吸血鬼なカノジョ。 -滅びを待つ口元ー
吸血鬼な彼女 ー滅びを待つ口元ー
くすくす、と笑う口元に添えられた かぼそい指たちは、どれも闇夜の色--ベルベットの手袋をまとっていた。
外してもらったらきっと、白いしろい指が現れるんだろうな、なんて、ついそんなことを考えてしまう。
「どうしたの?」
彼女がまとう黒いヴェールは、これまた繊細なアンティークのレースで縁取られていて、その意味深
な目元を、額を、鼻を隠してしまう。
ーー憎い。はぎとってしまいたい。
「--なにを、考えてるの?」
顔を少しばかり近づけられると、--古いクロゼットの中みたいな香りがした。
反射的に身を反らせたのを少しばかり後悔しーー。
少年は笑みを浮かべる。
真夏のひまわりのような、屈託のない笑み。
邪気や湿気など、どこにも隠されていない。
陽光と、干し草のように。
「さて、なんでしょうね~」
にこにこ、とこう微笑まれては、詰問のしようもない。
黒いヴェールの娘は、少しばかり頬を膨らませてみせた。
「謎かけってわけ? --いいわ、当ててあげる。あたしのドレスの下のランジェリーがどんなものだか想像していたん
でしょ?」
「え、えへへ…」
否定はしなかった。
まぁ、もちろん。こんな美女に迫られたら、悪い気はしない。
「ついてきなさい。ステキなディナーを用意させるわ。--それと、ステキな夜景もね。もちろん、見ていくでしょ?」
「え、ええ…。」
特に断る理由もない。
のこのこと、ふらふらと、ついていくことにした。
****
(わぁあ…!)
思わず心の中で感嘆の声を上げる。壮観だった。ーー三百年も前の造りだろうか? 城が、戦の際の砦だった
名残か窓は細く小さく、堅牢だ。
石の床は土が薄く積もっていた。
(そ、掃除したい…!!)
よくわからない衝動を抑えながら、先を歩く『彼女』のあとにつづく。
執事ーーいや、粘土の人形か、彼女の漆黒の外套と日傘を受け取り、一礼をする。
彼女は何事かを執事に告げ、そして今宵の客のほうへ一度、視線を向けた。笑みを返す。
そして、重厚な両開きの樫の扉の前で、彼女は立ち止まる。
「ここが食堂よ」
彼女の細い指が扉を押すと、それはかすかな軋みを立ててあっさりと開いた。
「わぁ…!」
そこには豪華な食事の数々。
山鳥の肉に木の実を詰めたものがメイン・ディッシュらしく、その他、熟れた果物、茹でた根菜などに、不可思議な色の
ソースがかけられている。
少年はきょろきょろと周囲を見回す。
「僕ひとり…ですよね」
黒いヴェールの娘は明るく笑った。
「そうよ! 何、言ってるの。見えないお客さんでもいるの?」
「あ…。違い、ますけど…」
娘はまたくすくすと笑い、席へと案内してくれた。
****
腹も満たされ、夜も更けてきた。
トランプのゲームを何種類が、だらだらと続けていたが、とうとう彼女があくびをする。
「ふぁああ」
「眠いんですか?」
尋ねれば、娘はわらう。
「そりゃそうよ。あたし、何百年も寝てないの。あ~あ。一回でいいから、思いっきりぐっすり眠ってみたい!」
「なんびゃくねんも…。」
ごくり、と喉が鳴る。
「なぁに? びっくりしちゃった?」
「ええ…。まあ、それは」
「ねぇ…」
彼女は耳元でささやく。
「あたしと一緒に、永遠の中に堕ちてくれない?」
「い…」
いいですよ、と答えようとしたけれど、口に出すのをとめてしまった。
ーーだって、妖艶に笑う彼女は、あんまりにもきれいだったから。
「…いや?」
「嫌なわけないですよ! もちろん! 喜んで!」
美人はいつだってウェルカムだ。ヘイ・カモーンだ。
ここにとある知り合いがいたら思いっきり顔をしかめるであろうことが容易に想像できたがそんなことは知らない。
だってこんなにきれいな人が悪いことをするはずがない。
彼女の細くて白い指が首元に伸びてきて、それからその薄い唇が近づいてきて、--えっとそれから、その先の詳しいこ
とは覚えていない。なぜって、何か色々と恥ずかしいから。
***
気付いたら朝の廃墟で、壊れた石の壁から白い光が差し込んでいた。
床は変わらずに土埃の匂い。
寒くて風邪を引きそうだった。
体がつい震えてーー手の甲がやわらかい布に触れる。
「は~。あったか~」
「…。」
とりあえず手近にいたので抱き着いてみたのだが、蹴り倒された。--やさしくない。
「--で。今度は何をやらかした?」
聞きなれた声。落ち着いたトーン。氷のような冷たい気配。
「や、やだなあ…。何も…」
しはく、といつも少年が呼ぶその人影は、朝の冷気でよけいに冷たく感じた。
「!」少年は気づく。
黒い煙の匂い。煤の臭い。--空に立ち上る煙は。
「師伯…?」
この惑星、この時代には、人ならざるモノを焼く、という風習があった。
「ま、まさか…」
そんなハズはない。だって彼女はーー。
「やめーー!!」
声は届かない。
だって彼女の耳は太陽の光で灼かれてしまったから。
美しい髪は、熱でただれてしまった。
群衆の中に駆け寄ろうとして、『師伯』に押しとどめられる。
「はなしてくださいっ! 彼女は…、あの子は…っ」
微笑むものは、面影ばかり。
「なんでーー!」
行くな、と珍しくハッキリと止められて戸惑う。
「師伯ーー。」
泣きそうな顔は。
知っていたのだろうか。
永遠の中、一途に滅びを望み続けた彼女の願いを。
おしまい。




