17
「真里さん、あそこ空いてる。前から五列目」
体育館の中へ入り、しばらくきょろきょろと中を見ていた聡が、中央の列の席を示して声を上げた。まだ開演十五分前で、ちょうど入れ替えの時間帯のせいか、外に出る客も多い。幸成が聡と二人で、すかさず空いた席の一帯へ飛んで行き、残りがそれに続いた。
「ふう、いい席ゲットできたわ。どれどれ、パンフでも見ますか」
最後に中央に開けられた通路側の席に辿り着くと、すでに腰をおろした真里と沙紀が、入り口で手渡された紙に見入っていた。
「えっと・・・山の奥に独りで住む女神様は、ある日、父親である全能の神に、人間と結婚するように命じられました」
周りを見渡せば、客の大半は生徒の友人であろう若者か、保護者であろう年配の人間だった。だいたいがカジュアルな服装を着ているだけに、自分を含め、全員スーツを着込んだ、この列の六人は少しばかり浮いていた。
「・・・各地から若者が集まり、女神様の前で、彼らの得意な事を披露します。女神様の心をつかんだ青年は、祝福を受け彼女のパートナーとなる事を許されるのです」
徐々に空席が埋まっていく。昨日、三人が仕事を手伝ってくれたおかげで、幸か不幸か、平岡に頼まれたものは余裕で仕上げる事ができ、ご機嫌な彼らと昼食を済ませ、ここへ来た。ゴウだけは、まさか自分が行くとは思っていなかったのだろう、かなり驚いた顔を見せて。それでも何も口にせず、普段どおりに話しかけてくる。
「・・・誰が彼女に選ばれるかは、女神様のみが知っています」
校舎内もかなりの人でいっぱいだった。これだけ人がいれば、彼女は自分に気付く事はないだろう。
「・・・ちなみに。女神役の生徒は、若者役の男子達のパフォーマンスの練習を、一度も目にしていません。今日、この本番でお客様と同じ様に初めて目に入れ、そして彼女が自分でパートナーを選びます。この本物指向な舞台にご感動頂けたなら、善意の寄付金をお願いします。材料代がかさみました」
「あはは。面白いね。あ、待って。裏に生徒の名前書いてあるよ」
「あ、ほんとだ。京ちゃんは・・・っと。え!! 女神役になってるよ!」
「マジで!? すっげー、主役じゃん」
沙紀が発した一声で、真里がパンフレット上の彼女の名前に気付き、そして聡が色めきたつ。
「京ちゃん主役だってよ」
隣のゴウもパンフレットを確かめ、そう呟く。何でもない端役のように言っておきながら、実は主役だった事に皆が一様に驚いていた。
「あたし達を驚かすつもりだったのかしらね。やってくれるわ」
「でもさ、この花束も無駄じゃなかったよね」
嬉しそうに笑う真里と沙紀の足元には大きな花束。どんな役でもこれを渡して京子に注目を集めてやるのだ、と豪語していた真里だったが、主役ならば、それも問題ないだろう。
「おい、そこの少年。撮影はOKだろうな?」
幸成が腕章をつけた生徒を呼び止めた。彼はスーツを着て並ぶ六人に驚き、そしてようやく頷いてみせる。会社から持ってきた、高性能のデジカメの電源を入れて、幸成は真剣な顔でチェックする。
「しっかり撮ってよ。ウチの課長も楽しみにしてんだから」
「バッチリですよ」
二人の会話に聡も沙紀も満足そうに頷いた。何故彼らはここまで気合を入れているのだろう。たかがバイトの高校生ではないか。大人の彼らを惹きつけてやまない魅力を、確実に京子は手にしている。
「只今より、二年一組生徒による、歌とパフォーマンス入り雑じる、楽しい舞台、女神の選択を開演致します。携帯電話、ポケベルをお持ちの方は、電源をお切り頂くか、音の鳴らぬようにして下さい。鳴らしてしまった方には、もれなく、周りのお客様より冷たい視線がついてきます」
アナウンスが入り、次いであちこちから笑い声が上がる。慌てて携帯がマナーモードになっているか確認した。
「準備はよろしいでしょうか。それでは、女神の選択、どうぞごゆるりとお楽しみ下さい」
照明が落ち、静けさが訪れる。
降ろされていた、幕が上がった。
「ミヤ、ミヤはいるかっ!?」
どたばたと、舞台の端から端を歩き、声を張り上げる大柄の少年。黒のスーツ、光沢のある黒のマントを身につけ、頭に王冠をのせていた。これが父親である神なのだろう。
暗い舞台の下、階段の横にスポットライトが照らされた。
そこに立つ、細身の体。
おお、とどよめきが上がる。
「何ですか、お父様。見苦しいですよ、かなり」
間違いなく彼女だった。
白のワンピース、ブーツ。薄い紗のマントを羽織り、頭にティアラ。
その良く通る声と、立つ姿は。微塵の緊張も感じられず、堂々としたものだった。ゆっくりと階段を上がり、神の前に立つ。ライトがそれを追いかけた。彼女は腰に手を当てる。
「大きな声で呼ばなくても、ちゃんと聞こえてますよ。うるさくて、鼓膜が破れるかと思いましたわ」
「京ちゃん、全然緊張してねーな・・・」
高飛車な態度でセリフを言う彼女をぼんやり聡が眺めて言う。
「今日も人間の若者達と会う日であろう。何をぐずぐずしておる。早く相手を決めてしまえ。毎回やってくる、奇特な者もいるというではないか」
苛々とした様子で、せかせかと歩き回り、説教する父親。彼もまた、うまく役に入っていた。
「うるさいな!! 私の事を決めるのは私!! お父様が口を出す事ではないわ、押し付けるのはやめて、私を理解しようともしないくせに!!」
堂々と父親に意見する娘の姿は、この前の、あの強気な態度に通じるものがあった。思わず一瞬、目を背ける。
「ミヤ・・・」
かつかつとブーツの踵を鳴らし、その白づくめの体を舞台の袖へと早足で運ぶ。取り残された父親に、スポットライトは移動し、がくりとうなだれた所でゆっくりと消えていった。舞台は再び闇に包まれた。
強気な女神は、その態度を崩すことなく、次々現れる若者のアピールするパフォーマンスを笑顔で見守り続けた。そこは男子生徒の独壇場で、ダンスを披露する者、観客も交えての手品をする者、アクロバットをやる者、空手の型を見せる者、笑いを取る為だろうか、芸能人のモノマネをする者までいた。
七人の生徒がそれぞれの芸を、素人離れしたレベルでやってのける。そのどれもが観客の拍手喝采を得ていた。誰が選ばれても不思議はない、そんな雰囲気で全ての芸が終わった。
「あなた達に質問があるの。それに答えてくれるかしら」
豪奢な椅子に座っていた彼女が立ち上がり、片膝をついて頭を下げる若者達の目の前に歩み出た。
「立って下さい。そして私の目を見て答えて」
柔らかな声に誘われて、彼らは立ち上がった。誰もが中央に立つ、女神を見つめる。
「どんな人なら恋人にしたいと思う? 正直に答えて。はい、あなたから」
左端の男に、彼女は顔を向けて問いかける。
「一緒にいて、笑顔になれる人です」
「女神様、あなたです」
「沈黙を共有できる人です」
この質問は、パフォーマンスを一度も目にしていなかったという、京子と同じ様に。即興で答えるものなのだろうか。緊張が、答えを告げる彼らから伝わってきた。
「楽しさも、悲しみも、お互い分け合える人です」
「強がりを言って、それに埋もれてしまう、つまりあなただ」
「そっと寄り添え合える人です」
「私の腕の中で、涙を流してくれる人です」
ひとりひとりが出す答えに、観客は頷いてみせたり、逆に嫌そうな反応を見せる。全員が答え終えて、女神は満足そうに微笑み、そして大きく頷いた。舞台の端から、父親が嬉しそうに出てくる。
「ミヤ、決めたのか!?」
「癪にさわるけれど、この中に、私の心を動かす人がいたの。彼以外、考えられない。ドキドキして、どうにかなってしまいそうよ」
「お前の心を射止めたのは、一体誰だ? その幸福な若者に、神々の祝福を与えよう」
舞台に全員を残したまま、ライトが全て消え落ちた。少しのざわめきが波紋のように広がり、そして消えていく。ぱたぱたと、数人が走る音が響き、そして父親の姿だけが舞台に浮かんだ。小さくステップを踏み、鼻歌を歌いながら、舞台の中をちょこちょこと動き回る。きっとつなぎの時間なのだろう。
「さあ、ミヤ。お前の相手は誰なのか教えておくれ!!」
ぴたりと中央で止まり、大きな声を張り上げる。そしてまた照明が落ち、再び訪れた闇に同じ様なざわめき。
「・・・恋人達に祝福を、新しい生命には希望を。毎日の暮らしを退屈だなんて思わない」
後ろから、歌声が聞こえた。振り返れば、体育館の中央より少し後ろの、椅子の並びを切って作られた通路に、彼女の白い姿が浮かび上がる。
「それでも私は仮面を外してみせよう」
たった一人のその歌声が、静かになった空間に響きわたる。伴奏もなく、堂々と声を出し、ゆっくりと彼女は足を動かした。
「この足は好きなところへ歩いて行ける。この荷は私自身が選んだものだ、いつか何かの役に立つ」
観客の目はスポットライトに照らされる、文字通り神々しい、彼女の姿に釘付けになっている。
「誰が決める。決めるのは自分。決め付ける事は許されない」
通路側の席になど、座らなければ良かった。このまま真っ直ぐ歩いてくる彼女は、自分に気付くだろうか。
「私を理解するのは私、答えだけを求めてはいない。開かない扉に触れるだけ、誰一人それを望んでいない」
自信に満ちたその声は、どこか手の届かない場所に針を刺すように心の内側をめぐって行った。
思い込みじゃない、そんなの私が一番良く分かってる、馬鹿にしないでよ、子供扱いしないで。歌詞が彼女の言葉を引き起こす。まるで自分に向かって、その旋律を刻みつけられているようだった。
「もとより裸足、立派な衣装は必要なかった、それでも貴方が求めるならば、神々の祝福を与えよう」
彼女のまとう、その薄い紗が視界に入った。全員が体の向きを彼女の動きに合わせていくので、一人前を向いてしまえば真里達にもおかしく思われるし、逆に目立って彼女も気付いてしまう。
曲のテンポが上がり、それに合わせて彼女の足も速まる。さっと横を通り過ぎて行き、ようやく全員が前を向いた。
舞台の下に辿り着いた彼女の声は一段と響きわたる。
まだ近くにいるのに見てはいけない、そう思うのに。体が言う事を聞かず、堂々と歌い上げる彼女の顔を見ずにはいられなかった。観客を柔らかな目で見渡す彼女に、真里と聡が大きく手を振る。それににっこりと微笑んで。半身を舞台に登る為の階段に向ける彼女と。
目が、合った。
ほんの一瞬。
驚いた顔を見せたのだと思う。けれどそれが、本当に小さなもので。息をのんだ彼女の目には、すぐに強い光が宿っていた。
「いえ、嘘はいけない。貴方の傍に行きたかった、その手を取りに行ってもいいか。そしてその腕をそっと回してくれればそれでいい」
一体どんな気分で歌っているのだろうか。
笑みをたたえて歌う姿は、うろたえる自分を嘲笑っているようだ。
「それが至上の宝となろう、私だけの至上の宝」
誰もが彼女に惹きつけられる。暗闇の中でひとすじの灯りに照らされ歌う、その女神の姿に。人々は一心に彼女だけを見つめる。
余韻を残し、静けさに包まれた空間。そこへ後ろからピアノの旋律が聞こえてきた。繊細な音につられて、またも観客は後ろを振り返る。
彼女と同じ様に、スポットライトに照らされた、女神に選ばれた少年がそこに立っていた。ぼろぼろの汚い布を体に巻きつけ、じっと立ち尽くす。
選ばれた者は、当然、一人だけだった。




