第百七話 嵐の過ぎ去った後の帝都
「……これが、本当にこの瓦礫の下敷きになっていたというのか?」
「――はい、その通りでございますカテリナ様。その、なんというか……」
カテリナに答えを示す騎士は、そこで喉をつまらせた。
彼は、一体ここに誰が幽閉されていたかを知る数少ない騎士の一人だ。
そして――崩れた塔の残骸から遺体を掘り起こしたひとりでもある。
「――判った。報告に感謝する。ただ、少し一人にして貰ってもいいか?」
「……は、承知いたしました。こんな結果になってしまい、真に残念です」
頭を一つ下げた後、騎士はその場を立ち去ろうとするが。
「すまん、一つ聞き忘れていた。ピサロは、どうしている?」
そこで思い出したようにカテリナが騎士を呼び止め問い直した。
ピサロはこの塔の番を任されていた兵士の一人ではあるのだが。
「――ピサロはその、今回の件の責任を問われているところでありまして、恐らくですが良くて除籍、場合によっては裁判にかけられる可能性も……」
「馬鹿な!」
思わずカテリナが激昂した声を上げた。ツカツカと騎士に近づき、その両肩をグッと掴む。
「ピサロは夜専門で塔の番をしていた筈だ、あの時だって別の場所の警備を任されていた筈だろ! それなのに一体なぜこの件で責任を問われる必要がある!」
「も、申し訳ありません。私の耳に届いたのはその情報だけであり、詳しい経緯までは……」
「――そ、そうか。そうであろうな、すまん少々取り乱した……」
姫騎士の迫力に圧倒される騎士であったが、それでもなんとか返した言葉に、カテリナも冷静さを取り戻したようで、表情を暗くさせながらも、もう行って良いぞ、と告げ騎士をその場から離れさせた。
そして改めてすっかり瓦礫の山に成り果てた塔に視線を向け憂いの表情を浮かべる。
「こんなことになるなんて……シェリナどうして――」
悔しそうに胸中を吐露する。
あまりに唐突なことだった。その為か悲しいにも関わらず涙が出てこない自分に驚いてもいる。
遺体を見ていないのも要因の一つだろう。あの騎士は遺体が出てきたと言っていたが、それをカテリナは目にしていない。
一目見せてほしいと願い出たにも関わらず許可がおりなかったのだ。
あまりに損傷が酷く、精神的に影響を及ぼす可能性があるからというのがその理由だ。
遺体は三人分出てきた。そう聞いている。一人は処刑の際に大立ち回りを演じたあの仮面の人物。もう一人が仮面の人物に助けられ処刑を逃れた女騎士のマイラ。
そしてもう一人が――カテリナの最愛の妹であるシェリナ。
心にぽっかりと穴があいたようだった。だが、同時に現実味がなさすぎでもある。
この件には色々と不可解な点も多い。そもそも仮面の男にしても、あれだけのことをしておきながら、こんなことであっさりと死ぬだろうか?
それではマイラを助けた意味すらなくなってしまう。それになぜこの塔に立ち寄った?
そして塔に到着するなり大量の雷が落ち、崩れ落ちた塔の下敷きになる――あまりに話が出来すぎだ。そもそも天災でそんなにもの大量の雷が落ちる物なのか?
謎は深まるばかりであり、とてもこれを事実と受け止めるわけにはいかなかった。
そう信じられないのだ。シェリナの事も含めてすべてが――
「ならば、確かめるほかないだろう――」
カテリナは決意を胸に、瓦礫となりはてた塔を離れ、そして――普通では話が進まないなら、一番権限を持っているものに直接会えば良い、と、そう考え、その脚を城に向けた。
◇◆◇
「来たかオニスよ」
「はっ! この私めに皇帝陛下直々にお声を掛けていただけるとは光栄至極でございます!」
謁見室にて今上皇帝であるライオネル・グランガイム・ドラッケンが玉座に腰を掛け、鬼軍曹と知られているオニスを見下ろしていた。
当のオニスは皇帝の前で跪き、恭しく頭を下げている。
いつものどこか横柄な態度とは打って変わり、流石帝国の天子である皇を前にしては、迂闊な態度などとれるわけもない。
「うむ、まぁ、そう固くなることはない。ところでオニスよ、お前は何故ここに呼ばれているか判っているか?」
皇帝の両隣には、仮面を被ったローブ姿の人物が立っているのみ。本来であれば第一近衛騎士団の中から何人かが常に傍らに張り付いているのだが、特別な要件があるときだけは、それも付けず普段は姿を一切晒すことのない仮面の何者かがその代わりを務めている。
「ハッ! 全容までは聞かされておりませぬが、何か私に重大な任務を伝えたいと、そのように伺っております」
「あぁ、それで十分だ。その内容は私から直接伝えることになっているからな」
「皇帝陛下自ら私のような些末な者に任務を与えてくださるなど、これほどの喜びはございません」
更に深く深く頭を下げるオニス。その頭は地面につかんばかりでもあり。
「ところでオニスよ。あの処刑場での出来事は当然知っていると思うが……その時に姿を見せた我が本物ではないということも、知っているな?」
「はっ! いやはや流石は一国を担う陛下様でございます。いざという時のために身代わりとなるものをしかもあれほどよく似た、いえ、当然こうして間近で拝見させて頂ければ、やはり陛下様にはとてもとても及びませぬが、それでも市民や不貞な輩を欺くには十分すぎるほどであったといえます。あれほどの盾となりえる者をご用意されていたとは、私ただただ敬服するばかりでございます」
あまりにわかりやすいおべっかを織り交ぜ皇帝を褒め称えるオニスであったが、肝心の皇帝は無表情であり。
「随分と口が回るようだが、そこまで言うのであれば身代わり、これを我は【影武者】と呼んでいるが、その有用性は理解できているな?」
「影武者でございますか! いやはやこの世の全てを統べるべく皇帝陛下に相応しき凛々しくも雄々しい響き! 流石百戦錬磨の陛下様であられますな。えぇ、えぇ、勿論それほどの国士様の考えでありますから、その有意性たるや――」
「ならば今からお前も我の影武者を務めるが良い。それこそがお前に言い渡す重大な任務だ」
ペラペラと更に舌を回すオニスであったが、全ては聞いていられないと思ったのか、皇帝ははっきりとオニスに与えし役目を伝える。
「はい! 勿論皇帝陛下のご命令とあればどのような、どのような、え? か、影武者でございますか?」
オニスは最初はどんな話であろうと受けてみせると意気揚々の姿勢であったが、影武者になれという下りには疑問も多かったのか目を丸くさせた。
「どうした? 不満か?」
「いえ、不満というわけではありませぬが、ただ、その、私の見た目は正直陛下様とは似ても似つかぬ、いえ! 勿論世界の天子とも言える皇帝陛下に似ているなどとそのような事を口にするだけでも烏滸がましいことは存じ上げておりますが、ただ、そういった身である上、陛下様の身代わりというのは少々無理があるのではと――」
恐る恐るといった態度で視線を上げるオニス。その姿を見下ろす皇帝の瞳は非常に冷たく、凍え切っていた。
「我はお前にやれるのかやれないのかと聞いているのだ。見た目の問題などはこちらでどうとでもする。お前はただその答えだけを言えば良い」
「はっ! そ、そういうことであれば、勿論このオニス、今後は陛下様の身代わり、つまり影武者として誠心誠意努力して参る次第であります!」
「そうか、ならばよいお前は今日から――我の影武者だ」
「へ? な、な、が、ああああぁあぁあああぁ!」
皇帝のライオネルがオニスに向けて手をかざした。その瞬間だった、オニスの体が赤い光に包まれ、かと思えばその肉体に明らかな変化。
ゴキンゴキンゴキンッ――と、骨が波打ち、変化し、骨格そのものが元の形から大きく変化していき、髪の色も髪型も、目の色も肌の色も、その全てが一変し、そして僅かな時の間で生まれ変わったソレは、既にオニスではなく皇帝そのものであった。
「――お前は何者だ? 言ってみろ?」
「……我は、皇帝、ライオネル・グランガイム・ドラッケン、この帝国を統べし天子――」
「あぁ、それでいい。上出来だ」
「相変わらず見事なものですね父上の固有スキルは」
皇帝が満足そうに頷くと、後ろから近づいてきた美丈夫な青年が感嘆したように述べる。
ギロリと睨めつける。影武者へと変貌したオニスのすぐ後ろまでやってきていた彼は、ライオネルの息子であるウィリアム・ドラッケンである。
「全く、呼びもしないのに勝手に入ってくるとは無礼なやつだ。親しき仲にも礼儀ありであろう」
「それは失礼いたしました。ですが、外の見張りは通してくれたので、問題はないと判断したまでです」
何せ、本当に誰の立ち入りも許さないのであれば例えウィリアムと言えど扉の前で止められる。
「ふん、口の減らない奴だ。まぁ良い、おい、今後は表立った活動はお前が行うのだ。判ったな?」
「……承知いたしました」
元オニスであったそれは、頭を一つ下げると踵を返し、謁見室から出ていった。尤も、こちらの謁見室はいくつかあるうちの一つであり、表立って鎮座する場所は別に用意されている。
つまり影武者となったオニスが向かった先はその表立った舞台という事になる。
「一体減ればすぐに補充ですか。父上らしいですね」
「こういうことはスピードが命であるからな」
「それで常に百人の皇帝ですか。その慎重さがあったからこそ長年皇帝の座についていられるのですね」
「お前も言うようになったな。中々棘があるではないか」
「いえいえそんな。私など父上に比べればまだまだひよっこで。それにしても相変わらず良い出来ですね。本物と見分けがつきません」
「馬鹿言うな、本物の方が百万倍いい男だ」
はははっ、とどことなく乾いた笑いで返すウィリアムであり。
「失礼いたしました。実は一つ嘘をつきました。私には本物と影武者の区別などつきようがありません。何せ物心ついたときから影武者が当たり前に存在しておりましたし、今、目の前に座っている父上もきっと影武者でございましょう? 影武者というスキルの特徴は、影武者が影武者を作ることも可能と言うところですからね」




