第百十三話 姫の行く道
ヴァイスより妹君の消息について語られ、カテリナの心臓の鼓音が高まった。
「その表情、やはり気にされてましたか」
「……確かにヴァイス様の言われているとおり、気にしていないと言えば嘘となります。ですが、シェリナはあの塔の崩落に巻き込まれ――帰らぬ身となってしまいました」
「なるほど、そういった認識ですか。しかし、何かと聡いカテリナ様にしては少々早合点が過ぎるのでは? その眼でまだ遺体も確認されていない筈でございましょう?」
「――確かに、ですが、父上より落ち着いた後に見せて頂けると言質は頂いております」
「……陛下が何をお考えかは、私などでは推し量る事も叶わき事でございますが、ドラッケン皇帝陛下も既に感づいて入ると思われますぞ。その遺体が、妹君であるシェリナ殿下ではなく、更に残された三体の遺体全てが偽物であることに」
な!? とカテリナが驚愕する。彼女とて当初は本当に死んだのか疑問視していた部分もあったが、かといって全てが偽物だとは思いもよらなかったのかもしれない。
「随分と驚いているようですが、殿下とて全く疑問がなかったわけではないでしょう。今回の件はあまりに不自然すぎます」
「……たしかにそれは否定しません。だけど、なぜ将軍はそのことを?」
「ははっ、無駄に年齢を重ねこそしましたが、その分築き上げた人脈、そして独自の情報網がございます。それにより、知り得ることが出来ました。だからこそ断言出来ます。見つかった三体の遺体は間違いなく偽物です」
カテリナは思わずその姿を見据える。鷹揚とした姿勢は崩さず、しかしその瞳に灯る炎は未だに熱く――その髪こそ色素を完全に失ったかのような真白いものだが、全身に漲るオーラは未だ衰えを知らない勇敢なる騎士そのものだ。
だからこそ察する。その言葉に嘘偽りなど何一つ混じっていないことを。
だからこそカテリナは――一つ息を吐き出す。湧き出す感情は、まずは安堵、だが次いで去来するは不安、疑問、様々な感情が渦巻くが……。
「どうして良いか判らない、といったところですか?」
「え?」
「今の殿下の心中です。最愛の妹君が今どのような状況に陥っているのか? 心配で仕方ないことでしょう。そして同時に、出来ればすぐにでも自らが動きたい――違いますか?」
「……ははっ、ヴァイス将軍には敵いませんね。その通りです。それを聞いたからには今すぐにでも飛び出し気持ちで一杯です。けれど――」
「立場がそれを許さない――殿下は皇族であり、そして今は騎士団長という立場でもあらせられる。それなのに、勝手な行動は許されない、そうですね?」
一拍の間を置いて、カテリナは顎を引く。ヴァイスには全てを見透かされている、ごまかしても無駄とそう考えているのだろう。
「……もし私に協力できることがあれば、なんでも言ってくだされば、殿下の為に尽力させて頂きますが――」
そして表情に影を落とすカテリナへと持ちかける。カテリナは一瞬ハッとした表情を見せるが、すぐに微笑み。
「……ヴァイス将軍。その、それが本当なら、とてもありがたい限りではあります。ですが――折角のお話ですがそれは受けるわけにはいきません」
カテリナはヴァイスの申し出をやんわりと断った。本来なら、彼の後ろ盾は大きいだろう。帝国での立ち位置がそこまで融通のきくものではないという点を踏まえれば、騎士としてはカテリナより遥かに顔が利く彼の申し出はありがたいはずだが、カテリナが自らに課したルールがそれを許さなかった。
「――一つの派閥にはそまらない。それが殿下のお考えでしたね。殿下は騎士でもあり姫という立場である事もしっかりと理解しておられる。だからこそ姫騎士と呼ばれることも厭わなかった。そしてそれは一つの覚悟でもある。殿下の抱える騎士団は全ての騎士団で唯一どの将軍にも属していない。それは自らが一つの派閥に傾倒することで、姫としての立場を利用されるのを嫌っていたから――だからこそどの将軍からの任務も平等に請け負った」
そしてそれはヴァイスとて十分理解していた。騎士になってからのカテリナと会う機会が減ったのもここにある。
カテリナの立場が特定の将軍とだけ懇意にするのを許さない。
「――本当に申し訳ありません。ですが、そのお気持ちだけでも嬉しかったです」
「いえ、私の方こそ、カテリナ殿下の立場を十分に判っていたはずなのに、出過ぎた真似を――」
結局その後も話はそこそこにカテリナは将軍の私室を後にした。あまり長居するのも悪いと思い、同時にあまり長々と話し込んでいては他の将軍にどう思われるかが判らない。
だが――カテリナの心中はやはり穏やかではなかった。シェリナが生きている、それがわかったことは嬉しく思うが、それを知って黙っていられるほど、運否天賦に任せシェリナが戻ってくるのを静かに待ち続けられるほど割り切った性格ではない。
だが――立場がそれを許さないのも事実であり……。
「団長、もしかして何か心配事がお有りですか?」
会議室にて、カテリナは副団長のベロニカと溜まっている執務など片付ける必要のある仕事の内容と今後の予定について話し合っていた。
ベロニカは美しい赤髪が特徴の女性であった。しかしその気質は男に負けず劣らず、男勝りという点ではカテリナ以上の性格かもしれない。
決断力があり、剣の腕も長けるベロニカは副団長の器として申し分なく、カテリナも全幅の信頼を置いていた。
そしてベロニカもまた、姫騎士としても名高いカテリナを尊敬し敬っており、忠誠心も高い。
それ故か、カテリナのちょっとした変化にもよく気がつく。
「――ベロニカ、いや、なんでもないんだ。少々疲れが溜まってしまったのかもしれない、私も年かな」
ハハッ、と自嘲し答える。勿論、そのようなことを気にする年では本来ないが、肩をもんでみたりとそれっぽさを演出した。
シェリナについてはあくまでカテリナの問題だ。騎士団での職務の最中に話すには私情が過ぎると、そう考えたわけだが。
「団長は、割りと顔に出ますからそれが嘘だとはっきりわかりますよ」
「な、なに!?」
ドギマギとするカテリナ。まさかそんなことを言われるとは思いもよらなかったのであろうが。
「――私の事は信頼して頂けませんか? 団長が悩みを抱えているなら、出来るだけ力になりたいと、私は考えております。それに、貴方がそんな調子では先ず仕事になりません」
心配と同時に、ピシャリと厳しさも見せる。吊り上がり気味な瞳が、気の強さを表す一つの要因にもなっているであろうが、どこまでもまっすぐな瞳は芯の強さをも滲ませている。
「ふぅ、全く、ベロニカには敵わないな」
結局カテリナは、今現在不安に思っていることを彼女に話してきかせた。
勿論、シェリナについてなどは他言無用と前置いた後でだ。
そのことは、ベロニカ自身の立場も危うくしかねない情報だからである。
「――話は判りました。それならば話は簡単です」
「え? 簡単、か?」
「はい、団長、貴方は最愛の妹君であるシェリナ殿下を追いかけるべきです」
な!? とカテリナは目を白黒させる。まさかこうもはっきり断言されるとは思わなかったのであろう。
「申し訳ございません団長。本来は木っ端の立場でしかない私が出すぎた事を言っていると自分自身把握しております。しかし、それでも団長は追いかけたほうがいい。そうでなければ、今以上に陰鬱とした日々を過ごすこととなるでしょう。私は団長を深く尊敬し、敬愛し、敬い、団長の為にならいつでも死ねるとさえ思っておりますが、それでも今の団長ではポンコツ過ぎて仕事にならないのはわかります」
「あ、あぅうぅ……」
カテリナがなんともらしからぬ声で呻くが、これで実はベロニカの毒にあてられた時はこんな反応を見せることが多い。
だが、ベロニカがカテリナを思って言っている事、だからこそ鞭をしならせるような厳しい口調になってしまうのだろう。
「それとも、団長は私や団員の事は信頼できませんか? 団長がいなければ途端に何も出来なくなる無能だとお思いですか?」
「そ! そんな事はない! 私は、少なくとも団としての団結力は、どこよりも優れていると思っている!」
ベロニカがカテリナに問うと、言下にカテリナが答えた。
それは本心からの言葉であったことだろう。
「――それならば、団長は思う道を突き進んでください。大丈夫です、団長がいないあいだのことは私たちにお任せください。それにそもそも団長が暴走することなどこれまでもよくあったではありませんか」
ベロニカに言われ、カテリナはハッとなる。確かに団員である騎士の一人がミスを犯し、反帝国組織に捕まってしまった際、帝国の判断は見捨てることであったが、カテリナは納得が出来ず城を飛び出し単身助けに乗り込んだりもした。
その件は結果的に他の団員も援護にやってきてくれたおかげで無事救出に至ったが、当然他の団からは吊し上げを受ける羽目に――しかしベロニカが事前に擁護してくれそうな人物と話を通してくれていた為、結果的に大きな処罰に繋がる事はなかった。
そう、カテリナとてこれまで皆に助けてもらいながら、そして互いに支え合いながらやってきたのだ。
ならば今回とて――
「――ありがとうベロニカ。ならば団長たる私からベロニカ・ハーティーに命ずる、本日付をもってお前を帝国軍第八騎士団団長代理に任命する。頼んだぞ、ベロニカ――」
◇◆◇
(まさか幼いころ見つけた抜け道がこんなときに役立つなんてな)
南門から外へと出る抜け道、それはかつてカテリナがおてんば姫とも称されていた時、よく利用していたものであった。
子供の頃に使用していたものであった為、サイズについて不安もあったが、なんとかギリギリで通ることが出来てホッとしたりもした。
気のせいか、以前より穴が大きくなっている気もしたが、過去の思い出と食い違うなんて事はよくあることであるし、きっと元々それなりの余裕があったのだろう。
抜け道が南側にあったのはカテリナにとっては僥倖でもあった。現在南側以外の森は、森というよりはただの荒れ果てた土地であり、そのようなところから抜け出してもすぐに見つかってしまう。
とは言え、カテリナは妙な開放感に包み込まれているようなそんな気持ちになった。
正直騎士としての仕事にこそ不満はなかったが、姫としての公務にはうんざりしていたのが本音である。
何せ責務とさえ称される仕事ではあるが、その内容はもっぱら有力貴族とされる層との面会や、舞踏会や晩餐会への参加――更にイグリナにも言われたが、やはりカテリナにもそろそろ結婚相手でも見つけてほしいと言う考えがあるのか、そういった相手と会うことを半ば強要されたりなどそのような事ばかりであったのだ。
正直、カテリナに求められる公務などは、別にいなければいないでどうとでもなり、イグリナあたりが代わりに務めても問題のないものばかりだ。
だからこそ、カテリナは姫としては机の上に『自分を見つめ直す旅に出てまいります』とだけ書き残し城を出た。
そして、いよいよ旅立ちの時と、森の中を突き進むカテリナであったが――
「やっと来たっすね!」
ふと聞き覚えのある声がその耳に届く。え? と声のする方を見やると、槍を肩に担いだ人物が樹木の裏側から姿を見せる。
「ぴ、ピサロではないか! なぜこんなところにお前がいるのだ?」
「へへっ、おれもついてきちゃったっす」
「ついてきたって――馬鹿言うな! 見損なったぞ! 折角ヴァイス将軍が手を差し伸べてくれたと言うのに、お前はそれを裏切るつもりなのか!」
「ちょ、ちょっとタンマっす! おれも調子に乗ってしまったっすが、これはそのヴァイス将軍の命っすよ」
「え? ヴァイス将軍の?」
「そっす、それにおれだけじゃなくて――」
「――初めまして姫様」
「ひゃっ!?」
後ろから急に声を掛けられ、跳ね上がるように驚くカテリナ。
すぐさま体の向きを変え、彼女を振り返るカテリナであったが。
「全く、またこっそりっすか。おれも最初それやられたっす。おれでさえ、初見では近づいてきたことに気づかなかったんっすよ。まぁ、槍を構えてなかったのも大きいと思うっすが」
「――言い訳がましい」
「う、うるさいっすよ!」
ピサロが文句を言うが、カテリナはその少女を見るのは初めてである。
薄闇色でフード付きのマントを身を隠すように羽織る彼女は、胸元に片手を添えるとカテリナに向けて口を開いた。
「――私はハーゼ・ヴァイス。ピサロと同じく、将軍の命により姫様の旅に同行する事となりました。これが将軍よりの手紙です」
そう言って、マントの中から取り出した手紙を差し出す。
それを受け取り、カテリナは早速中身を確認した。
手紙の筆跡は確かにカテリナもよく知るヴァイス将軍のものであり、性格があらわれるようなきっちりとした認められかたであった。
内容を認めたその口に思わず、フフッ、と薄い笑みが溢れる。
どうやらカテリナがどう動くかなど将軍にはお見通しだったようであり、それゆえにこの二人を同行させることにしたようである。
やはり、カテリナ一人で旅に出るということには色々と不安があったという事なのだろう。
勿論本来であれば特定の将軍からの幇助を受けるなどカテリナの流儀に反する。
だが、手紙にはこうも記されていた。
ピサロにしろハーゼにしろ、ヴァイスの下からは放逐という形を取っていると。
故に、カテリナがこの申し出を断ってしまった場合、二人にはもう帰る場所がないと。
「――全くあの人は……そもそもこの娘は……」
そう独りごちつつ、ピサロと一緒にやってきた少女に目を向ける。
家名からなんとなく予想はついたが、手紙にもこう記されていた、『不束者の娘でもあるが斥候としての腕は立つ、何かしらの役には立つだろう』、と。
まさかヴァイスに娘がいたとは、いや年齢からして子供がいてもおかしくはなかったが、その娘が斥候として活動しているとは思ってもいなかったカテリナである。
とは言え、改めてハーゼに目を向けると、その白い髪や強い意志の感じられる目つきなど、父親の面影はしっかり感じさせてくれる。
尤も流石に髭は生えておらず、髪も短めで癖が強かったりと細かい点では当然違いはある。
それに彼女は美形だ、そのあたりはもしかしたら母親譲りなのかもしれない。
どちらにせよ、こうまで記されてはとても無下には出来ない。
改めてカテリナは、多くの人に支えられてるなと感じていた。
カコにしても、一旦城を離れることを召喚されたメンバーの中で彼女にだけは告げたのだが、『妹様を大事に思うのは当然です。私はもう大丈夫ですので――』と言って潔く見送ってくれた。
勿論後のことは引き続きベロニカや団員に任せてはいるが――ある意味身勝手とも言える行動にも関わらず、本当にありがたい話である。
「手紙の内容は承知した。ならば、これからは旅の仲間という事になるな。よろしく頼む、ピサロ、ハーゼ」
「な、なんか改めてそう言われると照れくさいっすね。でも、姫様、髪――切られたんっすね。も、勿論それも似合ってるっすが、何かあったんですか?」
「――馬鹿かお前は。姫様はこれからは身分を隠して旅に出る必要がある。城を抜け出すぐらいなのだから当然。だからこそ、髪を切ったと思うのが普通」
「うむ、そのとおりだ。だからこそ、その姫様も今後は禁止にして貰いたい。殿下もな。呼び名も今後はカーナとして認識してもらいたい」
「承知いたしました、カーナ。これで宜しいですか?」
「構わないが、その堅苦しいのも出来れば控えてくれるとありがたい」
「カーナっすね! 判りましたっすカーナ! 何かいいっすねこういうのも。あ、でもそれならカーナも、あまり堅苦しいのは無しっすよ」
「むっ、ぜ、善処する」
困った表情で答えるカテリナ。ただカテリナは既に素がこんな感じなので中々難しくもあるかもしれない。
とは言え、ピサロの言うとおり、カテリナもまた髪を切り首ほどぐらいまでの長さとし、勿論鎧も帝国鎧ではなく、通常の胸当てといった軽装に変えている。
尤もこれは旅がしやすいようにと考えての事もあるだろうが。
「ところでカーナは、これからどこへ行くべきかは決めている?」
「むっ、それは、その、途中情報を集めながらになるかなとは――」
「――そうなると思ってた。なのでこちらで掴んだ情報を、シェリナ様を連れ去って逃げた連中ですが恐らく、ここから北東の方へと向かっている可能性が高いと思われます」
「なに! そうなのか?」
「はい、しょう……パパの言っていたことなので間違いないかと」
言い直すハーゼ。素性を隠す以上、将軍などと呼ぶのは不味いと考えたのだろう。
「そうか、ならばこのまま森を回り、東の山岳地帯を抜けて北へと向かうとするか」
「早速出発っすね! カーラと、あとハーゼっす!」
「……ピサロ、これ」
妙に楽しそうなピサロであったが、そんな彼にハーゼが手紙を渡した。
なんっすか? と手紙を広げ、中身を確認するピサロであったが。
『ピサロへ――姫様と娘の護衛は頼んだぞ。それと、二人に指一本でも触れたら、コロス! 百万回コロス!』
それはある意味ピサロの恩人でもあるヴァイス将軍からの手紙であった。
そこには、何故かコロスだけ切り裂くような文字で、血のように真っ赤に染色されて、書き綴られていた。
「――判ったな? お前、必要な時以外は半径五万キロメートル以上近づくな」
「それ、事実上同行不可っすよね!」
手紙で釘を刺され、ハーゼにもこんな事を言われ、幸先が不安になるピサロである。
尤もカテリナには何のことやらであろうが。
何はともあれ、こうしてカテリナ一行の妹を追う旅も始まったのである。
だが、この時カテリナは思いもしなかったであろう。まさかカコがカテリナが旅立った直後に、重罪人として捕えられる事になるとは――
これにて第一章終了です!
そして第二章より再びシノブ側のお話が!
※第二章前に登場人物のまとめなどはやるかもしれません。
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