12
「京ちゃん、三波市の水族館にお笑いの人来るの知ってる?」
仕事が終わって店の裏口で佐山と話をした日。
帰り支度を済ませた頃。不動産部門に一人残っていたゴウに、声を掛けられた。
「あ、知ってます。最近、よくCMでやってますよねー」
地方の水族館に、有名な芸人を呼んで。海獣ショーにお笑いの要素を加えた新しい見世物を披露する、と。そんなCMをここ最近よく目にしていた。地元の水族館に、誰もが知っている芸人が何組かやってくる、という事実にかなり驚いて。記憶に新しかった。
「イルカとかに芸させながら、コントみたいなのが見れるらしいよ。行きたい?」
「ええ。行けるものなら」
クラスの誰かがチケットを手に入れる事ができなかった、と言って悔しがっていたのも覚えている。今週末から始まるそのイベントのチケットの販売は、もうとっくに終わっているはずだ。かなりの人気で即日完売だったらしい。
「これ、なーんだ?」
にこりと笑みを浮かべたゴウが、顔の前に長方形の紙を出す。
「あ!! チケット! ゴウさん買えたんですか?」
イルカの前で笑う芸人の写真が目に入った。それを縦にして、ひとつの角を軸にゴウがチケットをずらす。後ろから現れたのはもう一枚のチケット。意味ありげに笑うゴウの口が開く。
「来週の月曜、祝日でここ休みじゃん?・・・行きたい人?」
「はい!!」
手を上げるとさらに浮かぶ笑み。
「はい、じゃあ決まりね。来週の月曜、ここ行こう」
「やったぁ」
「これ、デートだから。お洒落してくるように」
「はーい」
「・・・で、会社の人に連れてってもらったんだー。すっごい面白かったよ。緋天はどこか行った?」
水族館でのショーについて力説して。それから連れて行ってもらう事になった経緯を話す。お土産に買ってきたイルカのポストカードをうっとり眺めながら緋天が頷く。
「うん。お兄ちゃんと映画に行ったよー。あとね、ケーキ食べに行った」
緋天と司月は仲がいい。
普通なら高校生にもなって、兄と映画に行くなんてないだろう。けれどこの兄妹はそれが日常茶飯事なのだ。休日にこの二人がまるでデートのような事をしていたとしても、最早驚く気もない。
「でもさー、京ちゃん、その人と二人で行ったんでしょ? それってデートだよね?」
イルカのポストカードから視線を上げて、緋天が唐突にそんな事を口にする。
「うん。そうだよ。本人にもデートだよって念押しされたし」
「えぇぇ!? 何で? 京ちゃん、その人の事好きなの?」
「何でそんなに驚くかなー・・・」
緋天の顔には、信じられない、と非難混じりの表情。
「あのね、緋天。緋天はデート、イコール、好きな人同士が行くもの、ってそう思ってるでしょ?」
「うん。・・・違うの?」
ため息と一緒に言葉を吐き出すと、今度は自信のない顔つきに変わる。
「そうじゃなくて・・・ただ楽しく遊ぼう、みたいな感覚でいいと思うよ」
「え、でも・・・京ちゃんが相手を何とも思ってなくても、誘った人はそうじゃないよね?」
上目遣いにこちらを見る緋天の視線に、何だか罪悪感が押し寄せる。
「うーん。でも今回はさ。相手も大人だし。そんな構えてないよ。なんていうか・・・ほら、多分、ちょっと可愛いからかまっておくか、みたいな感じ。ゴウさんも私を本気で相手しようとか思ってないから」
デートなんてそんなものだろう。
中学の頃から、結構な回数、デートに誘われた。そのほとんどは同年代の男子生徒で、彼らは自分を恋愛対象として見ていたのだろうけれど。ゴウは違うと明らかに分かる。緊張や気負いのようなものがまるで感じられず、普通に楽しくさせてくれた。
「そういうの、ってありなの?」
「ありだよ。お互い楽しく遊べればいいんだから。緋天はデートを重く捉えすぎ」
「楽しかった?」
「はい! すっごく」
「それは何より」
明かりをしぼった店内。デザートのシャーベットをひとさじ口に入れる。オレンジの爽やかな味に、幸せな気分になる。目の前のゴウは煙草に火を点けて、こちらを眺めていた。
「・・・あんまり見られると食べれないんですけど」
「あー、ごめん。目の保養。京ちゃん、文句なしに可愛いからね」
にこりと微笑まれて、一瞬たじろぐ。この落ち着き払った態度はそうそうできるものではない。ごめんと言いながらまだ自分を観察する彼は余裕そのものだ。
「今の引いた? おかしいな、大抵の子なら今ので落とせるんだけど」
うそぶいて終わらせる所も只者ではない。闘争心がわきあがる。
「京ちゃん、何で誰かと付き合ってないの?」
「この前、言ったじゃないですか。好きな人いないんですよ、今」
「じゃあ、どういう男が理想?」
「えー? そうですね・・・かっこいい人かな、とりあえず。私といても引けをとらない人」
「おお、言うねぇ」
「・・・冗談ですよ」
仕返しにと思って返した言葉を本気と取られてしまった。なんだ、と言って苦笑する彼に、今度は本当の答えを教える。
「一緒にいて安心する人かなー・・・ちゃんと好きって言ってくれる人。そういうの恥ずかしがったり、ごまかす人は嫌かも」
「あー、なるほど。参考になりました」
普通の会話の中に冗談を織り込んで。
そんな雰囲気で一日は終わった。告白めいたものは何もない。ただの気まぐれなのだろう。遊び慣れた様子のゴウには高校生もぎりぎり範囲内だったのだ。試しに連れ出してみた。そんな感じ。
「あ、でもね。それは京ちゃんだからできる事だと思うよ。だって普通はそんなたくさんの人にデートに誘われないもん」
頬杖をついて緋天が言う。確かにそうかもしれない、と緋天の言葉に思い直す。
「よーっす。きびだんご食うか?」
片手に皿を手にした大石の声に思考を中断された。目線を上げると嬉しそうにこちらを見下ろす彼。体はこちらを向いているのに、その視線はちらちらと緋天を伺っていた。
「・・・全く。あんたは分かりやすい性格してるねー」
当の緋天はといえば、その顔を強張らせてじっとしていた。手にした皿を調理台の上に置いて、大石はいそいそとその隣に座る。
「今日は何作ってんだ?」
いきなり隣から話しかけられて、緋天はびくつきながらも口を開く。
「・・・ブラウニー」
「ちょっと。何であんたここに座ってんの? 貢ぎもの置いたらさっさと帰りなさい」
「っああ? 別にいいだろーが。オレ、ここで一緒に試食すっから」
「緋天? いいの?」
黙っていた緋天を伺うと、こくりと頷いて立ち上がる。ここで断れば何かまた言われると思ったのだろう。
「あたし、お茶淹れる。あっちももう焼けるし」
視線をオーブンの方へ向けて、そう返す緋天は何とか笑顔を見せた。漂う甘いチョコレートの香りに、少し緊張もほぐれたのだろうか。
「一組って何すんだ、文化祭」
宣言どおり、つまようじで自分の持ってきた、きびだんごを口に入れて。大石はくつろいだ様子で口を開く。
「劇混じりのパフォーマンス大会。二組は?」
「お化け屋敷。お前らも来いよ」
緋天の方を向いて、彼は口を開く。あわよくば、自分が先導してやろうという考えなのだろう。その顔には、にやつく笑み。
「うまいか?」
黙ってきびだんごを口に入れた緋天の顔を彼は伺う。嚥下した緋天はにっこり微笑んで、うなずいた。おいしいものを食べれば、自然と口元がほころぶのだ。
「もっと食え。お前、細すぎ」
その笑顔を目にした大石が嬉しそうにする。まだ少し乱暴な物言いが随所に見えるが、それでも緋天に対する口調は穏やかなものに変わりつつあった。二週続けて部活に出てきた彼の目的は、かなり明確だ。
「・・・おいしい?」
まだ湯気を上げる、今日のメニューのブラウニーを頬張った大石を、緋天は横からじっと見上げる。彼女は自分の作ったものを、他人が口にした時、そうやって不安げに反応を待つのだ。その表情は自分にとってはたまらなく可愛いのだけれど。
「緋天・・・」
男にとってもきっとピンポイントで心臓を締め付けるに違いない。大石の耳に朱が上る。
「っ、ああ、すげーうまいよ、天才だね、よ、パティシエ!」
あっけなく限界に追いやられた彼は、そうやって冗談まじりにごまかした。それに笑みを見せる緋天から、こちらに視線を移す。
「まだまだ甘いねぇ」
ここで真面目に、おいしいよ、と囁けば。緋天も彼を少しは意識するかもしれないが。彼女の中の大石は、せいぜい、怖かったけど話すと面白い不良さん、程度のものだろう。緊張が解けて、格上げはされたけれど。
「・・・市村。いいか、余計な事言うなよ」
「はいはい。私は絶対無理だと思うよ。あんたごときじゃ」
不良の本領を発揮した彼にガンをつけられる。
「やってみなきゃ分かんねぇだろーが。っち。お前の外見に騙されるんだよな、男は」
自分だって初めはそうだったくせに、と心の中で悪態をついた。不思議そうな顔でこちらの様子を伺う緋天に、これ以上変な所は見せられない、とばかりに彼もまた口を噤んだ。
「・・・んっ」
自作のブラウニーにフォークを入れようとしていた緋天が手を止めた。ごそごそとスカートのポケットに手を入れて、携帯を取り出し着信を確認する。昨今の通信革命の影響下、クラスメイトの半分程は、携帯やPHSを持っている。緋天の水色のそれは、通学の行き帰りを心配した彼女の両親が持たせたもので。仲間内でメール等をして遊ぶ為に、他の派手な生徒が持つように、緋天は決して見せびらかしはしない。そもそも友人内で携帯を持つのは緋天だけなので、ほとんど使っていないようだった。
「お兄ちゃんだ。もう来てるみたい」
「ああ、今日送ってもらったんだ。司月さん、卒論とか忙しくないの?」
「うん。もう夏休み中にほとんどやっちゃったみたい。最近家でごろごろしてるもん」
食べようとしていた皿の上のも、少し欠けた元の塊も。手早くラップに包み始めながら、緋天が言う。
「うわ。河野、ケイタイ持ってるんじゃん。すげー意外。番号教えて」
「ダメ。遊びに使わないもん」
珍しく緋天がきっぱりと言い返して。
「は? じゃあ、何に使うんだよ?」
「連絡用。それに、お兄ちゃんも京ちゃん達意外に教えたらダメ、って」
その言葉に頭を抱えそうな勢いで、大石が眉をしかめる。助けを求める彼の視線を気持ちよく無視して、自分も立ち上がった。
「さて。んじゃ、今日は早めに帰りますか」
「え、京ちゃんはお茶してていいよ。お話あるんじゃないの?」
「まさか」
気遣わしげな目を大石と自分の間に走らせて。そんな勘違いも可愛らしい。首を振って緋天と自分の食器を洗う。
「あと片付けといて。ほら、鎌田達も寂しがってるよ」
隣の台に目をやると、何やら楽しそうに話す三人の後輩。食器を棚へ戻した緋天のカバンを手に持つ。あっけに取られた大石を横目に、帰り支度を済ませて入り口に向かう。
「先生、私達終わったんで帰ります。さよーなら」
「あら、今日は早いわね。気をつけてね」
「はーい。さようなら」
ホワイトボードに向かって明日の調理実習のレシピを書いていた顧問に挨拶して、外に出た。
今の緋天には恋愛をしようという意気込みなど、まるでない。なので必然的に優先順位は家族と友人になるのだ。嬉しそうに下駄箱に向かう緋天の横に並びながら、その無邪気な笑顔を観察した。
誰かと楽しく遊びたい、と。デートをするのはおかしい事ではないと思う。好きな相手がいないからこそ、同じような異性と楽しい時間を共有できる気がする。それに不純な理由だが、年上の大人に遠慮せずに奢ってもらうのは、気分のいいものだった。高校生相手だと、奢る奢らないでついつい論争してしまうのだ。
「緋天」
靴をはいて外に出ると、ロータリーの所に深緑の車を停めて、満面の笑みで出迎える司月がいた。
「こんにちは。お迎えご苦労様です」
「ああ、京ちゃん久しぶり。相変わらず可愛いね」
「司月さんも相変わらず甘いですね」
普通の女の子なら、少しばかりときめいてしまうような事を、司月はさらりと口にする。本当は自分の妹が一番可愛いと、親バカ的思考でいっぱいなのが判るので、それを承知で笑顔を返した。もちろん緋天が可愛いと思う気持ちは、充分すぎる程理解できるが。
「京ちゃんも乗ってく?」
「いえ。自転車ないと明日困るんで。じゃあね、緋天」
「うん、気をつけてね」
ばいばい、と手を振って駐輪場へ向かう。司月の甘い声が緋天に車に乗るよう促すのが背中に聞こえた。恋人にするように優しく、マメな彼の男としてのポイントは上々だと思う。けれどもそれが本当に恋人となる女性相手に発揮されているのだろうか、と甚だ疑問に思う。新しい彼女ができたらしい、と幾度か緋天に聞いてはいるが、その頻度からすれば、あまり相手と長続きしないようなのだ。
「やっぱり一途な人が一番、かなぁ」
司月レベルの優しさで、自分だけを見てくれる人。好かれていると、実感できる人。それも心からの言葉と態度で。
そんな彼氏だったら、欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。知らず知らず、ため息がこぼれ落ちた。




