値札の話
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窓から差し込む斜めの光は白く、そしてどこまでもやわらかく。
ふんわりとかかったレースのカーテンは、さきほどから風をはらんで帆のように踊っている。
薄い青色の空には、これも薄い雲がーー水蒸気の塊が、境界を曖昧にしながら存在している。
二、三歩足元を確かめて歩けば、踵に優しい感覚が返ってくる。
加工された樹に特有の、いい香りがほんのりと店内には満ちていた。
何に使うのかも分からないような品々が、こちらにはみっちりと詰まっていたかと思えば、あちらにはまばらに置かれていたりする。
そちらには雑然と積まれていたかと思えば、向こうには定規で測って並べたみたいに整列していたりする。
容れ物に入ったもの。あるいは容れ物。
何かに載せるためのもの。あるいは上に何かを置くためのもの。
もたれかかるためのもの。それ自体が自立するもの。
座るためのもの。ひょろりとしたもの。どっしりとしたもの。
生きているもの。生きていないもの。
青いもの。黒いもの。白いもの。黄色いもの。
どきどきしながら値札を見つけて裏返し、恐ろしくなって手を引っ込める。
はぁ…、と。
感嘆ともあきらめともつかない息が気づけば口からもれていた。
「触るな」
後ろから、店主と話していた銀色の髪の青年が振り返って面白くもなさそうに言う。
「お前の首くらい飛ぶぞ」
その言い方に、ちょっと傷ついた。
「むー。僕の命の値段っていくらくらいですかー!」
「一億」
寸も尺もなく返ってきた答えに、内容よりもその即答ぶりに、苦虫を口の中に見つけた気分になった。
ヤマネによくにた毛むくじゃらの店主が、無口な師に変わって答えてくれる。
「人間の値段なんてそんなもんさ、ボウズ。
一億あれば誰かの一生が買える。一億の元手があれば一生働かずに暮らせる。一億あれば、たったひとりの人生を変えらえれる。
ーーな? シルフィド」
話を振られて こくり、と銀髪の青年は頷く。
「興味ないがな」
にべもなく付け足された一言に、なおさら憤懣が募る。
「ここにある品々はね」
店主はぴんと伸びたヤマネ風のヒゲを長いツメの先でなぞりながら店内を視線で示す。
「安く売ろうと思えば売れるのさ。でも、そうはしない」
「どうしてですか?」
金髪の少年の問いに、店主は丸い小さな眼鏡の奥でニヤリと笑んだ。
「君は質問ばかりだそうじゃないか? たまには自分の頭を使いなさい」
「むー…」
もう一度、少年が多種多様な品々を見渡してーーいるうちに、師はさっさと音もなく声もなく店内を辞していた。
「えっ!! ちょ…っ、師伯―! 待ってください! 置いていかないでくださいよー!」
慌てて追いかける。
「また、きます!」
振り返って扉をくぐりながら声を掛けると、ヤマネ顔の店主はひらひらと手を振って応じた。
「またのお越しを」
「師伯―!」
追いかける。でも追いつけない。
なんでこの人はいつも自分を置いて行ってしまうんだろう。--少しくらい隣にいさせてくれたっていいのに。
「ばーか、ばーか。師伯のばーか」
呟いていると知らない間に立ち止まっていたらしいローブの背中にぽすりとぶつかった。
「…馬鹿で悪かったな」
「き、聞こえてたんですか…あはは」
「…べつに。」
そしてまたさっさと歩きだす。
「で?」
「はい?」
「答えは?」
「何のですか?」
きょとん、と問えば返ってくるのは不機嫌そうな顔。
「さっきの」
そらす目線は地面に落ちて、そして空を向いた。
安く売ろうと思えば売れるのさ。でも、そうはしない。
「さ、さぁ~、何ででしょうね…?」
ひとつのことを深く考えるのは苦手である。だって、考えたってどうにもならないのだから。
目の前の現実は、変わらないのだから。
「ふん」
そしてまた背を返す師を追いかけようとして、彼が歩き始めていなかったせいで、またローブの背中にぶつかった。
「…ほんとにわかんねぇのか? そのほうが儲かるからに決まってんだろ」
「は、--はァ!?」
「そ、それだけ?! それだけですか?!」
ローブの端を掴むとうっとうしそうに振り払われた。
「他に何があんだよ」
「な、なにって…」
深い理由とか。
答えるに答えられずに口ごもっていると、一言飛んできた。
「ばぁか」
「むかっ! なんでですかー!!」
空はどこまでも青いわけで。
風は、優しく吹いているわけで。
だからたぶん、命のお値段のことは、今は忘れようと心に決めたのだった。
ーー「値札の話」
「そう言えば何を買ったんですか? 師伯」
こぽこぽと立ち上る水蒸気に顔をなでられながら、尋ねる。
「…さぁ?」
「『さぁ』って何ですか 『さぁ』って! 僕には知る権利と義務がありますー!」
「へぇ」
「『へぇ』じゃありませんー!」
師が読んでいる本は相変わらず謎である。分厚い重厚なーーそれこそカバーが鉄だったこともあったーーから、果ては街で配られていたらしい一枚のビラまで。そんなものを熱心に眺めているものだから、この人には何が見えているんだろうと心配になりーー気にもなる。
「…師伯?」
「ん?」
「何を読んでいるんですか?」
「さぁ」
「…さぁ、じゃありませんってば…」
いい加減呆れる。
「お前には未来永劫関係のないものだ」
「関係あるかもしれないじゃないですかー!」
「ん」
差し出された紙面は、未知の言語である。
そもそもざらざらした羊皮紙ではなく、つるりとした黒い表面に、翡翠色の、--未知のーー言語が静かに光っている。
「よ、読めません…」
「だろうな」
面白くもなさそうに答えるのにいい加減頭に来たので、とりあえず師の ほっぺたを左右から引っ張っておいた。
「ひゃひふふふ」
(終わる)
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