君が見る夢、ぼくが見た夢
つまり、と彼は言った。
「私の妻を死なせてほしいんです」
白い病室ではカーテンがひらひらと揺れていて、外はどうしようもなく青空で。
彼はどうしようもなく老いていて、彼の妻には意識がなかった。
白い外套とフードをまとった青年は静かに答える。
「叶えよーー」
う、と言いかけた辺りで、誰かが叫ぶ。
「ダメです! 師ーー」
伯、と言いかけた辺りで、青年の静かな瞳に止められた。
「叶えよう」
言葉は銀の雨のように降り落ちて、老いた男の心に染み入った。
カーテンは相変わらずひらひらと踊っていて、空は相変わらず澄んでいた。
次の朝。老いた男の妻は目を閉じたまま、静かに、眠るように呼吸を止めていた。
誰が見ても明らかだったし、そしてもう目覚めないだろうことも確かだった。
その傍らで老いた男は膝をつき、妻にすがって泣いていた。
ぱんっ、と。
乾いた音が響く。
驚いてみれば、弟子を名乗る少年は目に涙を溜めていた。
銀髪の青年は、普通の人間なら、痛みを感じたはずの自分の頬にふれる。
「なんでですか?! どうして…ですか」
青年はきょとん、とひとつ瞬いた。
「どうして…と言われても。それが彼の、願いなんだろう?」
「師伯は何も分かってないです! 何もーー!」
何も?
「へぇ」
青年は少しばかり不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあ訊こうか。お前は希望について何を知っている?
ヒトが生きたいと望むのは、明日が今日よりよくなると信じられる時だけだ」
「そんなーーこと」
「老いて淀んだ命の行き先は墓場だけ。お前なら【彼女】に、どんな希望を与えられるんだ?」
「(かの…じょ?)」
少年は一瞬だけ、その主語に息を止める。
が、次の瞬間、感情のほうが勝った。
「師伯なんか大ッッ嫌いです!!」
そしてそのまま師を残して駆けていく。
これにはシルフィドが意外そうな顔をした。
弟子から今まで一度だってそんな言葉を本気で向けられたことはなかったし、これからもないだろうと、心のどこかで思っていた。
「--そういう、ものかね」
だからたぶん、傷ついた。あるはずのない、--心が。
***
手のひらに収まる大きさの平たい石が、水面をリズミカルに跳ねていく。
沈め、沈めと念じるのだが、あろうことか向こう岸に上陸して、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ているーーような気がした。
「ばーか。ばーかっっ、師伯の、…ばーかっ」
あのヒトをこんなに罵倒する日があるだろうとは、今まで夢にも思わなかった。
が。
悲しいのだ。どうしようもなく。
(分かってる。師伯は僕じゃない。僕だって師伯にはなれない)
見ている景色が、違う。
吸っている空気が、違う。
住んでいる世界が、違う。
でも、それでも。
「同じ言葉をしゃべってる」
***
「なぜ、死なせてくれなかったーー!!」
老齢の男は、白外套の聖者にすがる。
彼はつまらなさそうに応じた。
「彼女がそれを望んだからだ」
そして、付け加える。
「彼女にはもうできることは無かった。--けど。お前は生きているだろう? まだ、できることがある。変えられるモノがある。彼女がそれを望んだんだ」
「そんなーーこと」
どこかで言われた台詞だと苦笑しながら、彼は病室を後にした。
部屋を出たところで、亜麻色の髪の少年が立っていた。
いつものように呼ぶでもなく、かといって責めるわけでもない、とても、複雑そうな表情で。
何が正解かとか。何が真実かとか。
たぶん、そういう人間たちの好きな謎かけで、頭がいっぱいなのかもしれなかった。
別に。
誰に好かれるかとか。誰に嫌われるとか。
そういう基準で生きているわけじゃない。
シルフィドは冷淡にもその脇を通り抜けた。
ーーが。
「師伯」
「--なんだよ」
「昨日の、ウソですから」
「はぁ?」
「大嫌い、とかっ、嘘ですから!!」
「あっそ」
別に興味がない。そんなこと。
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