表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第3章 継火と氷華
50/125

エピローグ

 手合わせから数日後の昼前。

 ハヅキ家の正門前には、北へ戻るフロストレイン家の馬車が並んでいた。


 銀と白を基調にした車体には、フロストレイン家の紋章が刻まれている。従者たちが最後の荷を積み込み、御者が馬具を確かめていた。


 南方の陽射しを受けながらも、馬車の周囲だけはどこか涼しく感じられる。


 見送りに出たのは、コトネとアルバート。

 その少し後ろに、テンカとキリカ、クレハ、トウマが並んでいる。


「このたびの滞在では、格別のご配慮を賜りました」


 レオノーラが一歩前へ出て、コトネへ深く頭を下げた。


「本来は報告会への出席が目的でしたが、思いもよらぬ事態にまで巻き込まれることとなり……」

「こちらこそ、エリシア様のお力をお借りしました」


 コトネは静かに答える。


「封瘴室の異変は、ハヅキ家の管理下で起きたことです。フロストレイン家へは、改めて正式な報告を送ります」

「承知いたしました」


 レオノーラは再び頭を下げた。


 その隣で、エリシアは相変わらず涼しい顔をしている。

 昨日の戦いと今朝の手合わせを終えたばかりだというのに、旅装には乱れ一つなかった。


 ただ、こちらへ向ける氷青色の瞳だけは、初めて屋敷を訪れた時よりもわずかに柔らかい。


「テンカ」


 名を呼ばれ、テンカは一歩前へ出た。


「何じゃ、エリー」

「継火が、ずいぶんと馴染みましたわね」


 エリシアの視線が、テンカの腰へ向く。

 黒い鞘に走る緋色の一筋。


「そう見えるか?」

「ええ。初めてお会いした時は、あなたが継火を従えようとしているように見えましたもの」


 テンカは思わず、柄へ添えていた手を見る。


 握り込んではいない。

 ただ、そこにあることを確かめるように触れている。


「今は違うのか?」

「今は、並んで立っているように見えますわ」


 エリシアの言葉に、テンカはしばらく黙った。


 黒き鬼を斬った時。

 自分は火を押しつけ、刀を砕き、帰ることすらできなかった。


 だが、あの日は違った。


 火を刃の芯へ留め、斬った後には己の内へ戻した。

 継火は壊れることなく鞘へ帰り、自分もまた、無事に戻ることができた。


「……刀とは、従えるものではなかったのかもしれぬな」

「では、何ですの?」

「まだ分からぬ」


 テンカは継火の柄を軽く撫でる。


「じゃが、一方的に力を押しつける相手ではない。それだけは、ようやく分かった気がする」

「そうですか」


 エリシアは短く答えた。

 けれど、その表情はどこか満足そうだった。


「それより、先日の結果じゃ」


 テンカが話題を変える。


「あれを引き分けとするのは、わらわとしては納得がいかぬ」

「奇遇ですわね。わたくしも同じことを考えておりました」

「次は、地面の下にまで氷を隠す暇を与えぬ」

「次は、そもそも間合いへ入れさせませんわ」

「言うではないか」

「事実ですので」


 二人の視線がぶつかる。


 昨日までなら、互いに一歩も退かないまま言い争いが始まっていたかもしれない。

 だが今は、どちらからともなく口元が緩んだ。


「ですから」


 エリシアが続ける。


「次に会うまで、腕を鈍らせないでくださいませ」

「誰に申しておる。そなたこそ、北で氷漬けになっておるでないぞ」

「余計なお世話ですわ」


 エリシアは小さく息を吐き、それから少しだけ視線を逸らした。


「……手紙を送ります」

「手紙?」


 予想していなかった言葉に、テンカは瞬きをする。


「北方に現れる魔物や、氷術による瘴気封じについて。あの残滓と関係するものがないか、こちらでも調べてみますわ」

「それは手紙というより、報告書ではないか?」

「どちらでも同じです」

「同じではなかろう」


「では、近況も添えますわ」

「近況?」

「鍛錬で何度氷壁を壊したか。何体の魔物を凍らせたか。あなたに負けぬだけのことをしていると、知らせて差し上げます」

「やはり報告書ではないか」


 テンカが呆れると、エリシアは澄ました顔で顎を上げた。


「あなたも返事をくださいませ」

「大魔境の調査記録を送ればよいか?」

「それだけでは許しませんわ」

「注文が多いのう」

「友人からの手紙とは、そういうものでしょう?」


 不意に出た言葉に、テンカは目を見開いた。


 エリシアも、自分が何を口にしたのか気づいたらしい。

 ほんのわずかに間を置いてから、何事もなかったように続ける。


「少なくとも、北方ではそうですわ」

「……そうか」


 テンカは笑った。


「ならば、わらわも手紙を書く。大魔境のことも、継火のことも、そなたが知らぬ南方のこともな」

「楽しみにしております」


 レオノーラが、控えめに声をかけた。


「エリシア様。そろそろ出発のお時間です」

「分かりました」


 エリシアは返事をし、馬車へ向かって歩き出す。


 数歩進んだところで、足を止めた。


 振り返る。

 銀白色の髪が、南方の風に揺れた。


「では、またお会いしましょう。テンカ」

「うむ。またな、エリー」


 それだけだった。


 抱き合うことも、別れを惜しんで長く言葉を重ねることもない。


 エリシアは馬車へ乗り込み、レオノーラもその後に続く。

 扉が閉まり、御者が手綱を取った。


 車輪が動き始める。


 馬車が正門を抜ける直前、窓が開いた。

 エリシアがそこから片手を上げる。


 テンカも、同じように手を上げた。


 馬車は街道へ出ると、北へ向かって少しずつ遠ざかっていく。


 やがて銀白色の車体が見えなくなっても、テンカはしばらくその場に立っていた。


「寂しいですか?」


 隣から、キリカが尋ねる。


「まさか。ようやく静かになる」

「左様でございますか」

「……何じゃ、その顔は」

「何でもございません」


 キリカの口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。


「本当じゃぞ」

「はい。姫さまのお言葉を信じております」

「絶対に信じておらぬであろう」


 言い返していると、背後から足音が近づいてきた。


「当主様」


 トウマだった。

 見送りの場に似つかわしくない、硬い表情をしている。


「黒き鬼の討伐地点へ向かわせた調査隊から、第一報が届きました」

「異常は?」


 コトネの声が、当主のものへ戻る。


「現時点では、新たな魔物や瘴気反応は確認されていません。ただ、残滓の反応を踏まえ、周辺の調査範囲を広げたいとのことです」

「どこまで?」

「外縁から大魔境側へ、半日ほどの距離を想定しています」


 コトネはわずかに考え、首を横に振った。


「深入りは禁じます。まずは黒き鬼の移動経路と、周辺の瘴気の変化を確認させなさい。異常を感知した場合は、調査を打ち切って即座に帰還を」

「承知しました」


 トウマが頭を下げる。


 テンカは北へ続く街道から、大魔境がある南西の方角へ視線を移した。


 残滓は消えた。


 だが、黒き鬼が何者かによって作られたものなのか、同じものが大魔境の奥に眠っているのかは分からない。


 答えはまだ、深い森の向こうにある。


「テンカ」


 コトネに呼ばれ、テンカは顔を上げた。


「今は、あなたが考えても答えは出ません」

「……はい」

「ですが、忘れてはなりません。分からぬものを恐れることと、目を背けることは違います」

「肝に銘じます」


 コトネは静かに頷き、屋敷へ戻っていった。


 ◇  ◇  ◇


 その日の夕暮れ。


 テンカは、人気のない訓練場に立っていた。


 数日前の手合わせで咲いた氷華は、もう残っていない。

 白砂には箒の跡が整然と残され、石畳にもあの日の痕跡はなかった。


 テンカは腰の継火へ手を添えた。


 足を開く。

 腰を落とす。

 呼吸を静かに沈める。


 火行には触れない。

 継火の重みだけを感じる。


 抜く。


 夕暮れの光を受け、刃が一筋の銀を描いた。


 斬る。


 空気を裂く音は細く、澄んでいる。


 そして、戻す。


 刃を鞘へ導き、最後まで静かに納める。

 鯉口が、澄んだ音を立てた。


「よい音でございました」


 キリカの声に、テンカは小さく頷く。


「うむ」


 抜く。斬る。戻る。


 刃も、火も、自分自身も。

 継火は、ただ敵を斬るための刀ではない。

 己の力を受け止め、斬った後に帰る場所を示してくれる刀なのだ。


 テンカは北の空を見上げた。


 そこにはもう、銀白色の馬車も、氷青色の瞳もない。


 けれど、再び会う約束がある。

 次こそ勝つと、互いに交わした言葉がある。


 北へ帰った氷華。

 腰に残った継火。


 二つが並んだ時間は、ほんのわずかだった。


 それでも、継火の隣に咲いた白い花は、もう消えはしない。

これにて、第3章完となります。


この後は第3章時点版の登場人物紹介ならびに設定集を投稿しつつ、幕間を挟んで第4章を開始できればと思います。


評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ