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講演会、ですっ!

 船上での演説が功を奏したのか、誰も聞いていなくても話すことが苦ではなくなってきた。それがアイドルとしてどうなのかはともかく話し慣れてきたのだ。


 今日は遊説5日目。

 朝の駅前演説である。


 毎朝見かける通勤通学の皆々様の顔も覚え始めた。

 あの人はいつも毛皮のコートを着ている人。あの人はいつも缶コーヒーを片手にしている人。あの人はいつも音楽を聴いて縦ノリになる人。


 もっともこちらを見てくれないから横顔だけ。


 マニュフェストも暗誦できるようになったけど、誰も聞いてくれないしなあ。


「あら、またお会いしましたわね」


 紺野さんが来た。

 凛とした佇まいで私のようにアイドル衣装に身を包んでいる。

 青と白を基調とした可愛さとアダルトさを調和させたドレッシーな衣装。


 ん……!?


 アイドル衣装!?


「こ、紺野さん…?」

「ええ、紺野ナギですわ」

「ど、どうしたんですか?」

「少しばかり時間ができたら敵情視察というものね」


 カツカツとピンヒールを鳴らしながらこちらに迫る。

 美しい顔が私の目の前に来た。


 めっちゃ綺麗……。


「私がお聞きしたいのは、その衣装はどうしたのかという…」

「ああ、これ?」


 紺野さんはスカートのすそを上品に広げた。

 白い脚がちらりと見えて妖艶な誘いのようにも見えた。


「あなたが来ている衣装を参考に作っていただいたの」

「なぜ!?」


 まさか紺野さんもアイドル志望なの…?


「あなたは私のライバルだから、同じ土俵に立って戦ってあげましょうと思いましてね」

「お、同じ土俵って」

「何事もまずは形から真似るものですわ」

「そ、そうですか」


 紺野さんは自信満々といった具合に胸をのけぞらせた。


 私をライバル視してくれているのは嬉しいやらなんやら複雑な心情だ。彼女がいる限りこの鶴舞地区での私の勝利は程遠い。


 それはともかく。


 美しい容姿の女性がアイドル衣装を着ている。


 アイドルでありアイドル好きでもある私にとっては眼福だ。

 

 可愛い女の子が可愛い衣装を着ていると可愛い!


「その、紺野さんも駅前演説ですか…?」

「私は講演会よ。すぐそこの鶴舞市民ホールでやるから来てくれてもいいのよ」

「あ、いえ、私も演説をしないといけないので」

「そう……」


 露骨に落ち込んでいた。

 いやでも私だって選挙運動をしないわけにはいかないし。


 あまりにも悲しそうな顔をするので自分がひどいことをしているかのようだ。


 あんまりはっきりと断るのは良くなかったかな。


「じ、時間!」


 私はすこし言葉に詰まりながら発した。


「時間が空けば少し覗かせてもらうかもしれません……」


 次第に声は小さくなった。


「そう!」


 台風一過のように晴れ渡った表情で紺野さんが笑った。

 心の底から嬉しそうだ。


 いやでも。


 私に他人の講演会を見に行く余裕があるのだろうか。

現状では誰も話を聞いてくれない候補者なのに。


 安請け合いは身を滅ぼすのでは……。


「では招待券をお渡ししておくわね」

「招待券?」

「確実に座席を用意するために招待券があるのよ。ほら」


 映画の半券のようなチケットをいただいた。

『紺野ナギ 鶴舞市民ホール講演会』と書いてある横に座席番号がある。


「ま、期待せずに待っておくわね!」


 紺野さんは言葉とは裏腹に口角が上がるのを抑えきれていなかった。

 めちゃくちゃうれしそうだ…。


 敵情視察というか、この招待券を渡すのが目的だったのかな。


 上機嫌で紺野さんは鶴舞市民ホールに帰っていった。


 鶴舞地区で同年代の女子ということもあって、何かシンパシーのようなものを感じてくれているのかもしれない。出会ってからずっと変な人だという印象は消えないけど。


 勝気な性格だけど悪い人では無いんだろう。

 招待券で講演会の開始時間を確認する。


「って、あと5分ではじまる……」


 こんな直前になって渡してくるなんて…。

 空き時間ができたから来た、ではなく空き時間を作ってきてくれたに違いない。


 やっぱり良い人だ…。


「どうしようかな」


 朝の通勤通学ラッシュが終わったとはいえ、まだ駅前には人も多い。

 演説を切り上げるには少し早い時間だった。

 まだ講演会には行けない。


 もう少し演説を続けて、人が途切れたくらいを見計らって行ってみるか。


 時間があれば、と言ったものの行くような期待をさせた以上は行くべきだろうから。


「いや本当に、そんな余裕はないはずなんだけどな…」


 そうしてまたしばらく時間が経ってから今度は高倉さんがやってきた。


「先生。そろそろ移動しましょうか」


 いつも通りショッピングセンター前に移る時間だった。


 ただ、今日は少し違う。


「ごめんなさい。少しだけ寄りたいところがあるんですが……」

「別に構いませんが、あまり長い時間は」

「ほんの少しだけです。約束なので」


 紺野さんは来たことが分からないかもしれないけど、でも行かないと。


「紺野様の講演会ですよね?」

「あ、知ってたんですか」

「私たちはずっと遠くから先生を見守っていますから」

「それならサクラ要因として話を聞いていてほしいんですけどね……」

「バレたらどうするんですか!」

「バレても大したことにはならないでしょ……」


 講演会の人間たちがいたところで有権者の心証が悪くなるとは思えない。


 遠くから見守るだけって優しいんだか薄情なんだか。


 それでも高倉さんは一人で頑張ることが大切だというのだから、それに従っておく。私は選挙の素人だから、やっぱりお父様の秘書として活動してきた選挙の先輩には逆らわないべきだ。


「無駄になってしまいました」


 鶴舞市民ホールに歩き出してから高倉さんが独り言のように言った。


「な、何がですか」


 今日の予定が台無しじゃー! と怒られるのかと思って構えた。


「招待券です。先生に他の方の講演会を見ていただくのも良い刺激になるだろうと思って二枚用意していたんですが、まさか直接お渡しに来られるとは」


 ぴらぴらと招待券を二枚ちらつかせた。


「あ、それならそっちで入るのでも」

「いえいえ。直接ご招待いただいた券の方を大事にしましょう。不義理は犯さぬべしです」

「はあ」


 何やら格言らしいことを言って満足げな高倉さんだった。


 駅徒歩数分の鶴舞市民ホールに到着し、招待券に印字された講演会が行われるメインホールに移動した。鶴舞は中規模の市であるので市民ホールもそれなりの大きさだが、講演会は数百人を収容できる大きめのホールで行われるようだ。


 集客力では明らかに敗北していた。


 いや、お客さんではないのか…?


 アイドルだったら客って言い方だけど、候補者だと、えっと、どうなるんだ。


「それではまた三十分後にここで落ち合いましょう」


 高倉さんと入り口付近で別れた。招待券は別々なので隣に並んで座ることはできないようだ。


 かなり出遅れてしまったが、講演会を残り時間の最後まで見ることになった。


 二時間の長丁場だが、紺野さんは一体何をそんなに話しているのだろう。


 うん。

 選挙か。選挙のことだった。


 公演中に失礼して入るので物音を立てないように扉の開閉に気を使いながら自分の席を探した。小劇場のように舞台に対して座席がずらっと並んでいる。


 紺野さんが途中入場することを考慮してくれたのか、前方でありながら並んだ席の端だった。座っている人たちの足をかき分けずに済んだ。


 そろりそろりと座る。


 ふう。


 まるで泥棒のようだ。


 そしてようやく舞台上に目を向け、紺野さんの姿があった。


だがそこからの記憶がほとんどない。

 内容の記憶がない。


 流暢で明確なマニュフェストの開示、観衆の心を引き留める軽妙な語り口、視線を奪って話さない彼女の美しい容姿。そのどれもが私にはないものだった。


 時折、隣に座る人たちを見ても舞台上から絶対に目を離さない。


 私がやっている駅前演説とは違う。

 私がやってみた講演会とは違う。


 私の講演会は小学生がするバレエの発表会と同じだ。


 身内が子供の心配をするような、そんな不安と期待が混ざったような感情があった。


 でも紺野さんは違う。

 彼女は自身の実力と能力によって見ている者を惹きつける。

 これが選挙で勝ちあがる人間の才能、カリスマなのだと見せつけられた。


 二人で話していた時の少女の高慢さはどこにもなかった。


 とても長い時間それを見ていた気がしたのだが、気持ち悪くなって外に逃げ出した時、まだ十分も経過していなかった。


 圧倒的な差。


 否が応にも認めざるを得なかった。


 中間討論会まであと二日。

 投開票日まであと一週間と少し。

 それだけの期間では覆しえない大きな差だった。


 私は彼女に勝てない。

 私は選挙に勝てない。

 私はアイドルになれない。


評価のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

次話は明日20時に更新ですので、良ければブクマ登録もしていただけると幸せです。

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