そして雨が上がる
第2部最終回
「…まさかな」
オルレイトのつぶやきが雨にかき消されていく。隣で下を覗き込むミーンをレイダが支えてやりながら、この場での判断を決めかねていた。
山の中腹。そこに谷が存在していたのを4人は知らなかった。切り立った崖が、縦穴のようになった地形。大昔に地震でできた亀裂なのか、それともかつて川があったのかは、此処にいる誰も分からないが、少なくとも、人為的につくられた物ではないのだけは確かだった。
底は深く、出入り口は狭い。覗きこんでも中がまるで見えなかった。
「オルレイト。ここに落っこちたと思う? 」
「入り口はベイラーでもつっかえないくらい広い……なにより、足跡がある」
オルレイトの危惧は、レイダの足元にあるキールボアの足跡と、入り乱れるようにして散らばる、黄色いリクの欠片。
「ここで鉢合わせしたのは間違いない。足元も新しい。キールボアはこのまま別の方向にいった足跡があるが、リクのはない」
「じゃあ、まさか、ここに落ちた? 」
下から吹く風が、ミーンの身体を僅かに揺らす。
「変なこと言うなよ! 」
「あくまで仮定の話だ。……状況がかなり正確に教えてくているが」
思考の渦がオルレイトの中で巡っていく。ベイラーなら手足が千切れてるくらいで済むかもしれない。だが乗り手はそうではない。ここから落下した際の衝撃は、幼い彼女らには強すぎる。
カリンへどう報告したものか悩んでいると、そばに居たミーンがいつの間にか覗きこむのを止め、足の調子を確かめ始めていた。
「何をする気だ? 」
「降りて確かめる」
一瞬、言葉の意味を理解するのに手間取り、感情のままに口に出す。
「正気か!? この雨の中で、崖降りをするなんて 」
「僕とミーンならできる」
「君が郵便屋として名を馳せているのは姫さまから聞いている。だが、今は旅団の大切な仲間なんだ。無茶をして何かあったら……」
「あの2人だって仲間だろ! 」
ナットが、堪らずに吠える。
「黄色いベイラーもだ! もう僕は、僕の知らない場所で、僕の知らない間に、知っている人が、仲間が居なくなるのは嫌なんだ! 」
雨雲に突き刺さすように、少年の声が、何もかき消される事なくオルレイトへ響いていく。
「まだ、まだあいつらとは何も話してない! 好物が何かもしらない! せっかく手紙まで書いたのに、渡せないなんか絶対に嫌だ! 」
雨がミーンを伝っていくる。その顔は、一筋の流れができ、不思議とナットの顔に重なった。彼は、泣いていた。
「どうにかしてやりたい。だが、もし手遅れだったら……」
「《まったく。揃いも揃って坊やは何を言ってるんだい》」
ここで、レイダが呆れた声をだして2人の中に、割って入る。
「《ミーンも。まさか気がついてない何て言いませんよね? 》 」
「《……ごめんなさい。わかんない》」
「《素直に謝れるのはいいことです》」
「レイダ。なんの話をしてるんだ」
オルレイトが自分のベイラーに抗議の声を上げる。するとレイダは乗り手に対して信じられないといった声を返す。
「《困り果てます。……その胸の笛はなんの為にあるとお思いですか? 》」
乗り手達がすぐさま自分の胸に下がる、紅い宝石のついた笛を掴む。それは、龍石旅団の人間だけが持つ、この世界の龍、その一部を象った特別なもの。
「《鳴らしてみれば分かります》 」
「たが、この大雨じゃ」
「《想いを込めて吹けば、必ず届きます。私たちにとって、人間の吹く笛の音は、それほどのものなのですから》」
オルレイトは、レイダの飄々とした態度に、若干の苛立ちと、今まで積み上げてきた親子三代の信頼で飲み込んで、笛を手に外へ出る。
目が開けられるギリギリの大粒の雨。だが、もう一人の乗り手は、これ以上を既に経験している。
「やるぞナット。いけるのか」
「追われ嵐に比べればこのくらい! 」
ナットが雨に打たれながら、顔を上げる。それは涙を洗い流すようで。
「下に向けて、空気を出し切るまで鳴らす。それしかない! 」
オルレイトが少しでも音が届くように笛の周りを片手で囲いながら、肺に空気を送り込む。途中なんどもむせ返って咳こみそうになりながら、仲間の生存を見る為にその全てを押し殺す。
ナットは雨水を飲み下しながら、ただただ双子とベイラーの事を考えて、笛を握りしめる。祈りにも似た姿は、ベイラーたちを崇めるよりも、大地そのものに懇願しているようだった。
2人が最後の一呼吸を終え、肺のせき止めを解放する。
雨の音にまぎれて、小さく甲高い音が2つ鳴らされる。想像よりずっと響かない小さな音が出る2つのホイッスル。
乗り手の肺活量が問題と言うわけではない。横殴りに当たる雨は、風を伴って打ち付けてきた。雨以外にも、音を遮る風があったことを、失念していた。音が小さいのはそれだけが理由ではない。
「なんでだ! 洞窟の中にむかって音をだしてるのにまるで聞こえない」
「……岩肌がささくれてる」
オルレイトが自身と知識に当てはまる物を見つけ出す。だがそれは状況がより悪いことを意味していた。
「ナット。音は水の波や川の流れのような物だって、知っているかい? 」
「そ、それがいまどんな意味があるんだよ」
「平らな壁なら川は勢いのままぶつかって、壁を壊してしまうけど、一度別の方向に勢いをそらしてしまうと、力は一気に削がれてしまう。この法則は、音にも当てはまるんだ」
「……つまり、笛の音はとどかないってこと?」
「……」
オルは事実を淡々と言われたことで自身の知識を呪った。なぜ、この状況を打開できる知識を持っていないのか。なぜ助けられないという裏付けばかり思い描けるのか。
「引き返しそうナット。今なら……ナット? 」
「……鳥の声……かもしれない。僕の気が狂ったのかもしれない……でも、今確かに……」
ナットが縁から身を乗り出して崖の底を覗き見る。耳を必死に崖に向ける。オルレイトもそれに続いて、ナットを支えてやりながら耳をすます。
雨と風が混ぜこぜになり、耳の中へと押し込まれるような騒音。とてもではないが、自分たちが鳴らした渾身の笛の音が聞こえるとは思えなかった。
……水滴が垂れるような、違和感にもにた雑音が紛れているのに気がついた。
それは2つの、途切れ途切れに、しかし連続した単音。
風に紛れてあまりにも微かになったその音は、確かに2つ。笛の音色が底から聞こえてくる。
それは、リオとクオが、お互いの笛を交互に鳴らしている事実に他ならない。
「オルレイト! 」
「ああ、聞こえた! 確かに聞こえたぞ! 2人は無事だ! 」
「僕行ってくる。リクを引っ張り上げる事は出来ないけど、登り方を教える事はしてやれる! 」
「ま、待て、一度助けを呼びに」
「ならオルレイトがいって! この崖を降りれるのはミーンだけだ!じゃぁまた共に! 」
ナットが、ミーンの身体に着いた留め具を外す。空色をした身体に合わせて作られた外套は、すでに水気をたっぷり吸っていた。それなり以上の重さがあったのか、外套を外したミーンの身体が若干地面の沈み方が浅くなった。
普段は隠されている両腕のない身体が、雨の中にさらされた。
「いくぞミーン!」
大きく一歩を踏み出して、崖の底で待つ者の下へ飛び出す。あっけに取られるオルレイトを無視して、崖を蹴りながら下っていった。
「少しは話を聞いてくれないか……」
「《無理かと》」
「我を押し通す人間しかいないのか、この旅団は」
「《自分の事は抜きにするとは坊やも小狡くなった》」
「僕が? ……まさか……いやそんな……」
「《とにかく、ナットを信じるしかありません。私たちは言われた通り仲間と合流しましょう》」
「そうするしかないか。合流できたとして、コウの力でもリクを崖から引っ張り出すのは難しそうだし、しばらくは黙って見てるしかないか……な……」
「《オルレイト? 》」
雨にまぎれて、音が聞こえてくる。だが、今度は笛ではない。もっと近い位置から聞こえ、そもそも楽器ではなかった。
生き物が大地を踏みしめる音。さらに、鼻息も合わせて聞こえてきた。
「…見回りしてるとは本にのってなかったな」
手足は短く、身体は丸い。眼光はただ一点を鋭く睨んでいる。そしてなにより、図体に合わせて成長した、頭から生える巨大な二本の角。
キールボアが、縄張りを荒らしにきた者へ突撃をかけた。
◆
「せっかく見つけたのにね」
「頑張ったし、頑張ってくれたのにね 」
暗い谷の底で、黄色い巨躰が横たわっている。周りに囲むように有るのは、肉が朽ちた血もぬけた白骨たち。頭蓋骨がかけているものや、肋骨がまるまる砕けているもの。形は様々で、どれ一つでして同じ物はない。ただ分かるのは、横たわっている巨躰と合わせると、食物連鎖の頂点いると錯覚する
身体は蜘蛛と同じ8本脚……ではなく、両足は4本。両腕は4本。双子のベイラーが、生まれる時に一つに混じった、極めて珍しいベイラーである。今彼は、リクと名前をもらって生きている。その彼が、脚を文字通り四方へなげだし、力なくうなだれていた。身体はボロボロで、泥にまみれている。
「リク。大丈夫? 」
「ごめんねリク」
リオとクオがコクピットから出て、リクの顔に触れている。普段よく見るベイラーとは違う、丸い点々をした4つの瞳は、弱々しくも確かに光が灯った。今、彼女たちは縦穴からまっすぐ落下した場所にいた。雨水がさらに下へと流れておりここからさらに下へと坂になっているのが分かる。
リクが身体の動く場所を確かめる。両脚は問題なく動き、ぬかるみに気をつけながら立ち上がった。一方。腕の方は、4本腕の内、左手の一方がなんとか身体にくっついているような有様で、他の腕も、肌の一部がひび割れ、指が欠けていた。全ての傷が、リクが双子を守るべく、岩肌を所構わずに掴みまわって落下速度を出来うる限り抑えたのが原因だった。
「笛、ちゃんと聞こえたかな」
「……わかんないや」
リクの怪我を労わりながら、先ほど聞こえた笛に想いを馳せる。このまま助けがこなかったら、自分たちはどうなってしまうのか。頭にちらついていくのを意識せざるおえなかった。
「……お父さんって、いっつもナブとこうやってじっと待ってたりするのかな」
双子の姉、リオが、狩人の父、ジョットの姿を思い出す。ジョットが罠を考え、ナブと言う器用なベイラーが罠をつくり狩りをする。都合、獲物がつかまるまでの長い時間、ベイラーと共に過ごしている。
「遊んでたら、びっくりしちゃって逃げちゃうから、じっとしてるのかも」
妹のクオが補足する。身体から力が抜けていくように倒れこむ
「クオ? 」
「お腹すいたね。お姉ちゃん」
2人の腹が抗議しはじめる。朝食すらとっていないのが原因だった。
「怒られちゃうかな」
「きっとたくさん怒られちゃうね」
「……このままだったら、怒られることもないかなぁ」
体を寄りかからせる。雨に濡れた体をすこしでも温めようと寄り添う。
「でも、褒めてくれたりもできないよ。ごはんも食べられない」
リオがクオの身体をさすってやる。クオはリオの言うことがよくわかった。空腹であれば、なおさらだった。
「やだなぁ、それ」
「……それに、まだナットくんと話してないでしょ? 」
「えー、でもおねぇちゃんが先に言うって約束だからね」
「わかってるよ……リク? 如何したの? どこか痛い? 」
ベイラーが先ほどから真上を見上げてじっとしている。やがてまだ動かせる腕で2人を覆った。
「リク? さっきのボアボアがくるの? 」
「落っこちてきたんじゃないの?」
頭だけをだして上を見上げると、そこに見えることの無いはずの青空の色が見えた。
岩肌を足で蹴飛ばしながら、決して転ばす、落ちていると言うより、壁を駆けずり回っているようだった。一瞬、足場が崩れそうになると、そこ蹴飛ばして反対側の壁へと着地する。リクが腕をどけて視界を広げる。上から駆けてきたベイラーは最後に目の前に降りてきた。両腕のない空色のベイラー。
ミーンが、リクの元へと文字通り駆けつけた。コクピットからナットがでてきて、2人の肩を掴んだ。ぐわんぐわんとゆらしながら、なんとか絞り出した一声は、安堵と焦燥がまじっていつもより低くなった。
「よかった。本当によかった」
ナットがにへらと笑ったことで、こんな状況だと言うのに笑いがでてきた。
「へんなのー」
「へんなのー」
「お前らっ!? 人が心配してたのに!? 」
4つの目が、ナットを覗き込む。
「心配してくれたの? 」
「あんなにひどいこといったのに? 」
自分がしたことと、相手が言っていることが噛み合わないと感じて疑惑を目を向けてしまう。その目を真っ向から受け止めて、ナットが静かに、背中のバックをさぐりながら応える
「正直、まだよくわからない。でも、こうした会えなくなるより、ずっといい。それに、僕だって言葉たらずだ。だから、2人に手紙を書いた」
2人にむけ、便箋が渡される。この雨の中でも濡れないようにしっかりと包んであるその宛書きには、リオ・ピラーとクオ・ピラーの名があった。
「初めて書いたから、あまりうまくないかもしれない……それに、この手紙を渡す前に、そもそもやらなきゃいけないことがある。こればっかりは言葉にしなきゃだめだ」
2人をすこしだけ話すと、今度は、ナットが目を見つめた。
「リオ。クオ。……悪かった。何もしらなかったのは僕の方だったのに。君たちのベイラーを、バカにした」
双子は違いに目を合わせて、驚きの表情を隠さないでいた。それは、謝罪されたことへの予期せぬ行動への対応ではなく、たった今、自分たちが交互に名前を呼ばれて『目を合わせて』喋ってきたことだ。
「ナット。間違えてるよ? 私がリオだよ」
クオがとっさの行動をとる。自分をリオだと言って誤魔化そうとした。それは、よく村の人たちにやったいたずら。顔も声もそっくりなふたりだからこそできること。自分の両親意外には、ただの一度も看破されたことがないその行為に、ナットが目を丸くした。
「何言ってるんだ? そっちがお姉さんのリオで、君がクオだろう? 」
そして、間髪いれずに訂正を入れた。思わず双子が飛びあがる。そのまま抱きつくかのようにナットにひっついて、質問攻めを繰り返す
「え、えっと、わかるの? 」
「なんで? なんで? 」
「髪の毛? 髪型入れ替えてみてもわかる? 」
「服だっておんなじなのに! どうしてどうして!? 」
「後ろに行ったと思ったら近寄ってなんなんだよもぉ!? みたらわかるだろう! 」
理屈などありはしない返答に、双子はおもわず脱力する。
「ナットのばかー」
「そこはしっかりしてー」
「僕が何をしたっていうんだ……ほら。あとで読んでくれると、うん。嬉しい 」
二人に、決して相手を間違えることなく手渡した。
「《リクは、どこか怪我を? 》」
2人に今度はベイラーが問いかける。4本のうち1本がボロボロなのに気がついていた。
「うん。左腕の片方がだめみたいなの」
「すっごい違和感ある。その言い方」
ナットがリクに近寄り状況を確認する。そして、状況を確認すればするほど、両腕ではこの崖を登ることはできないとわかってしまう。
「腕はボロボロだ……両足はどう? 」
「足は大丈夫。リクも痛がってない」
「この子、嘘はつかないから」
ナットがその場で考え込む。そして、いまこの状態で、リクならばこの場を脱出できることに思い至る。しかしそれ相応のリクスも会った。
「リオ。4本の足をつかっていつもどうやって2人で歩いてるの? 」
「えっと、リクって、4本足だけど、もともとは2本づつある普通のベイラーなの。片方に1本づつ、リオとクオが使える部分があるんだよ」
「ってことは、右足左足で、2人がつかえる部分がちがうの? 」
「うん。えっとね、いまクオがつかえる左手が使えないの。リオのは、うではうごかせるけど、指がうごかないみたい」
「足は大丈夫ー。全部うごかせるよー」
「……ふたりともよくリクにのって歩けるな」
双子が普段やっていることにいささかの恐怖を覚えた。いまこの双子は。体のそれぞれが混ざった状態の手足を、2人息を合わせてスムーズに動かしているといったのだ。
2本づつある左腕の片方には、操作権とでも呼ぶべきものがなく、歩くときも、もつれないようにぴたりとうごかしていかなければいけない。リクが歩くのが遅いのは、単純に重量の話ではなく、足をもつれさせずに動かせる歩き方をするとそうなってしまうだけのコトだった。
「そしたら、今度は上に登るぞ」
「でも腕が……」
「大丈夫。リクなら足をつかって登れる」
「どうやって? 」
「足で登るって……」
双子がリクの顔を見上げる。4つの眼がふたりを捉えて、緑色に線が走った。4本のうち動かせる腕をつかってガッツポーズを見せる。リクは言葉が話せないが、誰よりも仕草に感情が出る。
「お前たちのリクを信じるんだ。僕もミーンを信じてる。だから降りてこれたんだ」
ナットが、確かな確信をもって応えた。
◆
「《しつこい!! 》」
「だめだレイダ! 絶対に手をだすな! 」
一方。上では縄張りをあらされたと思ったキールボアによる攻撃を紙一重で交わし続けていた。最初の一発、サイクルショットでの威嚇もまるできかずに。キールボアは攻撃を仕掛けてきている。
「《なぜです! 相手は確実にこちらを亡き者にしようとしているのに》」
「キールボアはなんでも食べる、雑食と言われる生態だ。木の実なんかも食べる。その種を糞としてあたりにまいてくれるんだ。そして種が花を咲かして、やがて実を結ぶ。山の豊かさっていうのはそういう物の積み重ねなんだよ」
「《まさかとは思いますが、この山の為に、キールボアに手を加えるのは嫌だと? 》」
「僕らは部外者だ! その僕らの都合で殺したりできるもんか! 」
「《ならどうするのです。このまま後ろの穴に落っこちるのを待てと? 》」
レイダが側転してその場から横にずれる。オルレイトがベルトに締め付けられて肺から息を強制的に吐き出された。咳き込む暇もなくこんどは着地の衝撃で頭を打ちそうになる。激しい動きではあったが、その甲斐あって、たった今レイダがいた場所に、キールボアが凄まじい勢いを伴って去っていった。何本かの木を破砕しながら足がとまり、再び方向を変えて突進する構えを見せる。
「お前のショットじゃ威力が強すぎる! キールボアの体力切れを待つんだ! そうすればむこうからいなくなってくれる! 僕らはその隙に姫さまたちの元に救援を呼びに行けばいい!! 」
突進してくるキールボアを再び避けようしたとき、キールボアが突如として違う行動にでた。前足をめいいっぱいつかって急ブレーキをかけて、制動する。足に泥が盛り上がって沈み込む。
「なんだ……? 」
「《あれは、まさか》」
やがて、泥以外の、普段は地面のさらに奥にある、まだ硬い赤土まで掘り起こされ、キールボアの膝までの高さになったころ。それを足場にして駆け出した。ただし、突進のためではなく、こんどは、飛び上がる為に。
「た、高台をつくったのか!? 」
レイダは、かつて、コウのと決闘で同じことをしたことがあるのを思い出した。あの時はコウを投げ飛ばす為に足止め用の土手を作ったが、キールボアの場合は、飛台として使っていた。
飛びかかるキールボアが、その角をレイダに向ける。鋭くも丈夫で、大きさもある巨大な槍にであるキールボアの特徴である武器が、振り下ろされる。
オルレイトが咄嗟にレイダを動かし、腕にサイクルショットをつくった。空中で身動きがとれないキールボアにむけ、一発、顔にむけて極小の針を打ち出す。
小さな針は、キールボアの角に絶妙な角度であたり、軌道をそらす。そして落下してきたキールボアが、レイダを仕留めそこなった。すぐさま頭を回して角を振り回す。がむしゃらに力の暴力で振り回された角が、レイダの横っ腹をなぎ払う。そこは、球体状のコクピットだった。衝撃がすべて、オルレイトに直にあたる。ベルトをした肩が食い込んで赤く変色する。
レイダがすぐさま距離をとって乗り手を確認し、叱責する。
「《なんで目を狙わなかったのです! ここまでされてまた体力切れを待つというんですか! 》」
「だめだ。今僕らがそういうことをすれば、この森の生物がみんなベイラーを嫌いになる。そうなったら、ここを通るベイラーたちが不憫だ。チャンスはかならずある。だから信じてくれ」
キールボアの足音が再び鳴らされるのと同じくして、レイダが構えを取る。あと何度突進をよければいいのか、この雨で足おとられないようにするのを何度気にすればいいのか考えた時。
ふと、背後で気配があった、ちょうど、ナットが降りた縦穴がある。動き回っていたせいで位置関係が元の位置に戻ってきていた。岩肌を駆け上がってくるものがいる。高速でなる音と……もう一つ。何かを削るかのような音が混じっている。
その感じがすぐさま答えとしてでた。空色をしたベイラーが、穴から飛び出してきた。腕のない小柄なベイラー。見間違うことはない。ミーンだ。両脚をつかって器用に地面に着地する。だが、岩を削るような音がやまない。キールボアも気にしだしたのか、突進をやめてこちらの様子を伺っている。
やがて音の正体が穴からゆっくりとやってきた。大きくつきだした棘を4本はやして、まるで蜘蛛のように四方に伸ばしている。切削音は、この刺で岩肌を突き刺していた音だ。そして、出口で一旦止まると、大きく体を振るわせて、ミーンほどとは言わないが、岩を蹴って躍り出た。
4本の、足の裏に刺をはやしたリクが、脚部を伸ばしきって、つっかえ棒のようにして登ってきた。体の大きさが、縦穴の直径に足りたことでできた、曲芸一歩手前の行動。ミーンがどの岩に突き刺していいのかを教え、一歩ずつ確実に穴から這い上がることができたこの行為は、他のベイラーでは絶対にできない。
ナットが、クオが、リオが、ミーンとクオを信じたからこそ、穴からでることができたのだ。
「あがってきたのか!? 」
オルレイトが安堵する暇もなく、キールボアが突進を仕掛けてくる。だが今度は標的がちがった。先ほど、穴に突き落としたはずの黄色い巨体が再び現れたことで、リクへその角が向けられた。
「さっきのボアボア! 」
「また突き落とすのぉ! 」
「や、やめろ二人とも! そいつはただッツ! 」
オルレイトが止めるのも聴かず、そしてキールボアが突っ込んでくる状況が静止を許さなかったことで、リクが無事だった腕の一本を振り上げた。一瞬で真っ赤なったリクの両目。そして双子が叫ぶ。
「「めーでしょ!! 」」
「《――!! 》」
右腕が全力をもって振り下ろされた。その拳は正確に、無慈悲にキールボアの顔面を捉える……ことはなく、直前の地面に叩きつけられた。
地響きを伴ってあたりを揺らす。たったひとりのベイラーが地面を叩いただけで、キールボアの体と、ついでのようにレイダとミーンの体が『跳ねた』
キールボアがなんとか姿勢を直して着地しながら、リクを睨みつける。双子はそれ以上なにもしない。ただ佇んでいるだけだ。雨にぬれた4つの眼が、雨に言うたれながら赤色に妖しく光っている。
どれくらいたったのか。雨以外の音があたりから消え去ったころ。ゆっくりと、キールボアが方向を変えて、森の中へと帰っていく。彼が、ベイラーを戦うべき相手ではないと理解したのか、リクの行動をみて単に怯えて逃げたのかはわからない。
ただ、オルレイトの想像以上に都合のいい状態が訪れた。双子もキールボアも無事だ。
「……よくやってくれた。2人とも」
「本の人はなぁんにもわかってない! ボアボアは突進を受け止めてくれそうなおっきなのにはずっと突進しつづけちゃうんだよ! だから、『こっちに突進してきたら無事じゃすまないぞ!』って教えてあげないと! ずーっとおいかけられちゃうんだよ! 」
「そ、そうなのか……縄張りのことといい、なんで本に書いていなかったんだ……」
「《オルレイトさん。えっと》」
ミーンが、おずおずと応える
「《人間がキールボアが『ずっと追いかけてくる』ことを知っちゃった時って、無事に帰って来れると思う? 》」
「……そ、そうか。みんな書かなかったんじゃなく、書けなかったのか」
ベイラーにでも乗っていなければ、そもそもキールボアに対抗などできないのだ。乗り手であるオルレイトにはそれが失念していた。
「……なら、僕ならかけるな。そういうことを」
「オルレイト? 」
「ナット。この旅での、僕の目標が一つふえたぞ……本を、いや、図鑑を書く。まだだれも見たこともないような、動物たちの図鑑だ。きっとこの旅をしていたら、きっと書ける。書いてみせる」
オルレイトが新たな決意を固めたとき、まるでその決意を祝福するかのように、雨が止んでそらからこぼれ日がさしてくる。雲もはれ、一面に青空が広がった。
「……さぁ。帰ろう。下山して、すこし歩けば、もうサーラだ」
「海だー!! 」
「船だー!! 」
リオとクオがサーラでの初体験に思いを馳せていると、体が空腹を訴えた。おもわず2人が腹を抑える。
「その前にごはんだね」
「「はーい…」」
ナットの提案に肯定する双子。その服のポケットには、ナットからもらった手紙が無造作ながら落とさないように大切にはいっている。
「なんて書いてあるかな」
「お返事、かく? 」
「クオ、それいい! 絶対かく! 」
こうして、3人のベイラーは泥だらけになりながら、それでも無事に、旅団の仲間たちの元へと帰っていった。
次回! 第三部「サーラでの戦い 海賊編」開始です。海賊の時間がはじまります。




