叫ぶなら
高月渚は高遠忍に駆け寄った。
彼を抱きかかえ「高遠君」「高遠君」と彼の名を呼んだ。
だが彼は返事をしなかった。
すると彼女を覆うように辺りが黒くなっていき、突然彼女の体は高遠忍を離れ、浮かびだした。
彼女は何か得体のしれないものに後ろから、お腹のあたりを掴まれ宙に浮いているのだとわかった。
だが感覚として人間ではないのだとすぐにわかった。
彼女は「高遠君」と叫んだ。
魂が抜かれたように動かない高遠忍の腹部を、黒い足のような靄が踏みつけた。
高遠忍は短く呻くと、激しくせき込んだ。
「やめて、高遠君に酷いことしないで」と叫び、体をばたつかせると、高月渚はいとも簡単に自由の身になり、高遠忍に駆け寄り、高遠忍を守るように彼に覆い被さったが、長身の高遠忍の体では、小さな子供が寝転んでいる母親の体に乗っかり甘えているようにしか見えなかった。
彼女の体は高遠忍から離れた。
辺りはまだ夜にもなっていないにも関わらず暗く、彼女の目には自分を抱えている得体のしれないものの姿を掴むことはできなかった。
高月渚はその正体不明の黒い巨体がが自分を荷物のように抱えながら移動し、佐和山の頂上へ向かって歩いていることが分かった。
彼女はもう大きな声が出せなかった。
何故だか頭がぼんりして眠ってしまいそうだった。
いけない。眠っては。
高遠君を、高遠君を助けなくては。
自分は何もできない人間だろうけど、今高遠忍を助けられるとしたら、自分しかいない。
眠ってはいけない。
ちゃんと目を見開いて。ありったけの声で叫んだ。
ここには自分と彼しかいない。
ならば彼女が叫ぶなら、呼ぶ名前は一つだけだ。




