第16話 『自分』の重さ
side 夜神夕子
『女の子を作るのに必要なのものは、お砂糖にスパイス、それに素敵なものをいっぱい』
どこで聞いた諺なのだか何かの歌詞なのだったかは憶えていないけれど、そんなふうに言われるくらいに女の子とは『甘いもの』が好きな生き物なのだとか。
まあ、かく言う私は一応女の子のつもりではありますけど、お母様から『甘いものばっかり食べて太ったらどうするの』と圧をかけられていたので周りの同級生が食べていたようなスイーツの類はあまり食べていなかったというか……中学に上がって『給食』というものがなくなってからは果物とか栄養ドリンクくらいしか甘味らしい甘味の記憶がない気がするのですけれど。
思えばあれは『マンガを読むと馬鹿になる』と言って教育マンガだろうと四コママンガが載ってる新聞だろうと一切を遠ざけようとするのと同じようなものだったのでしょうね。
あの人は私の構成要素を自分で決めた『良いもの』だけで埋めて『良くなさそうなもの』を一切取り込ませなければ自分の思い描く理想の私に育つと思っていた節がありますもの。
ともあれ、そんな私でもやはり『甘いもの』というのは食べられる機会が不意に訪れただけで不思議と嬉しくなってしまったもの。
それを踏まえて考えに考えた結果の『日頃のお礼におはぎをどうぞ作戦』。
既製品ではなく初心者の作ったお菓子をプレゼントするというのは少し怖い部分もありましたけど、変に値段の張る高級スイーツよりも手作りの方が気軽に食べられて受け取る側も気負わなくていいだろうというシックスさんの後押しもあって意を決しての作戦決行。
昨日、あの百貨店から帰って早速、キラリさんとアトリさんから教えてもらったレシピを頼りに分けてもらった材料でおはぎ作りに挑戦しました。
その結果……
「それで……『これ』、全部自分で作ったんだ……この量を、一晩で」
「れ、練習も兼ねていたので……納得できるものがなかなかできなくて、気付いたらこんな量に……」
朝、迎えに来てくださった蓬さんに頼んで一緒に運んでもらった大容量の保冷箱。
寮部屋にあったもので、蓬さんによると本来は渓流釣りや狩りに行った時に大物の肉を入れられるようにと用意された備品なのだとか……そのおかげで、というのは責任転嫁でしかありませんけれど、容器の大きさでクラスメイトに贈るのに適切なおはぎの量を完全に見誤りましたわ。
「この前の守護者の応用技の時もそうだったけど、夕子って一度ゾーンに入った時の持続力がすごいっていうか、『練習』って話になると本当にできるようになるまで脇目も振らずやり続けちゃうんだね……いや、おかげでおはぎも最終ロットの完成度がおはぎ作り歴一日の初心者とは思えないことになってるけども」
「ひ、日頃のお礼にと皆さんに配るつもりでしたけれど……その、作ったはいいものの食べきれない量になってしまいましたので、食べるのを手伝ってもらえたらと……」
「業者さんの入荷品みたいな量だもんね……私たち全員で分けても一人何個ノルマになるんだろこれ。いや、食べようと思えば食べられるだろうけど、お昼の給食が入らないかも」
教室に着くまで中身がおはぎだと知らずに運んでくださった蓬さんも、いざ蓋を開けて中に何層もギッシリのおはぎに困惑気味。
その反応で私が自分自身の失態を悟ったのとクラスの皆さんが明らかな動揺を見せたのは同時でしたわ。
いくら女の子は甘いものが好きと言っても、さすがに適量というものがあるもの。
そこまで日持ちのするものでもないのに、一日でこんなに作りすぎてしまうなんて……どうしましょう。
「あ、みんな無理しなくても残ったら僕が食べるから気にしなくていいよ。あと、こんなにあるなら先生たちや社長にも渡したら?」
内心で頭を抱え始めていた私に助け舟を出してくださったのは、ドラゴン形態の名残りの角と翼と尻尾が特徴的なニドラさん。
「ニドラさん、そんなにたくさん食べますの?」
「あー、そうだね。一応は『怪獣』なリーナもいい勝負だけど、ニドラはそのリーナを越えてクラスでは一番っていうか、今は少女体だけど本来はドラゴンだからね。本気で大食いチャレンジしようと思えばトン単位でも足りないくらいには食べられるでしょ」
……そういえば、そうでしたわね。
私があの独立軍に属していた時も何度か移動手段として背中に乗せてもらいましたけど、ニドラさんの本来の姿は怪獣のような大きさのドラゴン。
道中で目にした食事の量もテレビで見た動物園の大型動物の餌やりみたいでしたわ。
しかし、それなら……
「あの、ニドラさん……いつもの給食は私たちと同じくらいの量でしたけど、もしかしてすごく我慢しているのでは?」
「いや、そういうわけじゃないよ? ほら、こうやって少女体でいる時はそこまでエネルギー消費しないし。そうでなくてもサイズ変更で調節できるからさ。昔は進化が足らなくてできなかったからいつもたくさん食べてたけど、今は特別に大仕事でもしなければ山ほど食べなくてもいいし、食べようと思えばある程度エネルギーとして溜めておけるから食べられるってだけだし」
「なるほど……それなら遠慮なく、作りすぎた分はよろしくお願いいたしますわ」
「オッケー。ちなみに僕は食べ物の質にはあんまりこだわりないから、僕に残す分は気にせずみんなには一番いいやつあげちゃっていいよ」
自分で食べきれないほど作ってしまった『習作』も山ほど持ってきてしまった私にはありがたい話。
ニドラさんには少しだけ申し訳ないけれど、最初の方に作った不格好なおはぎはクーラーボックスの下の方に残して、最新の出来のいい方から包みを取り出して教室にいる人数分を机の上に。
そして、クラスのみなさん一人一人に品を手渡して、改めて頭を下げますわ。
「では改めまして……日々のお礼に。あと、この前の妖怪退治では大変ご迷惑をおかけしてしまったので、遅ればせながらそのお詫びも兼ねまして」
「お詫びの必要とかは別にないけど、おはぎはありがたくいただくね。ほら、みんな。こういう時は手を合わせて『いただきます』っていうのが日本式だよー。せーのっ」
「「「いただきまーす」」」
「お、お粗末様ですわ……」
蓬さんの音頭に合わせて『いただきます』と言ってくれる皆さんに恐縮ながら定型句を返して、皆さんの反応を見る。
内心ではドキドキの私の前で包みを開いておはぎを食べた皆さんの感想は……
「ん、思ったより普通においしい。本当に初めて作ったの?」
「はわわっ。これ、隠し味が独特の組み合わせですね、勉強になります」
「ねえねえ、夕子。これ、おかわりもらっちゃっていい? あと三個くらい食べるから。ていうか毎日食べたいくらいなんだけど、また作って来てくれる?」
自分で納得のできる味になるまで作り続けただけあって不味くはないはずだとは信じていましたけど、反応は予想以上の好評。
ベルシィさんに至ってはあっという間に最初の一つを食べきっておかわりを求めていますわ。
「は、はい! いくらでも! 毎日でも作ってきますわ!」
「ベルシィちゃん、それはちょっと図々しいっていうか欲張りすぎ……これ、お金取れる味だからね」
「うーん、そっか……夕子、一個発注するのにペリカンコインどのくらい払ったらいいのかなこれ」
「え、ええっ!? そんな、こんな初心者のお菓子にお金なんて……」
ノンさんに言われて本格的におはぎの代金を支払おうと考え始めるベルシィさんを慌てて止めながら、他の皆さんも満足しているらしい反応を確認してホッと一安心。
と、思ったところで……一人だけ、おはぎを口に運ぶことなくマジマジと見つめているクラスメイトがいることに気付きましたわ。
「あの……ミュジカさん? もしかして、そのおはぎに何か変なものでも付いていましたの? 交換が必要なら言ってくだされば……」
「い、いいえ! そういうわけではないのだけれど……お気持ちだけはいただきますけど、お菓子は遠慮させてもらおうかと」
「……へ?」
「ベル、申し訳ないのだけれど、おかわりの前に私の分を食べてくださいな」
「んー、別にいいけど。一口くらい食べてみたら?」
「…………勘弁して。本当に切実に」
両手を壁にして、きっぱりとお断りの姿勢を示すミュジカさん。
結局、すぐに午前の授業が始まってしまい、彼女だけは私のおはぎを一口たりとも食べてはくれませんでしたわ。
千里さんから基本的な社会常識や特殊な能力に頼らない問題解決の方法を学ぶ『社会順応』の授業を受け終えて、昼の給食の時間。
オススメの空気肉ハンバーグ定食を食べながら、どうしても考えてしまいますわ。
「私……ミュジカさんに嫌われているのでしょうか……」
正直、心当たりがないとは言えない。
何せこの間の妖怪退治では私のせいで全滅しかけて恐竜像に丸呑みにされていたのだし、それがなかったとしても……私は『テロリスト』だったわけで。
記憶にない時期に、あるいは私自身が認識していないだけで、どこかで多大な迷惑をかけた可能性も大いにあり得る。
下手をすれば敵軍だったり、冗談抜きで親の仇だったりもするかもしれない。
そう思うと、普段はそういうのを態度に出さないだけで内心では嫌われていたんじゃないか……そんな考えまで湧き出してしまって……
「『もしかして私、本当はめちゃくちゃ嫌われてるんじゃないか。Cクラスの仲間として本当は認められてないんじゃないか』……って、そんな顔してるね」
「ベ、ベルシィさん!?」
考え事をしながら給食を口に運んでいた私にかけられた声。
そこにいたのは、いつの間にか私の横顔を覗き込んでいたベルシィさん。
「あはっ、勝手に考えを読んじゃってごめんねー。部隊では諜報担当だったから、その頃の癖でさ。でも、話が拗れても面倒だし誤解はさっさと解いちゃった方がいいかなって」
「誤解、とは……」
「ほらあれ、ミュジカの給食見てみ?」
言われて見てみたミュジカさんの今日の給食は……選択制の中でも一番ヘルシーそうな『ベジタリアン定食』。
彼女が菜食主義というような話は聞いたことがありませんし、前に見た時は普通に空気肉のハンバーグとかを食べていたような……
「ミュジカー! それでホントに足りてるー? ボクのハンバーグわけてあげよっかー?」
ベルシィさんの唐突な呼びかけにピクリとするミュジカさん。
それから、数秒間プルプルと全身を震わせて……
「ベル! 普通こっちがダイエット中なのをわかっててそんなこと言う!?」
「ダ、ダイエット……ですの?」
「うん、ライブが近付いてるからねー。ある意味じゃ恒例行事みたいなやつ」
……そういえば、ベルシィさんとミュジカさんってアイドルなんでしたわね。そのお仕事で学校に来ない日もありましたし。
けれど……
「あら? でも、ベルシィさんは普通におはぎもお肉も食べていますわね? それもかなり大盛りで……」
私がそうやって疑問を呟くと、またプルプルと震えるミュジカさん。
そして、彼女は涙目で叫びましたわ。
「本当に私もベルみたいに太らない体質だったらよかったと思うわよ! でも……すごく太りやすい体質だから仕方ないでしょぉ!」
「あっ……それは、なんと言いますか……ごめんなさい」
朝のおはぎに『勘弁して』なんて言われてショックではありましたけど、ミュジカさんの今の顔を見れば本当にダイエット中にお菓子の差し入れなんて『勘弁して』としか言えませんわよね。
「ボクはもう少し食べてもいいと思うけどなー。ガマンしすぎてコンディション崩すのもダメでしょ? ミュジカはストレス溜め過ぎたらそれはそれで体調崩しやすくなるタイプだし」
「それはそうなんだけどぉ……本当は食べたいけど、カロリーがぁ……」
頭を抱えて机に突っ伏すミュジカさん。
そして、しばらく唸った末に、ばっと顔を上げて私を見つめて声を上げましたわ。
「夕子さん! おはぎを受け取る代わりに条件があります!」
「は、はい!?」
「明日の朝、ランニングに付き合って! そうすればカロリー相殺で罪悪感なく食べられるから!」
「は……はい?」
翌朝、いつもの登校時間よりもかなり早い時間。
指定された待ち合わせの場所に、護身術の訓練の時にも使っている運動着でやってくると、同じく運動着のミュジカさんが準備運動をして待っていましたわ。
「夕子さん、こんな朝早くから付き合ってくれてありがとう。やっぱりこういうのは誰かとの約束って形にしないとなかなか頑張れないから」
「いいえ、それは構わないんですけども……こんな場所がありましたのね」
約束の場所は、私たちが通う教室のある校舎の裏。
この『本社区画』は壁に一体化した出入り口の役割を持つ事務所以外の社内施設が中央の広場を囲むように並んでいて、普段は広場側を通れば寮と学校を行き来するにも不便はないので利用したことがない社内施設の裏側。
校舎裏から入れる『社内施設』と『壁』との隙間には小道があって、そのルートは壁沿いにこの本社区画をぐるりと囲む円になっているようですわ。
「警備面を考えると、壁と施設を直結するよりもこうして視界と射線の通りやすい通路を確保しておいた方が夜間警備ゴーレムも単純な巡回プログラムで済んでコストがかからないし、各施設の搬入口としても利用できて便利だから。それに、こうやって程よいランニングコースにもなりますしね」
「程よい……えっと、この本社区画を一周するのですわよね?」
「ええ、壁沿いのコースを一周するルートで、おはぎのカロリーなら……とりあえず、軽く10セットくらいはしておきたいかしら」
「…………が、がんばりますわ」
……五分後。
予想はしていましたけども……
「ぜぇ、ぜぇ……わ、わきばらが……脇腹が痛いですわぁ……」
「き、基礎体力……基礎体力がない! え、本当にもうギブアップ!? まだ始まったばっかりなのに!?」
これでも、私としては限界まで頑張った結果ですわ。
ミュジカさんのペースに置いていかれないようにする内に長距離のランニングのはずなのに短距離走みたいな気持ちで追いすがっていましたけれども。
「夕子さん、舞踊のプロだしこのぐらいのペースなら軽くついてこられるかと……いや、ホントなんで? 舞台の上でパフォーマンスをする人間なら体力作りは必須でしょ?」
「ぜぇ、ぜっ、げほっげほっ……そ、そうなんですの?」
陸上選手とかならともかく、舞台の上でランニングやアクロバットな大道芸の類を見せるわけでもない舞踊家が体力作りをしているはずというのは私にとって繋がらない思考だった。
けれど、ミュジカさんは当たり前のように語る。
「だって、人間はスタミナが一定割合を切るとどう頑張っても動きに精彩を欠くものでしょう? 単純作業の仕事ならともかく、動作の『質』が命の舞台の上で観客に疲れを気取られるような雑な動きはパフォーマーにとって禁物……だからこそ、まずはしっかり基礎体力を付けてスタミナの最大値を高くしておくのは常識じゃないのかしら?」
「し、知りませんでしたわ……そんな考え方があるなんて」
「なら……前世ではどうしていたの? 夕子さんの戦い……守護者を操る『舞い』の質はとても素人ではなかったけど、パフォーマーとしての基本を知らないというのはチグハグに感じるというか……」
前世ではどうしていたか、なんて問われても。
私にとっては『それ』が人生の当たり前で、こうして違う考え方があるのを知って自分のしていたことが『どうしていた』ということになるのかを初めて言語化するようなものなのだけれど……
「……どんなに疲れてても、それを表に出さないようにしていただけですわね。練習を続けていて動きが悪くなるのは、練習が足りないから、真面目にやってないから集中力が続かないんだと言われて……最初はそれで怒られ続けていたけれど、その内、疲れていても構わずにお稽古を続けていれば、いつの間にかすぐに『元の動き』ができるようになるのに気付いて……」
「……そうなると、失敗もしなくなって怒られなくなった?」
「……はい、多くの場合は。それで、それが練習の成果だと、ずっとずっと、振り付けにある動作をひますら繰り返して、こういったランニングみたいな激しい運動は、時間の無駄だしケガをするかもしれないからするなとて言われていて。体力測定なんかも全然ダメだったけれど、踊りのお稽古の時だけは疲れを感じないようになって……」
私がそう言うと、目を瞑って考え込むミュジカさん。
そして、深くため息をついて、こう言いましたわ。
「……『クライマーズ・ハイ』。それか、その状態によく似た状態に、舞踊の時だけ自己暗示みたいなのですぐ入れるようになってるってことみたいね」
「『クライマーズ・ハイ』……?」
「本来は戦場の兵士とか極限状態の登山家なんかが陥りやすい状態のはずなのだけれど、自分自身の疲労や体内の異常を感じ取れなくなって『なんだか急に調子が良くなった』という錯覚をしてしまうという危険な状態です。『山』なら登ったら降りなければいけない、そのために無理をしてでも帰ることができるだけの余力を作るという生存のための機能なのかもしれないけれど……夕子さんはそれを、日常的に、『毎日のお稽古』でやってしまっていたと」
「それは……なにか、いけないことなのでしょうか? 疲れで動きに精彩を欠いてしまうのが問題なら、疲れても万全の時と同じ動きができるのなら問題ないのではありませんの?」
「問題はあるわよ。『疲労感』がなくなっても『疲労』そのものがなくなるわけじゃないんだから。本来、『疲れた』って感じるのは身体が休養を必要としているから。それを無視しているんだから、結局は自覚できない無理をしているだけ……ベルシィも『狂戦士』として戦う時にはたまにやってたことではあるけど、その時だって必ず時間制限を付けてた奥の手よ。それを毎日長時間だなんて……」
「…………」
「なのに基礎体力を付けることなく、むしろすぐにクライマーズ・ハイを引き出せるようにスタミナの最大値を削る方向性を『いい方向性』だと無意識に学習してしまっていたなら……」
「『無理をすればスタミナが減る、スタミナが減れば簡単にクライマーズ・ハイに入って無理ができる』。それを繰り返した結果が……私、ですのね」
普通は、過労で死ぬなんてそうそうないこと。
『死ぬ段階』まで行ってしまう前に、どこかで倒れるなり身体が言うことを聞かなくなるなりで異常を感知される……子供なら、なおのこと。
けれど、私はそうならなかった。
それは、私が幼少期から少しずつ『無理に頑張ること』を当たり前にしすぎていたから。
登った山から降りるためどころか、疲れを感じなくなったのをこれ幸いとしてさらに登るのを繰り返して、本当の限界で糸が切れたように死んだ。
そして……
「疲れも、恐怖も……『守護者』を使う時にも……」
きっと、あの世界が『見えない地雷原』に変わる瞬間のあの感覚。
舞いの振り付けに『入る』あの感覚の中で守護者を使っていた時は、上手く扱えていた。
守護者が上手く扱えなくなったのは……一度、本当に殺されたかと思ってしまうようなショックでその感覚が遠くなっていた時に、急に『舞いに入る感覚』を経ずに守護者を出してしまったから。
私の守護者は『恐怖』の表現。
私がそれを冷静に表現できていたのは、クライマーズ・ハイに近い自己暗示で『舞台の上にいる自分』を作っていたから。
だとするなら……私がまた、前と同じように守護者を使おうと思うのなら……
「……計画変更。夕子さん、ここからはランニングと一緒にウエイトトレーニングを手伝って」
「え? あの、私、ランニングだけでも足手まといにしかならないのに……」
「うん、だからこうするの……っと」
あっという間に腕を掴まれて、一本背負いを途中でやめるみたいにして背中に乗せられたかと思うと、両脚をミュジカさんの腰の辺りで腕に絡め取られる。
「へ? あの、これは?」
「首に手を回して落ちないようにして。このまま走るから」
「わ、私、オンブされてますわよね?」
「そ、これなら効率よくカロリー消費できるし夕子さんのお手伝いはそれってことで」
お手伝いどころか、実質ただの重石。
足手まといを越えて文字通りのお荷物扱い。
けれど……
「行くわよー。いっちにっ、いっちにっ」
ペースが速い。
私と一緒に走っていた時よりもさらに速いくらいのスピードで、私みたいにすぐへたれることもなく壁沿いのコースを走り続ける。
「す、すごいですわ……ミュジカさんって、こんなに運動できましたのね」
「コンビ組んでるベルシィと比べられると大したことないって話になっちゃうし自慢できないのだけれど、これでも軍の特殊部隊員でしたし。暗殺任務とかもさせられてたし、兵士としての一通りの技能や基礎体力は当然ありますよっと」
「軍の特殊部隊……暗殺任務……」
蓬さんの話を思い出す。
昨日の私は『元テロリスト』として嫌われているかもしれないと思ってしまったけど、そもそも私たちCクラスの人間はみんな何らかの前科を持っているのだと。
そして、詳しくは聞かなかったけれど、ベルシィさんとミュジカさんが属していたという『軍』というのは……
「……ミュジカさんたちは、『ガロム正規軍』の裏側の組織で……」
「そう、『闇市』なんて呼ばれてる軍の暗部の煮凝りみたいな組織の中で、『素晴らしき子供たち計画』なんて馬鹿な名前のプロジェクトのために集められて、蹴落とし合いやスキルの奪い合いまで含めた『選抜』を生き残った五百人の子供の内の生き残り……ベルシィも同期だけど、他は大体死んだわ」
「…………壮絶、ですわね」
「残念ながら、そんな格好いい言葉は似合わない、計画した方も計画に使われた方も馬鹿過ぎてどうしようもなかったってだけの話よ……なにせ、最後は暗殺任務にかこつけて、手柄を取り合って裏切り合ってほぼほぼ自滅で終わったんだから。ちなみにその時の一応の優勝者が誰かと言えばベルシィで、私はベルシィに後ろから斬りつけられて脱落の準優勝だったけど運よく蘇生が間に合ったってだけ」
「…………」
最初は、五百人の子供。
それが、最後にはたった二人……しかも、その片方はもう片方に背中から斬られて終わった蹴落とし合い。
その過程も壮絶、というよりも悲惨なものだったというのは想像に難くありませんわ。
「あ、ちなみに。その最後の暗殺任務の対象が社長サマ」
「それで、お二人も戦英プロに……社長サマに、助けてもらえたんですのね。あの人は、敵だったミュジカさんたちのことを……」
「死にかけてたところを無理やり蘇生されて、そのまま片手で掴み上げられて、その時は敵だったノン相手の肉盾にされたわ。『生きてる味方は撃てないでしょう』って言いながら」
「……はい?」
「その後は撤退中も盾にされ続けて、そのまま捕虜になった後は治療費もタダじゃないからって『好きな殺され方を選んでください』みたいなことも言われたわ、実はすごいオススメしたい……やってみたい殺し方があるんです、みたいなノリと笑顔で」
「……えぇぇ?」
ドン引きですわ。
いえ、まあその時は単に敵組織の人間でしかなかったのでしょうけども。
私だって何か間違えば戦場で捕虜になって殺された方がマシと思うような拷問を受けたりした可能性もあるわけですし。
「まあ、そこからいろいろあって、治療費を返すためとか将軍への対抗策の一部としてのプロジェクトとかでベルシィと一緒にアイドルをすることになって、それがなんだかんだ上手く行って今も活動し続けてるんだけど……改めて考えると、未来の自分なんて常に想像できないような生き方してるわね私」
「人生の転機……と言っていいのかわかりませんけど、社長サマとの出会い方も『肉盾』ですものね……最初は社長サマのこと、怖がったり嫌いだったりしましたの?」
「……いいえ、それはないわね。あの時の私は、肉盾にされた事自体は何もおかしいと思わなかった……私の人生なんてそんなものだろうだって、むしろ分相応の末路だって納得すらしてた気がするわ」
「…………」
「命が軽かったから……命は軽いものだって思ってなきゃ、同じ『素晴らしき子供たち計画』に参加して同期として寝食を共にした子たちと殺し殺されの蹴落とし合い裏切り合いなんてできなかった……そうできない子から死んでいったから、自分の命も他人の命も軽い人だけが残って、『命が軽い世界』になってたから」
「…………」
「けど、本当はそうじゃない。それは『世界の真実』じゃなかった……少なくとも自分自身にとって自分のことは重くて大きな、重大なことじゃないといけないの」
ミュジカさんは、私の脚にかかる腕の力を強めて、私をしっかり支えながら言葉を紡ぐ。
「自分の命を重く見て、自分の重みを知って生きようとするのは大事なことだから……意外と、人間って重くて、それを忘れると転んだり落ちたりして、動けなくなっちゃうから。心も、身体もね」
背負われている私から、ミュジカさんの顔は見えない。
けれど、私には彼女が少し俯いているように見えましたわ。
「昔……無理に頑張りすぎて、足を挫いて、そのまま死んだ友達がいるの。その子もギリギリまで無理を自覚しないタイプだったわ」
「足を挫いて……そのまま死んだ……?」
「スラム暮らしをしてた頃よ……『素晴らしき子供たち計画』の素材はみんな似たり寄ったりだけど、そういうパン一切れでどこへでもついていくような低層民とか、引き取り手もいない犯罪の常習犯とかだったし。ベルシィの来歴はちょっとあそこでも珍しくて……単なるスラム育ちの私なんか不幸自慢しても霞んじゃうから普段は言わないけど、私は毎日ゴミ山を漁って生きてたの」
「…………」
「地元じゃ有名な『ゴミ捨て場』よ。いらないものも、迷惑なものも、捨て子も……誰が何を最初に捨てたのかは知らないけど、何年も積もり積もったそれがちょっとした町みたいになって、みんな少しでもお金になるものを見つけてガラクタ屋に売ってなんとか生きてたわ」
何かのテレビ番組で、外国にはそういう場所があるというのは聞いたことがあった。
それは、その時の私には遠い『テレビ画面の向こう側の世界』のように聞こえていたと思う。
チャンネルを変えて出てくるステージの上で歌って踊る『アイドル』もまた、テレビ画面の向こう側の住人だったように。
「そんな場所ではよくある話よ……『頑張り屋』な子供が、他の子が危ないからゴミ拾いを控える夜中や雨の日までゴミ山を漁っていて、足を滑らせてゴミの谷へ落ちて、そのまま足を挫いたり鋭いゴミに刺さったりして這い上がることもできずに体力や血を失って、他の人が見つけた時には冷たくなってるなんて。人間って……自分で思ってるよりも重いから。打ち所が悪いと、自分の体重だけでも壊れるし動けなくなるの」
「…………」
「……よく『お金を貯めて、いつかドレスを買う』って言ってたわ。ゴミ山の中で見つけた絵本にね、私たちみたいなボロを着た女の子が、ドレスを着てお城へ行って、貴族の王子様が迎えに来てくれる物語があったから……文字は読めなかったけど、綺麗なガラスの靴が出てくるの」
「……『シンデレラ』、ですわね」
「そう……私も、ここで学校に通えるようになってからちゃんと知ったんだけどね。あの頃は文字も読めなかったし、都合のいい魔法とか運命とか、そういう物語のお約束みたいなものも知らなかったから……単純にね、本の内容を『どうやってでもドレスを手に入れて綺麗になれば、かっこいい貴族様がお嫁さんにしてくれて綺麗な場所で暮らせる』ってことだと思ってたの。本当にそのまま生きるのに使える知識の本とフィクションの物語の本があるって区別すらちゃんとできないくらい学もなかった。それで、あの子はその本で手に入れた『夢』のために特に頑張ってた……私も同じくらい本気で夢を見れてたら、あの雨の日も一緒にゴミ山を漁りに行ってたかもしれないけど、そうじゃなかったから一人で行って、帰って来なかった。次の日、案の定ゴミ山の谷で冷たくなってたわ」
「…………」
「どうせ、そこまでやってお金を貯めたってドレスなんて一生買えなかっただろうし、たとえ買えてもそれだけであそこから抜け出せはしなかった……あの子を『馬鹿な死に方をした』なんて思わないわ。学がなくて、どうやったらスラム生活から抜けられるかもわからなかった中で、それでも考えられた唯一の方法に向けて頑張ったんだから」
「…………」
「けど……ええ、悪いことではないことはわかってる、頑張れることはすごいことだって。ただ、やっぱり頑張り過ぎなくらい頑張るのは間違ってるのよ。絵本よりも前に、自分の心や身体がそれを教えてくれていたはずなのに、『疲れた』とか、『危ない』とか『怖い』とか、そんなものは文字が読めなくたってわかるはずなのに、よく無視してしまう……そうすると、人はふとした時にパタリと倒れてそのまま死んでしまうことがあるの。私はもう、そういうのは自分の知ってる人の出来事として聞きたくないわ」
「…………」
「夕子さん、あなたはあなた自身にとって、とても重いもの。重くて大きくて、いつも気を配らなきゃいけない重大なもの。けれど、他人にとっては意外と軽くて……こうして、背負って走るくらい大したことのないものだったりするの。だから、もう立てない時にはそう言ってね」
「…………はい、肝に銘じますわ」
「あと、それはそれとして普通に体力がなさすぎるので何かちゃんとした運動はした方がいいと思うけれど。クラスで体力測定したら……たぶん最年少のタカラにも負けて最下位よ?」
「そ、それも肝に銘じておきますわ……」
数十分後。
ランニングを終えて、二人で一度寮に帰ってシャワーを浴びてからの登校し、教室へ。
そして、約束の……
「わぁぁ……本当に、本当に食べていいのよね?」
「というよりも、食べてもらうためにランニングに付き合うという約束をしたような……いえ、結局はランニングに付き合うというよりも背負われてお荷物になっていただけでしたけど。一応、走った分お腹が空くかもしれないと思って多めに作って来ましたわ。残ればまた欲しい人に配ろうと思っていますので無理に全部食べなくても……」
「いただきます!」
私の言葉を最後まで聞く前におはぎを食べ始めるミュジカさん。
モグモグ、パクパク。
その食べっぷりは、作った側としては嬉しく思えてしまうような幸せのオーラを放っているようにさえ見えて……いえ、あの……
「ミュ、ミュジカさん? 無理して全部食べなくていいんですわよ? ダイエット中なのですわよね!?」
パクパク、パクパク。
我を忘れたようなペースでおはぎを食べながら幸せそうに身を震わせるミュジカさんは、私が止めるのも聞かず……
「当て身!」
「あふんっ!?」
首筋への鋭い一撃。
意識を刈り取られて机に突っ伏すミュジカさんと、いつの間にかその顔が突っ込む位置にあった残りのおはぎを横から攫っていたベルシィさん。
「まあ、こうなると思ってたよ。ミュジカったら、昔から食べられる時には限界まで食い溜めしようとする癖があるからね。ダイエットの後とか特に」
「あ、あの……大丈夫なんですの?」
「授業が始まるまでには起きるから心配しないで。さて、残りのおはぎは貰っちゃっていい?」
「は、はい。どうぞ」
私の許可を得てニヤリと笑ったかと思うと、すぐさま残りのおはぎを口に運んでペロリと平らげてしまうベルシィさん。
そして、最後にミュジカさんの口元についていたアンコを見つけて指で取って味わいながら、彼女は悪戯っぽく言いました。
「ミュジカが病みつきになるのも納得のいい甘さだけど、喜んでくれるからって甘くしすぎちゃダメだよ。頑張り過ぎるのも自分を甘やかし過ぎるのも、自分でどうかするのは大変だからね。そういう時は、周りの人がちゃんと見ててあげるのが一番ってことで」




