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歪み

  彼女は、その心を環境によって多大に歪められていた。


  善良さのかけらのない両親の元で、最悪で、最低な環境で、それでも、投げ出す事なく生きる事の出来た女性だった。だが、彼女の心は、普通の人間とおなじように、脆かった。


  両親は、愛によって彼女を生んだのではない。お互いがお互いに、好き勝手に遊んだ結果として生まれたのが彼女だった。愛の結晶として生まれたはずの赤ん坊に、女の方は納得し、男の方は納得していなかった。 男は夫婦となっても、すれ違いどころか、無関心を貫き続ける。だが、赤ん坊が成長するにつれ、その容姿は、納得していなかった男を心変わりさせる。それほどに美しかった。


  父親は、その美しい娘を、いずれ自分の女とすることを決める事で、納得した。


 母親譲りの長く、艶やかな髪。すらりとのびる手足、白くも、不健康さのない肌。特筆すべきは容姿だけではなく、誰とも分け隔てなく接する社交性も備えていた。美貌と人徳で、彼女の周りに人が集まる理由になる。彼女の周りには、友人が絶えず、彼女と遊ぶ権利の取り合いが起きる程に、彼女は人気者だった。


  彼女は、本が好きだった。読む本の種類もと問わずにたくさんの本を読んだ。冒険譚、図鑑、参考書まで、好き嫌いなく本を読んでいった。本は母親の方が与えていた。数々の本を古本屋から安い物から見繕ってい、「お前のために選んだんだよ」と贈る。100円にも満たない本で、彼女の相手をせずに済み、かつ、年頃の女の子が欲しがるおもちゃや人形に目を向かせない為の隠れ蓑になる。完全なる打算からの行動だった。そんな親の事など知らず、彼女は本にのめり込んだ。冒険譚を読めば主人公に没頭し、参考書を読めば知らなかった事を知り、彼女の好奇心を満たしていく。歪ながらも、彼女の人生は順風満帆だった。


  事件は、彼女が小学校高学年の時に起きる。彼女の成長が、周りよりも早かった。決して彼女が悪いわけではない。人間の成長はコントロール出来るものではない。だが、誰よりも早く背が伸び、少女らしからぬ体の特徴が、誰よりも早く出たことが、彼女を異分子として、学友に認識される。


  最初は些細なおふざけから始まった。だが、少女が、学友の想像よりも強く反発し、拒んだことがきっかけになって、おふざけはおふざけの域を徐々に、しかし確実に超えていく。最初は身体の特徴をからかわれた。つよく拒み、二度と言わないでと叫んだ。先生が仲介に入り、その場は丸く治ったかに見えた。


  翌日。下駄箱から靴がなくなった。最初は見つけられる場所に見つかり、次第に、見つけにくいところに、最終的に、男子トイレや、用水路の中から見つかるようになる。


  次に、カバンが隠されるようになった。中身は水でぐちゃぐちゃになっていた。彼女がせがんで買ってもらった、初めての物だった。


  次は服


  次は机


  次第に、彼女の周りは、彼女が手に持ったもの以外なにもかもがなくなった。担任の先生は黙認し、学校全体でも、彼女を取り巻く事件を隠匿しはじめ、明るみに出る事はなかった。


  ある日、自分の物を隠す瞬間を目撃する。隠していた主犯格は、一番自分と遊んでくれた友達だった。自分の目で見た光景が、まるで信じられなかった。これでは、先生も、友達も自分を守ってくれない。


  助けてと、両親に頼んだ。もう少女が頼めるのは親だけだった。


  だが、原因を、責任を、両親がなすり付け合い始める。産んだのは母親だから、いや、育てたのは父親だからと、押し問答を繰り返す。父親が手を上げたのは、この時が始めてだった。父親が母親を張り倒した時、壁に穴が空いた事、その時の音が、やけに大きかった事を、少女は覚えている。


  やがて、父親は母親を遠ざけ、少女と2人きりで、交換の条件を掲示しはじめる。「助ける代わりに、これから言うことを聞け」と、助けてほしいものからすれば、喉から手が出るほど欲しかった、助けるという確約。最悪だったのは、その条件が、まだ彼女の知識としてなかった性行為だった事。父親は、この瞬間を迎えるために、虎視眈々と機会を狙っていた。


  この企みはすぐに母親に察せられていた。だが、母親は止めることもせず、その場から逃げ出し、やがて家に戻ることはなかった。すでに母親は、よそに男を作っていた。


  なんもわからないまま、彼女は侵略された。なにも感じず、ただ、なぜこんなに父親が汗をかいているのかわからなかった。


  想像よりも呆気なく、しかし重大な喪失が起きながら、彼女は、これで助かると思ってた。だが、地獄が二箇所に増えただけだった。この時、彼女の心に、知らぬうちにヒビが入る。決して癒える事はないヒビだった。結局、父親の言う助ける手段は、少しの金を預けて、学校以外のよそで過ごせという方法。その金額も、学生のアルバイトの方の半分にも満たなかった。


 それも、彼女の学年が上がり、15歳になった頃。金を稼げと脅された。方法は一つしか教わらなかった。彼女が唯一父親から教えてもらい、その身で経験していた事。ほどなく、彼女は金は稼げた。だが状況は悪化し続ける。いじめはなくなったのに、親からの暴言は増える。 地獄は減ったのに、残った地獄が大きくなった。この頃から、生計はすべて少女が担っていた。

 

  あれだけ好きだった本は、生活の為に‘売り払ってなくなり、読む事さえなくなった。ひび割れた心は、次第に隙間を多く広げていく。なぜ自分が。なぜこんな。答えてくれる人はだれもおらず、ただ、今を生きるのに必死になった。視野をひろげるだけの知恵を、お金に変えた彼女には、もう縋るしかなくなっていた。

 

  しかし、その地獄に一筋の光が降り注ぐ。 恋人という存在が、彼女に出来た。彼女を支える事を誓った恋人は、金銭的に彼女を多いに助ける。この事がきっかけで、父と縁を切ることまで成功した。彼女は、もう絶望の淵を覗かなくて済むようになったことを感謝する。やがて恋人の働きかけにより、男の為の扇情的な服を着なくてよくなり、ビジネススーツを着ることが決まった。ようやく、普通の人間と同じようになると喜んだ。


  しかし、ほどなくして彼女は恋人から裏切られる。ある日、2人の仮住まいとして決めた安いぼろ家に帰ると、恋人は借金をなすりつけ何処かへといなくなっていた。最初からそのために彼女を利用していたと気がつくのに、あまり時間はかからなかった。


 信じた者に裏切られただけならば良かった。新天地たる職場は、ありとあらゆるハラスメントにあふれ、過去の職歴を知られた後は、その激しさも増していった。さらに、縁を切ったはずの父親からの連絡。「助けてやろうか? 」と一言書かれた連絡に、その見返りを想像し、再び、地獄へと突き落とされる。もう、他人を信じることができなくなった。彼女の心は疲弊しきり、もし、助けてくれる相手が別だったなら。もし、両親が別だったら。もし、こんな世界に生まれていなかったら。そんな、ありもしない、自分にとって都合のいい想像だけが、壊れた心を吹き抜ける。


  やがて、彼女にとって、もう世界など、どうでもよくなっていく。どこへいっても、何をやっても、過去の行いが呪縛となって彼女を縛る。ここ以外のどこかに向かうことが出来たなら、それは何よりも魅力的に感じた。そこが例え楽園でなくても、なんの憂いもない。


  その、はずだった。


  邪魔をする存在が、最期の最後に出てくるまでは。


 ◆


  燃え盛る身体が、再び起き上がろうとしている。振り向いて確かめれば、女が中に乗り込んでいった。髪の長い女……コウを焼き尽くした、その張本人が、再び炎をむける。


  「 」


  燃え盛る身体をもつ、肉体の特徴からみて、女性だとわかる彼女は、怒号というにはあまりに甲高い、悲鳴にも似た声を叫び声を上げ、遺恨を晴らさんとその炎をコウに浴びせた。彼女は、ただ約束を果たしているだけに過ぎない。次に会う時は、焼き尽くしてやるという宣言を、忠実に実行している。


「《ガァアアアアア!!! 》」


  コウが、痛みに耐えるように声を荒げる。手足はすでに燃え尽きて無くし、かろうじて身体が残っているような有様。それでもなお、後ろにある命を守ろうとして立ち上がる。文字通り棒になった足を突き刺し、上体を起こす。体が焼けていない場所は既になく、炭化も始まっている。


  それでも、コウは、カリンは、立ち上がることを諦めない。命を守る為だけではない。目の前で、炎を操る彼女の行いを止める為に、意識を重ねて行く。やがて、今まで起きた事がないことが、カリン自身に起こっていく。肌の一部に、火傷が起こり始める。カリンが焼けているのではない。乗り手とベイラーにおける、視界と感覚の共有。それがカリンの体に、強烈な錯覚を起こしていた。


「こ、これが……コウの、痛み」


  カリンが、生きながら火にかけられる感覚を受け取ってしまう。最初はなんともなかった。しかし徐々に痛みが広がり、声が抑えらなくなる。次に、思いも寄らぬ事が起こる。肉が焼ける匂いが、鼻をつきはじめた。最初はなんともなかったが、しばらくしてその匂いの原因を思い至ってしまう。


  たった今燃えている自分の肉。それが焼けている匂いである事に気がつく、そして、その匂いは、今まで食べてきた肉となんら匂いが変わらない事を体感で知ってしまう。


  人間が持つべき倫理観が、そうでなくても、人一倍『そうであるべき』行動によって己を律するカリンに、その、人間が焼ける匂いは、理性であっても本能であっても耐える事ができなかった。ついに吐き気が抑えられず、激しくえづきながら胃の中を空にする。両手で抑えても、涙が反射で身体から出て行く。とっさのことで、操縦桿を離してしまい、共有が切れて、コウが、立ち上がれなくなる。


「《……カ……カリン?? 》」


  共有が切れた理由がまるでわかっていないコウは、いつもであればすぐさま復帰するカリンが、まるで復帰する気配が無いのを気にかける。


  だが、配慮を遮るように、炎がコウに襲いかかる。


「《(……カリンが居るんだ……居てくれるんだ)》」


  痛みはもう感じる事さえない。コウの身体で残っているのは、もうコクピットと頭だけだった。


「《……でもこれは、まずいかもしれない》」


  力が、遂に抜けて行く。あれだけ気張れていたはずの手足は、もう無くなってしまった。無様に倒れこんで、ぴくりとも動けない。


「《(カリンの声も聞こえない……俺はここで……死ぬ、のか? )》」


  漠然と、意志が弱くなって行くのを自覚していく。2人なら、何でも出来ると思っていたのに、それがこうして、まるで意味の無い事だと思い知らされる。


「《(……カリン。答えてくれ……操縦桿を握ってくれ……そうしないと、声が、聞こえない)》」


  自分の声はおろか、カリンの声さえ聞こえず、ついに、周りの音まで遠ざかり始めた。明確に、体が弱り切っている事を自覚じはじめる。体が動かないのではない。動く体がそもそも無くなっている事に気がついたのはこの時だった。


「《……動け》」


  もうコウに出来る事は、体に念じるだけだった。なんの根拠もない、精神論ですらなかった。動かない体を叱りつけるように、そうであってほしいと願うように祈る。もちろん。そんな事では燃え尽きた体が動くわけがない。それでも、彼には動かないと言う選択肢はなかった。


「《(ようやく、俺の、やりたい事が、見つかり始めたんだ。……ようやく、世界を知り始めたばかりなんだ……こんな、何処かも分からない所で、起き上がれなくなってたまるか……)》」


  唯一動く首を動かす。顎を起点にして、手足のない体を這わせる為。ほんの少し、一歩にも満たない距離を動こうとした時。髪の長い女が、すぐ目の前に立っていた。


「理由なら」

「《(こいつ、声が、枯れてる? )》」

「理由なら、ある 」


  燃え盛る体から、しゃがれた声が聞こえる。老人にも聞こえるが、それは加齢によって変化したのではなく、その身に纏う炎が自身にも及んでいる事を示していた。


「 お前が、あの時、何もしなければ」

「《(あの……時? )》」

「まだ分からないのなら、それでいい。それもお前を燃やす理由になる」


  女が両腕を天にかざす。炎は手のひらへと集まる。再び炎が身を焼く事を覚悟したコウが見た物は、さらなる焼却への準備。両腕から伸びる炎が、柱のように伸びて行く。女の周りにある綿毛が、熱に当てられ、燃え尽きていく。熱量と、規模が今までの比ではなかった。


「《な……ぜ……》」


  コウが、僅かにのこった喉で、風切り音を交えながらも、問いかける。振り下ろそうとした女が、一瞬、その動作を止めた。


「《そこ……まで》」


  心底分からないという声色で、女に問う。そして、女は、その猛る炎とは裏腹に、どこまでも冷たい声でコウに言い放つ。


「それは、憎いから」


  一層炎が強くなって行く。最早、炎は光の輝きすら凌駕し始める。そして女は、吹き上がる焔と共に、沸き起こる感情を乗せて叫ぶ。


「きっかけは……きっと、私が、口答えしたから」

 

  あれだけ輝いていた炎は、さらに勢いを増している。これを受ければ、コウの体は、今度こそ灰になる。それが一眼でわかるほどの火力と光量だった。 真っ赤だった炎が、徐々に色を変えていく。赤味がなくなり、次第に薄く、光が強くなるにつれ、黄金の輝きを放ち始める。やがて、光量が、熱量を上回り始める。あたり一帯が、いままで星の瞬きしかなかったこの暗闇が、真昼よりも明るくなる。触れてすらいない綿毛が、その熱に焼かれて消える。


「……ずっと頭に響いている言葉がある」

「《……言葉? 》」

「ただ一言……『憎め』と。その通りにしたら、この火が出るようになった」


  燃え盛る炎は、高熱の熱線へと姿を変えた。掲げる女のその姿は、太陽を投げつけるようにも見えた。


「私は手段を手に入れた。なら、まずはお前を焼き尽くす! そのあとはこの世界だ。何もかも焼き尽くしてやる。私を放り出した世界を、私のことをないがしろにした世界へ復讐してやる!! ……私に苦しみしか与えなかったこの世界に、勝手に私を生んだ何もかもに!! 」


  ついに、熱量の塊は、コウへと向けて放たれる。火柱というにはおおきすぎるその、憎悪と害意が濃縮された炎を、構う事なく差しむける。


「消えてしまえぇええええ!! 」


  爆音と、轟音と、何もかもを焼き尽くす熱が、何もかもを溶かしてしまう憎悪が、コウへとぶつかる。女は、もうその対象を見ることもなかった。その場を今度こそ後にして、次の場所へとむかう。


「……まだ足りない。まだまだ足りない。もっと燃やさないと……それには身体がいる? どうやればいい……身体がなくても続けてやる……それがこんなとこに居る私の、唯一巡ってきたチャンスだ……忘れることが出来たらどれだけいいの……忘れたい……でも忘れてやるもんか……決して忘れてやるもんか」


  1歩歩くほど、足元の綿毛が燃えていく。広大で膨大な川を焼く覚悟など、とうにできていた。再び右手をかざし、炎を集めようとした時、些細な違和感を背後に感じた。


  灰が、舞い上がっていない。あれだけの火力を浴びてなお、後ろの()()はまだ燃え尽きていない。


「まさか」


  振り返る。そこにあるはずの物がない事を確認する為に。だが、その確認が、全ての否定へと繋がった。


  まだ、炎は燃えている。そして、焼き尽くすと決めた相手もまた、燃えていた。否。燃えているが、燃え切っていない。相手は、その炎を受け止めていた。


  まず、手足がない、そこまでは、炎をかざす前には確認していた。だが、受け止めている。身を呈して守っているわけでもない。たった今自分が焼き殺そうとした者は、確かに右手をかざして、その炎を手のひらで受け止めている。


「……さっきまで這々の体(ほうほうのてい)だったのに。なんで」


 体はすでに焼け跡しかないような体だった。しかし、その右手だけが違う。まっさらで、傷一つない、生まれたばかりの腕が、そこにあった。


  その、真新しい右腕から、さらに、木々が凄まじい勢いで生えている。小枝が成長し、太い幹になって、大樹となる成長のプロセスが、一瞬で、それも膨大に行われている。


「なんだ……? 何が、起きてる? 」


  長い髪の女は、目の前で起きている事が理解できずにいた。


  ただ、その目を真紅に輝かせた、巨大なヒトガタが、目の前で炎を防いでいた。


 ◆


  熱線が迫る瞬間。なかった感覚が、急激に体に入り込んでくる。体の動かし方、目線の意識。すべて、知っているはずのものが、無くしてしまった物が、取り戻されていく。


  操縦桿が握り直された。ベイラーの感覚が、より人間に近くなる。


「《カリン……いいんだな》」

「ええ。ちょっと痛かっただけよ」


  嘘だと、コウが否定しようとする。いまこうしている時でも、身体のあちこちは燃えている。燃え尽きたのではない。今この瞬間燃え続けている。それは、自身だけでなく、カリンがその炎に身を焼かれている事を示してる。


  かつてパームが言っていた。ベイラーが炎に巻かれる時、乗り手もまた燃えていくと。感覚を共有している以上、それは避けようもない現象だった。


  それでも、彼女は立ち上がる。かつて、自分の願いを聞き届けたち上がった彼のように。すでになくなった足を突き刺して。仰け反るように顔を挙げ、右手をかざした。


「コウ、居るわね? 」

「《ああ、俺は今、ここに居る》」


  急激に意識が重なっていく。今までと違うのは、行動だけではなく、その心も全て重なって、コウと、カリンの意識が、紛れもなく一つになっていく。赤く光る目は、もはや瞳から溢れでて、真紅を輝きを放つ。


  その瞬間。コウの体に、異変が起きた。サイクルが、過去にないほどに、高速でまわりはじめる。それも、削れる工程が追いつかずに、ただ身体から凄まじい速度で生えていく。


  異変は身体だけではない。コウは、今、カリンが肌で感じている物も、その身に感じている。今まで、見てる物、聴いている物。考えていいる事は、操縦桿を通して知る事ができた。しかし、その()()は、一度カリンの感覚を通した物。今コウが感じているのは、カリンと同時に感じているものだった。間隔の遅延がなく、一瞬一秒の違いなく、コウの感覚とカリンの感覚が同じなっていく。カリンが見たものはコウも見えているのではなく、カリンが見るようとする物、その意思も同時に行われる。限りなく、コウとカリンの間に何も無くなっていく。


「《カリンが分かる。ひどい火傷だ》」

「コウが分かるわ。どれだけ耐えたと言うの」

「《お互い様だろう? 》」

「ええ、そうね」


  交わす言葉が、徐々に少なくなっていく。話したい事がないのではない。言葉にして話さなくても、お互いに何を言っているのか理解できている。


「なら、うんと高いところに持っていくかしないと」

「《一度やった事がある。それで前は帰ってこれた》」


  話す事が分かっているからこそ、会話が要点だけで済んでいく。カリン達が行おうとしているのは、今、まさに火に飲み込まれるこの瞬間に行われている。そして、彼らは炎に飲み込まれるのを良しとしない。かつて、コウがこの心の故郷から戻ってきた方法で、切り抜ける気でいる。もう一度それが叶うかどうかはすでに疑問に上がっていない。ただ、方法が決まり、決意も決まった。あとは、行動するだけとなる。


  ふと、目の前の状況と似た物を、すでに体験していた事を思い出す。それは忘れもしない、カリンの故郷であるゲレーンが、巨大な嵐に襲われた時のこと。


「嵐の時とおんなじね」

「《ああ》」

「あの時は、私は前を向いていなかった。全てに、絶望していた。」

「《なら、今は? 》」


  答えはすでに知っている。今のコウとカリンに言葉はいらない。それでも、コウはその言葉が欲しかった。その事を知ったカリンもまた、言葉を綴り、送り出した。


「貴方が居るもの。貴方がいれば、私は前を向ける。そして、私達ならなんだってできる……だから」


  改めて、宣言した。決意と、意気込みと、気合いを込めて。盛大に、堂々と。


「守るわよ! コウ!! 」

「《お任せあれ!! 》」


  力が、みなぎった。失った手足が、欠けていた身体が、無くした心まで、満たされていく。コウの身体は、燃え盛る炎に焼かれながら、焼却されるより早く、強く育ってく。コウの身体は、失った四肢を、新たに生やす事で補った。そして、かざした右手から、道具を作り出すまでにいたる。それは、相手を倒すための武器ではなく、守るう為に必要な道具。あの嵐の時と同じ、この命達を守る巨大な盾。


「「サイクルシールド!!! 」」


  コウの手が、サイクルを高速で回す。10本、100本と枝が生え、壁が一瞬で出来上がる。壁の厚さ、丈夫さは、今までの比ではない。凄まじい火力をもろともせず、燃え尽きてもなお、盾は作られ続ける。


 破壊と再生が、一瞬で何回も行われ、コウの盾を燃やして生まれた灰が舞い踊り始める。だが、コウの背後にある命は、その一粒に至るまで、火が移る事はない。


  長く永い時間が経ち、熱球が、ついに熱量を失い、コウ達を防衛から解放する。コウの身体は大量の灰を被り、白い身体は全てを灰色に変えて居る。


「お前は、なんだ? 」


 降り積もった灰を振り払い、立ち上がる。降り積もった灰が舞い落ち、本来の色が取り戻されて行く。そこにいるのは、純白に輝く樹木の巨人。


「《コウ。ソウジュベイラー・コウだ》」

「コウ……コウ……」


  女はその名を忘れんがために反芻する。その姿を、その声色を、何一つ忘れないために心に刻みつける。しかし、その硬直した一瞬を、カリンは見逃さない。


「今!! 」

「《わかってる! 》」

「「《サイクルジェット!! 》」」


  コウの肩が激しく光る。炎が上がり、身体を前へと運ぶ。女が操る炎とは違う、青い炎がコウの身体を川から引き揚げた。女との距離を一瞬で詰めて、その右手で摑みかかる。


「がぁ!? 」

「《このまま出口まで持っていく!! 》」


  炎がさらに激しくなり、同時に、コウの身体を押し上げる。綿毛の川を(あと)後にし、星に一条の線が走る。女は掴まれた衝撃で、意識を飛ばして伸びた。あれだけ燃え盛っていた炎がようやく収まりを見せる。


  自身の焼身が無くなった事に安堵したことで、コウが今更ながら、自身の置かれて状況を分析し始める。


「《ここは一体なんなんだ。宇宙、じゃないのか? 》」

「うちゅう? 違うわよ。ここは綿毛の川。心の故郷……よかった。また、会えた」

「《……よくわからないけど、心配をかけた》」

「全くよ……それより、どうやってここから出るつもり」

「《前は出口があったんだ……いや、違うな。だれかに引っ張り挙げられた》」


  以前、その引っ張り上げたのはカリンのことであったのだが、カリン自身、そのようにしてコウを助けたという自覚がないために、この場所からの脱出方法について解答を得る事が出来なくなってしまう。


「メイロォなら分かるのかしら」

「《メイロォ? 》」

「こうして会うのははじめましてね。白いベイラー」


  横から聞こえる声に耳を傾ければ、そこに、バランスがやたら縮んだメイロォがいた。


「でも、やっと追いついたと思えば空を飛んでいるし、手には何か持ってるし! 本当に勝手なベイラーと乗り手ね貴方達は!! 」


  出会い頭に罵倒される。だが、案内するといったメイロォを置いてきぼりにし、あまつさえ別の場所へと飛び立ったのであれば、恨み言の1つ2つは仕方ないと、乗り手のカリンは考え、素直に謝罪する。


「ごめんなさいメイロォ。でも大丈夫。こうしてコウは帰ってきたわ」

「……そうみたいね。あーあ残念。カリンも恋人になればいいのに」

「《恋人!? カリン、人魚といつの間そんなことに!? 》」

「この子は本当に心が人間なのねぇ。あともう一回人魚といってみなさい。助けてあげないから」


  バランスが幼くなっただけで、シラヴァーズのからかう本質はなにも変わっていない。慌ててコウも謝罪を重ねる。


「《ご、ごめん。でもなんて呼べば》」

「私達はシラヴァーズよ。名前はメイロォ」

「《なら。メイロォ。俺たちはどうやったら帰れる》」

「もうすぐよ。あなたの身体をご覧なさいな」


  メイロォがコウの身体を指差す。すると、うっすらと光る緑の線が、コウが進む先に伸びている。


「この糸に沿うようにいきなさい……それで、戻れる。早く行きなさい。外がずいぶんと騒がしいから」

「メイロォ、あなた」

「言ったでしょう? 私は案内役。役目を終えれば消えるだけ。じゃぁね。カリン。そして、ベイラーっぽくない、白い奴」


  徐々に、小さなメイロォがコウに追いつかなくなっていく。遅くなったスピード以外にも、その身体が輪郭をぼやかしはじめ、その場から霞のように消えてしまいそうになる。


「メイロォ! ありがとう!! また共に!! 」

「……久しぶりに聞いたわ。もう聞く事はないと思っていたのに……また、共にね」


  メイロォが、初めて、蔑むでもなく、あざ笑うでもなく、静かに、ただ、とびきりの可憐さを持って、笑顔で送り出す。片腕を静かに降って、ゲレーンのしきたりとともに、その役目を終える。やがて、天高く飛び立つコウからは、その姿は消えて見えなくなった。


「……いくわよコウ。その女は起きてない? 」

「《みたいだ……見えた! 出口だ!! 》」


  コウの視線の先には、この暗闇よりも暗い穴がある。その穴に、メイロォの残した一筋の光は伸びている。出口であるのは明らかだった。しかし、それ以外のも、音が聞こえてくる。それは幼い2人の声。カリンがその2人を思い出す。


「リオとクオだわ! 呼んでくれている。起こしてくれているんだわ」

「《起こす? 俺たちは今起きてるじゃないか》」

「向こうの貴方は寝ているの! お寝坊さん! 」

「《どうなってるんだ》」


  声がやがて激しくなる。しかし2人の声色は、心配して起こすというより、まるで何かに急かされるように、切迫詰まっている。


「《向こうも向こうで様子がおかしい》」

「早く行きましょう」


  その瞬間、コウの右腕が、一瞬何かに掴まれる。力は弱いくとも、絶対に離さない決意と意地のこもった鷲掴み。それは、たった今ままで、意識を手放していたはずの、かの女。


「させるかぁ!!! 」


  ふたたび、女はその身体を燃やす。コウの右手は一瞬で火が上がる、再び灰を生み出した。


「絶対に燃やし尽くしてやる! お前なんか! お前なんかぁあ!! 」

「《この、一体なんでそこまで! どうしてだ!! 》」

「わかるもんか! ぬくぬくと生きてきたようなお前達に! 私の苦しみなんて! 」

「《わからないから話すんだろう!! 》」

「お前の事なんて知った事じゃない!! 私が! 全てを! 」


  その先を、言う前に、今の今まで焼かれるだけだった川が、コウが守っていた綿毛が、動き出す。


  一陣の風が、どこからともなく吹き荒れ、コウの身体を包む。真っ白な肌に、真っ白な綿毛がまとわりついていく。ただの風ではない。綿毛を一律に御して、コウに当たる事なく吹いている。突如起きた風に、さらなる変化が訪れる。コウの右手にいる女だけ器用に吹き飛ばし、出口から遠ざけてしまった。


  ただ吹き飛ばすだけではない。女に付着した種1つ1つが、その場で発芽し始め、蔓が伸びていき、やがて、女の身体を簀巻きにしてしまう。女はもちろん焼き尽くさんと炎を燃やすが、蔓から、朝露のように水が吹き出て、その火をかき消してしまう。何度やっても結果は変わらなかった。


  一瞬で何もかもが決着してしまい、呆然とするコウ。 そこに、カリンが驚きの声をあげる。


「コ、コウ! 右!! 」

「《右? 》」


  ゆっくりと首を回す事で、コウもその姿を見る。それは、あの日以来見たことのない、もう、見ることは無いと思っていた姿。


  細く、長い身体。しかしその大きさは山脈。4対の巨大な翼。さきほどの風は、その翼が一振り羽ばたかれたからだと理解する。からだの先はどこまで伸びているのかわからない。この綿毛の川と同じか、それ以上か。測る身体(からだ)ことすら無謀に思えるその姿。はるか彼方の姿であるはずなのに、まるで手を伸ばせば届いてしまいそうな錯覚が起きる。カリンら龍石旅団が首に下げる宝石の元になった、生き物らしからぬ生命体。下から見る形のために、やはり顔の形は分からず、ただ、大きな牙だけがよく見えた。

 

「《 龍!?!!? どうしてここに!どうなってるんだ一体!! 》」

「私が知るわけないでしょう!? とりあえずあの女はどうにかなったんだから早く行く!! 」

「《説明が欲しい!! 》」

「あとでご飯一緒に食べてあげるから! 」

「《説明はいい!! 行くぞカリン!! 》」


  納得する暇の無いまま、納得する気もないまま、出口へと飛んでいく。巨大な龍の姿を横目に見ながら、吸い込まれるようにして、この川を後にする。


  メイロォが残した道しるべに、龍が力を貸しながら、コウが故郷を去る。真の意味で、コウが世界へと帰還する。喜びと、苦しみとを誰と分かち合う為に、彼は旅立った。


  ただ1人、身体がないまま、心だけが大きくなった女を残して。


次回。オルレイトくんとネイラさん。頑張ります。

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