ファイル7:白き天使(メタトロン)の使者
【謎の音:記録時間——2031年3月11日——朝——6時】
深い霧が立ち込める早朝、道端に並ぶガスランプが、息も絶え絶えに瞬きを続けていた。
領領主ガードの依頼を受け、調査隊員となったヴォイドは、パートナーの縁之介を連れてある場所へ向かっていた。目的地は『ファティマ』という『孤児院』。それがヴォイドにとっての初依頼の場所でもある。
その『ファティマ孤児院』が所在する地域は、アリストアルシティの中でも最も貧しく、不衛生な環境だった。領主ガードの豪華な屋敷と比べるなら、ここの建物は正に「ボロい」の一言に尽きる。細部を観察すれば、金属部分はことごとく錆びつき、本来は銀色だったはずの場所も、今は赤茶色に染まっていた。
ヴォイドは領主から送られてきた、既に開封済みの依頼書を手に握り、目の前の実景と地図の映像を照らし合わせていた。
傍らにいる縁之介は、すっかりやる気をなくした様子だった。最初はヴォイドが領主の依頼を引き受けたことに驚いていた彼だが、依頼人から「同行者をもう一人連れてきてもいいよ」と言われたと聞き、好奇心に駆られてついて来たのだ。
だが、まさかこれが体力を消耗する力仕事だとは思ってもみなかった。縁之介の身体能力は極めて高いが、他人の指示に従って動くような雑用には、やはり辟易していた。
「そんなに落ち込むな。仕事を完遂すれば、報酬はお前にも分けてやる」
ひどく嫌がっている縁之介に対し、ヴォイドは淡々と言い放った。
縁之介は涙目になりながら不満げにヴォイドを睨んだが、一つため息をつくと、鉢巻を締め直して腹を括った。
二人がそんなやり取りをしていると、既に『ファティマ孤児院』から出てきた一人の女性が立っていた。顔立ちは若々しいが、実年齢は57歳に達している。
この女性こそが、孤児院の院長、ルウデ・セイン・オグスティンであった。彼女の表情は厳しく張り詰めており、いつでも戦闘態勢に入れる隙のなさを保ちつつ、礼儀正しくヴォイドたちに目的を尋ねた。
その時、ヴォイドは視界の端で、院長の後ろに隠れてこちらを窺っている子供たちの姿を捉えた。異常なほど警戒心の強い院長の様子を見て、ヴォイドは一瞬にして状況を察した。
彼は手にした依頼書を渡し、さらにポケットから領主の署名が入った通行証を取り出して提示した。ルウデ院長は注意深く内容を確認し、目の前の二人が領主を通じて派遣された執行人であると即座に理解した。
ルウデ院長は先ほどの峻烈な態度を崩し、自身の非礼を詫びた。
ヴォイドは推測を裏付けるため、彼女がそれほどまでに警戒していた原因を尋ねた。
突然の問いに、ルウデ院長は戸惑いを見せた。助けに来てくれたことは理解しても、彼らが本当に信頼に足る人物かどうか、まだ判断しかねていたからだ。
ヴォイドはすぐさま外套を脱ぎ捨て、内側の白衣と白い肌を露わにした。そして縁之介を引き寄せ、武器や殺傷能力のあるものを全て傍らに投げ捨てて、彼女たちに危害を加えるつもりはないという『誠意』を示した。
二人の偽りない誠意を目の当たりにして、ルウデ院長は完全に警戒を解いた。ただ、とばっちりを受けたのは傍らの縁之介だ。ヴォイドが何も言わずに無理やり彼の羽織と刀を剥ぎ取ったため、彼は不満げにヴォイドに文句を言った。しかしヴォイドは冷静に、院長の後ろを見るよう縁之介に合図した。
縁之介もそこで初めて、ルウデ院長の後ろに隠れている子供たちの存在に気づき、ヴォイドの意図を理解した。相変わらず不満は残っていたが、今はその言葉を飲み込むしかなかった。
ヴォイドは分析を口にした。院長の表情が強張り、視線が泳いでいたのは、背後の子供たちを守ろうとする防衛本能ゆえだろう、と推測を話した。
ルウデ院長はヴォイドの観察眼の鋭さに驚き、隠すのをやめて事の顛末を語り始めた。
「最近この一帯では、夜間になると子供が忽然と失踪する事件が相次いでいるという。」
「夜? 子供は親の監視下で、その時間なら既に『夢境』に入っているはずではないのか?」
ヴォイドが疑問を呈すと、院長はため息をつきながら答えた。
ヴォイドは疑問を抱いて尋ねた。
「それが一番不可解な点なのです」
あらゆる『兆候』が異常だった。夜、5歳から10歳程度の子供が外を出歩く理由はない。物音がすれば大人も気づくはずだが、何の痕跡も残っていない。朝、大人が子供部屋の扉を開けて初めて、空っぽのベッドに気づくのだ。
「鍵をこっそり盗んだか、窓から飛び降りたんじゃないのか?」と縁之介が口を挟むが、院長は首を振った。
「問題が……ドアと窓のロックが開けた痕跡は存在しないにある」
子供が消えるという噂はこの旧市街一帯に広まり、防犯設備の乏しいこの場所では、一層の警戒が必要になっていた。
「もしかして、子供を守るのが今回の依頼か?」と縁之介。
院長は「間違いではないが、それだけではない」と言う。だが詳しい説明の前に、彼女は人数を数え、一人が欠けていることに気づいた。
「お二人だけですか?」
ヴォイドと縁之介は、その言葉に思わず顔を見合わせて困惑した。
その言葉に、ヴォイドと縁之介は顔を見合わせた。領主からの依頼書には確かに「同行者をもう一人連れてきてもいいよ」と書いてあり、ヴォイドはそれを縁之介のことだと思い込んでいたのだ。
院長はもう一通の手紙を取り出し、依頼を受けた者は全部で三人いるのだと説明した。二人目が領主側のヴォイドたち、そして残る一人が、『メタトロン』と呼ばれる教会組織から派遣された『聖女』であると。
「聖女……?」
『聖女』の名称を知ったヴォイドの脳裏に、先日病床で意識が朦朧とする中、微かに見えたあの金髪の少女の姿がよぎった。
「『聖女』……なんだそれ?」
縁之介には『聖女』というものが何なのか見当もつかなかった。
その時、霧の向こうからハイヒールが地面を叩く、小気味よい音が響いてきた。同時に、繊細な影がゆっくりと近づいてくる。
周囲のガスランプが激しく点滅を繰り返す。曇天のせいか、あるいは別の「何か」のせいか。
全員が反射的に警戒態勢に入った。
不意に灯火が消え——次の瞬間、霧が晴れ、空は晴天へと変わっていた。影が姿を現す。
孤児院へ歩み寄ってきたのは、青白い修道服を身に纏い、コーヒー色の鞄を手にした金髪の少女だった。
彼女が到着するなり、正体を問い詰めようとした縁之介だったが、彼女に触れようとした瞬間、不可視の力によって弾き飛ばされた。
少女は何事もなかったかのように縁之介を避け、院長の前に進み出た。院長は彼女の服に刻まれた紋章を見て、即座にその身分を察した。
「申し訳ない、少し遅れました。私は教会『メタトロン』から配属された、本日の依頼を担当する聖女、マリー・メタトロンです、よろしくお願いします。」
マリーはそっとスカートの裾をつまみ上げ、優雅に、優しく、そして淑やかに自己紹介をし、遅刻したことへの謝罪を述べた。
全員が揃い、一行は孤児院の中へと案内された。
マリーが静かに院長に続く中、縁之介は腰をさすりながら這いつくばるようについて行く。一方、ヴォイドは先ほど縁之介が弾かれた光景を冷徹に分析していた。
領主の依頼書に記載のなかった『教会組織』。そして『失踪する子供たち』。マリーのテンプレートのような完璧な笑顔と、その背後にある組織に、ヴォイドは微かな疑念を抱いた。
考えに没頭していたヴォイドは、すでに立ち上がっていた縁之介に声をかけられ、ようやく我に返った。周囲の状況を確認した後、ヴォイドも『孤児院』の中へと足を踏み入れた。
●
ルウデ院長は管理人として三人を案内し、内部の構造を説明して回った。祈祷室、居間、厨房、裏庭、浴室、そして居住部屋。院長は、建物の修繕をしながら子供たちの世話もせねばならず、余分な時間を取る余裕が全くないのだと語った。だからこそ、この三人に依頼したのだという。
院内の案内が終わり、役割分担が決まった。縁之介とヴォイドが建物の修繕を、マリーが子供たちの世話を担当することになった。
縁之介は斧を手にし、ひたすら木材や岩を割り続けた。一方のヴォイドは、『ブラックホール』の引力を利用して、それらの資材を指定の場所へと運搬していた。
その間、マリーは裏庭で子供たちと遊んでいたが、一人の少女が駆け寄り、「子供が一人足りない」と告げた。
時を同じくして、修繕現場。一人の少年が飛び出し、手に持った石をヴォイドたちへ投げつけた。
放たれた石はヴォイドの眼を真っ直ぐに狙っていた。それを回避しようとしたヴォイドは、無意識にブラックホールを解除してしまう。制御を失った資材が、本来の質量と重力を取り戻し、重々しく落下し始めた。
縁之介は咄嗟に自分の体を盾にして少年を庇った。
激しい物音に全員が駆けつけると、縁之介とデイが資材の下敷きになっていた。
幸い、ヴォイドが迅速にブラックホールを再発動させたため、二人は軽い擦り傷で済んだ。
「苦痛転癒」
それを見たマリーはなにも言わず、即座に異能を発動して二人の傷を治癒した。
(手が……傷跡が……)
マリーが治療を行った瞬間、彼女の雪のように潔白な手に、本来なかったはずの細かな傷跡が浮き上がるのを、その細かい変化はヴォイドだけが見逃さなかった。
ヴォイドは下へ飛び降りた、そして縁之介に「無事か?」と問い掛けた。
「あぁ、不思議なくらい痛みが消えたよ」と縁之介が言った。
「本当に申し訳ない、この子が迷惑かけてしまって。」
「ほら、デイ!謝りなさい」
ルウデ院長はデイを厳しく叱りつけたが、デイは「悪いのは外の奴らだ」と頑なに拒絶した。
「あの……私は、少しお手洗いへ……」
苦しげに身体を支え、マリーはその場を離れた。彼女から自分と同じような「苦味」を感じ取り、ヴォイドは胸に手を当てた。
マリーから同じ苦味を感じたヴォイド、自分の胸に当てた。
ヴォイドは事情を探るため、院長に問いかけた。「あの子に、何かあったのか?」
「……実は、デイの妹も行方不明なのです。例の失踪事件に巻き込まれたのかもしれません」と院長が告げた。
「ハメルの笛吹き……」
ヴォイドは下意識的ある名称を語り出した。
「ヴォイド、そのは……め……とやらのは何?」
初めてに聞いた名称に困惑する縁之介。
「なんでもない、たっだ昔が読んだ本の内容を思い出しただけ」
●
昼食の時間。テーブルには大鍋のシチューが置かれた。
ルウデ院長はまずヴォイドと縁之介にシチューを取り分けた。ヴォイドは一口味わっただけで手を止め、周囲を見回してマリーがいないことに気づいた。院長もそれに気づき、ヴォイドにマリーの分を持っていくよう頼んだ。
少し探した末、マリーが裏庭の木箱に一人で腰掛け、残り少ないビスケットを食べているのを見つけた。
ヴォイドはマリーの前に歩み寄り、シチューを差し出して、食べるように促した。
しかしマリーはそれを断った。だが、ヴォイドが「ルウデ院長の頼みだ」と告げると、マリーも受け取らざるを得なかった。
マリーは座って食べ始め、ヴォイドは後ろの壁に寄りかかりながらミルクを取り出して飲んだ。二人はそれぞれ自分のことに集中しており、空気は一時的に気まずいものとなった。
それから約数分が経過——
マリーがシチューを食べ終わった、ヴォイドも持てきたミルクを飲み終わった。
「今……一つ疑問が抱いてる。この前に、俺がオーバ一ロ一ドして倒れて、医館って休養した時、薄くある金髪な女性が俺のことを治療したところを見た。その女性はもしかしては君なのか?」
正にその時、まさかのヴォイドが真っ先にマリーに話しかけた。
「医館?……そっか、君はあの時の患者さんか……奇遇ですね。すみません、すぐに君のことを思い出せないこと。」
マリーが頭を下げ、ヴォイドにお詫びした。
「そんなことしなとも……俺は話したいだけた、あの時から、ずっと言ったかった。ありがどう、俺のこと治療してくれて」
ヴォイドは深く頭を下げて礼を言った。
「いえいえ、私も責務を果たすだけて。いちよう……聖女です
その直後、慌てて弁解しよとバランスを崩した彼女が木箱から落ちそうになり、袋のビスケットが地面に散らばった。
地に落ちる前に、ヴォイドは彼女を「お姫様抱っこ」で受け止めた。至近距離で見つめ合う形になり、マリーは顔を真っ赤にして見惚れてしまった。
しかもよく見ればヴォイドの顔はかなりの美人顔してる、女性であるマリーも思わず見惚れてしまった。
マリーの体形は元々繊細かつ軽いので、ヴォイド抱いても何も支障がなかった。
「あぁ……ありがとう」
ヴォイドはゆっくりマリー下ろした。マリーはちっさい声で感謝の言葉を伝えた。
その後、ウォイドは地面に落ちた透明なプラスチックに包まれた大量のビスケットを彼の目に入った。
マリーの物と思った彼は腰を曲げて、散らばっかに落ちたビスケットを拾い始めた。
ヴォイドが突然腰を曲げる行動に疑惑するマリー。ヴォイドの視線先を辿って、マリーも地面へ視線を向けて、彼女は地面に散らかったビスケットを見た。
(あれって……もしかして……)
なんかが悟たマリーは自分のポケットに入れて、顔をますます赤くなり、恥ずかしいさを隠すために同じくビスケットを拾い集めた。
(カビが生えたビスケット……?)
ウォイドは拾う時、ビスケットがカビ生えたことチラリと見えた。
「君はいつもこれしか食ってないのか?しかもカビ生ったもの……」
ウォイドは自分が拾い集めた分のビスケットを全てマリーに返した。
「これ……これは体重維持するために……そう、体重を維持するため」
マリーは、体型を維持するためにこれしか食べていないのだという理由で、その場をごまかそうとした。
「体重?オ一バ一してないけど、むしろ正常基準より低い。なぜそこまでに体重維持にこだわる必要がある?」
ヴォイドは理解できなかった。
マリーは少し気分を害したような、慌てたような、恥ずかしいような、そしてどこか落ち込んだような表情を見せたが、それでも微笑みを絶やさなかった。
「ウォイド君。女の子にそんな失礼な発言はよくないよ」
ヴォイドは自分の言葉のどこが失礼に当たるのか理解できなかったが、マリーの表情と態度を合わせ見れば、自分が何かマズいことを言ったのではないかと疑わざるを得なかった。
(失礼……?俺なんか失礼な言葉言ったか?でも彼女の表情と合同から見て、彼女を不快させたのも確かに事実らしい)
「マリー、教えてくれ。俺の何が、君を不快にさせた? 自分の……欠陥を知りたいんだ。もし無意識に君を傷つけたのなら、謝罪する」
ヴォイドは強くマリーの手を握り、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
マリーはヴォイドのあまりの真剣さに、思わず吹き出してしまった。少し変わってはいるが、目の前の少年に悪意がないことを彼女は感じ取っていた。
声を上げて笑ううちに、マリーのもすっかり解けていた。
「ヴォイド君、変なやつですね。でもそれも君の『自由』だね……」
「『自由』?『自由』とはなんだ?初めて聞いた言葉だ」
ヴォイドは「自由」という言葉に初めて触れたため、その意味がよく分からなかった。
「こんなことも知らないなんて、ヴォイド君はどこかの星から落ちてきた王子様なの?まぁ……私もはっきり言えないけれど……私も探す途中なんですから」
マリーは澄み渡る青空を見上げて言った。
「マリーには『願い』はあるのか?」
「願い、ですか……『普通』の女の子の人生を過ごしたいですね。普通に恋をして、普通に結婚して」
「なぜ、『普通』に憧れる?」
「私は『聖女』ですから。この命が尽きるまで、人を救済し続けなければならない。立場が違うからこそ、願ってしまうのです」
「でも俺と縁之介、あの少年を救うたように、人々を『救済』すること自体が君が決めるたろ。なったら、君にも自分の自由を『定義』することができるじゃない?」
ヴォイドの言葉に、マリーはニコリと微笑んで返した。「……そうかもしれませんね」
「そろそろ、返って仕事しなければ」
そう言うと、マリーは時間が経ったことを告げ、屋敷の中へと戻っていった。
ヴォイドは離れていくマリーの後ろ姿を見つめながら、縁之介と同じような、何かを背負い込んだ孤独な気配を感じ取り、再び考えに沈んだ。
(縁之介と同じ背中た……推測と予感が外れるといいね。)
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夜。屋根の上には、薄着に面紗を纏い、武器を手にした暗殺者らしい女たちが集結していた。
院内では、怪しい影が子供部屋へと忍び込み、眠っている子供に手を伸ばした。だが、布団を剥ぎ取るとそこは空だった。
「そこまでだ。まさか、君が子供失踪事件の犯人……」
背後からその腕を掴んだのは、ヴォイドだった。
扉の外には縁之介、ルウデ院長、そして子供たちが待ち構えていた。
「どうして、あなたが……」子供たちの悲鳴のような声が響く。
子供たちは信じられないという表情で、謎の影に向かって叫んだ。
「最初から疑っていた。何もかもが、都合良い過ぎている。……だが、あの苦しそうな背中を見て、俺は君を理解しようとしたんだ。その疑念を、俺自身の手で否定したかった。……なのに、これは何だ? これが君の言う『救済』なのか、マリー・メタトロン!」
ヴォイド自身も驚いてはいたが、自分の推測が当たってしまったことに対し、「外れていてほしかった」という思いの方が強かった。
窓越しに差し込む月光が、謎の影を照らし出した。その姿が完全に浮かび上がった時、謎の影――いえ、マリー・メタトロンの真の姿が、一同の目に完全に晒された。
「全ては主の救済のために……」
マリーの瞳は氷のように冷たく、まるで機械のように同じセリフをぶつぶつと繰り返すだけで、ヴォイドの問いには答えなかった。
そして彼女は瞬時に一人の少女を掴み上げ、屋根の上へと転移した。ヴォイドと縁之介は即座に後を追った。
屋根の上で、マリーは仲間たちと合流した。少女を仲間に引き渡すと、彼女は武器である鎖鎌を取り出し、二人に襲いかかった。
ヴォイドは、あらかじめ厨房から持ち出しておいた包丁を服の裏から取り出してマリーの攻撃を弾き返し、縁之介には他の仲間たちを追うように指示した。
ヴォイドは疑ってはいたものの、マリーのあの優しい一面を見てしまった以上、目の前の機械のような存在がマリーだとは認めたくなかった。
「マリー、教えてくれ。どうして君たちは子供たちを攫うんだ?」
「ヴォイド君、邪魔しないでくれ。これも子供を救済するためだ」
「何も答えないつもりか……なら力ずくで、その口を割らせるまでだ。」
激しい火花が散る。マリーの小刀が飛ぶ。ヴォイドはブラックホールの力を操るが、鎖に腕を絡められ、精確に狙いが定まらない。
(なぜだ……知りたい、君の心を……)
戦闘の中、ヴォイドの胸に未知の「火種」が灯る。
「マリーッ(マリーッ)!!」
マリーの心を知りたいという渇望が、プログラムのように脳へ刻まれる。彼は慣性に乗り、彼女の上空へと舞った。
ブラックホールの力で強引に鎖を引きちぎった代償として、ヴォイドの腕から赤黒い血が流れる。武器を砕かれたマリーが呆然とした隙に、ヴォイドはその手を強く握りしめた。
その隙に、ヴォイドはマリーの手を強く握りしめた。黒い光が瞬いた直後、彼の目の前に一連の記憶がフラッシュバックした。
「これは……」
記憶の中で、一人の幼い少女が泣き叫んでいた。それに呼応するように、マリーの目からも無意識に涙がこぼれ落ちた。
「ヴォイド……君……ごめんなさい。私は……やらなければ……苦しむ人が次々と生まれてくる……」
マリーはヴォイドを蹴り飛ばし、次の瞬間には別の場所へと転送されて消えた。
「マリー……」
遠ざかるマリーの背を、ヴォイドはただ無言で見つめていた。握りしめた拳が、熱い。それが、これまで計算式の中にしか存在しなかった『怒り』という名の熱量であることに、彼はまだ気づいていなかった。
初めて「怒り」という感情に目覚めたヴォイド。
しかしそれは、縁之介が見せるような単なる八つ当たりの怒りではありません。
マリーという存在を「知らなすぎた」こと、そして彼女の真実を前にして何もできなかった自分自身の「無力さ」に向けられた、静かで鋭い咆哮です。
短いフラッシュバックの中で見た、あの涙を流す少女の正体とは一体……。
さらわれた子供たち、そして組織へと戻ったマリーを、ヴォイドはどう「救済」するのか。彼の選ぶ決断を、ぜひ見届けてください。
次回、ファイル8:縛りの鎖をぶち壊せ
救済を再定義する




