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第44話 受け継がれるもの


受け継がれるものは。


技だけではない。


傷ついた時に。


それでも立ち上がる心も。


人から人へ。


受け継がれていく。



府内城。


朝。


整命部隊は。


いつものように城下町へ向かった。


薬草。


包帯。


井戸を掃除するための道具。


畑仕事に使う鍬。


昨日までと。


何も変わらない。


「行ってきます!」


若い隊員の声が響く。


だが。


返ってくる声は。


少なかった。


城門を出る彼らを。


兵たちが黙って見送っていた。


その視線には。


敵意はない。


ただ。


冷たさがあった。


---


城下町。


整命部隊の姿を見つけた子どもが。


笑顔で駆け出した。


「整命のお兄ちゃん!」


だが。


その腕を。


母親がつかんだ。


「行ってはだめ。」


子どもが振り返る。


「どうして?」


母親は答えない。


子どもを自分の後ろへ隠し。


整命部隊へ小さく頭を下げた。


そして。


逃げるように立ち去った。


若い隊員は。


上げかけた手を。


ゆっくりと下ろした。


「……行こう。」


仲間の声に。


小さく頷く。


笑顔を作ろうとした。


だが。


うまく笑えなかった。


---


井戸。


以前なら。


町の者たちが集まり。


一緒に泥をかき出した。


今日は。


誰も近寄らない。


遠くから。


こちらを見ているだけだった。


「整命部隊だけ。」


「良いものを食べているらしい。」


「ハリー様に守られているからな。」


「俺たちの米まで使っているんじゃないか。」


聞こえるように。


聞こえないように。


声が飛んでくる。


一人の隊員が。


握っていた縄へ力を込めた。


だが。


何も言い返さなかった。


ただ。


黙って井戸を掃除し続けた。


---


昼。


独り暮らしの老婆の家。


整命部隊は。


いつものように戸を叩いた。


「お婆さん。」


「具合はいかがですか。」


しばらくして。


障子が。


ほんの少しだけ開いた。


「ごめんね……。」


老婆は。


顔を見せなかった。


「息子がね。」


「もう来てもらうなって。」


「整命部隊と関わると。」


「周りから何を言われるか分からないからって。」


戸の向こうで。


老婆の声が震える。


「本当は。」


「来てくれて嬉しいんだよ。」


「でも。」


「ごめんね。」


若い隊員は。


薬草の包みを戸口へ置いた。


「ここに置いておきます。」


「熱が出たら。」


「必ず使ってください。」


「それから。」


「夜は冷えますから。」


「身体を冷やさないように。」


障子の向こうから。


すすり泣く声が聞こえた。


隊員は深く頭を下げる。


「また来ます。」


返事はなかった。


---


城へ戻る道。


誰も。


話さなかった。


足音だけが続く。


やがて。


一人の隊員が立ち止まった。


「俺たちは。」


皆も足を止める。


「何か。」


「悪いことをしたんでしょうか。」


誰も答えられない。


「畑を手伝いました。」


「井戸も掃除しました。」


「怪我をした人も運びました。」


「腹が減っても。」


「疲れていても。」


「誰かのためになるならって。」


声が震える。


「なのに。」


「どうして。」


「こんな目で見られるんですか。」


別の隊員が。


顔を伏せた。


「俺も。」


「今日は。」


「町へ行きたくないと思いました。」


「人を助けるのが。」


「怖くなりました。」


それは。


誰も口にできなかった言葉だった。


だが。


皆が同じことを思っていた。


夕日が。


彼らの影を長く伸ばしていた。


以前よりも。


ずっと重そうな影だった。


---


夜。


整命部隊の部屋。


いつもなら。


笑い声が絶えない場所だった。


今日は。


静かだった。


誰も食事へ手をつけない。


誰も顔を上げない。


ハリーは。


部屋の隅に座っていた。


励まさなかった。


叱らなかった。


答えも与えなかった。


ただ。


皆と同じ場所にいた。


長い沈黙のあと。


若い隊員が口を開いた。


「先生。」


「俺。」


「辞めたいと思いました。」


誰も責めなかった。


ハリーも。


何も言わなかった。


「逃げたいと思いました。」


「俺たちは。」


「人を助ければ。」


「喜んでもらえると思っていました。」


「ありがとうって言われるのが。」


「当たり前だと思っていました。」


拳の上へ。


涙が落ちる。


「でも。」


「違った。」


「助けても。」


「嫌われることがある。」


「信じてもらえないことがある。」


「それでも。」


「助けなきゃいけないんですか。」


ハリーは。


すぐには答えなかった。


静かに。


隊員たちの顔を見た。


「俺にも。」


「分からない。」


皆が顔を上げる。


先生なら。


答えを知っていると思っていた。


「俺も。」


「何度も迷った。」


「もう知らないと思ったこともある。」


「助けた相手から。」


「恨まれたこともある。」


「信じた相手に。」


「背を向けられたこともある。」


ハリーは。


自分の胸へ手を置いた。


「それでも。」


「目の前で苦しんでいる人を見たら。」


「放っておけなかった。」


「立派だからじゃない。」


「正しいからでもない。」


「ただ。」


「そういう生き方しか。」


「俺にはできなかった。」


部屋の中に。


静かな息遣いだけが残った。


---


その時。


宗信が。


ゆっくりと立ち上がった。


「私は。」


皆が宗信を見る。


「一度。」


「皆を裏切りました。」


宗信の声は。


かすかに震えていた。


「恐れました。」


「迷いました。」


「自分を守ろうとしました。」


「そして。」


「大切な人たちを傷つけました。」


誰も。


目をそらさなかった。


「だから私は。」


「疑われる苦しさを。」


「知っているつもりでした。」


宗信は。


ハリーを見る。


「ですが。」


声が詰まる。


「信じ続ける苦しさを。」


「私は。」


「今日まで知りませんでした。」


宗信の目から。


涙がこぼれた。


「ハリー殿は。」


「私が裏切ったあとも。」


「私を見捨てなかった。」


「兵糧へ細工をした吉平も。」


「罪人として切り捨てなかった。」


「町の者たちが疑い始めても。」


「誰一人。」


「敵だとは言わなかった。」


宗信は。


こぼれる涙を拭おうとしなかった。


「信じてもらえない苦しさより。」


「信じ続ける苦しさの方が。」


「ずっと深かったのですね。」


ハリーは。


何も答えなかった。


ただ。


宗信を見つめていた。


その沈黙が。


答えだった。


宗信は。


整命部隊へ向き直る。


「私は。」


「信じてもらったことで救われました。」


「だから。」


「今度は私が。」


「信じる側に回ると決めました。」


一度。


息を整える。


「皆さん。」


「今日。」


「疑われる苦しさを知ったのなら。」


「次は。」


「それでも信じる側へ。」


「一緒に回りませんか。」


若い隊員が。


涙を拭いた。


「信じてもらえなくてもですか。」


宗信は頷く。


「はい。」


「誤解されても。」


「嫌われても。」


「すぐには分かってもらえなくても。」


「私たちまで疑えば。」


「敵の思うままです。」


別の隊員が。


ゆっくりと立ち上がる。


また一人。


また一人。


やがて。


整命部隊の全員が立っていた。


誰かに命じられたのではない。


自分の意思で。


立ち上がっていた。


---


若い隊員が。


ハリーの前へ進んだ。


「先生。」


「教えてください。」


「人を整える技ではなく。」


「先生のように。」


「信じ続けられる人になる方法を。」


ハリーは。


少し困ったように笑った。


「それは。」


「俺にも分からない。」


隊員たちが驚く。


「俺も。」


「死ぬ直前まで。」


「修行だと思ってる。」


静かな言葉だった。


だが。


誰の胸にも。


深く届いた。


「昨日できなかったことが。」


「今日少しできるようになる。」


「今日分からなかったことが。」


「明日少し分かるようになる。」


「人を整えながら。」


「自分も整えられていく。」


「その繰り返しだ。」


若い隊員は。


力強く頷いた。


「なら。」


「俺たちも。」


「死ぬ直前まで修行します。」


別の隊員が続く。


「先生だけに。」


「背負わせません。」


「疑われる苦しさも。」


「信じ続ける苦しさも。」


「これからは。」


「俺たちも一緒に背負います。」


全員が。


ハリーへ頭を下げた。


「先生。」


「今まで。」


「一人で背負わせてしまい。」


「申し訳ありませんでした。」


それは。


謝罪ではなかった。


感謝でもなかった。


共に歩くという。


誓いだった。


ハリーは。


しばらく何も言えなかった。


やがて。


小さく頷く。


「ありがとう。」


その声は。


少しだけ震えていた。


---


夜更け。


隊員たちは。


明日の支度を始めていた。


破れた包帯を縫い。


薬草を分け。


井戸掃除の道具を整える。


明日も。


町へ行くために。


昨日までとは違う。


静かな強さが。


その背中に宿っていた。


ハリーは。


部屋の外から。


その姿を見つめていた。


そこへ。


アルメイダが歩いてくる。


「ハリー。」


「何だ。」


アルメイダは。


部屋の中を見た。


「今日。」


「皆が受け継いだものは。」


「何だったのでしょう。」


ハリーは。


少し考えた。


「俺は。」


「何も渡していない。」


アルメイダが首をかしげる。


「人は。」


「教えられただけでは変わらない。」


「自分で傷ついて。」


「自分で考えて。」


「自分で気づいた時に変わる。」


ハリーは。


隊員たちを見つめた。


「今日は。」


「みんなが。」


「自分で気づいた日だ。」


アルメイダは。


静かに微笑んだ。


「ハリー。」


「私は今日。」


「初めて安心しました。」


「何をだ。」


「たとえ。」


「いつか君がいなくなっても。」


「整命は終わらない。」


ハリーは。


少しだけ目を見開いた。


そして。


夜空を見上げた。


「まだ。」


「死なないよ。」


アルメイダも笑う。


「もちろんです。」


「ですが。」


「君の志は。」


「今日。」


「確かに受け継がれました。」


部屋の中から。


小さな笑い声が聞こえた。


傷ついた者たちの。


以前よりも。


少しだけ温かい笑い声だった。


ハリーは。


そっと目を閉じる。


「……これでいい。」


その夜。


整命部隊は。


人を整える部隊から。


人を信じ続ける部隊へ。


生まれ変わった。




人は。


傷つかずに強くなるのではない。


傷ついたあと。


何を選ぶかで。


少しずつ強くなっていく。

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