花束はいらない
南シナ海 第二連邦制フィリピン
ルソン島 東海岸近傍
2021年 5月16日
日付が変わって3時間が経過し、月が太陽と交代するために頭を引っ込み始めた頃。
男を乗せた老潜水艦は順調な航海を経て、ルソン島の東海岸近くに浮上した。
「無駄のないクルーズでした。感謝します」
「ふむ。こちらはカードゲームのツケがあるからなんとも言えんが・・・ リベンジしたいものだ」
甲板で艦長と握手をするが彼の顔は苦味走っている。
その後ろでは月明かりとケミカルライトを頼りにテキパキと船員達がゴムボートを準備している。
「漂流の危険があるから、十分気をつけてくれ。エンジンが無い分ね」
「お気遣いなく。ライト一本で十分です。合流時間もそろそろだし、回収する漁師は目がいいので」
「そうか。フィリピン側の監視網は南部の分裂主義者に注意を向けている。だが向こうも潜水艦に煮湯を飲まされてるから油断は出来ない。罠かもしれないぞ」
「亡命者を装いますよ。すぐに殺される確率は下がる」
船員がその時、準備完了を告げた。
2人は力強く握手し、男はボートを漕ぎ出し、艦長の艦はか細い泡を残して水面下へ消える。
30分後に買収された漁船が指定座標で合図を行い、それに返した男を見つけて回収した。
ルソン島 東海岸 港
男を回収した漁船は、他の同業者に混じって暫くの間を漁に費やし、集団よりも少し早く帰港した。
待機していた協力者の男が船長に現金と麻薬を支払い、船室の男と交換する。
「よく来たな。 フィリピンは初めて? 違う? まあいいや。無事に足をつけれたんだからな」
英語で話しかける協力者はマルス・カールセン・チゥーなる若手で華人系フィリピン人らしい。
「異国の風を味わいたいだろうが、直ぐにマニラ入りしてもらうよ。あのトラック、荷台は揺れるけど夜には着くから安心しな。警備兵か警官に呼び止められたら、台湾から来た出稼ぎってことにしてくれ。英語は喋れる? 片言か・・・ いや、大丈夫、ただしもう少し訛りを強くしてヘンテコに・・・ そうそう、それだ。じゃあ見られないうちに行こうか。服とか現金は荷台だから中で着替えてくれ」
マルスは忙しく男を車に押し込んで出発した。
荷台は恐ろしく揺れたが不思議と疲れない。
車中より見える景色は畑と小山の群れと断続的な雑木林であり、時々銀色の奇妙な建物があった。
「あのターバンみたいな建物はなんだ?」
「共産主義時代の遺産さ。大列強が支配地域を広げると避難民や移住者が山ほど押し寄せたんだ。知ってるだろ? そいつらの財産や尊厳を奪ってこき使うための集団宿舎だったとこ。民政が徐々に始まるとポツポツ閉鎖されて、統一戦争時代は文字通り収容所だった。今は改築して農機具とかの倉庫になってるな」
フィリピンの独立を保障していた米軍がオセアニア設立に伴い正式に撤退し、国交も打ち切られると当時の政権は呆気なく倒壊した。
その後に共産中国の支援を受けた政権が全土を瞬く間に席巻したが、大陸側が核秩序を掲げるユーラシアとオセアニアの圧力に混乱し、イースタシアが成立するまでに大勢の人間が安全地帯を探して惑星中を逃げ惑った。
1964年の消費保存条約で魔の四角地帯が隔離されると各国は国内の難民の処置に苦慮し、それがフィリピンでの一例だろう。
「車が少ないな」
「都市圏は多いよ。でもその通り。自国産はこのトラックみたくポンコツで不人気さ。インドとかペルシア産がいいんだ。でも二輪車ならどこが相手だろうと負けないぜ」
男は小さく頷きそれっきり黙った。
トラックは検問に引っ掛からず軽い燃料補給を経てマニラに入れた。
マニラ市街 セーフハウス
隠れ家は高速道路の出入り口より離れた場所にあるモーテルだった。
しかし、ビル群の影に入っているからか人気は少ない。
「うちの一族の所有物件さ。ただ、実入があまりにも無いから取り潰しが決まってるんだ。それまではフリーだから使いたい放題だ。あんたの仲間が色々と持ち込んでるみたいだからご自由に。シャワーと電話も繋がってるけど食事はないんだ。それは勘弁な」
「君の親類はこの仕事について知っているのか?」
「ふふ、まさか。大学の悪友から麻薬密売を教わってから逮捕される度に白い目で見られてるよ。けど向こうだって土地転がしや地上げで儲けてるから似たようなもんだ。あ、これ飛ばしの携帯電話。俺への直通だから持っといてくれ。それじゃあ」
マルスのトラックは大通りの車列へ消えてしまう。
男は教えられた2階の部屋を5分程度探して見つけた鍵を使って開けた。
貧相な部屋だったがベッド下に大型トランクと着替えの詰まったバッグが隠してあり暗号ブックと小型通信装置も入っていた。
トランクのダイヤル錠を確認し、警告用のペイント弾が潰れていないか、不自然な傷跡がないかをチェックし安全を確かめた。
分解されていた拳銃を組み立て弾丸を装填し、隠しナイフの切れ味を試し終わると、次は侵入口になる場所にちょっとした細工を施して、ようやく男はシャワーを浴びてベッド下に潜り込んで眠りについた。
フィリピン西部 スールー海
イースパニア号 マニラへの航海途上
年季の入った船体のコンテナ船だが、船内や甲板で警戒しているのはアサルトライフルと防弾ベストを装備する民兵で船員は最小限しか乗っていない。
その一室でミンダナオ島を根城とするカリルト・リキシヤはコーヒーを片手に帳簿計算を行っていた。
そこへ民兵を指揮する台湾人の元イースタシア軍人が外からやってくる。
「ボス、衛星電話でマニラから連絡が来ました。揉めていた積荷の移し替えの交渉が上手く運んだようです」
「そうだろうな。賃金を弾んでやったからな。小役人は摘発シーズンの前後が急に不安定になるから困る」
「少し前に分離主義者がシージャックを試みましたからその報復でしょう。それより気になるのは買手の琉球人です」
「日本人と呼べ、日本人と。イースタシア傘下国同士で仲がギクシャクなのは知ってるが顧客なんだからな」
「現金ではなく物々交換ですよ? そのことです」
「単純に通貨の信用度の問題だ。黄金やら麻薬やらだとこっちが困る。前金代わりに受け取った無反動砲や車載重機関銃とか飛行爆弾はどれも好評だ。花束送られるよりもずっといい。オーストラリアの在庫が当局に抑えられたから新規ルートを開拓せにゃな」
オーストラリアはオセアニアの核戦略で重要な立地だったことから、兵器は唸るほど眠っていた。
しかし現在オセアニア倒壊を経て、党・反旗を翻した軍閥・共産パルチザン・復古民主レジスタンス・自由都市連合の内乱に陥っている。
武器商人が使っていた秘密の港は現在優勢な党隷下の軍に奪われ、武器は差し押さえられていた。
台湾人が唸る。
「連中は確かに賄賂を受け取りません。まともに会話も出来ない。幹部クラスは全員がニュースピーク漬けですからね。しかしボス、わざわざ直取引ですか? 新規相手に・・・」
「しょうがない。旧イースタシア製品は陸続きの連中が独占してるし、日本の・・・ 天道政府・・・? もまだ国際承認がされてない。国交は結んでるがな。それでも手柄は政府系と華人が総取りだ。あんな僻地にいるんだ、俺もビッグビジネスには噛ませてもらわんとな。それには自分が出向かんと話にならん。ただでさえ窮屈な業界だからな」
護衛隊長も黙ってしまう。
今回の話をそもそも持ち込んだのは彼の知り合いで、台湾黒社会の一員だった。
沖縄にも駐留イースタシア軍の下請けに台湾人も加わっており、そのコミュニティから繋ぎをつけてきたのだ。
飛び入りの儲け話は厄介事を必ず何処かで引き起こす。




