第23章「キミを映す海」
【隆司side】
気づけば、もう二月になっていた。
共通テストは、二人とも自己採点で9割。順調なスタートだった。
さくらは足切りも突破し、今は赤本と格闘中。
本気で、二次試験に向かっている。
あれから会える時間は減った。
予備校の自習室や休憩所で、缶コーヒーを飲みながら他愛ない話をするのが、ささやかな楽しみになっていた。
(ついに俺の番か)
試験は明日。前々日から東京の親戚の家に泊まり込み、準備万端に整えていた。
かばんは三回も中身を確認した。今日は軽く復習して、早めに眠る予定。
試験は午前に国・数、午後に英語。
当日の朝、コンビニで昼ごはんと栄養ドリンクを買う。
糖分も忘れずに──お守り代わりの一本だ。
会場には早く着いた。教室はまだ空席だらけ。
自分の席に座って、復習用のテキストを開く。
緊張がじわじわと迫ってくる。
お守りを両手で挟み、そっと祈る。
筆入れに入れていたガラス石も見つめてから、優しく握った。
携帯の電源を切り、お守りと一緒にかばんへしまう。
机に残したのは、鉛筆、シャープペンシル、消しゴムだけ。
(俺ならできる。大丈夫。さくらが応援してくれてる)
十分前。全員が席につき、試験監督が入ってくる。
問題冊子が配られ、静けさが満ちていく。
(大丈夫、大丈夫……)
試験は、いつの間にか終わっていた。
英語はちょっと焦ったけど、落ち着いて解けた──そう思う。
深呼吸してから、スマホの電源を入れる。
LINEが届いていた。
「隆司くんは、今まで頑張ってきたから絶対大丈夫」
さくらからだった。目頭が熱くなる。
結果は三週間後。その前に、さくらの試験がある。
今度は俺の番だ──さくらを応援する番。
隆司は鞄を背負って、試験会場を後にした。
その背中は、少しだけ誇らしげに伸びていた。
【さくらside】
受験日まで、あと三日。
目標は、国立大の前期試験で合格すること。
今は追い込みの時期。
ここ数年の過去問と、小論文に集中している。
特に小論文は苦手で、先生にもたくさん質問してきた。
勉強の計画は立ててある。
本番の二日前までは、がっつり詰め込む。
最後の一日は軽めにして、早めに休むつもり。
たとえ眠れなくても、目を閉じて横になるだけで休息になる──そう聞いたから。
二次試験は、数学・生物・小論文。
自信はないけど、やるだけのことはやってきた。
当日。
電車に揺られて1時間、大学の最寄り駅に到着。
試験会場は大学内の大講義室だった。
席に着いて、テキストとお守り、ガラス石を取り出す。
復習しながらも、ふと手を止めて、それらを見つめる時間が増える。
(絶対大丈夫。隆司くんも応援してくれてる。
今までの頑張りを、全部出し切ろう)
静かに心で祈る。
試験監督が入ってきて、会場に緊張が走る。
スマホの電源を切り、筆記用具以外をしまった。
そして、試験が始まる。
あれほど長く感じていた時間が、信じられないほど早く過ぎていく。
午三三時、すべての試験が終わった。
(終わった……私、やりきった)
筆記用具をしまい、スマホの電源を入れる。
すぐに隆司からのLINEが届いていた。
「さくら、本当にお疲れ。
さくらがめちゃくちゃ頑張ってきたの、ずっと見てたから。
絶対大丈夫。自信持って」
スマホの画面が滲む。
「隆司くん……」
目を潤ませながら、今日の自分をそっと称えた。
帰りの電車では、ただボーッと座っていた。
重たい体をシートにもたせかけて、揺られながら思う。
(どうか、これで終わってほしい)
前期で決まれば、後期は受けなくていい。
そんな願いを胸に、さくらは静かに目を閉じた。
【隆司side】
合格発表は、大学のHPで行われる。
「一緒に見たい」とさくらが言ってくれて、予備校の自販機横でふたり並んで座った。
K大学のページを何度も更新する。
画面は変わらない。でも、何かしてないと落ち着かなかった。
そして、午前十時──発表の時間がきた。
受験番号は「265番」。
スマホに並ぶ番号を追っていく。
250、253、258、261……265。
「……あった!あったよ、俺の番号!! うぉぉぉぉ!! やったぜ!!」
隆司は思わず叫んだ。
普段は静かな予備校。でも、今日くらいはいいだろう。
「隆司くん、やったね!! 本当に頑張ったね! おめでとう!!」
さくらも満面の笑みで手を叩いてくれる。
「ありがとう……さくら。俺、春から大学生だ!」
K大とS大、どちらも落ちたら浪人する覚悟だった。
2年間の努力が、今ここで報われた。
家族グループに合格のLINEを送ると、母さん、父さん、渉から「おめでとう」が届いた。
スタンプを添えて返信したその瞬間、ようやく実感が湧いてくる。
自分でも少し、誇らしげな顔をしていた気がした。
* * * *
帰り道、ふたりでチーズケーキのカフェに寄った。
以前、勉強の合間に一度来たお店。
チーズケーキとカフェオレを注文し、席に着く。
「次は、さくらの番だな。俺、絶対受かってるって思ってる。
途中で心が折れそうになっても、負けずにやってきたじゃん。
俺、さくらの全部、見てきたんだから。自信持て!」
これはもう、他人事じゃなかった。
二人で頑張ってきたからこそ、喜びも、まだ“半分”。
「うん。合格できるといいな。あともうちょっと、待っててね」
さくらは静かにそう言った。
「もちろん。一緒に大学生になろう!」
注文が運ばれてくる。
ケーキの甘さが体に沁みる。カフェオレで、ふわっと緊張がほどけた。
「やっぱり、ここのチーズケーキ、美味しいね」
懐かしむように微笑むさくら。
「うん。また来ような。次は、さくらの合格祝いだ」
言葉のトーンも、気持ちも、少し落ち着いていた。
嬉しさと、次への不安が入り混じったまま、ふたりは帰路につく。
さくらの家の前で、隆司は言った。
「さくらの合格発表も、一緒に見てもいい?」
「隆司くんなら、いいよ」
快くうなずいてくれたのが、嬉しかった。
さくらは、念のため後期試験に備えて勉強を続けるという。
ふたりでお守りを出し合って、合格祈願をし、
隆司の合格を祝うハイタッチをして別れた。
その夜の夕食は、ご馳走だった。
から揚げ、ポテトサラダ、ハンバーグ──どれも母さんの手作り。
父さんが帰ってくると、ホールケーキを抱えていた。
「今日は祝いだ。隆司、よくやったな。K大なんて、すごいぞ」
「兄ちゃん、マジですげーよな。俺には無理……」
渉の声には、少し尊敬の響きが混じっていた。
(……これも、さくらがいてくれたから、だよな)
食卓に並ぶご馳走を見ながら、拳をギュッと握る。
今度は、さくらの番だ。
夜、ベッドに大の字に寝転ぶ。
(ぷはーっ。満腹だ……母さんの料理、どれも最高だった。
ケーキも二つ目だったけど、うまかったなぁ。俺、今、めちゃくちゃ幸せだ)
目を閉じて、少しだけ深く息を吐く。
(さくら、頑張れよ)
外では、桜のつぼみがふくらみ始めていた。
(俺たちのヴィクトリーロード、咲かせてくれよな)
ゆっくりと目を閉じて、今日という日の“勝利の味”を噛みしめた。
【さくらside】
三月上旬。合格発表の日がやってきた。
隆司と一緒に、予備校の自販機横のテーブルに並んで座る。
スマホにはT大の合格発表ページを開いたまま。
発表まで、あと数分。
さくらの受験番号は「183番」。
緊張で手が震える。心臓の鼓動がうるさいほどに響く。
隆司の手を、そっと握った。
ふたりのお守りを挟むようにして。
十時ちょうど。スマホの時計が切り替わる。
ページを更新し、番号を追う。
──170、174、178、181、183。
「……隆司くん。あった。183番……合格できたよ!」
思わず握っていた手に、ぎゅっと力が入る。
「やったな!ついにやった!! 二人そろって大学生だ!
マジで嬉しい!さくら、めっちゃ凄いっ!!」
隆司が手を放し、ぎゅっとハグしてきた。
嬉しいけど、ここ、予備校だよ……!
「隆司くん、ここ一応、予備校だから……」
顔が真っ赤になる。
「……はっ、そうだった!でもさ、ほんとに嬉しいんだよ。
自分の合格と同じくらい!」
このままじゃ他の受験生に悪い気がして、
家族にLINEで合格を伝えると、ふたりで予備校を後にした。
お祝いのメッセージが次々と届く。
スマホをしまって、さくらはそっと言った。
「ねぇ、行きたい場所があるの。12年前にガラス石を拾った海岸……覚えてる?」
「おうよ。今日はさくらが主人公だ。
なんなりとお申し付けくださいませ」
隆司が、ちょっとふざけて返す。
(もう、バカ……でも、嬉しい)
* * * *
電車でひと駅前で降り、海へ向かって歩く。
三月とはいえ、潮風はまだ冷たくて強い。
でも、太陽の光はあたたかい。
波打ち際までたどり着くと、さくらが立ち止まる。
「隆司くん、筆入れの中のガラス石、出してくれる?」
「おう。いいけど……どうした?」
さくらは自分のポーチから、もうひとつのガラス石を取り出した。
「交換しよ」
その目はまっすぐ隆司を見ていた。
「……って、見た目そんなに変わんねーぞ。
俺のはちょっとくたびれてる気もするけどな」
そんなことを言いながら、ふたりはガラス石を交換した。
それを、それぞれのストラップに結び直す。
「これからも、よろしくね。……素敵な彼氏さん」
さくらは、はじめて“彼氏”と呼んだ。
隆司の目がまんまるになる。
「お、おう……。さくらとなら、この先も頑張れそうな気がする。
月に1〜2回は、会おうな」
その言葉が、さくらの胸に温かく染みわたる。
「ふふっ、うん。会えるの、楽しみにしてる。
電話も、たくさんしようね」
さくらは背伸びをして、そっとキスをした。
ゆっくり、しっかりと──長いキスだった。
波の音が寄せては返す。
そのままふたりは並んで海を眺めた。
手をしっかりと繋ぎながら、遠くの地平線を見つめる。
──十二年前のあの日。
ガラス石を拾った小さな出来事が、
今では、ふたりを繋ぐ大切な証になっていた。
それは、もう“宝物”なんて言葉では言い表せないくらい。
さくらの手が、そっと隆司の手を握り直す。
その強さに、迷いはなかった。
End.




