ザンアーリィベイラー
「こいつ、前と違う!! 」
紫色をしたベイラーの強襲を受ける龍石旅団。乗り手は、パーム・アドモント。以前と同じ、鳥のように姿を変えるベイラーを携えて、ここ海賊のアジトへと踏み込んできた。目的はただ一つ。白いベイラー、コウを連れ去る為。
青黒いベイラー(パーム達は、アーリィベイラーと呼ぶ)は、形を変えることで空が飛べる。だが、リスクキルが住まう地を突破してきた力は、単に空を飛べるだけでは説明がつかなかった。
「ッハ!! 」
もう何度目かの、気合いの掛け声。その声と同じく、紫色のベイラーが、レイダへと蹴りを入れる。左足を軸とし、右足で無造作に蹴り上げる。繰り出す速度のみを考えられた、喧嘩殺法と言っていい。
レイダはそれを防ぐべく、両腕でサイクルシールドを作り、壁で前を塞いで見せる。相手はこれで視界を塞がれ、自分は回り込んで、サイクルショットにて間合いの外から攻撃を加えるのが、オルレイトの考えだった。
「そいつは白いのがやったことあるぜぇ!! 二度目だぁ! ならよぉ」
紫色のベイラーが繰り出した蹴りが引っ込められる。突如として勢いを消し、繰り出した右足をたたむ。膝を胴体付近まで抱え込んだ。
「同じ手が通用するかぁ! 」
抱え込んだ右足が、真下へと伸びる。同時に、先ほど軸足だった左足が宙へと浮いた。一瞬で軸足を左から右に変え、蹴り込む足を変えてみせる。喧嘩殺法の前へ向かう蹴りから、左方向から飛んでくる回し蹴りげと変化する。
ここで問題となるのは、シールドの方向。レイダのシールドは、前からの攻撃に対応すべく貼られた物であり、事実、パームは効果の無さを予想したために、前蹴りをやめた。そして、シールドの張っていない、側面めがけた回し蹴りへと変え、レイダの肩へ打撃を与えることに成功したのである。
オルレイトからしてみれば、前からはずの攻撃がこずに、視界外からの一撃を貰う形。そしてその威力もまた、レイダの体を退かせるほどの威力があった。
「ただ空が跳べるだけじゃないのか!! 」
「ヘッヘッヘッヘッヘ……こいつはいいぜぇ。イイもん貰った」
砂浜を滑りながら、態勢を整えるレイダ。同時に、オルレイトは紫色のベイラーをつぶさに観察する。毒々しい紫に、翡翠色をしたコクピット。こちらを睨む大きな一つ目。どれも人間が恐怖心を持つような特徴ばかり持っている。さらに、先ほどのベイラー離れした動き。自分では答えが出ない部分が見えた為に、レイダへ情報の提供を求める。
「レイダ。体術の得意なベイラーって居たか? 」
「《いいえ》」
「なら、あのベイラーは、蹴りが得意なベイラーか? 」
「《それもいいえです。あのベイラーは単純に、体を動かすのが得意なのだと思います。それこそ、私や、コウのように》」
「……全く、コウはここに居ないっていうのに」
「《どうします? 》」
「どうするって。それは……」
たった数度の攻防で、戦いの素人であるオルレイトが分かる程に、パームが連れてきたベイラーは、かつてないほど強く、強大であることを理解した。対して砂浜にいるのは、ミーン。ガイン。レイダを含めれば3人となる。3人も居れば、ベイラー1人はどうにかできる。邂逅してすぐそう考えていた。
「(あまりにもあの紫のベイラーは異常だ。変形をして空を飛ぶのはこの際いい。この閉鎖されたアジトならさほど脅威じゃない。問題は体の扱いもレイダと遜色がない事だ)」
思い描くのは、後方にいるミーンとガイン。ミーンはその両腕がなく、とても格闘を強いることは出来ない。ガインは、乗り手の事もあって十二分以上の強さが発揮されそうだが、今はコウが戻ってこれるようにロープを持っている。動くわけにはいかなかった。
2、3度思考を重ねた末に、今この場では、勝利への算段がつけられないと言うのが、オルレイトの出した決断だった。レイダの力を最大限過大評価しても、自身の力量が全てを台無しにしている。ましてや、ミーンやガインを守らねばならない。どうにも人手が足らなかった。
「あと1手、それがあれば、まだ、どうにかなる」
「《しかし、どこにそんな手が》」
「《ここにいるぞ。緑のベイラー》」
ネイラの肩を叩く赤い体。海賊のセスがそこに立っている。無論、オルレイトは海賊達に支援を求める案を出してはいた。しかしすぐさまその考えを捨てている。理由は明快。彼らに払えるだけの報酬を、今、龍石旅団を持っていない。ただでさえカリンの為に食料や道具を用意したばかりである上に、オルレイトには、龍石旅団の持ち物を、誰に、何を、どれだけ与えればいいのか判断できる基準を持っていない。それによって今後の旅に支障を出す訳にもいかなかった。未だ彼らの旅は半ばでしかなく、この先はさらに物資の居る船旅である。無造作に与えるわけにはいかなかった。
「すまない。報酬を与えようにも用意が……》」
短いながらも彼らと行動を共にしていたオルレイトは、その行動理念を理解している。それは故郷でのベイラーの手引きと同じく、仕事を任せるにはそれ相応の報酬を与えねばならないこと。それが怠るのであれば、彼らは決して力を貸さない事を知った。こちらに今与えられる報酬が無い以上、何も仕事を受けてはくれない。であるならば、ここで断ったほうがこじれなくて済むと考えた直後。
セスの声があがった。
「《これは報いの話だ。あのベイラーと乗り手のお陰で、海賊の在り方を歪めれらた。ここで贖ってもらう……そうだろうサマナ》」
「のっぽのにいちゃん。あんた頭使うの得意だろう? 作戦なりなんなり作ってくれ。それにレイミール海賊団は従う」
レイダの横に、派手な赤色をしたベイラーが並ぶ。手には、海賊たちが使う武器とおなじ形をしたサイクルブレード。こちらの手が増えるのはうれしいが、オルレイトは疑念が拭えなかった。
「海賊が、報酬もなしに手を貸してくれるのか」
「ああ、セスも言ったろ? あいつは私たちの顔に泥を叩きつけたようなものなんだ。なら、名誉のために、私たちは戦う。それが、海賊の流儀だ。海賊の自由だ」
「海賊の、自由? 」
「海賊は自由だ。いつでも奪っていい。いつでも与えていい。そして私たちの名誉が奪われた。なら今度はこっちが奪い返す!! 」
彼らの声色も、その決意も、どれも理性よりも生き方の話だった。今まで農場の商いに携わっていたオルレイトには、理解の及ばない領域であった。だが、理解出来ないからこそ、拒絶せずに受け入れた。彼女らの生き方に賛同し、心からの敬意を払う。商売相手と同じように。そう考えるだけで、気は楽になった。
「……時間を稼ぐ。悔しいが、空を自由に飛べて、なおかつ戦えるベイラーを待つほかない」
「ここは波が無いからな……コウ、だっけ。名前」
「そうだ。その為に、持久戦を……えっと、相手をジリ貧に持ち込む」
「わかった。どうすればいい」
「走り回れ!! 」
「あいさ!! 」
セスが砂を巻き上げながら駆け出す。紫色のベイラーから目を逸らさずに、上体を固定しつつも、手に持ったブレードを無造作に掲げる。
「キャプテン直伝!! 」
「「《サイクルブーメラン !》」」
巻き上げた砂を叩きつけるように踏み込む。加速度の乗った体は、急制動によって、一歩通行の荷重移動が行われる。ベイラーの体重を、そのまま振り上げたブレードに乗せて、ぶん投げた。
「そいつも見た!! 」
パームが、再び反応する。紫色のベイラーが、さらに驚くべき行動に出る。
右手を宙に降ると、サイクルが、高速と言うには生温い、超高速で回転し始める。早すぎる為に、体の一部が熱を持って、煙が出始めている。
そして、鉈のようなサイクルブレードが、一瞬で右手から作り出された。その行動は、ここにいる龍石旅団の誰もが出来ない、一瞬での道具作成であった。出来上がったブレードで、ブーメランを叩き落とす。爆音とともに、砂が吹き飛ばされる。紫色のベイラーが作り出した鉈の重さは相当なのか、セスが投げたブーメランを粉々に砕いてしまう。
「コウと同じか、それ以上じゃないか。あんなベイラーがどうしてパームに味方しているんだ」
一部始終を見ていたオルレイトの疑念が深まっていく。パームがベイラーを操る手法は、その体を使う為に脅しだ。脅し方は簡単で、その体を炎で焼いてやると言う物。ほかのベイラーなら、それで萎縮し、パームの手先になってしまうのは、想像に容易い。
だが、目の前いる紫色のベイラーは、そのパームを打ち倒せるほどの実力があるように見えた。一瞬で状況を見て蹴りを変える柔軟性。サイクルを用いた道具作成の速度と制度。どれを持っても、ベイラーとして一級品の物。
「なのにどうして……」
「《オルレイト様。どうするのです? 尻尾を巻いて逃げたほうが良いのでは》」
「そんなつもりないだろう? それに、今逃げたら、湖の中にいるカリン達が引き上げられない。なんとしても引っ張り上げるだけの時間を稼がなきゃいけない」
「《分かっていますとも》」
「なら、アレを試すぞ」
「《仰せのままに》」
レイダがサイクルショットを構える。いつものようにではない。針を通す為の、細長い銃口を作り、普段の何倍も小さく、それでいて鋭い針を内部で作り出す。
「サイクルスナイプショット」
「《それが名前ですか? 》」
「父上がつけたバーストショットの逆だ。あれは広い範囲に撃てるようにするショット。こっちはどんな小さな物でも狙い撃てるようにするショットだ……撃て!! 」
「《仰せの、ままに!! 》」
細く鋭い針が、銃口を素早く通り、目的の場所へと一瞬で到達する。出口が細くなった事で、威力の上昇もともなっていた。紫色のベイラー、その顔、側面へと命中し、体を大きく傾かせた。一撃でサイクルスナイプショットには効果があることが判明する。
パームは突如おそいかかるショットに大いに戸惑う。ただのサイクルショットでこのベイラーが揺らぐはずないと確信していたにもかかわらず、現実として、一撃で大きくバランスを崩した事に、油断を自覚した。
「くっそ。何をしやがった」
「効いてるぞ……だがパームの対応力も脅威だ。死角から攻撃し続ける。できるな」
「《はい。海賊の方。ご協力に感謝を》」
「《気にするな。これはセスたちの問題だ》」
レイダが構え、セスが走る。時間稼ぎの布陣は整いつつある。だが、パームもまた、この状況が自身に不利である事を承知している。だからこそ、この紫色のベイラーの、最後の手を使う。
「ここまでコケにされちゃ、使わざるおえねぇなぁ オイ!! ザンアーリィ・ベイラー!!」
バランスを崩した紫色のベイラーが、両足をしっかりと大地につけ、サイクルブレード……パームが持つ鉈状になっている武器を無造作に持ち上げる。そして、ここで始めて、紫色のベイラーの名前が判明した。
「ザン、アーリィ? それがベイラーの名前? 随分変な名前だな」
「《愛嬌もなにもないですね》」
「こいつをみてその無駄口を叩けるかな」
ブレードをレイダへと掲げた、その瞬間であった。動作そのものはなんの変哲も無い。ただ、相手に武器を向ける行為。敵意を向ける方法として一般的なものであり、すでにレイダもサイクルショットをザンアーリィに向けている。だが、決定的な違いが起きる。
ザンアーリィの目が、激しく光った。その色は……赤。
ベイラーの目が赤く灯る理由は、人と共にある時にのみに起こる、ベイラーの神秘。その力は、ベイラー1人では決して到達できない領域へと移行する証。それを、目の前のパームがやってみせた。
「ザンアーリィは、赤目になれるのか!? 」
「叩き潰してやる!! 」
先ほどの2倍以上のスピードで突進するパームとザンアーリィ。戦いの激化は、避けられなかった。
◆
同刻。洞窟の中でシラヴァーズに協力を得る事ができたカリンら。
「つるつるー」
「きれいー」
「あら。良く分かってるわね。人の子供にしてはいい感性をしてるわぁ」
リクの中で眠っていた双子、リオとクオが目を覚まし、メイロォの前に出てきた。リクの中に乗り手が居る事を知っていたために、さほど驚きもなく、さらには双子は真っ先にメイロォの容姿を素直に褒めた為に、カリンの時とは比べられないほど早く打ち解けていた。
「……貴方、子供が好きなの? 」
「子は守るべきものよ。後々に恋人になってくれるかもしれないでしょう? 」
「そう言う事なの……」
「大丈夫よ。私からみれば貴方もきちんと子供だから」
「そう言う事を言っているわけではないの!! 」
「分かってるわぁ」
「からかってるの? 」
「からかってるわぁ」
コウの身体を眺めるメイロォ。すると、驚嘆と呆れの混じった声がカリンへと投げられた。
「随分無茶するのねぇこの子。それとも無茶させたの? 」
「無茶? 」
「あちこち傷だらけのヒビだらけじゃない。大きな傷があるとかじゃないの。小さな傷とヒビが全身にある。どんな動き方をすればこうなるのやら」
「こ、コウは今そんな状態なの? でも、一緒に居た時はそんな事言ってなかったのに」
「あら、そうなの。ああ。綺麗な場所はあるにはあるのね」
会話が途中で中断される。と言うより、興味の対象が移り、内容が変わった。そんなことが両手の指で数える程行われる。このままではメイロォの会話だけで1日が終わってしまう事を危惧したカリンが、自分から疑問を投げる。それは、コウを連れ戻す為に必要だと言われた行為について。
「あの、聞いていいかしら? さっきのいっていた方法もからかいなの? 」
「さっき……ああ。そのこと? 」
「はいはいすこしどいてね」と双子を引き剥がしながら、未だ眠るコウを座らせるべく、リクに細かな支持を飛ばすメイロォ。早速コウの眠る故郷へと向かうべく準備しているが、その方法について、カリンが頭を悩ましていた。
「本当にその方法しかないの? 」
「ええ。むしろ一番早いものよ。私が手伝ってあげるから、最後の仕上げに、さっき話した事を貴方がやればいいだけ。簡単でしょう? 」
「それは、そうだけれど、そうなのだけれど」
「……まさか、嫌なの? 」
「嫌では、ないのよ? ただ、その、てっきり儀式でもなんでも、もしかしてお薬なのかもしれないとは考えていたものだから……」
「あらあら。そんなに珍しい事? 」
カリンがここまで拒否する理由に、まるで思い当たる節がないとばかりに首を傾げる。これもまた演技ではなく、メイロォは心底分かっていない。髪をかきあげて呆れながらもカリンに問いかける。
「別にいいじゃない。口付けくらい」
「良くない、わよ! 」
「どうして? 相手はベイラーよ? 」
原因は、その手法にあった。まず、メイロォがコウに触れ、儀式を行う。心の故郷に行くためには、然るべき手順があるようで、その細かい作業はすべてメイロォがやってくれる事で、カリンは安心しきっていた。しかし最後の仕上げに、乗り手が口付けをしなければならないというのだ。まったくもって予想していなかった行為が挟まった。
「口付け? 」
「あれだよ! お父さんとお母さんが良くやってるやつ! 」
「(ジョット、奥さんとは仲がいいのね……ってそうじゃない!! )」
双子から夫婦生活の一端を知りながら、カリンは、曲がりなりにも自分に好意を寄せているであろうベイラーに、意識がないとはいえ口付け、キスをするのに狼狽している。そして、コウは、オルレイト曰く、心は人間のままだと言う。であれば、それは人間相手にキスするのと何が違うのだろう。
「何も問題ないのではなくて? むしろ人はそこまで口付けに意味をつけていたの? 船にのる人は酒を飲んでは口付けしあっていたけど」
「そ、それは酔いに任せてというやつよ! そう簡単に口付けしないわ!! 」
「なら、白いベイラーが戻ってこなくてもいいの? 」
「そ、それは……ええと、口付けというけど、場所はどこでもいいのよね? 」
「何言ってるの。口と口を合わせるから口付けと言うのよ」
「人は場所まで指定しないものなのよ」
「もう。さっきまで私を言いくるめてたあの気迫はどこに行ってしまったのよ。あの時の貴方は随分魅力的だったのに」
「それとこれとは話が違うのよ……」
話がやけにややこしくなっている。メイロォからしてみれば、先ほど自分の納得を投げ捨てた人間と同一人物だと思えなくなっていた。だが、ここまで拒否されると、逆に興味が湧いてくる。なぜ口付け1つでここまで騒ぐのか。メイロォには心当たりが、1つしかなかった。
「……初めて? 」
「そ、そんな事ないわ! 会合ではよくしていただいたし! 」
「口同士? 」
「そんな事しないわ!! 」
その心当たりは見事に命中し、同時に墓穴を掘るカリン。全ての得心がいったメイロォはもう無敵であった
「いい? べつに交わる訳じゃないのだから、触れるだけでいいのよ。
「ま、交わるって」
「べったりしなくったっていいし、ああ、人はたまに手の甲とかにやってたわね。あの感じでいいの」
「そ、それで、いいの? 」
「ええ。ただ1つだけ」
「な、なにかしら」
「ベイラーの事だけを考えなさい。貴方達、人がベイラーを笛で呼ぶ時のように。必死に、切実に、ただ純粋に。彼に会いたいと願いなさい」
からかっていたはずのメイロォが突如として声色を真剣な物に変え、カリンへと詰め寄る。人間の裸体にも似た体は、潮の香りで人との区分けに役立った。
「それが道しるべよ……貴方、川を見るのは初めて? 」
「川……綿毛の、川の事? 」
「綿毛? まぁいいわ。川の事を知ってるのなら話は早い。そこに行くのよ。いいこと? そこで何を見ても。決して目的を忘れては駄目。故郷で溺れてしまうわ」
「……はい」
「よろしい」
すっと体を離すメイロォ。その手でコウの身体をペタペタと触れる。触れた後、自分の髪を何本か引き抜き、舌でねぶった。倒錯的な光景におもわず目がくらみそうになるカリン。双子は何をしているのかまるで理解していなかった。見たことのない光景に困惑する人の事を無視し、メイロォはその滴る糸をくくるようにしてコウの体に巻きつける。粛々と準備が進み。メイロォの髪がコウの体の目立つ部分に必ず見えるようになった頃。最後の巻きつけが終わる。
「大丈夫。この私を口説き落とした貴方よ。自信を持ちなさい」
「おしまいなの? 」
「ええ。あとは、言った通りにするだけよ」
「ええ」
「口付けの後は、そのまま体をベイラーに預けなさい。それで始まる」
「……ええ」
カリンが、メイロォを追い越し、コウの顔へと登る。肩に乗ることはよくあったが、こうしてコウの顔を間近で見るのは初めてだった。そして、メイロォが言っていた事が正しかった事を知る。
指の先ほどの、小さなヒビ。それがあちこちにある。それは木炭のような細かなヒビ。ヒビだけではない。すでにガインが直した傷も、大きなものは治っているが、ガインの指ですら届かないほど小さな傷が、至る所に散見された。原因は、連日の戦いと、サイクルジェットによる加速である事は明らかだった。
「……貴方はいつも無茶ばっかりね。私には無茶をさせないくせに」
人と比べて大きすぎる頬を撫でる。海水を吸ったコウの肌はささくれて、とても肌触りがいいとは言えない。だがカリンは、そんな肌を愛おしそうに撫でる。
「いつも、頑張ってくれているものね……寝ている間で我慢して頂戴」
ベイラーに口に当たる部分はない。だが、目はある為に、だいたいの検討をつけて、口があるであろう場所に、カリンが触れる。今度は、手のひらではなく。ただ、コウのことを考えながら静かに、ゆっくりと。
味などしない。そんな些細な事など、すでにカリンの頭になかった。
コウの身体に変化が訪れたのは、ソレが始まってすぐだった。巻きつけた髪の毛から、淡い光が、コウの身体を這うように伸びていく。それはメイロォの髪の毛を中継地点として、徐々にコウの身体を、血管のように細く長く伸びた光を覆う。
また、変化はカリンにも起こった。全身をめぐる光をその目で見た瞬間、強烈な眠気が襲いかかった。眠気というのさえ生温い。身体が命令されたかのように、まぶたを開くことができなくなる。メイロォの言った通りにそのまま身をあずける。だが、ほんの一瞬、全神経を集中し、一言だけ、伝えねばならない事を、カリンが伝える。
「ほら、眠りなさい」
「あ……あ……」
心を読むまでもなかった。全てを言い終える前に、カリンが眠りに就く。尻餅をついて座るベイラーに寄りかかるように、コウの首に身体を埋めてねむりこける。
「ありがとう、ね。全く。ベイラーの事を考えなさいって言ったのに」
「……姫さま、大丈夫? 」
「戻ってくる? 」
この洞窟に来てから、幾度となく、幾人の人間が見たことのない光景を目にしている双子が、不安を隠せずメイロォに肌を引っ張る。対してメイロォは隠すまでもなく言い放つ
「信じなさい。それが一番よ。人は、それが一番の力になるのだから」
「……うん!」
「そうだよね! 姫さまだもん!!! 」
「ここは人には寒いわ。戻ってくるまで、あの黄色い子に入ってなさい」
双子がリクの中に収まる。しばらくすると静寂が洞窟を包んだ。聞こえてくるのは滴る水の音だけ。
「……それにしても、一回で終わるとおもわなかった 」
たった今行った儀式は、本来、シラヴァーズがベイラーの故郷にいく為のもの。だがその為には、お互いがお互いを想いあっていなければ、決して故郷にたどり着く事はない。メイロォはそれを伝える事をしていなかった。それはひとえに、口付けした後のカリンをからかう為だったのだが、思惑が外れていた。
「憎たらしいくらいに想いあってるわ。あれでなんで恋人じゃないのかしら……人は本当に分からない」
そのうち、洞窟内の水でバシャバシャと遊び始めるメイロォ。
「私は成功したことなんてないのに。全く。本当に憎たらしい……羨ましい」
その呟きの意味を知る者はここにいない。ただ、カリンは、再び綿毛の川へと向かっている。そこで何が待っているのかもまた、知る者はここにいなかった。
もう二度と同時進行したくないです。次回もお楽しみに。




