第8話:絶対魔王の肩叩き棒と、哀れな元勇者の完全終了
「うむ……! そこじゃ、アルト! もう少し右の肩甲骨のあたりをトントンと叩いておくれ……! 極楽じゃ、極楽すぎて溶けてしまいそうじゃ……!」
アルトの実家の庭。
魔界の最高権力者であるはずの絶対魔王・イヴは、縁側にうつ伏せになり、幸せそうな声を漏らしていた。
アルトが彼女の背中をトントンと叩いているのは、先ほど箱から出てきたばかりの伝説の神器『終焉の王笏』である。
世界を滅ぼすと言われる暗黒の杖だが、アルトが【万能開錠】の応用で「肉体の疲労のロックを外す」という謎の魔術回路を組み込んだ結果、叩くだけで全身の血行が劇的に良くなる『神話級の肩叩き棒』へと生まれ変わっていた。
「はい、イヴ。これでどうかな?」
「ふひゃあぁ……! 素晴らしいぞアルト! 魔界の激務で凝り固まった我が肉体が、まるで生まれたての手羽先のようにもちもちになっていくわ……!」
「……マスター。あのトカゲ、贅沢が過ぎます。次は当機の出力を0.00001%に抑えたマッサージ(物理)で、彼女の骨構造を再構築するべきでは?」
「アイリス、それ絶対に骨粉々になるからダメ。はい、アイリスもいつも頑張ってくれてるから、次は肩叩いてあげるよ」
「! ……プロトコルを変更。マスターからの物理的愛撫を最優先で受け入れます」
無表情ながらも、アイリスは嬉しそうにアルトの隣にちょこんと座った。
世界を滅ぼせる布陣が、アルトの庭で完全にお調子者な癒やし空間を形成している。
その時だった。
「ア……アルトォォォオオ!!! つ、ついに見つけたぞ、この裏切り者の寄生虫がぁぁぁ!!!」
実家の門の外から、鼓膜を突き刺すような、怨念の篭った絶叫が響き渡った。
門の隙間から見えたのは、裸にボロ布を巻き付け、全身が家畜のフンと泥でカピカピに固まった、浮浪者そのもののレオンとミーナだった。
執念だけでここまで歩いてきたようだが、その姿はもはや人間の尊厳を完全に失っている。
「うわぁ、レオン……。本当にエンドルまで来たんだね。というか、その格好……何があったの?」
アルトが呆れ半分で門を開けると、レオンは砕けた聖剣の柄をプルプルと震わせながら、狂ったように笑った。
「ヒャハハハ! 驚いたか! 勇者である俺を怒らせた罰だ! お前が隠し持っていた白金貨も、その庭にある美味そうな黄金のリンゴ(世界樹)の木も、全部俺が没収してやる! あと、そこの銀髪の人形女と、その生意気なガキ(イヴ)も俺の奴リエ――」
「おい、人間」
地を這うような、冷徹極まりない声が、レオンの言葉を遮った。
声の主はイヴだった。
彼女はゆっくりと立ち上がると、その紅い瞳を極夜のような深い闇へと変えていく。
その背後には、大陸を丸ごと圧殺しかねないほどの、本物の「魔王の波動」が巨大な影となって立ち上っていた。
「我が主にむかって『寄生虫』とは、耳の腐った不届き者め。しかも……我の大事な安住の地と、毎日楽しみにしている世界樹の果実を『没収』するだと……?」
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!!
イヴの怒りに呼応して、エンドル全体の空が真っ黒な暗雲に覆われ、大地が激しく揺れ始める。
「ひっ……え!? な、何よこのガキ……!? なんでこんな化け物みたいな魔力が……っ!?」
ミーナが恐怖のあまりその場にへたり込み、失禁した。
「レ、レオン……! こいつ、ただの子供じゃないわ! 魔、魔王……! 本物の魔王よぉぉぉ!!」
「ば、馬鹿を言うな! なんでアルトみたいな無能の家に魔王がいるんだよ! 幻覚だ、これはアルトの仕掛けた小細工だぁぁ!」
現実を受け入れられないレオンは、狂乱状態でアルトに向かって突撃しようとした。
だが、その一歩を踏み出す前に。
「マスターの平穏を脅かす害虫――『即座に強制排除』します」
アイリスが、レオンの目の前に音もなく回り込んでいた。
彼女の美しい右手が、レオンの額の前にすっと突き出される。
「デコピン(防衛モード・出力0.00005%)――執行」
パチン、と綺麗な音が響いた。
「ぶべらっ!?」
レオンの体は、音速を超えて遥か彼方へと吹き飛んだ。
そのまま街の防壁の遥か外側まで一直線に弾け飛び、エンドルの外にある荒野の岩山へと頭から突き刺さったのだった。
「レ、レオン―――ッ!?」
ミーナが悲鳴をあげる中、パカパカと小気味いい馬蹄の音が近づいてきた。
「おーい、アルト! 大丈夫か! ギルドに『王都を追放された凶悪な自己破産犯罪者が、この街に向かっている』って連絡が入ってなぁ……って、なんだこの惨状は?」
やってきたのは、ギルドマスターのガザルと、数十人の重武装した街の衛兵たちだった。
ガザルは、泥まみれで腰を抜かしているミーナと、遥か彼方の岩山に突き刺さっているレオン(の足)を見て、全てを察したように額を押さえた。
「なるほど。お前の家の神話級結界に、自爆特攻を仕掛けたわけか……」
「あはは、なんか勝手に怒って突っ込んできちゃって。ガザルさん、そこの二人、王都での違約金をバックレて逃亡中らしいから、引き取ってもらえる?」
「おう、もちろんだ! 王都のギルドから『捕まえたら即座に、魔力封じの首輪をつけて一生出られない魔鉱山送りにしてくれ』と頼まれてるんでな。おい、連れて行け!」
「嫌ぁぁぁぁ! 離して! 私は天才魔導師よ!? なんでこんな最果ての鉱山で奴隷みたいに働かなきゃいけないのよぉぉぉ!!」
泣き叫ぶミーナと、岩山から引き抜かれて気絶したままドナドナされていくレオン。
彼らはこれから一生、陽の光の届かない鉱山の奥底で、過酷な強制労働という名の「自業自得な罰」を受け続けることになる。彼らの輝かしい勇者としての名声は、完全に歴史の闇へと消え去ったのだった。
◇◇◇
「ふぅ。やっと静かになったね」
門を閉め、アルトは再び庭の縁側に腰掛けた。
空を覆っていた暗雲はすっかり消え去り、澄み渡るような青空から、心地よい木漏れ日が世界樹の葉を揺らしている。
「主、不審者の排除を完了しました。本日の防衛任務、成功と判定します」
アイリスが誇らしげにVサイン(無表情)を作る。
「うむ! 害虫も消えたことじゃし、アルト、我の肩叩きの続きを頼むぞ!」
イヴが再び縁側にゴロンと横たわり、尻尾をご機嫌に振り始めた。
「はいはい。じゃあ、もう少しだけやったら、お昼ご飯にしようか。骨董品店の神銀包丁で、美味しいチャーハンでも作ってあげるよ」
「おおっ! チャーハン! よく分からんが、アルトの作る飯なら何でも美味いに決まっておる!」
「マスター、当機も食材の刻み任務をお手伝いします」
王都から無能と追放された地味な鍵師、アルト。
彼が自分の能力の異常さに気づく日は、きっとこれからも来ないだろう。
しかし、世界最強の自動人形と、世界を統べる絶対魔王、そして国宝級のアイテムたちに囲まれた彼の辺境スローライフは、これ以上ないほどにがっちりと「最高に幸せな未来」へと施錠されているのだった。
(第一章・完)




