卯月ー2
近頃外気から湿気をほとんど感じなくなり朝晩もとても涼しく感じるようになりました。
いつの間にか空を見上げても燕をほとんど見かけなくなり、反対に足元に彼岸花を見かけるようになりました。
本編もお楽しみ頂ければと思います。
米奇の学校では3月25日から春休みだった。
香港に“里帰り”する準備も万端なようで、小莱の準備が整い次第いつでも出発できる様子だった。
小莱の香港に帰る荷造り等の準備もほとんど完了していたが、トニーの遺品だけは小莱もまだどうすればいいか決めかねていた。
智輝に相談した結果
全て取っておき、本人が再びこの世に生まれ変わってくるまで 置いておくのはどうかと提案された。
智輝は何を隠そう、大天使ザドキエルの生まれ変わりでバラキエルの双子の兄なのだ。
トニー、こと大天使バラキエルは現在智輝の姉の照美の腹に宿り、守護の天使の日に再び人生をやり直すため生まれ変わってくるという。
「守護の天使の日はちょうど10月2日。姉の出産予定日ともぴったり重なったんですよ。」
智輝は机に置いていた卓上カレンダーをめくり10月のページで2日の枠を指しながら言った。
「間違いありません。バラキエルは…トニー先生は確実にこの日に“帰って”くるんですよ。」
智輝がそう言った後、小莱はカレンダーを静かに眺めながら呟いた。
「トニー先生が帰って来る前に…僕、トニー先生の生まれた所にこの遺骨を返しに行かなくてはいけないんデスガ…何処だか分からナクテ…」
「…トニー先生の生まれ故郷ってマカオじゃないんですか…?」
智輝が何気なく言った言葉に小莱は目を見張った。
「マカオ…!?」
「廖さん…知らないんですか…?あの手紙には…書かれてなかったんですか…?」
智輝は小莱の顔を覗き込みながら尋ねてきた。
「それが…辛くてまだ最後まで読めていないんデス…」
小莱はうつ向くと声のトーンを落として答えた。
小莱宛のトニーからの最期の手紙、所謂“遺書”は便箋数十枚からなり、小莱も途中で辛くなって4分の1程度しか読めていなかったのだ。
「先日、バラキエル…トニー先生が夢で俺の所に来て言ったんです。マカオに自分を育ててくれた教会の営む修道院の施設があるって…そこのシスターに会えばすぐにわかるって…」
「本当デスカ…!?」
智輝の言葉に小莱は急いで手紙を出すため遺品の入った白い段ボール箱を開け探り出した。
「…!!」
手紙を手に取った小莱は今度は声を失うほどに驚いた。
白い段ボール箱の奥底に十字架のペンダントが絡み付いたもう一通の古びた封筒が入っていたのだ。
『…澳門…(オウムン)』
「…廖さん…?」
箱の奥底を凝視したまま固まっている小莱を心配して智輝は声をかけた。
「葉さん…これ…澳門からのトニー先生宛の手紙デス…!」
小莱はもう一通の古びた封筒を出しながら叫んだ。
「しかも十字架…!やっぱり…」
小莱が絡まったペンダントの鎖を丁寧にほどき、智輝が裏側を見るとMade in Macauとはっきり刻印されていた。
「きっと…その封筒の送り先の住所がトニー先生の生まれた所で間違いないはずですよ!」
智輝は希望に瞳を輝かせ封筒を見つめながら言った。
「はい…!」
小莱も封筒の住所を見つめながら頷いた。
封筒の住所はマカオの中心部、ラザロ地区の観光地から離れた場所にある修道院らしいと小莱の説明で分かった。
「でも…もし、そこに行ってトニー先生の知り合いの人に会ったら…どうやって真実を伝えれば良いんでショウカ…」
小莱は封筒の住所に再び目線を落としながら不安を顕にした。
「…確かに、死んだと聞いたらショックでしょうね…」
智輝もほどいた十字架のペンダントをつまみ上げながら言った。十字架には細やかな造形の小さな磔のイエスの像がついていた。
「自殺だったとか…HIVだったとか死に際の酷かった事実は伏せておいたほうがいいでしょうね。本人の名誉のためにも…」
智輝は手のひらに十字架のペンダントを乗せると磔にされているイエスの小さな像を指で撫でながら呟いた。
「そうデスネ…。」
小莱は封筒の蓋をゆっくり開け中の手紙を出しながら呟いた。
その間智輝は天界でバラキエルに再会した時、彼から聞かされた事実をもう一度思い反していた。
「パン職人か宣教師になっていれば幸せになれていた。」
それが堕天したバラキエルに“主”が用意した“幸せな人生の道”だった。
しかし、現実ではトニーは“悪魔の幻想=夢”に惑わされ、ダンサーの道を突き進んでしまった。
「プロのバレエダンサーになりたい。」
「いつかパリのオペラ座の舞台に立ちたい。」
「夢を叶えたい。」
「自分のダンスで人を感動させたい。」
「踊る楽しさや喜びを伝えたい。」
それらは本当にトニー自身の思いだったのか
それとも
“悪魔の洗脳”
による妄念だったのか。
その答えは智輝の中にあった。
天界で全てを思い出した時、“主”の御心を悟った時
自身に降り注いだあの光の中に
バラキエルが堕天した後、元よりそちらに進んでいれば幸せに生きていたであろう人生の有り様も
見えていたのだった。
「廖さん…俺も、一緒について行っていいですか…?この…里帰りの旅に…」
智輝は一呼吸置くと意を決して小莱に尋ねた。
「えぇ!?」
小莱は驚いて思わず叫んでしまった。
「いいですよね?じゃ、今からパスポートの申請行って来ますね!」
智輝は小莱の答えも儘ならないまま、上着を着て鞄を手に家を飛び出して行った。
『葉さんも一緒…』
小莱にその発想はなかった。
不意に携帯にメールが入り確認すると、米奇からで、3月31日の便で三人分の座席の予約が取れるがどうするかという内容だった。




