町にいる連中は今後、俺達の奴隷として生き続けるのだ』
巨大な船の上から町全体を俯瞰するような格好で、大船長を名乗る男、セイレンはその場で彼らの残された道を言い渡した。
それはあまりに巨大で、既に船というよりは戦艦というに相応しい代物だ。マストには彼らが海賊である事を示す髑髏の描かれた海賊旗が掲げられており、船体は水のような青で統一されている。
船首には海竜を模したと思われる改造が施されており、この竜の口からは高圧縮された大量の海水が吐き出される仕組みとなっている。
これの効果は絶大で、ハーフェンの船団もこの竜による水のブレスによって何隻も沈められた。
他の四隻もどれも特徴的な構造をしており、一隻一隻が軍艦なみの戦力を保持している。
それらをまとめ上げる船長が、町を見下ろし発言しているのだ。住人たちは戦々恐々といった有様であり、蛇に睨まれた蛙も同然の状態であった。
『一応、答えは太陽がこの町の真上に達するまで待ってやる。それまで、城伯とも相談し良く考えておくのだな』
「も、もし拒否したら、一体どうするつもりだ!」
セイレンが話を一旦打ち切ろうとしたその時、町の衛兵の一人が勇気を振り絞り問うた。
ギュッと手持ちの槍を握りしめ、場合によっては殺されるかもしれないと覚悟を決めた表情。
『……お前たちにはそんな気は起きないだろうさ』
「……は? ど、どういうことだ!」
『ククッ、実はな、既にお前たちにはある置き土産を残してある。それを見れば、言っている意味が判ることだろう。ククッ、ア~ッハッハッハ!』
そしてセイレンは船の中へと下がっていく。
残された人々は、口々に不安を訴えたが、このままでは埒が明かないという事もあり、領主である城伯の判断を待つこととなる。
しかし、セイレンの言っていた置き土産に関しては気になるところであり、衛兵達も危機感をつのらせていた。
そして、事件はそれから一時間の後に発生。
「海賊だなんて、一体俺達はこれからどうなってしまうのか……」
「貴方――」
「……せめて、俺達が犠牲になっても子どもたちは守らないとな」
「……そうね、子どもたちには未来があるのだもの」
「ママぁ、パパァ、大丈夫?」
「う、うん大丈夫よ。心配いらないからね。貴方の事は、私達が命に変えても守ってみせるから」
「そんなの、嫌だょお。ママもパパも、死んじゃ嫌だよぉ」
とある家屋での出来事、両親の話を聞いていた幼い少女が、途端にぐずりだす。
それを見て宥めだす両親であったが。
「嫌だよぉ、一人ぼっちは、い――」
ボロボロと涙を流す幼女。だが、その時だった、ドクンッと波打つように身体が跳ね上がり、え? と両親が心配そうにその顔を覗き込んだ瞬間、激しい爆発と共に、両親も、家屋も、粉々に吹き飛んでいった――
「おい! 一体どうなってやがる!」
「町のいたるところで爆発が起きてるぞ!」
「おい、カラールさんの家も爆発して炎上してるぞ! 早く火を消し止めろ!」
「そんな、カラールさんのところはこの間子供が四才の誕生日を迎えたばかりだってのに――」
次々と起きる爆発に、これまで穏やかな暮らしを続けていた港町ハーフェンが騒然となった。
衛兵たちもやってきて、爆発によって生じた火災を食い止めようと躍起になっている。
あまりのことに、住人の不安は更に深まった。そして、この出来事が海賊によるものだと推測するのに時間はかからなかった。
そう、これこそが奴らの言っていた置き土産なのだ。
こうしてあちらこちらで被害が観測される中、いつの間にか太陽は町の真上に達しており――海賊たちが甲板に姿を見せた。
「お前たちが、水滸海賊団の者たちですか……」
「これはこれは城伯殿、ようやくお出ましになられましたか」
セイレンが右手を振り上げつつ、皮肉るような口調で領主を歓迎した。
彼の言うように、海賊団が町に姿を見せてすぐは、危険もあるため領主であるソルト城伯は姿を見せなかったが、今や状況は一変。
町でも被害が出てしまっており、頼みの綱であった帝国兵が指揮する船団も全滅。
この状況で、なお城に引っ込み続けるような事があっては、住民の不満が募るだけであろう。
「それで、要求は聞き入れてもらえるのかな?」
「その前にだ。町中で起きた爆発騒ぎ、あれがお前たちがいっていたという置き土産か?」
「その通りだ。気に入ってもらえたかな?」
クカカッ、と忍び笑いを見せつつ問いかけるセイレン。すると、ふざけないで! と一人の女性が声を荒げた。
「それのせいで、私の姉夫婦は子供も含めて命を失ったわ! 何が置き土産よ! アンタたちなんてただの人殺しよ!」
「そうだが、それがどうかしたのか?」
「――は?」
ヒステリックな女の叫び。だが、大船長を名乗る男、セイレンは至極冷たい口調で、あっさりと言い放つ。
「お前の横にいるそれは、お前の子か?」
「そ、そうよ!」
「ママぁ、怖いよぉ」
「だ、大丈夫だからね。私が守ってあげるからね」
母親が少年の頭を撫でた。なぜこのような場所に子供を? とも思えなくはないが、件の爆破の事もあり一緒にいないと不安で仕方ないのだろう。
「守ってあげるか。随分とおかしなことを言う。その子供がまさに、爆発の原因だというのに」
「……え?」
「――それにしても生意気な女だ。殺そうか?」
「ヒッ――」
セイレンが睨みつけると、母親は恐怖で言葉を漏らし、ペタンっと尻餅をついてしまうが。
「やめろ! ママを虐めるな!」
子供が母親の前に立ち、セイレンに向けて勇気を振り絞った。
だが、その瞬間、少年の頬を何かが掠め、そのまま地面を穿った。
「ならお前が死ぬか?」
容赦のない殺気が少年に襲いかかる。少年はガクガクと震えだした。所詮小さな勇気だった。実際にそこに迫る死を感じ取ったら瓦解する程度の――
「やめて! 私が、私が悪かったです、だから――」
「う、うぇえぇえええぇええん」
少年を抱きしめ、縋るように懇願する。
だが、心が持たなかったのか、少年が大声で泣き始め、その時だった、ドクンッとその身が大きく跳ね、え? と母親が顔を少年に向けたその瞬間――母子共に、激しい光に覆われ、かと思えば衝撃と炎が二人を包み込んだ。
「な、なんだ!」
「ば、爆発した! また、爆発したぞーー!」
「い、いやぁあああああぁああ!」
集まっていた人々の悲鳴が飛び交う。その様子を、セイレンは愉快そうに眺めていた。
「ど、どういうことだ! 貴様は一体、何をしたというのだ!」
領主のソルトが弾けたようにセイレンへ問責する。怒りの滲んだ声が棘のように甲板に立つ男へ突き刺さるが、残念ながら男の皮は相当に厚い。
「何、大したことではないさ。俺がやったのはいわゆる【チャイルドボム】、ま、ようはこの町の子供を爆弾に変えたにすぎない」
「子どもたちを、ば、爆弾にだって!」
まるで、本当にただ、お近づきの印に贈り物を届けたに過ぎない、かのような調子で話してみせるセイレン。
悪びれるなどと言った事は一切なく、ちょっとしたサプライズでも仕掛けてやったぐらいの様相だ。
だが、町の人間からしてみれば、これほどまでに恐ろしい話はない。
その場に集まった住人の多くは顔面蒼白となり、あまりのことに言葉を失った。
「……全ての子供を、爆弾にしたという事か?」
「安心しろ、精々半分ってところだ。そう考えたなら、今の女は運が悪かったな。その半分を引き当てたのだから」
「つまり、子どもたちが人質というわけか。それで、自分たちの言うことを聞かせようと!」
「は? 何を言っているんだお前は? 誰がそんなまどろっこしい事をするか」
「だ、だけど! 言うことを聞かなければ、子どもたちを戻すつもりがないんだろ?」
「違うな。それ以前に、爆弾化した子供はもう二度と戻すことは出来ない」
「な、んだと?」
セイレンの答えは、あまりに絶望的なものであった。
「だがな、安心しろ。その爆弾には発動条件がある。爆弾は精神状態に大きく作用されるのさ。精神を大きく乱したら爆発する仕組みだ。怒ったり泣いたり、興奮したり、そういったことで爆発するのさ。まぁ、こっち側からもやろうと思えば爆破出来るが、それは今後のお前達次第だ」
そういって高笑いを決める。すると、またどこかの家で爆発が起きた。
「おっと、またどっかの餓鬼が爆発したか。全く、子供の感情は不安定だからな。大人と違って中々制御は難しいだろうが、頑張るんだな。さて、こんな話は俺にとってはどうでもいいことだ。ソルト城伯だったな。そろそろ答えを聞かせて貰おうか? 水滸海賊団の要求を、勿論大人しく受け入れるよな?」
そしてこの日より、港町ハーフェンは水滸海賊団に隷属することが決まった――




