第15話 残酷だけど優しい言葉
side 夜神夕子
『喉元過ぎれば熱さを忘れる』。
日本には、そんな言葉がある。
実際、熱い飲み物や汁物だって舌を火傷することはよくあっても喉を過ぎたものはどれくらい熱かったかすぐにわからなくなってしまうのだから、それは正しいのだろうと思う。
けれど、それはあくまで『飲む』時の話。
逆に、自分の内側から吐き出した感情に関しては、言葉にしてみるまでもっと冷静に話せると思っていても口から出たら意外なほどに熱が入っていることもある。
喉元を過ぎて、熱さを知る……自分の本心というのは案外、喉を過ぎてからその熱量を自覚できるものなのかもしれない。
とはいえ……
「お、お恥ずかしいところをお見せしましたわ……シックスさんやキラリさんもいる前だというのに」
やはり、熱くなっていた時の自分の振る舞いというのは冷静になってみると恥ずかしくなるもの。
ましてや、いい歳をして人前で幼い子供のように涙を流してしまうなどかなりの気恥ずかしさですわ……最近の私、やたらとそういう振る舞いをしてしまっている気もしますけれど。
教室でも、社長サマの前でも、アトリさんの前でも。
私はこんなによく泣くタイプだったかと疑問に思いますけれど、そもそも転生前からあの砦までの期間で思い返してみても、祖母が倒れてから泣きつける相手もいなかったので涙を堪えて耐えていた記憶はたくさんあっても涙を流した記憶はなくてよくわかりませんし。
最近、自分が自分自身で思っていたよりも子供っぽい人間なんじゃないかと思うことが多くて情けなくなりますわ。
「改めて、みっともないところをお見せしましたが……私は、アトリさんのことを恨んではいませんわ。なので、これからはあまり避けないでもらえると助かります」
「ニャ、ニャハハ……いや、それは本当にごめん。あと、この前の子供化のマカロンのこととかも……」
「…………はい?」
「いやニャ……夕子ちゃんに使うらしいっていうのは聞いてたから、夕子ちゃんがみんなと仲良くなりやすいように……ちょーっとだけ、モテモテになりやすくなる効能をオマケしたこととか……」
子供化……それで思い浮かぶものは一つしかない。
あの時は『匿名希望のAさん』なんて言われて深く考えずに誤魔化されてしまったけれど、よく考えたらそんなものを作れる能力の転生者なんてそうそういるわけもない……ましてや、特別な効果を込められていたものが『料理』ならなおのこと。
「あの時の皆さんがなんだかおかしくなってたのはアトリさんのせいでしたの!?」
「いや、本当にちょっぴりロリっ子になった夕子ちゃんがマスコット的な感じで可愛がられてくれたらニャーと思っただけで、美森ちゃんの方のお菓子まで一緒に作用する状況は考えてなくてニャ……」
「そういうアトリさんの余計なお節介というか、相手に何も言わず変な気と手を回す癖! なまじ効果が強いから後を引くトラブルになるんじゃありませんの!?」
「ニャァァ……」
そこで……『パンパン』と、手を打ち鳴らす音が割り込みましたわ。
音の主は、傍らで私たちの対面を見守っていたシックスさん。
彼女は少し呆れたような顔で私たちを見て微笑んでいましたわ。
「はいはい、話はそこまで。仲直りするのも旧交を深めるのもいいけど、食べ物を無駄にするのはよくないからね。話の続きはおはぎ作りをちゃんと教わり終わってからにしよ?」
「おはぎ……そうでしたわ! おこわとあんこは……」
「ちゃんとこっちで火は止めたし成形できるように冷やし始めてるから安心して。でも、必要以上に時間が経ちすぎちゃうと美味しくなくなっちゃうからねー」
私たちの会話の横でおはぎ作りの準備を進めていてくれたらしいキラリさん。
その様子を見て、アトリさんは私を見つめましたわ。
「夕子ちゃん、もしかしておはぎの作り方を習いに来たニャ?」
「は、はい……諸事情ありまして……」
「なら……キラリちゃん、教えたおはぎのレシピって店で出してるのと同じやつかニャ?」
「は、はい。その……ダメでしたか? 一応、戦英プロからの正式な依頼だったのでいいかと思って……」
「いやいや、心配しなくてもそういう話じゃなくてニャ。そのあんことおこわ、ちょっと手を加えていいかニャ?」
「えっ、もしかして私のレシピ、なにか間違ってましたか?」
「いや、そうじゃないけど、夕子ちゃんには店用の味とは違うアレンジの方が良さそうだから、そっちを教えてあげたくてニャ。キラリちゃんには悪いけど、代わってもらえるかニャ?」
「アトリさんは私の師匠なのでそれは全然問題ないんですけど……夕子さん専用のアレンジ?」
「ちょっとだけ、味を調節するだけなんだけどニャ。シィちゃん製の材料であの味を作るなら……お塩はあれにして……」
頭の中で味のイメージを作るように思考を巡らせながら、キッチンの調味料と追加の粉末食品をいくつか加えていくアトリさん。
そして、混ぜ合わされたそれを味見して頷いた彼女は、俵型にしたおこわにあんこを纏わせて私に差し出してみせましたわ。
「完成……これ、食べてみてほしいニャ」
見た目は、あんこに少しだけ隠し味の調味料や胡麻などが混ざっているように見えるだけの普通のおはぎ。
そもそも食通というわけでもない私が特別な感想を出せるとは思えないながらも、とりあえず言われるままにおはぎを受け取って、一口。
すると……口の中に広がった、この味は……
「この味、おばあちゃんの……おばあちゃんのおはぎ……? あの時、一緒に作った、あれと同じ……?」
「…………ニャハァ、ちゃんと再現できたみたいでよかったニャ」
「でも、どうして? アトリさんが来た時にはもうおばあちゃんは……」
祖母が脳卒中で倒れてそのまま亡くなったのは、私が幼稚園から小学校の頃。
けれど、アトリさんと出会ったのは私が中学生になってからだったはずなのに、この味は間違いなく私の思い出の中の味そのまま。
本当に、ありえないはずなのに……
「夕子ちゃんのお父さんから教えてもらったレシピニャ。まあ、こっちの材料に合わせてちょっと調整はしてるけどニャ」
「へ……? お父さんが、おばあちゃんのおはぎの作り方を……そんなの、私、一度だって……」
「……偶然、おばあちゃんの仏壇へのお供え物として作ってたから分けてもらったのがきっかけなんだけどニャ……本当は、夕子ちゃんにも食べさせてあげたいって言ってたけど、お母さんに禁止されてたらしくてニャ。甘える相手がおばあちゃんからお父さんに移っちゃうかもしれないって思ってたのかもニャ」
「…………」
「機会があったらワタシから夕子ちゃんに食べさせてあげてほしいって頼まれてたんだけど、その機会ができる前にあんなお別れになっちゃったからニャ。ちょっと強引にでもこれを作って持って行ってたら何か違う結果になったかもって、何度も考えてたんだけどニャァ」
知らなかった。
お父さんが、あの気弱で怖がりでお母様に逆らえなかった人が、裏で私をどうにかしようとしていたなんて。
いえ……知らなかっただけで、もしかしたら私とアトリさんが引き合わせてもらえたのも、本当は母の考えだけじゃなくて……
「夕子ちゃん……こういうことを今になって言うのは残酷なことかもしれない、もしかしたら嫌な言葉かもしれないけどニャ。少しだけ、聞いてほしいニャ」
「…………はい」
「夕子ちゃんは気付かなかったけど……気付かせてもらえなかったけどニャ……夕子ちゃんを見て、助けてあげたい、何かをしてあげたいって思ってた人はワタシ以外にもいたんだニャ。お父さんだったり、夜神家の人たちの中にだったり、きっと、学校の先生や同級生だったり。あの頃の夕子ちゃんは、それだけ無視できないような空気をいつも纏ってたからニャ」
……知らなかった。
私は、私自身の『普通じゃないところ』を上手く隠せてるつもりだった。
けれど……あの頃の私なんて、今よりもまだまだ若くて芸も演技も素人に近かった。だから、私が思っているほどには隠せていなかったのだろう。
ただ、周りの人たちはそれを見て見ぬふりするしかない状況にあっただけで。
「今更になってそんなことを言われてもって思うだろうけどニャ。夕子ちゃんの世界は真っ暗闇だったわけじゃなくて、輝きを隠すのが少し上手すぎただけで、掴めたかもしれない光はきっとたくさんあったと思うんニャ。夕子ちゃんがもう限界だって人前で泣き叫べば、それで運命が変わってたかもしれないくらいには」
「…………」
本当に残酷な話。
既に終わった私に、あそこでこうすればよかったのになんて突きつける文字通り致命的だった失敗への指摘なんて、余計なお世話にも程がある。
けれど、アトリさんは私に嫌われるのも覚悟で踏み込む。
「『そうできないまま死んで終わっちゃった子』の人生にそういう事を言うのは、意地悪なタラレバの話にしかならないけど……夕子ちゃんは生まれ変わって、生き直してるからニャ」
「……結局、また同じ轍を踏むかもしれませんわよ。だって、生まれ変わったと言ったって、私は私のままですもの」
「それでも……今は変われる気がしなくても、こういう考え方も持っていてほしいニャ。世界が真っ暗に見えてもそれをそのまま受け入れなくていい。足掻くのも藻掻くのも、無意味じゃないニャ。もちろん、助けを求めるのも。がむしゃらにやったら見つかるかもしれない光があるって信じてほしいニャ」
怖いことを言う。
考えるのも、想像するのも怖いことを言う。
だって……アトリさんが言っているのは、『諦めるな』ということなんだから。
光を諦めて、真っ暗な絶望の風景を世界の当たり前の姿だと思い込むことでどうにか生きていたのに……諦めるのをやめて、無駄かもしれないと思いながら、苦しいことを辛いと認めながら光を求めるなんて。
とても怖くて、怖くて……『前世の私』には絶対にできない、生まれ変わりでもしなければ一生できないことだと思えてしまう。
けれど……私は……
『ビビッ!! ビビッ!! ビビッ!!』
「特殊警報!」
「この音、在庫の冷蔵庫がある部屋から!」
突然、キッチンに鳴り響いた警報音。
鞘に収めた剣を手にするシックスさんと、音のする部屋へと駆け出すキラリさん。
彼女の手が『バンッ』と音を立てて躊躇いなく扉を開くと……
「チッ!? チクショウが!!」
目出し帽を被った『黒ずくめの男』がいた。
鍵のついた冷蔵庫の扉をピッキングツールらしき小道具でこじ開けて、中の『お菓子』を盗んでる。
まるで宝石のようなたくさんのお菓子を乱雑に手にした袋に押し込んでいる。
「この特殊警報は調節済み! お前が『靴底男』か!」
「クソッ! これでも食らえ!」
こちらへ、私へ投げつけられる何か。
それは、液体の入った瓶のようで、蓋が空中で外れて……
「えっ、あっ……」
とっさに『不明』で防ごうとして、その出力を制御するための容れ物を持っていないことに今更気付く。
あの液体は、何かの毒? もしかしたら、肌が焼けるような強い酸や爆薬?
制御不能かもしれないリスクがある容れ物なしの守護者を出すのとこのまま浴びるのではどちらが正解?
いえ、その前にとにかく避けないと、でもあの量の液体を避けるなんてとても……
「『滝斬り』!」
私と液体の瓶の間に差し込まれたのは、シックスさんの剣の軌道。
それは、空中に見えない壁のような平面を残して、そこにぶつかった液体をガラスのようにはじき返す。
けれど、私に投げられた瓶は囮。
その間に、透明な壁の向こう側に見える『靴底男』は袋に入れたお菓子を乱暴に引っ掴んで自分の口に押し込んでいた。
この状況でお菓子を食べてるなんて、どういうつもりなのか最初はわからなかった。
けれど、アトリさんの転生者としての能力を思い出してハッとする。
『特殊な効能を持つ料理を作る能力』。
私が食べたマカロンみたいな『子供化』はそれで作れる効果の一つでしかない……この店で売られているお菓子は、冒険者からとっておきの強化アイテムとして重宝されていることはキラリさんから聞いている。
それを、その在庫を、あんな手当たり次第に食べて、呑み込んで。
そんなことをすれば、どれだけ強くなってしまうのかわからない。
「これでテメエらなんか……テメエらなんか! はぁああっ!!」
真っ向から襲ってくる。
きっと身体能力もデタラメに強化されてとんでもないスピードなのだろうけれど、その動きはなぜか想像した目にも留まらぬ速さじゃなくてゆっくりしたものに見えた。
もしかしたら、これが死の直前に世界がスローモーションに見えるということなのかもしれない。
ろくに目の前の事態に対応するような動きもできずにそう思っている私の目の前で……
「おいこら、お菓子泥棒。うちの『お客さん』に何しようとしてるわけ?」
それこそ、『目にも留まらぬ速さ』だった。
キラリさんが、黒ずくめの男の太い腕を掴んで、後ろ手を吊り上げた状態で地面に這い蹲らせていた。
必要以上の殴る蹴るという危険な行為もなく『地面に圧し倒す』だけで相手を無力化してしまえる、文字通り圧倒的な光景だった。
「な、なんで……転生者の神器の力で強化されたはずの俺が……」
「理由は三つ。一つは私がこの店でのアトリさんの護衛を兼ねてて、そのための強化料理を仕事前に食べさせてもらってるから。二つ目は、これでも私は元軍属で、訓練はしっかり真面目に受けてたから。一騎当千とかじゃないにしても、あんたみたいなド素人丸出しの相手なんて同じくらい強化されてようがどうにでもできる。そして……三つ目、なんだけどさ……」
男の腕を捻って、こちらに襲いかかろうとした時に男が落とした袋を、その中で乱雑に詰め込まれて乱暴に掴みだされたことで潰れてしまった宝石のようなお菓子たちを強制的に注視させる。
そして、キラリさんは声に怒りを込めて言う。
「それ、アトリさんのじゃなくて私の作ったお菓子。こういう時に盗まれて悪用されないように私のを見つけやすい所に置いて、アトリさんのはもう一段厳重に保管してあるの。見た目も味も同じだけど、強化の効能とか全くないから。強くなったと思ったなら、それは単なる思い込みよ」
「なんっ……偽物かよ! 騙しやがって!!」
「偽物って言うな!! こっちはちゃんと美味しく可愛く作ったのに雑に喰い荒らしやがって! 弁償じゃ済まないぞおらっ!!」
「ぐあっ!?」
強化されたキラリさんのパワーで地面に叩き伏せられる黒ずくめの男。
下手人はその衝撃で呆気なく気絶してしまったようで、あっという間に鎮圧完了してしまった。
「『靴底男』が、こんなにあっさりと……でも、これで嫌がらせの犯人も……」
「いや、ちょっと待ってニャ……やっぱり、違うニャ。空山ちゃんみたいにハーフの転生者とかもいるにはいるけど、この目は日本人っぽくないニャ」
『黒ずくめの男』の目出し帽をさっと外すアトリさん。
その顔は、アトリさんの言った通り全然『日本人』っぽくはなくて……けれど、転生者は大抵の場合は日本人であるはずで、例外はいるとしても能力も使わずにこんなあっさりと捕まることも合わせて考えれば……
「『靴底男』、ではない……赤の他人、ですの?」
「…………あの特殊警報は、紙みたいな薄っぺらの無生物が侵入して施設内の物体を不自然に動かした時に鳴るように設定してあった。それに、この素人泥棒が自力で私たちに気付かれずあの部屋に入ったとは思えない」
シックスさんがそう言って、少しだけ目を瞑る。
そして……口を開いて、こう言った。
「変身や変形じゃない……『収納能力』だ」
以前、私の靴底に貼り付いていたことから仮定されていた『平面化』の能力。
けれど、それは今回の件で警報に引っかかりながらも能力のない他人を室内に『送り込む』ことができるという事実から新たな仮説へと変わった。
「『靴底男』は、自分を含めた物体や生物を平面に収納して運搬できる……だから、閉じた箱や棚の中身を蓋や扉を開けずに抜き取れたし、他人の靴裏に貼り付いて気付かずに潜入できたんだ。そして……どうやら、敵はその能力で『人間』をカードとして使うことを憶えたらしいね」




