予算取り合い騒動! 生徒会vs軽音部 -06-『勉強会』
俺の家――というより、俺と俊太が暮らしている学生寮の一室に戻るまでの道中、神原はずっと「勉強会」という単語を繰り返していた。
どうやら本気らしい。
俺としては、あくまで形式上のもので、適当に教科書を広げて駄弁って終わるくらいに思っていたのだが、神原の横顔からはそんな甘さを一切感じなかった。
隣を歩く真琴も、流石にその気配を察したのか、途中から露骨に口数が減っていた。
「……なぁ健」
「なんだよ」
「今からでも逃げねぇ?」
「俺の家に向かってる途中でそれ言うか普通」
神原がぴたりと足を止める。
嫌な予感がして振り返ると、会長様はにっこりと微笑んでいた。
少し怖い。
「秋村くん?」
「は、はい」
「逃げるの?」
「いえ全然」
即答だった。
真琴のこういう切り替えの早さは見習うべきなのかもしれない。
寮に到着し、俺は鍵を開けて部屋の中に入る。
築年数の古い男子寮特有の、微妙に湿気たような匂いが鼻についた。
「お邪魔しまーす」
「……へぇ」
神原が珍しそうに部屋を見回す。
真琴は勝手知ったるなんとやらで、靴を脱ぐなり一直線にリビングへ向かっていった。
「うおっ、健! 冷蔵庫にプリンあるぞ!」
「それ俊太のだ。食うなってメール来てたぞ」
「逆に振りだろそれ」
「んなわけないだろ」
俺が荷物をソファに放り投げると、神原は几帳面に鞄をテーブル脇へ置いた。
そして部屋をぐるりと見渡して、ぽつりと呟く。
「……思ったより綺麗なのね」
「それ、遠回しに俺のこと馬鹿にしてるか?」
「違うわよ。ただ、男の子二人暮らしってもっと酷いものかと思ってたの」
「俊太が変に細かいんだよ。散らかってると勝手に片付けやがるし」
「へぇー。あいつそういうとこあるよなぁ」
真琴はそう言いながら、もう既に他人の家みたいにくつろいでいる。
ソファに寝転がるな。
「ほら、まずは勉強道具出せ。テスト範囲なんだったっけ」
「英語と数学と現代文、それと化学基礎だったかしら」
「うわ終わった」
「まだ始まってもいないだろ」
机を囲むようにして俺達は座った。
神原がノートを開き、真琴が教科書を適当に積み上げ、俺はため息を吐く。
「で、どっからやるんだよ」
「まずは数学ね」
「却下」
「却下じゃありません」
ぴしゃりと言い切られた。
会長モードである。
「有島くん、あなた前回の数学、何点だったか覚えてる?」
「……四十七」
「赤点ギリギリじゃない」
「ギリギリセーフとも言う」
「言いません」
神原は即座に切り捨てる。
その隣で真琴が腹を抱えて笑っていた。
「お前は?」
「八十二」
「なんでお前そんな取れんだよ」
「いや、授業聞いてりゃ何となく分かるだろ」
「その“何となく”で理解できる側の人間の言葉は参考にならん」
神原が「静かに」と言いながら教科書を開く。
そこから始まった勉強会は、思っていたよりずっと真面目だった。
「だからこの公式に代入して――」
「待て待て待て。なんでそこでその数字が出てくる」
「途中式飛ばしすぎなのよ」
「え、ここって飛ばしてよくないか?」
「秋村くん基準で話を進めない」
神原は教えるのが本当に上手かった。
真琴みたいに感覚で説明しない。
どこで躓くのかをちゃんと理解して、一つずつ順番に言葉にしていく。
勉強嫌いの俺でも、なんとか食らいついていける程度には。
「……お前、教師向いてるんじゃね?」
「そう?」
「少なくとも真琴よりは百倍分かりやすい」
「なんだとコラ」
真琴が不服そうに口を尖らせる。
しかし神原は少しだけ嬉しそうに笑っていた。
そんな感じで勉強会は続いていき――。
気づけば時刻は夕方近くになっていた。
「……疲れた」
「まだ英語残ってるわよ」
「嘘だろ」
机に突っ伏す俺の前で、真琴がケラケラ笑っている。
こいつだけ妙に元気だ。
「そういやさ」
真琴がふと思い出したように口を開いた。
「マギスラのことだけど、あと二人どうすんだ?」
「あー……」
現実に引き戻される。
そうだ。勉強会ですっかり忘れかけていたが、俺達にはメンバー問題が残っているのだ。
「俊太が捕まれば理想なんだけどな」
「アイツが素直に協力するとは思えねぇ」
「それは俺も思う」
神原は少し考えるように視線を落とした。
「他にゲームが得意そうな人はいないの?」
「うーん……」
俺が腕を組んで悩んでいると、真琴が露骨に嫌そうな顔をした。
「……いや、一人だけ心当たりはある」
「誰だよ」
真琴はしばらく言い淀んでから、諦めたように口を開く。
「応援部の部長。九条葵」
「応援部?」
神原が首を傾げる。
まぁ、神原は応援部と接点がないんだったか。
「校内の厄介事に首突っ込んでく変な部活だよ。俊太が入り浸ってるところ」
俺がそう説明すると、神原は「ああ……」と何か納得したような顔をした。
絶対ろくでもない想像してるだろ。
「九条って、ゲーム上手いのか?」
「めちゃくちゃな。前ゲーセンで格ゲーやってんの見たけど、対戦相手全員ボコボコにしてた」
真琴はげんなりした様子で肩を落とす。
「ただまぁ……あんま関わりたくねぇんだよなぁ」
「苦手なのか?」
「応援部の連中って独特なんだよ。悪い奴らじゃねぇんだけど、なんか調子狂わされるっつーか……」
それには少し納得した。
俺自身、応援部については噂程度しか知らないし、九条葵って名前も聞いたことがあるくらいだ。
そもそも面識がない。
「健、お前会ったことあったっけ?」
「ない。応援部自体ほとんど関わりねぇし」
すると神原が不思議そうに瞬きをした。
「でも、その人が強いなら誘う価値はあるんじゃない?」
「まぁ、実力だけなら文句なしなんだけどよ……」
真琴は露骨に歯切れが悪い。
よほど苦手意識があるらしい。
「なんだよ。お前でも苦手な相手とかいるんだな」
「うるせぇ。ああいう静かなタイプ、逆に怖いんだって」
そんな馬鹿みたいなやり取りをしていた、その時だった。
ガチャリ。
玄関の扉が開く音。
「ただいまー」
間延びした声。
聞き慣れた声に、俺は反射的に顔を上げた。
「……俊太」
リビングへ顔を出した峰本俊太は、そこで固まった。
俺と真琴と神原。
三人並んで机を囲んでいる光景を見て、目を丸くしている。
「……え?」
「おかえり」
「いや、待って。なんで会長がいるの?」
「色々あってな」
「色々で済ませるには状況がカオスなんだけど」
俊太は数秒黙り込み――。
「……もしかして、僕がいない間に世界滅んだ?」
真顔でそんなことを言った。
「安心しろ。滅んでるのはお前の平穏だ」
「うわ、嫌な予感しかしない」
俊太は荷物を置きながら、露骨に警戒した目を神原へ向ける。
一方の神原も、じっと俊太を見ていた。
「峰本くん」
「……何ですか、生徒会長サマ」
「話があるのだけど」
「帰っていい?」
「ここお前ん家でもあるだろうが」
俺のツッコミに、真琴が吹き出す。
そして神原は静かに立ち上がると、俊太へ向かって真っ直ぐ言い放った。
「マギアスラッシュオンライン、得意なんでしょう?」
「…………は?」
俊太の顔から笑みが消えた。
部屋の空気が、少しだけ張り詰める。
――どうやら、面倒な夜になりそうだった。




