母の叱責②
「母上」
「何です」
「わらわは、もっと強くなります」
コトネは黙って聞いていた。
「ただ斬るためではなく。守るために。倒れず、味方を巻き込まず、己の力を御せるように」
テンカは拳を解き、膝の上に置く。
「もう、刀に無理をさせぬように」
コトネの瞳が、わずかに揺れた。
「……砕けた刀のことを、気にしているのですね」
「はい」
テンカは正直に頷いた。
「あれは、わらわの未熟に最後まで付き合ってくれました」
「道具に情を移しすぎるのは、時に判断を鈍らせます」
「分かっております」
「ですが」
コトネはゆっくりと言った。
「共に戦った刃に礼を尽くすことは、悪いことではありません」
テンカは少しだけ目を見開いた。
母は続ける。
「砕けた刀は、ムネチカに見せます」
「ムネチカ?」
「ハヅキ家に出入りしている刀匠です。あなたの刀を打った者ではありませんが、腕は確かです」
「刀匠……」
テンカの胸が、小さく鳴った。
「今のあなたには、普通の刀では足りません」
コトネははっきりと言った。
「ですが、あなたに力を振るわせないという選択も、現実的ではありません」
「よいのですか」
「何がです」
「わらわに、また刀を持たせることが」
問いかけると、コトネはほんの少しだけ眉を寄せた。
「持たせたくないと言えば、あなたは持たないのですか?」
「……それは」
「持つでしょう」
「はい」
即答すると、部屋の隅でキリカが小さく咳払いをした。
コトネは静かに息を吐く。
「ならば、止めるだけでは意味がありません。危うい力なら、危うくないように整える。未熟なら、未熟を補う器を用意する」
「器」
「あなたの五行を受け止める刀です」
テンカは、息を忘れた。
五行を受け止める刀。
その言葉だけで、胸の奥に熱が灯る。
火行の暴走とは違う。
もっと静かで、確かな熱。
「ただし」
コトネの声が、再び現実を突きつける。
「新しい刀を得たからといって、あなたがすぐに火行を自由に扱えるわけではありません」
「はい」
「刀は、あなたの未熟を消してはくれません。支えてはくれても、代わりに制御してくれるわけではない」
「承知しております」
「ならば、よろしい」
コトネは立ち上がった。
そして、テンカの前まで歩いてくる。
テンカは座ったまま、母を見上げた。
次の瞬間。
コトネの手が、そっとテンカの頭に置かれた。
思っていたよりも、優しい手だった。
「よく戻りました」
テンカの喉が詰まる。
叱られると思っていた。
実際、叱られた。
けれど、その最後にこの言葉が来るとは思っていなかった。
「母上……」
「あなたが生きて戻ったことに、私は感謝しています」
コトネの声は静かだった。
「だからこそ、次も戻りなさい」
テンカは唇を噛んだ。
泣くわけにはいかない。
だが、胸の奥が熱かった。
「はい」
どうにか、それだけ答える。
「必ず、戻ります」
「よろしい」
コトネは手を離した。
その瞬間、少しだけ身体が軽くなった気がした。
叱責は終わったが、課題は残ったままだ。
火行の制御。
五行を受け止める刀。
砕けた刀との向き合い方。
そして、黒き鬼がなぜ現れたのか。
何一つ、終わってはいない。
それでも、テンカは前を見られる気がした。
「キリカ」
「はい」
「テンカを部屋へ。まだ休養が必要です」
「承知しました」
「母上」
テンカは立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らず、わずかによろめく。
すぐにキリカが支えた。
「姫さま」
「分かっておる。無理はせぬ」
「今まさに無理をなさいました」
「……すまぬ」
素直に謝ると、コトネが少しだけ目を細めた。
「少しは学んだようですね」
「わらわは賢いのでな」
「賢い者は、治癒師に止められているのに立ち上がろうとはしません」
「む」
言い返せなかった。
キリカがわずかに笑う気配がした。
テンカは咳払いをし、改めて母へ頭を下げる。
「母上。ご指導、ありがとうございました」
「次は、叱られずに済む報告を持ってきなさい」
「善処します」
「善処では足りません」
「……努力します」
「よろしい」
母娘の会話は、そこで終わった。
キリカに支えられながら、テンカは部屋を出る。
廊下に出ると、朝の光が差し込んでいた。
昨夜の夕暮れとは違う、白く澄んだ光。
テンカは少しだけ立ち止まる。
「姫さま?」
「何でもない」
胸の奥には、まだ重さがある。
母の言葉が残っている。
勝ったから許されるわけではない。
刀を砕くことも、己を使い潰すことも、誇ってはならない。
力を振るうなら、振るった後も立っていなければならない。
その一つひとつが、重く、痛い。
けれど、必要な痛みだった。
テンカは枕元に置いてきた砕けた刀を思い浮かべる。
あの刀は、終わったのだろうか。
いや。まだ、終わらせたくない。
「キリカ」
「はい」
「ムネチカという刀匠は、どのような者じゃ?」
「わたしも詳しくは存じません。ただ、ハヅキ領でも指折りの刀匠と聞いております」
「そうか」
テンカは静かに頷いた。
ならば、会わねばならない。
最後まで付き合ってくれた刀に、何ができるのかを知るために。
そして、次に振るう火を、守るための火にするために。
朝の光の中、テンカは小さく息を吐いた。
叱責は終わった。
けれど、継ぐべき火の話は、ここから始まる。
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