223話 俺×交渉=無駄足です。
ガラッ――。
生徒会室の扉を開いた瞬間だった。
妙な静けさを感じる。
いつもなら誰かしらの話し声が聞こえる。書類を捲る音や、三宝のぶっきらぼうな声が響いている。
だが今日は違った。
空気が重い。まるで誰かが息を潜めているような、そんな違和感。
真守が一歩足を踏み入れた、その時だった。
会長室の扉が開く。
ガチャ。
中から出てきたのは池鶴だった。
「……」
真守は思わず目を見開く。
池鶴の目元は赤かった。
泣いていたのは一目で分かる。だが池鶴は何も言わない。背筋を伸ばし、いつも通りの姿勢を保っている。
真守と目が合う。
ほんの一瞬。だが、その瞳の奥には隠しきれない感情があった。
悔しさか、怒りか、それとも別の何かか。真守には分からない。
「……」
池鶴は何も言わない。
唇を強く噛み締める。そして、そのまま真守の横を通り過ぎて行った。
足音だけが響く。そして生徒会室の扉が開き、閉まる。それで終わりだった。
誰も何も言わない。
三宝は書類を見ている。山影も同じだった。坂下は俯いたまま。黒ヶ峰だけが一瞬視線を落とした。その反応が逆に不自然だった。
まるで、全員が何かを知っているような、そんな空気。
その時だった。
「楽々浦くん」
会長室から声が聞こえる。
「入って」
穏やかな声、いつも通りの声。けれど真守は無意識に拳を握っていた。
嫌な予感がする。
それでも逃げる訳にはいかない。真守はゆっくり会長室へ入った。
扉が閉まる。
会長は机に座っていた。
いつもの笑顔、いつもの姿勢。だが、真守にはそれが妙に作り物に見えた。
「それで?」
会長が聞く。
「見つかったのかな」
真守は頷く。
そして施設の名前を伝えた。
住所も、電話対応したことも、赤坂が確実にそこにいることも、隠さず全て話す。
話し終えた瞬間だった。
会長が小さく息を吐く。
「そうか」
その声だけは本当に嬉しそうだった。
「ありがとう」
それは嘘ではないのだろう。少なくとも今だけは、会長は本当に安心しているように見えた。
だからこそ真守は聞いた。
「俺は話しました」
会長が視線を向ける。
「だから次は会長の番です」
笑顔が少しだけ止まる。
ほんの一瞬。
「赤坂先輩と何があったんですか」
静かな声で問い掛ける。
会長は答えない。
「どうしてそこまで探してるんですか」
さらに続ける。
沈黙。
長い沈黙だった。部屋の時計の音だけが聞こえる。
会長は真守を見ていた。
笑っている。だが、その笑顔が少しずつ薄れていく。
「楽々浦くん」
穏やかな声。だが、もう優しい表情ではなかった。
「君は本当に余計なことばかり気にするね」
真守は視線を逸らさない。
「気になります」
即答だった。
「赤坂先輩が逃げてる理由も、会長が追ってる理由も、全部」
会長は黙る。
笑顔は完全に消えていた。その顔を見て真守は初めて思う。
怖い。
今まで会長を怖いと思ったことは何度もあった。だがそれは能力や立場への恐怖だった。今目の前にいるのは違う。
人として怖かった。
感情が漏れている。抑え込んでいた何かが、少しずつ確実に表面へ出てきている。
「……」
会長はゆっくり立ち上がる。
窓際へ向かい、背中を向ける。しばらく何も言わない。そして。
「昔の話だ」
ぽつりと呟く。
真守が言葉を待つ。
だが続きは無かった。数秒後、会長は振り返る。その目は冷たかった。
「君には関係ないだろ?」
初めてだった。
会長に睨まれたのは。
真守の背筋を冷たいものが走る。それでも目を逸らさない。
会長は小さく息を吐く。
「出ていってくれ」
静かな声だった。
「会長」
「今すぐにだ!!」
言葉を遮られる。
完全な拒絶だった。もう話す気は無い、そう理解できた。
真守は拳を握る。だが、何も言わない。言っても無駄だと分かっていた。
「……失礼します」
それだけ言って会長室を出る。
そのまま、生徒会室へ戻る。空気は相変わらず重い。誰も何も聞かない。
変わらずに、三宝は書類を見ている。山影も同じだった。坂下は俯いたまま。池鶴はまだ戻っていない。
真守が席へ向かおうとした時だった。
黒ヶ峰が立ち上がる。
「……」
何も言わない。書類を持ち上げる。それだけだった。誰が見ても自然な動作だった。
黒ヶ峰は真守の横を通り過ぎる。肩が触れそうな距離、その瞬間だった。
「……大丈夫?」
声が小さい。
真守にしか聞こえない声で呟いた。その行動は盗聴を警戒していることを伝えるためだった。
真守は前を向いたまま答える。
「分からない」
黒ヶ峰は少しだけ目を細める。
「そう」
それだけ。誰にも気付かれない。気付かせない。黒ヶ峰はそのまま歩き去る。
だが、去り際。
本当に小さな声が聞こえた。
「気を付けて」
真守は返事をしない。
出来なかった。
ただ、その言葉だけが妙に心に残った。
生徒会室を見渡す。
閉ざされた会長室、黙り込む役員達。息苦しい空気。ついこの前まで、ここは正しい場所だと思っていた。問題を解決する場所、誰かを助ける場所、そう信じていた。
だが今は違う。何かがおかしい。確実に、何かが狂っている。
真守は小さく息を吐く。
そして、生徒会室を後にした。
扉が閉まる。
その音だけが妙に大きく聞こえた。




