第一章1 『相棒との再会』
俺が中学生時代の友人である柳屋凪に再会したのは、高校二年生に上がる前の春休みが始まる少し前、コートを脱ぎ出す人が増える三月上旬のことだった。
中学以来連絡のひとつも取っていなかった友人は、学校の帰り道に約一年ぶりに街で偶然再会を果たしたところで、その姿は当時とそれほど変わりなかった。
背丈は伸びたのだろうけれど、現在一六八センチの俺とほぼ同じで、パッと見中学生とも間違えられそうな優男風の柔和な顔からは当時の面影が残っている。俺も童顔ではあるけれど、こいつのほうが幼い顔をしていると思う。英国少年のようなくせっ毛にはどことなく上品さがあり、白いパーカーの上に羽織った青い制服のブレザーが青と水色のマフラーとよく似合っていた。
見たところ、凪のほうも学校が終わったところらしい。五メートルほどという中途半端な距離を詰めて、
「あんま変わってないな」
そう言うと、凪はふっと口元を緩めた。
「だと思った」
「そういうときはおまえも変わってないな、とか言うもんだろ」
「変わってないな」
「いま言ったら、俺が強要してるみたいだろっ」
はははと柔らかい声で笑う凪。こいつはいつも冗談めかした態度を取るけれど、実際のところはやはり感性がそもそもとしてズレているのだと思う。
「凪は学校の帰り?」
「うん。ぼくはこれから予備校にでも行こうというところさ。開のほうはアレかい? 探偵事務所」
「まあね」
「やっぱりまだやってるんだね、探偵。さすが勉強ができるのに、名門私立より地味な公立の学校を選ぶ変人ではあるね。それでこそ、明智開だ」
凪は揶揄するようにそう言った。
俺の名前は明智開。
世間からは探偵王子と呼ばれている。
普段は高校生と探偵の二足の草鞋を履いて生活している。
自分のことを人に話すことが嫌いな俺はついなんでも秘密にしてしまう傾向があるので、俺が探偵王子であることを知っているのは小学校中学校高校の友人の中でもほとんどいないが、柳屋凪はそれを知っている数少ない人間に数えられた。
むしろ、凪は中学時代よく探偵事務所にも遊びに来ていたし、いっしょに事件を解決に導いたこともある。こいつは自称「開の相棒」だったからな。
「俺は変人じゃないよ。家から近いから選んだだけだ。それに、学校のレベルとしては、むしろいいほうだよ」
俺の通っている北高は、自宅からも徒歩で通えて、この近辺にある高校では優秀な公立高校だ。名門私立に合格したにも関わらずそれを蹴って公立を選ぶのも、よくある話じゃないか。
「ていうか、変人はおまえだろ?」
凪は驚いた顔をする。
「え? ぼくがなにか、変人に値するようなことをしたことが一度でもあった?」
「ああ、何度もあったよ。数えきれないほどにな」
「そんな馬鹿な話があるもんか。ただ普通の高校に通って、その帰りに予備校に行くような人間の、どこが変人なんだい?」
「まず通ってる学校がおかしい。学力に見合わない公立に行く人は結構いると思うけど、学力に見合わない私立に、それも自ら志望して行くようなヤツはいないだろ。高いレベルに運よく滑り込んだとかでもない限りな」
普段は身内以外には当たり障りなくやり過ごす俺も、凪相手には言いたいことをバッサリと言う。いつもは穏やかに聞こえるよう意識している口調が妹を相手にするときのようになってしまうのも、凪の変わった性質のせいだろう。
凪は肩をすくめた。
「ぼくの通う学校もあまり悪くはないハズさ。メリットは家から近いこと。だから、ぼくはいまの学校に通ってるんだ。同じ学区内でも、ぼくと開の家は少しばかり距離があるし、それぞれが近い学校に通っているのだから、条件はいっしょだろう?」
「違うよ。でもまあ、学校なんて自分の好きでいいけどさ」
「じゃあ、そうさせてもらうよ」
言われずもがなそうしているくせに、本人はこれで話を合わせているつもりなのだろう。凪の打つ相槌や返事は昔からおかしなものだったが、それはいまも健在らしい。
なにを話そうか。
旧友との再会では最近調子はどうかと尋ねるのが普通だろう。けれど凪にそれを聞いたところで「なんの調子だい?」と真顔で聞き返されそうだ。
近況報告なんてするだけ無駄。凪には興味はないだろう。
そう考えると、久しぶりに会った友人にする話なんて話そうと思えば誰でも落語を一席ぶつくらいにはありそうなものだけど、凪相手にちょうどいい話なんてあったろうかと思ってしまう。
考えた挙句。
「凪、学校はどう? 予備校に通っているみたいだけれど、もう志望大学とか決めてるの?」
自分の話はもとよりあまりしたくないので(特にこいつには)、また適当に質問を振った。
「大学か。まだ行く大学なんて決めてないよ。大学に行くかもわからないしね。でもまあ、行くだろうね」
それだけ言って、凪は横を行く人たちをチラと見る。
ここで、同じ質問を返すなり別の話題を振るなりしないのが凪のマイペースなところだ。聞かれてないけれど、間を埋めるように俺は話し始めた。
「俺も行きたい大学は未定。まだ一年が終わるってところだし、本格的な受験勉強はこれから。予備校に通ったりしたほうがいいかな? まあ、それもまだ考えてないんだけれど」
すると凪は柔らかく笑った。
「冗長だね。昔の開のほうがおもしろい話をしたように思うよ」
失礼なヤツだ。自分だってなにもおもしろい話をしてないくせにぬけぬけと。
「受験の話なんて、キミがどうでもいいと思っているように、ぼくにとってもどうでもいいのさ。いまのところはね」
だったら聞き返してやるか。
「なら、凪にはおもしろい話ってなにかあるのかよ?」
「そうだねぇ……最近で言うなら、連続放火事件に関心があるよ。開も知ってるだろ?」
それくらいは知っていた。最近この街で起きている放火事件であり、しかしそのどれもがあまり大きな火事にはなっていない。言ってみれば、小さなニュースだ。
「なんか意外だな。凪がそんな小さなニュースをおもしろがるなんてさ」
「おもしろいさ。それに、あれは小さくはないよ。なんせ、三日前の放火でもう七件だ。一連の犯行としては、いい数字になってきたしね」
いい数字って、ゲームじゃないんだぞ。
「でもそれ、連続放火事件としての証拠や共通事項がないから、本当にそうかはわからないんじゃなかったっけ?」
俺の質問にも凪はさらりと答える。
「一般的にはね。警察でさえ連続放火事件として、本気で取り組んでいる様子ではないようだね。でも、あるんだよ、これが同一犯だと裏付ける証拠が」
ふーん。その証拠を凪はつかんでいるわけか。
それも、警察もつかんでいない証拠を。
探偵として、それは少し興味をそそられる。
そしてそれだけではなく、俺には関心を寄せるポイントがあった。
すでに七件。
放火された場所が、俺にとって馴染みのある場所だからである。もちろん、すべてが、というわけではない。けれど、昔利用したお店やよく知っている公園などもあり、当事者でないにしても、まったくの無関心にもなれそうにないのだ。
しかし同一犯と裏付ける証拠ってなんだ?
たまらず、俺は聞いた。
「で、それって?」
凪はもったいぶるようにニヤリとして、コートの内ポケットから片手に収まる程度のノートを取り出した。それはメモ帳であり、ジャンルや事の大小を問わず様々なことが書いてあるのを知っている。凪が中学時代から使っているモノだ。
「そこに書いてあるんだ」
「まあね」
開かれたページが見える。なんて書いてあるんだ? そこには本人しか読めない字があった。独自の速記術を習得している凪に、俺は昔ノートを見せてもらったことがあったのだが、しかし意味のわからなさは折り紙つきで、気前良くノートを他人に貸す行為もイタズラにしか思えなかった。
凪はノートに視線を落として、
「えっと、まずは一件目。二月中旬に廃工場で火事があった。あまり大きな火にはならなかったし、場所も場所だから、不良少年とかがイタズラに火をつけたんじゃないかと言われている」
「俺は別に、火事の詳細を聞きたいんじゃないよ。なぜ同一犯であるのか、その理由は?」
「ちゃんとそれも言うよ。でも話には順序があるんだ。とりあえず聞いてくれ」
「わかったよ」
と、俺はうなずく。
凪は続ける。
「この事件、世間では連続放火事件と言われているんだけどね、この一件目は廃工場ということもあって、一般には含まれていないんだ」
俺は黙って話を聞く。
「二件目は、その三日後。場所はワールド・オブ・システムという会社。三階建てのビルさ。それでも被害は小さく、怪我人はいなかった。そして三件目はさらに三日後、ぼくらの中学の近くにあった公園。これも怪我人ナシの比較的小さな火事。これ以降も怪我人はいないよ」
「よくそこまで調べたな」
「ここまでは新聞を見れば書いてあるさ」
そんなことをメモして、なにがしたいのやら俺にはわからない。そもそも凪がメモするのは自分が興味を持ったこと全部だから俺に理解できるもはずもないのだけれど。
「四件目は、今度は五日後。喫茶店『メイ・コーヒー』がやられた。四日後のレンタルビデオ屋が五件目。六件目がパチンコ屋で五日後。そしてその四日後、つまり今日から三日前にオフィスビル」
やっと終わったか。
「ふーん」
と凪の様子をうかがうと、柔和な笑みを見せて言った。
「この一連の事件の現場には、実はタロットカードがあったんだ」
タロット?
占いに使う、タロットカードか。どんな事実があるかと思えばタロットカードとは、また随分凝った演出をするものだ。
「第一、カードは燃えなかったの?」
「燃えないよ。いつも現場からは少し離れたところの壁に、カードが貼られているのさ」
「セロハンテープとかで?」
俺が疑問を呈すと、凪は苦笑して、
「開は変なところにこだわるね。視認はもっとアバウトでいいとぼくは考える。細かいことばかりに拘泥していると、全体が見えなくなって本質を見失うよ」
「悪いな。そういう性分なんだよ」
せいぜい全体の俯瞰も忘れないよう気をつけるさ。別に、カードがセロハンテープで貼られていようが両面テープで貼られていようがノリで貼られていようがどうでもいいけれど、それについて凪はメモも見ずに答えた。
「瞬間接着剤さ」
なるほど。手袋を着用していては作業しづらく、ここでテープ類を使っては指紋を残すことになりそうだ。
「で、それが残されていたわけだ」
凪はわざとらしく首を横に振る。
「いや。残されていたんじゃない。それは、犯行予告さ」
「へえ」
つまり逆。
先に貼ったわけだ。
わざわざ放火を起こすことを宣言するために、放火する前にタロットカードを壁に貼り付けておいたということか。
俺は何気なくつぶやく。
「手間をかけている割に、警察にも気づいてもらえなくていいのかな……」
「いいんだよ」
と凪は即答した。
「犯行予告をするには意味がある。でもね、警察や一般人にそれを知ってほしいワケじゃないのさ。ある特定の人間に気づいてもらうことが目的なんだ」
「まるで放火犯の気持ちがわかるみたいな言い方だな。愉快犯の線だってあるんじゃない?」
「ないね」
言い切るような口調だった。
「どうして断言できる?」
その問いに対して、凪はなにも答えなかった。笑みを浮かべたまま歩き出す。
「この近くに三日前のボヤがあった現場があるんだ。ぼくはまだ時間があるし、いっしょに行ってみないかい?」
そんな義理はねえよ、と言おうとして、俺も別に急いでいるわけでもないしな、と思い直す。ついでにこの事件のどこに凪が関心を持っているのかが気になったので、凪のあとに続くことにした。
雑談を交わしながら歩いていると、いつの間にか三日前の放火現場に着いた。
四階建のオフィスビルで、各階にそれぞれの会社が入っているようだ。
確かにボヤだったのだろう、あまり放火現場という感じはしなかった。しかしよく見ればごみ置き場付近の一階の壁がすすけたように黒くなっていて、確かに燃えた跡があった。いや、隣の家の壁もすすけて、あちらは石造りでないからか、一部焼けている。
「凪。気になったんだけど、タロットカードのことを知っているのは、凪だけ?」
わざとらしく凪は嘆息した。
「まさか。自慢じゃないけど、ぼくは観察力に自信があるほうではないんだ。探偵王子の開とは違ってね」
「王子言うな」
「いいじゃないか。王子様なんだしさ。で、タロットカードについてだけど、ぼくじゃなくても、現場に来たことがあれば気づくさ。むろん、現場周辺もちゃんと調べれば、だけどね。ほら、向かいのマンションを見てごらんよ。あそこにまだカードは残ってる」
ここまで付き合ったはいいがわざわざオフィス内に入るつもりもなかったし、ついでにタロットカードを見てから帰ることにしよう。
そうと決まれば。
「行ってみよう」
横断歩道を渡ってマンションの前に行った。
これか。確かにタロットカードが貼ってある。タロットカードは目の高さより少し下にあった。俺の肩くらいの位置だ。
「えーと、これは?」
「WHEEL OF FORTUNE」
カード下部に英語でそう書いてあった。それを読み上げた凪は視線をカードから俺に向けて、
「『運命の輪』さ」
そう言った。
運命の輪。
タロットカードには詳しくない俺でも、そこに描かれている絵から運命の輪が回りはじめる印象を受けた。
そして、なにかの運命の始まりが告げられたように感じた。