ファイル8:縛りの鎖(チェイン)をぶち壊せ
【謎の音:記録時間——2031年——3月12日——朝——7時】
孤児院の裏庭。連絡を受けた騎士団長が部下を率いて孤児院を訪れ、守備の強化と今後の対応策について話し合っていた。
「なぜすぐに動かない! すでに大勢の子供たちが連れ去られているんだぞ!」
縁之介は計画書が置かれた木箱を蹴り飛ばし、焦燥感を露わにして騎士団長に詰め寄った。
「計画も定まらぬうちに無謀な行動を起こせば、より大きな損失を招くだけだ。ゆえに、情報が確定するまで何人も軽率に動くことは許されん」
「おい、ヴォイド!お前も何か言え、お前も領主を説得してくれよ!」
傍らの木箱に座るヴォイドは答えず、ただ沈黙して空を見上げ、マリーのことを考えていた。
「マリー……」
●
地下牢。メタトロン組織の女暗殺者たちが、捕らえた子供たちを牢屋に閉じ込めていた。
「マリー。あなたに与えられたミッションは神跡を起こす可能性を秘めた子供を引き連れて、組織のために捧げることだ。だが、あなたの失態のせいで、組織の任務が未未達に終わるかもしれなかった、我々が救済される機会にまで悪影響を及ぼすところだったのよ」
「私が異能で事前にあなたたちに『アンカー(錨)』を打っておき、転送で連れ戻さなければどうなっていたか。だから、あなたには神罰を与えなければならない」
マリーは独房で枷に繋がれ、小隊長から任務失敗の叱責とともに幾度も鞭で打たれていた。恐怖からか、それとも冷淡さからか、彼女はとうに一切の希望を捨てているかのようだった。何度も何度も身体に青痣や傷痕を残す鞭の痛みに、ただ身を任せていた。
「覚えておきなさい、マリー。これが主の最大限の慈悲よ。もしあなたも救済を渇望するなら、引き続き組織により多くの利益をもたらしなさい」
小隊長アンバーはそう叱責を終えると、鉄の扉を閉めて立ち去った。
腐食した壁から水滴が漏れ落ちる音が響く。手足を枷で拘束されたマリーは、水に浸かったように髪を乱していた。両目は焦点を失い、身体が感じるのは鎖に締め付けられる痛みと、次第に血の気を失っていく疲労感だけだった。手足が縛られているため、自己治癒さえも不可能な状態だ。
微かな青い光だけが差し込む漆黒の乱雑な独房で、マリーは天井を見つめていた。地下深く、分厚い石の層に覆われたこの場所では、当然ながら一筋の光すら彼女を照らすことはない。
静かに涙を流しながら、彼女はずっと一つの言葉を繰り返し呟いていた。「自由と救済を望むなら、犠牲が必要だ」。それは教会がマリーの脳裏に強制的に植え付けた教義であり、同時に彼女の心に刻まれた最も深い記憶の傷痕でもあった。
マリーは過去を回想する。捨て駒として見捨てられ、再び道具として拾われ育てられた自分。幼い頃から、世界の呪縛を理解させられてきた。
「ヴォイド君……私の過去を……触れたみたいだな……」
「あ。触れた。だから、もっと教えてくれ。知りたい、君の心を」
意識の中、広大な草原で、ヴォイドとマリーは見つめ合うながら、お互いの真心を語り出すた。
「これは後から、組織に聞いた話た。私はまた赤ん坊の頃、顔も知らない両親によって人里離れた深い森に捨てられた。」
マリーは左手で左耳につけたピアスにそっと触れていた。
ある夜、一組の夫婦が布に包まれた赤ん坊を、野獣が跋扈する無人の深い森の石の上に捨てた。赤ん坊は親に捨てられたことを察知したかのように、泣き叫び、もがき始めた。静寂に包まれた森の中で、赤ん坊の泣き声は平穏を破り、多くの野獣を引き寄せた。野獣が近づいていることに気づいた夫婦は、慌てて赤ん坊を突き放し、急いで逃げ出した。
「両親との繋がりを示す唯一の遺品は、この十字架の形をしたピアスだけ……」
手を握ることも話すこともできない赤ん坊が、大人の手をしっかりと掴めるはずもない。赤ん坊は慌ただしさの中で、唯一掴み取った母親の耳からピアスを引きちぎった。こうして赤ん坊は、両親から残酷にも野外に置き去りにされたのだ。
泣き声を聞きつけた野獣たちは、暗闇の中から赤ん坊へ獲物を見る視線を向け、喰らおうと徐々に近づいてきた。
しかし、泣き声を聞いたのは野獣だけではなかった。青いジャケットにマントを羽織った男が、野獣が赤ん坊に牙を剥いた瞬間、草むらから紫黒の電流を纏って飛び出し、赤ん坊の傍へ瞬時に移動して野獣の群れを打ち払った。
男の手に帯びていた電流が次第に散っていく。男は両手で赤ん坊をゆっくりと抱き上げ、怪我がないか確認した。男に悪意がないことを感じ取ったのか、それともその優しさに触れたからか、あれほど泣き叫んでいた赤ん坊は安心感を抱き、静かに男の胸の中で眠りについた。
「本来、私はあの荒涼とした森で野獣に喰われて死ぬ運命だった。でも、組織のある神父が私を連れ帰ってくれたからこそ、今の私がある」
教会で、名前を無き神父は抱いていた赤ん坊を修道女に託した。赤ん坊は神父から離れた途端、再び泣き出した。神父の目には失望と無力感が満ちていたが、彼はあえて一顧だにせず、背を向けて立ち去った。
「組織に引き取られて以来、私はずっとその教育の下で少しずつ成長していった。組織は私にとって、唯一の帰る場所だった」
修道女が子供たちに組織の基本的な礼儀と教義を教えている。
第一に、組織は家族である。ゆえに組織の命令は絶対である。
第二に、組織により多くの価値をもたらすこと。
第三に、組織の計画に従い任務を完遂した者だけが、主に救済される資格を持つ。
すべては教会のため、主のため。何人もこれに逆らうことは許されない。
「だが、あの日までは……」
中庭でボール遊びをしていた数人の子供たちが、突然組織の上層部から派遣された使者に連れ去られた。
幼いマリーは彼らがどこへ行くのか知らなかった。しかし数日後、使者が戻り、黒い袋に包まれた小さな死体をいくつか持ち帰ってきた。
使者は修道女に向かって言った。「この者たちは不運にも任務中に事故に遭った。だが、彼らは主の懐へと還ることを許された。なぜなら、彼らは犠牲を完遂したからだ」
マリーは、かつて血色に満ちていた見慣れた顔が、すでに青白くなっているのを見た。彼女は無意識に歩み寄り、彼らの顔を優しく撫でて、呼び覚まそうとした。
「修道女長様……この子たちはどうしたの……? なぜちっとも動かないの……?」
「収容番号312……」
修道女長は沈黙をもって、マリーの問いに答えることを選んだ。
死というものは、幼い魂にとってあまりにも衝撃が強すぎた。マリーの目から、知らずのうちに涙がこぼれ落ちた。
(なぜ、こんなにも苦しいの。なぜ彼らはこんなに冷たいの。主よ、どうか助けてください。こんな彼らの姿を見たくない……私は彼らを救いたい……)
「まさにその時た。私が異能を覚醒して、初めて聖女の名称を戴冠したあの日。」
涙がマリーの手に落ちた瞬間、光が放たれた。死斑がゆっくりとマリーの手に浮かび上がる。だが、覚醒したばかりだからか、それとも死後時間が経ちすぎてすでに魂が存在しなかったからか、彼らを救い出すことはできなかった。
組織はマリーが見せた神跡を目の当たりにして狂喜し、彼女を聖女候補として認定した。
「やめて!あぁぁぁぁ!(痛い…)やめて!(誰か…)やめてぇぇぇ!(助けて……)」
その後、マリーを連行して非人道的な実験と研究を日々繰り返す。日の光すら届かない地下室に彼女を幽閉した。
マリーはただ見開いた目で他人の死を見つめ、自分が次第に正常から逸脱していくのを感じるしかなかった。
修道女長はマリーとの面会で尋ねた。「収容番号312、あなたには何か願いがあるの?」
マリーは答えた。「一般人のような幸福で普通の人生が過ごしたい。普通の恋愛をして、普通に結婚して、普通に死んでいく。私は、そんな当たり前の自由が欲しい」
「あなたが組織の任務を完遂すれば、その願いはきっと主に届き、主があなたの救済を叶えてくださると約束します。収容番号312、今日からあなたの名前はマリーよ。マリー・メタトロン」
「マリー……?」
「そう、『聖母マリア』から取った調整版の名よ。今日からあなたは組織の『聖女』として、民間の煩雑な物事を処理し、主への信仰心と引き換えにするの。より多くの人類を救済しなければならないわ。たとえ、犠牲が必要だとしても」
組織の洗脳教育の下、マリーは次第に冷淡になっていった。組織や民間の汚い事情をあしらうため、彼女はテンプレートのような笑顔も身につけた。
「教会組織は表向きに、行き場をなくした子供たちを引き取ると言っただが、実際はそうではなかった。」マリーは咳ながら言った。
「引き取た子供も、攫われた子供も全員実験用のモルモットになる。組織がよりよく世界を救う『神跡』に近い「何か」を生み出すために……」
「それが教会組織メタトロンの真の目的……」
「ヴォイド君……私たちは人類を救済しなければならないの。そうでなければ、この世界は苦しみを続けるだけだから……もう私な人を産み出さないために……」
意識空間、マリーの姿が徐々に消えて逝く。それを止めようとしたヴォイドは伸ばした、だが掴むことができなかった。
「待て、マリー」
ヴォイドとマリーの意識が完全に弾かされて。視界は孤児院の裏庭に戻り。同じく空を見上げるヴォイドの姿と、マリーの姿が重なり合った。
「次に襲撃される可能性のある場所を計算し出したが、まだ分散している。ゆえに、分かれて張り込む必要がある」
騎士団長は部下の報告を受け、次の襲撃地点の分布を計算し、手分けして張り込みを行うよう手配した。
「張り込みだけかよ」縁之介は不満げに言った。
「相手の異能はおそらく空間転送だ。子供たちの失踪状況から推測するにね。だが、この異能の発動には何らかの条件が必要なはずだ」
その時、ヴォイドが突然立ち上がって言った。
「その転送陣に入り込みさえすれば、隠れ家を見つけられるはずだ。隠れ家の敵は俺と縁之介で処理する。だがその前に、ガラハッド…頼みがある。領主に向けて特別なウィッシュバトルの開催を申請したい。参戦者は俺、縁之介、そしてメタトロン組織のメンバー。勝利条件は、いずれか一方から降伏者が出るか、あるいは撃破され死亡することだ」
「承知した」とガラハッドが答えた。
「ヴォイド……」
ヴォイドの真面目な顔を見て、縁之介にも感じた、『怒り』と言う感情が少しずつ彼の心に芽生えた。
●
その夜、再び子供の誘拐事件が発生した。一人の女暗殺者が子供を連れて撤退しようとしたところを、ヴォイドと縁之介が奇襲し、そのまま敵の隠れ家への転送に潜り込んだ。
敵の隠れ家に到着した直後、奇襲を受けて意識を失っているはずだった女暗殺者が信号弾を放ち、組織に侵入者の存在を知らせた。
石造りの洞窟地下牢に分散していたメタトロン教会組織・アンバー小隊のメンバー全員が、その信号を察知した。縁之介は急いで信号弾をかき消そうとしたが、間に合わなかった。他のメンバーたちがすでに駆けつけ、それぞれの武器を手にして一斉に襲いかかってきた。縁之介とヴォイドは周囲の暗殺者たちを防ぎ、対処した。
「縁之介、残りは任せたぞ」
「ああ、任せとけ!」
その後、粗方の処理を終えたヴォイドは戦場を縁之介に託し、自らはマリーを探しに向かった。マリーこそが鍵だと確信していたからだ。
アンバーはマリーを閉じ込めていた牢屋へ赴き、彼女の枷を外して解放した。そして、侵入者を処理する機会をマリーに与えた。
視界が悪く方向感覚を失いやすい地下牢の中で、ヴォイドはマリーの姿を探し続けた。その時、鎖が石に擦れる金属音が聞こえた。
直後、鎖が射出され、ヴォイドはわずかに身を捩って躱した。ほんの1ミリの隙間で、危うく直撃を受けるところだった。
「この鎖……君だね? マリー・メタトロン」
壁に突き刺さった鎖を見てヴォイドは即座に理解し、鋭い眼差しで前方の洞穴を見据えた。マリーが鎖を回収しながら、暗闇の中から姿を現す。
「侵入者を、抹殺する……」
機械のようなマリーの瞳は氷のように冷たく、口では絶えず組織の命令を繰り返し呟いていた。そして鎖を握り締め、疾風のごとく突進してヴォイドに攻撃を仕掛けた。
ヴォイドは再び包丁を用いて防ぐ。包丁と鎖が衝突して生じる火花が、狭く暗い空間に絶え間なく散る。微かな光が、互いに攻撃を交え合う二人の影をほんの一瞬だけ照らし出した。
マリーが距離を取り、鎖をヴォイドへ投げつけようとしたその瞬間。ヴォイドはその隙を突き、ブラックホールの異能の吸引力を利用して一気に突進し、二人の距離を縮めた。そして今度は逆にブラックホールの斥力を利用してマリーを弾き飛ばした。
マリーはブラックホールの強大な斥力に激しく打ち据えられ、背後の鉄柵へと叩きつけられた。鉄柵もまた、その重圧に押し潰されて捻じ曲がった。
「マリー、その無様な姿は何だ? それが俺に語った、君の望む自由なのか?」
一切の迷いのない鋭い眼差し。それはまるで、神が審判を下しているかのようだった。強烈な威圧感を放ちながら、ヴォイドは少しずつマリーに近づいていく。暗闇で姿がはっきりと見えずとも、その重い足音が一歩踏み出されるたびに放たれる重圧は、周囲を息もできないほどに押し潰すのに十分だった。
「ヴォイド君。言ったはずだ、犠牲なくして救済は得られない……組織の言葉は絶対……」
「救済だと? 俺の目には、枷に囚われた一人の少女しか見えないがな」
「なぁ、マリー。これが本当に、君の望むことなのか?」
「ええ……私の意思は、組織の意思……」
「よく聞け。俺が今問うているのは組織じゃない、君自身だ。マリー・メタトロン、君自身の心はどうしたい? このまま鎖に縛り続けるのか、それとも俺と一緒に、君の望みを定義する自由を探しに行くのか」
「私……」
どうしていいか分からず戸惑うマリー。
「どうした、マリー・メタトロン。立ち上がれ。俺の質問に答えろ。君の異能(願い)は、組織の命令を守るために生まれたのか?」
「ヴォイド君に、私の何が分かるっていうの!」
「私は捨てられたのよ。組織でやっと普通の人みたいに生きられると思ったのに、また組織に利用されて、他人を傷つけてばかり……!」
「私の異能(願い)なんて、根本からして救済なんかじゃない。一人の苦痛を別の人に転移させているだけなんだ!」
「私はもう、普通の人の生活には戻れないの!」
涙と怒りを交えながら、マリーはゆっくりと立ち上がった。髪は乱れていたが、その瞳の変化からはっきりと見て取れた。今のマリーは機械のような冷たさではなく、成長過程の子供のように不満を抱え、不屈の意志を宿していた。
「マリー」
マリーが再びヴォイドに襲い掛かったその時、今度はヴォイドは躱さなかった。ただ優しく、マリーの名を呼んだ。
「え……」
マリーは、ヴォイドが先ほどのような冷酷さではなく、ひどく優しく自分を呼んだことに驚愕した。手にした鎖は、ヴォイドの頬をわずかに掠めただけだった。
ヴォイドはその一撃を受け止め、マリーを抱きしめた。刃に裂かれたヴォイドの頬から再び黒紅色の血が流れ出し、一滴、また一滴とマリーの顔に落ちた。
「俺は君の過去を『本当の意味』で経験していないし、君の『苦しみ』も『本当の意味』では分からない。だが、あの『記憶』を見た後で、何もしないままではいたくないんだ。もし君が一人でこれ以上『背負い』続けるのを放っておけば、君は完全に壊れてしまう」
「だから、マリー・メタトロン。君の『苦痛』は、俺にも一緒に背負わせてくれ。君自身の『存在』も含めた、まったく新しい『救済の道』を、共に『再定義』しよう。いいか?」
ヴォイドは目を閉じ、マリーをきつく抱きしめた。この瞬間、ヴォイドは一切の審判を下すことなく、ただ静かに、この少女の『痛み』を全身で感じ取っていた。
「どうして……」
マリーはヴォイドを見つめ、理解できないといったように、『迷い』と『苦悩』の表情を浮かべた。
「簡単なことだ。君を泣かせたくない。だからこそ、俺はもっと君を深く知りたいんだ」
この瞬間、一つの氷のような心が、もう一つの氷のような心によって溶かされた。マリーが長く溜め込んできたあらゆる感情が、ここで涙となって完全に決壊した。二つの冷たい心は今、互いを抱き締め合い、温もりを分かち合っている。やがて、マリーはヴォイドの腕の中で泣き止んだ。
「マリー、答えてくれるか。君はどうしたい?」
「私は、『自由』になりたい」
涙がポロリとマリー目から流れ出す。
「分かった。俺から一つ提案がある。聞いてから考えてみてくれないか?」
「マリー、降伏してくれ。君が降伏さえすれば、俺は『ウィッシュバトル』の『報酬システム』を利用して、君をこの『魔窟』から連れ出すことができる」
(『ウィッシュバトル』の勝者は、敗者に対して『要求』を突きつける、あるいは『報酬』を要求する権利を持っているのだ)
「降伏さえすれば、『自由』になれるの?」
「ああ、それがこの戦いに定められた『絶対のルール』だからな」
「私、降伏を選ぶわ」
その時、洞窟の外から鐘の音が響いてきた。暗殺者たちの相手をしていた縁之介もその鐘の音を聞き、ヴォイドが敵を降伏させることに成功し、さらに騎士団長が率いる増援が到着したことを悟った。
「成功したのか、ヴォイド」
ヴォイドはマリーから体を離した。この時、二人も鐘が鳴り響くのを聞いていた。
「鐘の音……?」マリーが不思議そうに尋ねる。
「そうだ、ガラハッドが金色の鐘を打ち鳴らす音だ。増援が来たんだ。マリー、子供たちがどこに閉じ込められているか分かるか?」
「ええ、分かるわ」
「そこへ案内してくれ。それが、新たな『救済』への道の第一歩だ」
子供たちの牢獄の前。アンバーは子供たちを全員集め、自らの異能を使って誘拐した子供たちと共に逃亡を図ろうとしていた。
(チッ、すべて台無しになったってわけ?)
「いいえ、まだこの子供たちがいる。こいつらを持ち帰りさえすれば、私の『救済』は完遂される」
アンバーが異能を発動しようとしたその時、彼女の背後から一つの黒い球体が、彼女の設置したアンカーに向けて投げつけられた。
後方には、すでに準備を整えたヴォイドとマリーが立っていた。
「ヴォイド君。アンバーの異能はアンカーを利用した転送よ。アンカーを破壊すれば、彼女は異能を使えなくなる!」
「分かった。一緒に子供たちを牢獄から救い出そう、マリー」
「ええ、ヴォイド君」
二人の手が固く結ばれた。まるで、互いの脳内で既に戦術が展開されているかのようだった。ヴォイドはブラックホールの斥力を利用して、マリーを子供たちのいる方向へ弾き飛ばした。
アンバーはマリーの身に刻まれたアンカーを起動し、彼女を強制転送しようとする。しかしマリーは鎖をヴォイドに巻きつけて自らを引き寄せさせ、アンカーを消去すると同時にアンバーを殴り倒して気絶させた。
「マリー・メタトロン! この組織の裏切り者め、必ず神罰を下してやるからな……!」
アンバーの心拍数、脳波、生命反応が臨界値まで低下したことで、緊急転送が起動した。彼女は最後に狼狽しながらマリーを激しく怒鳴りつけた。
アンバーが消え去り、子供たちは無事に救出された。あの少女も院長の元へと戻った。マリーはルウデ院長と子供たちに深く謝罪した。院長は腹を立ててはいたものの、マリーがやむを得ない事情を抱えていたことも察しており、罰として数日間の無給労働を命じるにとどめた。
夜の裏庭。ヴォイドとマリーの二人は星空を見上げながら、これからの道について語り合っていた。
「マリー、これからどうするつもりだ?」
「分からないわ。どうせ組織にはもう帰れないし」
「なら、俺たちと一緒に来ないか。リリィやワークも、事情を話せば受け入れてくれるはずだ。最悪の事態があるなら、俺たちと一緒に領主の依頼を受ければいい。報酬も分けてやる」
「考えてみるわ」
「だが何より重要なのは……君と一緒なら、俺が求めている答えが見つかるかもしれないってことだ」
ヴォイドは、傍から聞けばまるで告白のような言葉を、悪びれもせず口にした。
ヴォイドの告白めいた言葉を聞いて、マリーは無意識に顔を赤らめ、ヴォイドとは反対の方向へ顔を背けた。ヴォイドはマリーが言葉を発さず自分を見ようともしないため、また彼女を傷つけてしまったのではないかとひどく狼狽し、慌てふためいて木箱から転げ落ちてしまった。
ヴォイドが再び立ち上がろうとした時、マリーが手を差し伸べ、彼を引き上げた。
孤児院での依頼が終了した日の朝。ヴォイドと縁之介はとうに荷物をまとめ、門前でルウデ院長に別れを告げていた。
縁之介はすぐに出発しようとしたが、ヴォイドはまだ待ってくれと引き留めた。「もう一人いるからだ」。数分もしないうちに、マリーがトランクを手にして出てきた。院長に別れを告げ、三人は孤児院を後にした。
【謎の音:リブートシステム——ローディング——8パーセント】
願いを求める観察者ヴォイド――。
彼は再び、自らの意志で『わがまま』な選択を下した。
それは物理的な鎖を断ち切るだけでなく、マリーが抱える重く冷たい苦痛そのものを受け止めるという覚悟。
マリーの加入により、『宿屋メイディ』の一行は五人となった。
これは単なる戦力の増強ではない。五つの異なる「願い」の交錯である。
縁之介の消えない罪の業火。
マリーが望む自由と、救済という名の苦痛。
そして、無欲だったヴォイドの内に、少しずつ芽生え始めた「心」。
さらには未だ明かされぬ、ウォクとリリィの真の願い。
これらの願いが衝突し、混ざり合う時、一体どのような化学反応が起きるのか。
願いを巡る旅路の果てに、運命は非情にも告げられる。
朦朧とした霧に覆われ、空虚だった彼らの瞳には、これからどんな景色が映し出されるのだろうか。
次回、ファイル9:宿屋メイディの改装、親としての責任。
喧嘩する親子。それぞれが持ってる『価値観』がぶつかって、親とはど言う存在が抱える『責任』とは何か?ヴォイドが下す答えは?
次回更新時間、6月11日。




