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「あ、河野先輩。無事に終わりました?」

「うん。結構お客さん入ってたし・・・」

 中庭には、様々な売店が置かれていた。その中でも何人かの列ができている、調理部のスペース。売り子をしている男子生徒が、商品を並べた机に近付いた少女に声をかける。事前に京子にもらった券を渡し、商品を受け取るだけなので、他の四人はそれぞれ別の売店を冷やかす事にして、真里と二人で列に並んでいた。

「どうしたんですか、元気ないですけど・・・何かあったんですか?」

「え、ううん。劇は大成功、だと思うよ」

 しょんぼりとうなだれた様子で、彼女はダンボールから机にラッピングされた菓子を補充する。会話の様子からして、京子と同じクラスの生徒のようだった。それなのに、何故こんなに沈んでいるのだろう。

「じゃあ、何でそんなにヘコんでるんですか?」

 真里も京子と同じクラスの少女だと気付いて、彼らの会話に興味を示していた。その目が少女をじっと見ている。

「だって京ちゃんが・・・」

「え? 市村先輩? どうしたんですか? ソロ、失敗したとか?」

 彼女の口から飛び出した名前に、真里が目を見開く。こちらの腕をつついてきた。

「ううん、だから劇はいいの。それはいいんだけど・・・でも・・・でも・・・・・・うー」

 泣きそうな顔で呟く彼女に、後輩の男子生徒は困った顔で口を開く。

「ちょ、先輩、泣かないで下さいよ! 僕が悪いみたいじゃないですか!」

「泣いてないもん・・・」

 目を潤ませたまま、ダンボールの箱の中身を出し終えて。

「やっぱり、あたし様子見てくる」

 空の箱を持って、彼にそう言い置いて歩き出す。

「佐山、あんた並んでて。ね、そこのお嬢さん」

 真里が素早く手に持った券を渡し、少女の背に声をかけた。

「京ちゃんと同じクラス? ちょっといい?」

 にこりと笑う真里に、彼女は首を傾げ頷く。濡れた目が不思議そうに真里を見ていた。

「はじめまして。私、山崎真里と申します」

 肩にかけたバッグから名刺を取り出し、彼女は仕事モードで挨拶をする。それを受け取って、少女ははっとした顔を見せた。

「あ、あの、もしかして。京ちゃんのバイト先の真里さん?」

「あら、私の事知ってるの?」

「はい、いつも京ちゃんが話してて・・・あ、河野緋天です」

「まぁ、私もあなたの事知ってる!!」

 聞き覚えのあるその名前は、京子が働けるようにとアドバイスをした、頭のいい友人の名前だった。ぱっとしない、その外見が少し意外だった。

「なら話は早いわ。京ちゃん、どうかしたの? 今、あの子と話してたでしょ? 聞こえたから気になっちゃって」

「え・・・、ごめんなさい、私も何て言ったらいいか分かりません。今から様子を見に行こうと思って・・・」

 曖昧な返事をする彼女は、目を伏せた。見るからに大人しそうな彼女が、京子の友人だという事が意外なのだ。

「そう・・・今、京ちゃんはどこにいるの? 確か校舎内を回ってくるのよね? 私達、お花も渡したいし」

「あ、そろそろこっちにも来ると思います。一階から回るので」

 列が進み、持っていた券を男子生徒に渡す。それを数えて、彼の手が六つ、袋を取り出した。

「じゃあ、ここで待ってる事にするわ。ありがとう、緋天ちゃん」

「いいえ」

 首を振って頭を下げた彼女は、ぱたぱたと校舎内に走って行った。手渡された6つの袋から、ひとつ真里に渡す。

「ありがと。さて、京ちゃんを出迎える準備でもしますか」


 それぞれ売店を冷やかしていた、残りの四人に袋を配り終えたところで、わあ、とどこかから歓声が上がった。自然とその方向へ目を向けると、人だかりの中心に彼女の白い姿。

「あっ!! 京ちゃん来た!」

「すげ、おれら近づけんの?」

「何言ってんの、行くわよ」

 いそいそと近付く彼らの後を追うことができなかった。普通にしていればいい。そうすれば、彼女も忘れるだろう。

「佐山、お前なぁ。ここまで来たならちゃんと行けよ。普通にできないなら、来るな。京ちゃんが可哀想だ。あそこまで言って撥ねつけておいて、今更、気まずい顔なんてすりゃ、向こうが余計傷付くんだよ! それぐらい、分かれ、バカ」

 一人、残ったつもりだったのに。

 気がつけば、ゴウが横に立っていた。発せられた言葉と、その表情で、彼が気分を害しているのだと悟る。思えば、彼は京子に振られたのだ。彼女が自分を好きだと言ったのだから。

「・・・行きますよ」

 静かに答えて、ゴウと二人、彼女に近付く。沙紀が渡した花束を嬉しそうに抱えて、京子は微笑んでいた。

「・・・え? 緋天が? おかしいな、すれ違ったのかも」

「っていうか、緋天ちゃん、あっちの校舎に入って行ったから」

 京子が出てきた校舎と、緋天が入った校舎は別で。きっと先に彼女は手にしていたダンボールを片付けに行ったのだろう。

 真里が振り返って校舎を指差した。

 それに視線を合わせた彼女と、目が合う。

「佐山さん・・・来ないと思ってた」

「・・・歌、上手いなお前。びっくりした」

 ほんの少し、顔を強張らせた彼女が、うつむいて声を出す。それには答えずに、彼女の歌について正直な感想を述べた。

「だよな。ほんと上手かったよ。京ちゃん歌手になれるって」

 隣からゴウが冗談まじりに言葉を入れる。彼女と一緒にいる、選ばれた制服姿の少年と、パフォーマンスを披露していた他の若者役一人と、父親役の生徒は、突然現れたスーツ姿の団体に驚いたのか、口を閉ざしていた。

「あ、おれ募金するからブロマイド欲しい! まだある?」

 聡が募金箱を持っていた父親役の生徒に声をかける。

「我が娘の絵姿は、残り三十五枚。慌てるでない、先にお代を頂こう」

 劇中の言葉遣いのまま、彼は答える。それに笑って真里が口を開いた。

「募金は順調? あたしも出すよ」

「オレもー」

「つーか、強制ね。いいもの見せてもらったんだから。野郎共、財布をお出し」

「おお、美しいお姉さま、なんとお優しいのでしょうか。そちらの旦那方も、なんとご立派な・・・。お心遣い、感謝致します」

 真里の言葉に財布から小銭を出し、若者役の生徒の手に渡す。彼に美しいと言われた真里も、上機嫌で小銭を手渡す。

「はは、面白いな。京ちゃんはなんかしゃべんないの?」

 ゴウがそう言うと、彼女の隣に立っていたパートナーがさっと前に出た。

「無礼者。ミヤは私のものだ」

 彼はその手を京子の腰に回し、引き寄せる。

「あらら、もしかしてずっと演技したまま?」

 真里が少し面白そうに問うと、京子は目を伏せたまま頷く。

「・・・そりゃ、大変だな」

 好きでもない男にキスをし、腕を回され。

 彼女は何を思っているのだろう。

 何となく、苛立ちが募り、無機質な声が流れ出た。


「・・・大変じゃない。だって彼は私の選んだ人だもの!!」


 演技か。

 それとも、自分を振った事に対する怒りをぶつけにきたか。


 彼女が強い口調で声を上げた。

 真里も、聡もその剣幕に、驚いた顔をする。

「私を理解するのは私! 決め付ける事は許されない!!」

 歌のフレーズを口にして、まっすぐ自分を見つめる彼女の目には、怒りの他に、あの日最後に目にした色が含まれていた。


「・・・私のミヤを愚弄する事も許さない。ご援助感謝する。ミヤ。行こう、ミヤ。これ以上彼に関るのはやめよう」

 彼は京子の頭を抱えて、その髪をなでながら、そう口にした。京子の言葉は演技を超えていたと、ゴウだけでなく、真里も聡も幸成も沙紀も。きっと気付いてしまっただろう。それを彼がフォローしたという事も。

 彼女の怒りが自分に向けられていたという事も。

「失礼。・・・ミヤ、行くよ?」

「・・・うん」

 花束を抱えた彼女が彼に背を押され、目の前から消える。後を追う父親役の生徒と若者役の生徒が、こちらをちらりと見て去って行った。彼らの目には彼女の行動に対する疑問と、彼女が怒りをぶつけた相手への敵意。


「・・・何だよ、あれ」

 訳が分からない。振られたからと言って、あそこまで怒りをあらわにしなくてもいいのではないか。

 だいたい同じ職場で働くつもりなら、これ以上、気まずくなってもいい事は何ひとつないのに。

 腹が立つ。

 まるで犯した重罪をなじられているような気分がした。

 京子の方も、何でもない相手に口付けを与えるならば、同じようなものではないか。彼女に自分を責める資格はないのではないか。


 そう思うのに、どうしようもない虚脱感が募る苛立ちを追い越して。

 職場での彼女の協力と、惜しみない笑みを。きっともう完全に失ってしまったのだと気付いた。そして彼女を守り、慈しむ役目は、彼女自身が選んだあの制服を着た男のものとなったのだ。


「・・・ちょっと。聞きたい事があるんだけど」

 真里の静かな声で我に返る。

 彼女を見ると、真剣な顔で自分を凝視している。その視線から逃れる事はできない。目を逸らしたら、彼女は抑えようとする怒りを、この場で解放するのだろう。

「あんた、」

「どういう事? 京ちゃんがあんな風に怒るのなんて見た事ないよ」

 何とか声を荒げるのを我慢しようと真里が小さく出した言葉は、横から飛んできた、沙紀の怒りを孕む声に遮られた。彼女の表情は、今まで一度も見たことのないものに変わっていた。いつもにこにこと笑っている沙紀が怒ると、真里よりも怖いのだと今初めて気付く。

「・・・すいません。ちょっと先にこいつ借ります」

 彼女達の怒りを浴びることは別にいい。でも今は独りになりたかった。そう思った矢先、ゴウの声が聞こえ、そして腕を引っ張られる。

「どこ行くの!?」

「後で必ず返すので。お叱りはまた後ほど」

 沙紀の声に素早くそう言い返し、彼はどんどん足を進める。

 校舎内に入っても、それが緩められる事なく、彼の手に腕を取られたまま歩いた。


 今は、何も考えたくないというのに。


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