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木霊記述

短いですが、過去の話になります。

次から本編、再開となります。

[8 木霊記述(こだまきじゅつ)


…尋ね人は女だった。

イギリスの片田舎に、母国の人間が訪ねてくるとは。

少し嬉しくもあり、その反面迷惑でもあった。

これでは何の為に人目の無い田舎まで越してきたかわかったものではない。

ま、相手が悪かったのだろうと諦めることにする。

「こんな辺鄙なとこに御用ですか、娘さん」

皮肉を込めた第一声に女は物悲しげな表情を浮かべる。

反則だと想った。

昔からだ。

私はこの女に弱いのは。

溜息をわざと吐き、仕方無しに家に招き入れる。

家と呼ぶにはおこがましいかもしれないが、まぁ、人が住んでいる以上納屋と貶めることもなかろう。

内装は…、語らないでおこう。

…言えることは、男の暮らしとはこういうものを指すのだと。

言い訳だが。

「こんな場所では観光になりませんよ、瑚之恵さん」

必要最低限の生活用品の中から、インスタントコーヒーを取り出し匂いを嗅ぐ。

…まぁ、大丈夫だろう。

「仁様、戻っては頂けませんか」

くだらない。

お湯を沸かしながらあっさりその申し出を断る。

そもそも、私はそこが嫌で一族を見限ったのだ。

「どうせ、貴女の独断なのでしょ」

本来無表情な表情筋が動くのを見逃さない。

「近衛の貴女が姫の隣を離れて、さぞかし宮殿も荒れているでしょうね」

別に苛めたい訳ではないが、この方法が一番手っ取り早い。

罪悪感と使命感を使うのが人を動かす秘訣。

「…尚更、このまま帰る訳には参りません」

失敗した。

罪悪感と使命感。

まさに使命感の元、この女は此処を訪れたのだ。

これは梃でも動かないかもしれない。

…扇動術でも学んでおくべきだったかもしれない。

やれやれと、沸き立つお湯をインスタントコーヒーに注ぐ。

…いつもより苦い匂いが漂っているような。

取りあえず誤魔化すために砂糖を多目に放り込み、それを必死に掻き混ぜる。

「…お加減がよさそうで何よりです」

「あ、ああ」

戸惑いながら返答しておく。

…本当に体を気遣っている?

まぁ、いるんだろうな。

そういう女だった、こいつは。

変われない。

五年前、新宮司を捨てたあの日から。

あ、罪悪感が擡げてくる。

…これでは立場が反転してしまっている。

捨てた等と都合の良い言葉を遣ってみても、逃げた事実を拭い去れるわけがない。

厄介な人を寄越したものだ。

見え隠れする憔悴が痛々しい。

私を探すことに苦労を重ねたのだろう。

当ても無く、どれ程の月日を広大な土地を彷徨ったのだろうか?

マグカップを差し出す。

疲れが吹き飛ぶ、しかめっ面になりそうな甘ったるいコーヒを渡す。

瑚乃恵がコーヒーを一口すると、見事に眉間に皴を寄せた。

「…不味いです」

「ええ、体に悪そうな不味さですね」

私も差し出したことを後悔しながら、冤罪を籠めて中身を胃に流し込む。

「一晩だけ泊まっていきなさい。

そしたら帰りなさい。

私は戻る気はありませんから」

「…そうですか」

捨て犬のような横顔。

…まったく、これが計算づくならたいしたものだろう。

私の罪悪感が育っているのだから。

瑚乃恵は何かを決意し、伏せていた視線を向けてくる。

「なら、せめて依頼したきことが」

「依頼ですか?」

「はい。

新宮司 仁ではなく、稀世の魔術師と噂されている仁様にです」

これは又、私の経歴を事前に調べ上げていたようだ。

魔術師育成為の学院。

通常八年というカリキュラムを僅か三年で踏破しながらも、片田舎に篭る隠居魔術師。

マイセル リカラに次ぐ実力者と持て囃され、稀世の魔術師等とご大層な肩書きを与えられた。

「断ります。

新宮司に関わる気はありません。

…新宮司を捨てた時、貴女にはそう告げた筈です」

「…仁様」

「もう私は新宮司の者ではないのですよ。

様付けされる覚えがありません」

冷たくあしらうしか方法が想いつかない。

判っている。

この女は私の防波堤を簡単に打ち崩してしまう、唯一の女だ。

だから、些細な隙が命取りになりかねない。

「長旅で疲れているでしょう。

質素ながら、夕餉を用意しますから食べていってください」

「仁様ぁ!」

淡々と告げる私に瑚乃恵は泣きそうな声を上げる。

知っている。

この女がこんな姿を見せるのは私の前だけだということを。

「瑚乃恵」

私はあくまで抑揚のない声でたしなめる。

優しくすれば、情が移る。

だから、冷たくあしらう。

それが最善の策だと言い聞かせながら。




{五行が相克することにより、人は成り立つ。

火は熱を維持し、土は細胞を固定し、金は成長を促し、水は血液を循環させる。

木は紡ぐ。

人を紡ぎ認識させるもの、それは記憶であろう。

観測者がいて初めて人は人として認識される。

記録があり、それを見るものにより歴史が紡がれていく。

木とは歴史そのものなのだ。}




今日も明かりが灯っている。

あれから幾日が経過したのだろう。

深深と降り続く雨の中、ヨレヨレになったテントが今にも崩れそうな雰囲気を醸し出していた。

雨は容赦なくボロボロのテントへと降り続いていた。

…雨漏りをするのも時間の問題かもしれない。

(だからといって、私には関係のないことです)

そう自分を納得させるが、一向にテントが見える窓辺から離れることができずにいた。

瑚乃恵がどれ程苦労して此処に辿り着いたか、容易に想像できた。

旅などしたことも無かっただろう。

それが日本を飛び出し、何処に居るともわからない男を捜して、厖大な土地を彷徨ったのだ。

(私には関係ないことです)

言い訳がましく、何度も繰り返す。

瑚乃恵に初めてあった時、機械のような女子だと想った。

同い年位なのに感情を閉ざし、無表情に近衛としての任務に没頭するこの女が、私は正直嫌いだった。

しかし、それは仕方のないことだった。

物心付いたときから、新宮司を守護する近衛をして教育を受け、一切の喜、怒、楽を切り捨て育てられたのだから。

微かに見え隠れする哀と、徹底した無の感情が瑚乃恵の全てだった。

腹が立った。

話しかけても、馬鹿みたいにはしゃいでも反応が返ってこない。

プログラムされていない事項はこなせないと言わんばかりに。

だから、わざと危ないことをした。

新宮司の中でも飛び抜けて才能を開花させていた私は、八歳にして記述されている全ての符術をマスターしていた。

禁術と呼ばれる代物以外は。

神童と呼ばれ舞い上がっていたのもあるだろう。

だから静姫しか扱えないとされた、四聖獣の依り代を生み出す符術、禁書に手をだした。

瑚乃恵だけを引き連れて、符術練習用の社に来ていた。

この社は合言葉が無ければ内に入れぬほど強力な結界が施されており、ちょっとした異次元を想わせた。

これは孤立した一つの世界と言えた。

依り代の符を持ち出し、五行を符に詰めていく。

そして、どうして禁術なのかを思い知った。

依り代の符は無尽蔵に私から五行を奪っていった。

依り代の符は勢いを増し、私の肉体の五行を枯渇させんばかりに奪い取っていく。

意識が朦朧とし、膝が折れ、立っていることもまま成らなくなった。

「仁様ぁ!

仁様ぁ!」

ぼんやりする意識の中で、予想しなかった声が聞える。

擦れる視界を総動員させ、声の主を探し出す。

(誰だ、この子。

泣いてるよ)

泣き顔の所為か、それが瑚乃恵だと理解するに二拍必要とした。

混乱していた思考が戻り、相変わらず生命を吸い上げる符に向かい結果符を合わせる。

(かい)!」

掌と依り代符の間に極小の壁を造り上げ、依り代符への供給が停止する。

まさに間一髪だった。

これ以上吸い上げられていたら肉体の、命の崩壊は免れなかっただろう。

あそこで冷静に対処し、機転を利かせていなければと想うとぞっとした。

あらゆる力を失い、床に付しそうになるところを瑚乃恵が体を貼り、支えてくれる。

「仁様、仁様、返事をして下さいまし!」

無機物を思わす表情はそこには無かった。

「…何だよ、そんな顔もできるんだな」

薄れていく意識の中、悪戯が成功した子供のように私は笑った。




{記憶と言うからには、その本質は脳にあるように考えられる。

実際、記憶とは脳が行う、銘記、保存、再生、再認指して言われる。

だから間違った見解ではない。

これら四つのプロセスの内、一つでも欠ければ記憶は成り立たない。

さて、木の力を失うということは記録を銘記し、保存し、再生し、再認といった作業ができないということになる。

木の力が低下したものに暗記実験をしたところ、保存が機能せず、海馬(かいば)は全くといっていいほどに働いていなかった。}




これがきっかけで瑚乃恵は感情を表に出すことが多くなった。

どうやらこれまで行ってきた馬鹿な行為は無駄ではなく、瑚乃恵の感情を解き解していた。

毎日笑うのを堪えるのが大変だったと語ってくれた。

瑚乃恵が感情を見せるのが楽しくて危険なことをし、怒らすのが日課になっていた。

「仁様、私を怒らせてそんなに楽しいですか?」

部屋に篭っていた私に、瑚乃恵はオズオズと聞いてくる。

「ええ、これ程面白いものはありませんね」

この受け応えに瑚乃恵が溜息をつく。

「そうそう、二人の時は様付けは無しにしてください」

「それは駄目です。

私は器用ではありませんから、咄嗟の対応が出来ません。

だから、仁様は仁様です」

硬いねと呟き、床に寝転がる。

冷たい板の感触が気持ちよく、瑚乃恵はそれを見て困った顔をする。

「なら、貴女は瑚乃恵さんだ」

「はあ?」

「君が他人行儀を行使すると言うから、私もさん付けしようと思ってね」

「止めてください!

私など呼び捨てで!」

「意味がわかってないですね。

これは取引です。

様を退けるか、さんと呼ばれるか、二つに一つ。

選ぶのは瑚乃恵さんだ」

今想えば、性質の悪い童子だった。

これも又、瑚乃恵を困らす為の罠に他ならないからだ。

結局、瑚乃恵は仁様と呼び、私は瑚乃恵さんと呼ぶようになった。

…頑なで、だけど脆い部分を持ち合わせている、そんな少女だった。




{木が軽減すれば、痴呆が起こり、深層心理に深く刻まれた事柄以外の物事、つまり表層に浮かんでいる記憶はアクリル板に薄く延ばした絵の具のように、簡単に洗い流せてしまう。

本来五行は、生命が織り成す循環により発生するとされている。

よって失われた五行は器に見合った分だけ輪廻から補填される。

つまり、五行の一つが欠落すると言うことは器、肉体が最早その五行を受け付けないものへと変質してしまったことに他ならない。

だから、他から五行を補給しても悪あがきにしかならず、器はそれを受け止めることが出来ない。

だが、今回の場合は少し毛色が違うようだ。}




「お考え直し下さい!

貴方様は新宮司になくてはならないお方なのですよ!」

誰もそんな事想っていない。

「言葉は考えて話した方がいい。

この一族は静姫の糧としてしか生き残る術を知らない。

そんな臆病者の巣窟なんだとハッキリ言えばいい。

そんな飾った言葉、無意味です」

あれから何年たっただろう。

瑚乃恵と過ごす日々はどれだけ救いがあっただろう。

殺伐として、求めることも、足掻くことままならない環境で、私は逃げる事を選択した。

「どうしてそんな蔑むことを!

…私はそうは想いません!」

「…貴女一人で何が出来る!

この呪われた一族を哀れむことしか出来ぬ貴女に!」

言ってはならないことを口走った。

だけど、堰を切ってしまった私は止まらぬ罵声を瑚乃恵にぶつけていた。

「無力なんですよ、瑚乃恵。

貴女には何も救えない、私一人ね」

それが致命的だった。

私達の関係に脆くも崩れ去っていく。

瑚乃恵は呆然と立ち竦み、虚ろな瞳で私を見ていた。

「支配者の気まぐれ一つ変えれぬ無力さ。

私には耐えられない。

今日限りで新宮司の名は捨てる。

お前も私の付き人から解放される」

それは決別の言葉。

「二度と会うこともない。

さらばだ」

簡潔に別れを告げ、機械に戻ってしまった瑚乃恵は、只只私を見送ることしか出来ないでいた。




{これは明らかに他の火、土、金、水の影響が強すぎ、木を押し潰そうとしている。

五行は相克する。

遵ってどれも平均的な量でなければ、相克はままならない。

肉体特有の行なら問題は無いのだが。

今回の事例は特殊なものだ。

本来あるべき器の一部が切り取られている。

器は生まれる以前から定められたものであり、器が壊れてしまえば修復は不能となる。

無理やり加工された器は、本来の機能を果たすわけも無く、相克が崩れようとしている。

それは自然の掟を破るに等しき行為。

輪廻の垣根を捻じ切ってしまっているのだから。

このままでは崩壊の一途を辿るだろう}




新宮司を、日本を飛び出した私は、無力な自分が許せなく、魔術(新しい力)の門を叩くことにした。

だが、それは己の限界を知るだけの徒労に終わってしまった。

先天的なものに紛い物は勝てない、それが結論だった。

凡人は天才に及ばない。

幾ら稀世と呼ばれ賞賛されても、己と言う枠をも突破できない。

そして己に失望し、こんな片田舎に身を潜めるようになった。

(そんな世捨て人に何か望むなど、馬鹿げている)

やっと窓辺から離れることに成功した私は、肉体の訴える空腹に気づく。

「そう言えば、朝餉を食したから間食してませんね」

時刻は既に二十三時を回っていた。

よくも飽きずに眺めていたものだと呆れ返りながら、保存食を漁ってみる。

空腹なのだが食欲が沸かないので、軽くコンビーフを焙り、水で胃に流し込む。

舌が麻痺している感じがする。

まるで味がしない。

(寝よう)

だが、意思とは関係なしに冴えた目は軋み、染みが滲んでいる天井を見つめて作業を繰り返していた。

「私には関係ない」

独語し、自分の立場を認識させる。

自分は世捨て人だと。




{器を補う。

それが最良の策と言えよう。

だが、簡単なことではない。

五行は血液に近い性質がある。

詰まるところ、適合しないものを注げば、流れは固まり、滞り死に絶える。

器はもっと繊細に構成されている。

それこそ本人自身の器でなければ補えないほどに。

ならば、創り上げる必要が出てくる。

同じ器を持つ人間、クローンを。}


追憶が罪悪感を積み重ね、一ヶ月が流れた。

瑚乃恵が居る証として、テントは依然としてそこにあった。

だが、ここ三日、様子がおかしい。

飯時と就寝時間以外は玄関前で静に佇み、無言のプレッシャーをかけてくる瑚乃恵。

その姿を見かけることが無くなっていた。

(馬鹿なことを、判っているくせに!)

責任感の塊のような女だ。

そんな奴が来ない理由、来れないことを。

(…見殺しか。

確かにそうすれば、私は本当の意味で世間を捨てれる)

胃がキリキリして、今すぐにでも汚物をぶちまけられそうだった。

(なんでこんなに苦しいんだぁ!

こんなにも悲しいんだぁ!)

偽ろうとすればするほどに、心が悲鳴をあげて身を蝕んでいく。

窓辺越しのヨレヨレのテントが瑚乃恵自身に想える。

「わたしは」

乾ききって引っ付いていた唇が引き剥がされ、言葉を紡ぐ。

追憶で息づき、色が付いているものは瑚乃恵と過ごした日々だけ。

「…瑚乃恵」

口にしてしまった。

それまで押し込めておいた感情の吹き溜まりが、奔り出す。

乱暴に扉を開け放ち、私はテントに走り出していた。

テントまでたいした距離ではないも係わらず、その距離が絶望的な想像を膨らませていく。

断りもなくテントを開けると、痩せこけ、浅く激しい呼吸で喘ぐ瑚乃恵の姿があった。

辺りは血の海だった。

口元が血まみれなところを見るに、吐血したのだろう。

こんなになるまで放っておいたことに、自分が許せそうになかった。

そして、生きている内に決断できた自分に感謝した。

「瑚乃恵、瑚乃恵、瑚乃恵」

頬を軽く叩きながら、意識があるかどうか確認する。

暫くすると、薄っすらと瞼を広げ、虚ろな瞳が此方を見る。

「じ・ん・・さま?」

瑚乃恵は不思議そうに名前を呼んでくる。

「・・あ・・れ、ゆ・・めか、・・じ・・ん・・さまが、はなし・・かけ・・てくれる・・・わ・けないし」

私は息を呑む。

「で・・も・・、いいで・・す。

ゆ・・めでも・・・、じ・・んさま・・と・・むか・いあえ・・る・・なら」

息も絶え絶えながら、嬉しそうに私を見てくる瑚乃恵。

「もういい、喋るな。」

慙愧の念に押し潰されそうになりながらも、私は瑚乃恵を抱きかかえるとゆっくり運び出す。

「直ぐに直してやる。

だから、大人しくしてろ、いいな」

懇願し、心配を掛けぬよう精一杯の笑顔を見せた、…つもりだった。

「・・ない・・て・・いる・の・・ですか?」

頬に熱い雫が零れていた。

「お前にもしものことがあれば、止まりませんよ。

だから、もう喋らないで」

瑚乃恵は返事の代わりに、やつれた手を伸ばし涙を拭ってくれる。

そして優しく微笑んでくれた。




{問題点は二つ。

魔術培養を用いてホムンクルを生み出すことは可能だが、器を完成させるには時間が必要となることだ。

こればかりは刻が訪れるまで待つしかない。

後は補うべき五行を特質したものを創り出すこと。

本体に欠けたものを補うのだ、元の器では意味がない。

擬似的な特質では拒否反応が見受けられた。

やはり自然なものしか受け付けない。

そうなると天性的に持ち合わせているものと掛け合わせるしかない。

素質のあるものは、都合の良いことに邂逅出来ていたのは幸運と言えよう。

後は育つのを待ちわびるのみ。}




瑚乃恵の症状は小康状態まで回復していた。

疲労、ストレスが祟り、胃に大きな穴が開いていたのだ。

私はもてる限り知識を総動員させ、手術を成功させた。

(私が追い込んだのだな)

きめ細かなお腹に残った醜い傷痕を見ながら、私は悔いていた。

日に日に募っていく瑚乃恵の心労を測ることもできずに、只、私は見ないようにしていた。

(こんなになるまで、我慢して)

瑚乃恵の痩せこけた顔を撫でる。

「…仁様。

…擽ったいです」

瑚乃恵は反応し、眠りから覚める。

「…そうか」

私は暫く頬を撫でるのを止めず、体温(生きている証拠)を楽しんだ。

「夢じゃないんですね。

仁様が昔みたいに優しくしてくれて、傍にいて」

「ああ、夢じゃない。

私はお前の傍に居て、優しくしたいと願ってる。

お前が許してくれるなら」

願い。

本当に失いたくないものの傍にいること。

それが茨の道を歩むことでも。

「…許しません。

ずっと私の傍に居てくれないと、許しません」

交差する願い。

瑚乃恵から初めて聞く拒否の言葉は、私の願いそのものだった。

「ああ、居ますよ。

ずっとです」

「…もう一声欲しいです」

偽り続けた感情の箍が外れていく。

「近場に絶景の谷があるんですよ」

「?」

「そこで告げます。

だから今は駄目です」

意図を理解した瑚乃恵は、精一杯の微笑みを称える。

「…判りました。

じゃあ、早く元気になりますね」

そして再び眠りに落ちる。

「…愛しています。

誰よりも」

その横顔を眺めつつ、私は溢れた分の想いを静に告げるのだった。




{木の器を創り上げ、記憶を保護する。

脳が銘記された記録が、状況に応じて再生される。

この現象と木の行を維持することから、この計画を木霊(こだま)と名付けることにしよう}

木霊の書より

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