第10話 女官の助言
「え? フェルマー様が……ですか?」
シャーロットは驚きのあまり目を瞬かせた。
他の人間から見たらミエミエに怪しい事この上ない三人組……の内の一人の名前でも、シャーロットにとっては晴天の霹靂だったらしい。マールはさらに念を押す。
「ええ。怪しい候補ナンバーワンだと思いますが、王妃様はどう思われますか?」
「で、でも。わざわざご機嫌伺にまできて下さるのに。そんなに嫌っているのなら、私には会いたくないものではないのかしら……」
そう言いながら、嫌われているかもしれないと思っているだけで、シャーロットの表情は曇る。そうでなければいいと、願っている表情だ。
それを見たマールはシャーロットには計り知れない微妙な笑いを浮かべて、瞬時に打ち消した。それはエヴァンがシャーロットに向けて浮かべる種類と同じものだった。つまり、生暖かい目。
――人は平気で嘘をつき欺くというのに。
貴族社会というのは嫌いな人間相手でも、平気で微笑みを浮かべて談笑し、腹の探り合いをする。
それがわからないのが、この王妃様の魅力なのだろう。よっぽど愛し愛されて生きてきたらしいと、マールは思う。
「一応、エヴァンジュール王女様からは、そういう事に関してはシャーロット様に事細かにご報告するようにと申し付けられております」
「ええ……」
「ですから。女官内での一番の噂話と、今現在の状況を考えての"苦言"とでも思ってください。ネタ元は諸事情によりお教え出来ませんが、判断するのはシャーロット様ご自身です」
「そ、そうなのですか? 皆さん情報通なのですね」
「それはそうですよ。身の回りの世話をしているのは私達女官なんですから、色んな事を知ってます」
使用人をモノ扱いし、居ないものとして見下し、身分の違いが人非ざる貴族もいるが、下働きの者がいなければ貴人の身の回りは回らない。まさに空気のような存在だ。
「そうですね。皆さんにはいつもお世話になってます……ありがとうマール」
そう言ってシャーロットはにっこりと笑い、陛下へ礼を取るのと寸部も変わらないうやうやしいさで、マールに対してもお辞儀をする。素直に何かをしてもらえば、感謝の言葉を返すのはシャーロットには当たり前の事だった。
この裏表のない素直さに、何かしてあげようという気にさせられてしまうのも、それもまたシャーロットの魅力の内の一つだろう。無垢で無力な赤子をついあやしてしまうような。だからこそあの癖の有りすぎる王女様が、シャーロットを前にすると毒気を抜かれ、彼女なりに気にかけている……というのがマールの見解だ。
「普通の女官同士の何気ない会話から、噂話が一人歩きしたり……中には側付きの使用人を買収して弱みを握ろうとする事もあるんですから、くれぐれもお気を付けください」
あまりの危機管理のなさに気を引き閉めろと、ついマールは助言する。政治的思惑から外れたように見えるシャーロットではあったが、どのような動きが、些細な情報が波紋を呼ぶのかは神のみぞ知る状態なのだから。
小賢しい嫌がらせはあれど、王宮内で王妃という名前しかもっていない実家の後ろ盾も殆どないシャーロットが平和に暮らせているのも一重に陛下に守られ、幸運にも王女に気に入られているからだ。
そんな事など露も知らないし、知らせるものなどいないシャーロットの反応が気になった。
――王宮の陰険さの片鱗を見て、怖じけづくだろうか?
しかし、マールの心配は全くの杞憂だった。
「確かに実家にいた時も、どこどこの子豚が十頭生まれたとか、誰さん家のお子さんは王都に行かれたとか、すぐに噂が駆け巡ってました。ひと伝手に聞いているうちに噂が大げさになったり……そのようなものなのですね!」
そう言って、勝手に自分の身近なものに例えたら、シャーロットは納得したように安心した表情を見せる。シャーロットの状態把握は、言い得て妙だ……しかし一気にスケールが庶民臭く、ほのぼのとしたものになった。
そう解釈するだけで、一気に悪意というベクトルは、ただの噂とお節介というものに下がってしまう。
「陛下のお噂だって、うちの辺境な領地にさえ響いてきたんですし……」
事実シャーロットが例の『陛下の理想とする女性のタイプ』を知ったのも噂話だった。
「……人事のようにおっしゃってますが、シャーロット様は王妃なのですよ?」
シャーロットはマールの伝えたい事が、一瞬分からず首を傾げた。
そしてしばらくしてから、その意味がわかったようにそわそわし始める。
そう、陛下の噂が届くと言うことは、その妃になったシャーロットの噂も同じように響くということだ。
「私の弱点もそんな風に噂になっているということでしょうか? 実はヴァリラン料理が苦手とか、ダンスが下手だとか……どうしましょう陛下の恥になってしまうんだわ!」
ヴァリラン料理は、羊に似た生き物ヴァリランの肉を使った、この国の一番人気の郷土料理だ。そして陛下の一番好きな料理でもある。
だからシャーロットには口がさけても嫌いだとは言えない。実家では同じ料理皿を食卓で皆と囲むという習慣があったので尚更だ。つまりは貧乏なクーゲルケラー家では、料理のお残しは許されなくて、なんでも好き嫌いしないで食べる! ということがルールだった。
「ダンスは陛下としか踊らないので大丈夫だとしても……ヴァリラン料理は陛下とお食事を共にするまでには、何とか……さ。幸いにも陛下と料理をご一緒する機会はなかなかないですし、それまでには克服を」
といいながら、みるみる萎れていくシャーロットはどうやら、陛下とお食事を共にできない淋しさの方が気になっているらしい。
「でも、シャーロット様も頑張っているではありませんか」
すかさずマールは、これ以上ややこしくなるまえにフォローを入れた。
シャーロットは彼女なりに食べようと自分が育てているハーブや野草をつけ合わせて完食するようにしていた。……料理長が聞いたのなら嘆かわしいことだが、嫌いだとか言って食べ残す事なんてシャーロットには考えもつかない。目下の目標はその付け合わせの量を減らして行く事だが料理長の味付けとシャーロットの家の味があわないのかそれはなかなか進まなかった。
小金が欲しい侍女でもそんな情報は馬鹿らしくて売ろうとは思わないに違いない……普通は。
弱みと聞いてそんなほほえましいものしか浮かばない。
そしてそんなものでも、大変重要だと考えてしまうシャーロット。
「あ!!」
そんなシャーロットが真っ青になって声をあげたので、マールは今度はまた何をいうのかと内心別の期待をして次の言葉を待つ。
「あぁもしかしたらっ……陛下に私が本当は何一つ陛下のお好みにかすりもしない人間だと言うこともばれているのでしょうか?」
侍女であるマールは空気のような存在で、見えざるものも見ている。
だから、答えを知らないか? とすがるようなシャーロットの問い。
そんな頼るような視線を、ぱちくりと音がすしそうなほど瞬きしてからそらしマールは言った。
「…………さぁ。それは陛下に直接お伺いしなければ」
「だ、ダメですっ……それだけは出来ません」
本気で困っている。
シャーロットは涙目だ。
そんな彼女を見て。
「貴女はそのままでいてください」
つい、マールは思ってしまったことを言ってしまった。
言ってしまってからどうやら、自分もエヴァン様のように自分なりのやり方で、この可愛らしい王妃様に肩入れをしてしまっていると気がついたのだった。