14話 魔獣9
大変 おまたせ致しました
「おはようございます」
雪羽がザンバルデアの元を訪ねると、奥の部屋から話し声がする。
どうやら来客中のようだ。こういう時は話を妨げる事のないように静かに控えているのが雪羽の常なのだが、今日はいつになく部屋に積まれた本が乱れている。雪羽は これはなかなか良い機会と、普段は本の山で届かない所の掃除を 音を立てないように注意して始めることにした。
一時(約15分)も経たない内に奥からザンバルデアと女性が一人出てきた。
雪羽は反射的に、ワンピースのスカートに手を添えると膝を折り頭を下げる礼の形をとった。評議会の一員でもあるザンバルデアの部屋には、国の重要なポストに就く者たちが顔を出す事もしばしばあるからだ。
頭を下げる雪羽に女性の目が留まった。
「老師。ひょっとして、この子がシーウェルドの?」
「ああ。そうじゃ、シェリー」
ザンバルデアが笑みを浮かべながら答える。
「あらあら。まあまあ」
シェリーと呼ばれた女性はほんの少しの間驚いたように目を見開いて雪羽を眺めていたが、艶然としか言いようの無い笑みを浮かべると、雪羽の手を取った。
「こんにちは」
雪羽はいきなり手を握られ、驚いて顔を上げた。
歳は30を超えたくらいだろうか、色白の肌に意思の強そうな青い瞳、紅い唇。長身の美人である。何より目を引くのは、燃えるような赤毛。豪華に波打つオレンジの髪を背中に流して、目の前の美女は興味深そうな笑みを浮かべて雪羽を見ている。
「始めまして、シェリー・ブロウよ」
美女はそう名乗ると雪羽の両方の手を握って立たせた。
「はじめまして。ユキハ・ナガヤマです」
迫力美人に圧倒されて、顔を赤らめてお辞儀をする雪羽の姿にシェリーはフフフと楽しそうに笑うと
「ユキハちゃんっていうのね。小さくて可愛いわね。ホント、仔リスちゃんの愛らしさだわ」
そう言って目を細めた。
しかし、不意に笑みを曇らせると
「女の子がいきなり連れてこられるなんて、大変だわね……困った事があったら、老師や女官長に言うのよ?シーウェルドは、女の気持ちなんてよく解りっこないんだから。ホント困ったことにね」
最後の方は 独り言ちるかのような呟きだった。
雪羽がどうしたものかとシェリーを見つめていると、ジッと見られているのに気付いたのか、ああ と小さく微笑むと
「これから色々あると思うけど、女は負けちゃだめよ。ユキハちゃんの成長を楽しみにしてるから、がんばって」
今度は艶やかな笑みを咲き誇らせて、シェリーは雪羽から離れた。そして、ザンバルデアと二言三言言葉を交わすと颯爽と部屋を出て行った。
彼女の後ろからは、彼女の纏う香水の芳しい香りが 一陣の風となって追かけていた。
「おじいちゃん、すごく ごうかな人だったね」
シェリーの背中を 半ばポカンと見送っていた雪羽がザンバルデアに話しかけた。
「ああ。別嬪じゃし、仕事の出来る エエ女じゃの」
ホホホとザンバルデアが笑う。
「わたしのこと、知ってたみたい……シードのおともだち?」
「ん? あああ、まあ、一種のオトモダチじゃな……」
「あの人、すごくいい香りがしたよ?」
「ああ。エエ匂いじゃの。随分、凝っておるの。まあ、自分だけの香りを持つことが、洒落者の嗜みとされとるからのぉ」
「みんな、違う香水をつくるの?」
「そうじゃ。年頃になったら 男女に関わらず皆 香りを決めるのじゃ。自分で作ったり、店で作ってもらったり、調香師に作らせたりといろいろじゃがな。まあ、ワシみたいに枯れたジジイになれば付けんがの」
「へぇ。そうなんだ~」
その後、ザンバルデアはさらに用事が出来たらしく、雪羽は掃除の残りを簡単に終わらせたら 帰ってよいと言われた。
雪羽は少し遅くなったが、ミリに言われた広間に行ってみることにした。
そこには忙しなく働いている担当女官と、騎士と近付きになりたいだけの女官が入り混じって 何とも言えない微妙な緊張感が漂っていた。
担当女官でもない雪羽がその中に入るのを躊躇していると、後ろからドンと誰かにぶつかられた。
咄嗟に「もうしわけ ありません」と謝って、腰を低く折った雪羽を その人は忌々しそうに睨みつけた。
身なりから判断すると、後宮の妃様達に仕えている侍女のようだ。
(侍女さんまで、騎士を見にきてるんだ……)
金髪でスタイルも抜群の美人さんだから、彼氏には不自由しなさそうなのに……いや、ボンキュッボンなのは この世界の標準で特に珍しくもないのだろうか?性格悪そうだもんね。
など、口に出しては決していけない事を考えつつ、雪羽は広間には近付かない方が良さそうだと思った。
『侍女は貴族の御令嬢。関わり合いになるとやっかい』とミリに教えられている。
幸いぶつかった この侍女は不機嫌な顔で雪羽をジロジロと見回すばかりで、特に何も言うつもりはなさそうである。
言いがかりを付けられてはたまったものではないので「しつれい します」と頭を下げると、長居は無用とばかりに雪羽は広間をそそくさと後にした。
(ミリに会えなかったな……すること無いし、部屋に戻って本でも読もうか)
雪羽が自室に戻ろうと食堂の前を歩いていると、中から厨房のおばちゃんが雪羽に声を掛けた
「ユキハちゃん!ちょっと!」
厨房の調理師達は、みんな明るく元気が良い。中でも今雪羽に声を掛けた調理師は、正に『食堂のおばちゃん』な雰囲気の女性で、体の小さい雪羽に いつも「もっと食べなきゃ大きくなれないよ~!どんどんお食べっ!」とおかずを山盛りにしてくれる。
「なんですか~?」
雪羽がトコトコと食堂のカウンターごしにたずねると
「これ、持ってお行き」
バスケットを雪羽に差し出した。
「?」
雪羽が首をかしげていると
「あんたの犬っころにだよ。今日はご飯やってないだろ?ワンコも この魔獣騒ぎで怯えてるんじゃないかと思ってね……もう少ししたらアタシ達、忙しくなっちまうもんだからね、今の内にあんたに渡しておこうと思ったのさ」
「あああ ありがとうございますぅ!そうですよね!ペコペコですよね!きっと あの子たち よろこびますぅ!」
雪羽の涙を流さんばかりの感謝ぶりに
「いやいや、残り物の余り物だから!ね。捨てるの もったいないし、気にしなくていいんだよ」
厨房の皆がうなずく。
「いえいえ。それでもうれしいです。ありがとうございます」
バスケットを大事そうに抱えて、何度も頭を下げる雪羽に
「切れっ端やら残飯やらは 毎日必ず出るもんだし、明日また おいで」
そう言って 食堂のおばちゃんは朗らかに笑った。
(オンとレイに早く食べさせてあげたいな)
結界が張ってあって外に出られないと知りつつ 雪羽は神殿の近くまで つい来てしまった。
(早かったら昼前に魔獣退治は終わるって言ってたっけ)
オンとレイ、怖がってるだろうな……魔獣、早くやっつけてくれたらいいのに、などと勝手な事を思いながら 雪羽はいつも犬達に会いに森に入る回廊の柱の影に腰を下ろした。
ここで待っていれば、結界が解かれた時、すぐにオンとレイの所へ行ける。
回廊から見える神殿の森は、今日もいつもどおり黒々と茂り、時折吹く風に木々の葉を白く揺らしていた。
結界の外の芝の上を蝶がひらひらと飛んでいる。
――――今日も いい天気だ。
こんなうららかな陽の下に 恐ろしい魔獣が潜んでいるなど、雪羽には全くピンとこない話である。
青空をぷかぷか流れる白い雲を ぼんやり眺めている雪羽の目に、黒い影が横切った。
よく見ると、それは人間で黒いフード付きマントを頭からすっぽりかぶって、うつむき加減で足早に歩いていた。そして、建物と外を隔てているはずの結界の前で立ち止まると、何も無いかのように結界を潜り抜け、そのまま回廊を歩いて行ってしまった。
「?」
(あれ? もう、結界が解除になったのかな?)
雪羽は恐る恐る外の芝に降りてみた。
何の抵抗も感じず、外に出られた。
どうやら、解除されていたようだ。
「もう、魔獣退治終わったんだ! よし! オンとレイに会いに行こう!」
雪羽は森の中へ走り出した。
次の投稿まで時間がかかるかもしれません……
ごめんなさい