第九話
それからしばらくの間、規則的な生活が続いた。
朝、目が覚めるとベルンを厠に連れて行き、朝食をとる。チビどもが来るまで家の中でのんびりし、チビどもが来たらベルンの手助けを任せて狩猟や畑の開墾に向かう。昼には一度休憩に顔を出し、チビどもに町で買った砂糖菓子を少しずつ振る舞う。そして、また作業へ。夕方に帰り、ベルンを水浴びと厠に連れて行くと、夕食を取り、軽く身の上話を聞こうと奮闘しながら魔術の訓練を行う。そんな日々。
しかし、二つ問題があった。
一つは、ベルンがあまり自分のことを話してくれないこと。僕はもっとベルンのことが知りたいのに、ベルンはあまり話をしてくれない。必然、僕やムツが話すことが多くなる。
もう一つは、ベルンの魔力の練り上げがあまり上手くいかないことだった。
魔力を起こすこと自体は上手くなっていった。あまり才能があるとはいえないながらも、地道に失敗の回数を減らし、起こせる量が増え、速度も早くなっていった。それは喜ばしい。だけど、魔力を練ることは上手くいかなかった。全くうまくならないどころか、むしろ。
「なんで、動かないんだ」
ベルンがポツリと呟いた。
最初のときは確かに反応していた木片は、日を追うごとに反応しづらくなっていった。起こす魔力の量は日に日に増え、その操作も長けてきているというのにだ。最近はほぼ全く動かなくなっている。
「わからない。適正が増えることはあっても、減ることなんてほぼありえないんだ。木は単純な自然魔術じゃなくて、生命魔術としての側面もあるから、そこが問題なのかもしれない。けど、なんで段々と反応しなくなったんだろう」
「……やはり、私に魔術は向いてないのか」
「そんなことはない! そんなこと、ないよ」
ベルンを励ましたいけど、上手く言葉がでない。下手な噓なんて何も意味ないし、偉そうなことを言うには僕は何もしていない。
「とにかく、もう少しだけ頑張ってみよう」
そう言って、その日の訓練をごまかすしかなかった。
夜、同じ寝台で寝ていると、少しだけ背中から波動を感じることがある。魔術を隠す技術を知らないベルンのそれは寝ていても感じ取れるけど、例え技術を知っていてもこの距離なら簡単に気づける。けど、僕は見て見ぬふりをした。ベルンとはずっと一緒にいるし、そうしないとどうにもならないけど、それでも秘密にしておきたいことはあるはずだから。
魔術の波動は何度も何度も感じ取れた。
僕は自分の不甲斐なさが悔しかった。
ある日、いつも通りに家に帰ると、珍しくベルンが髪を結っていた。後ろで一つにまとめているだけだが、なんだか新鮮な気分だ。
「ただいま」
珍しく返事がない。
見ると、ベルンは気まずそうに目をそらしていた。
「どうしたの?」
「……変じゃないか?」
「いや、似合ってるけど」
「そうか」
んん? なんなんだろう。
僕の疑問に答えるためか、ベルンは少し早口で話始める。どこか言い訳がましく聞こえるのは気のせいだろうか。
「リョエたちが髪を結ぶ練習をしたいというから貸していたんだ。けど、いつもは終わったらすぐにほどくのに、今日は妙に笑いながら帰ってしまってな。何かいたずらされたのではないかと思っていたんだ。変なところはないか?」
「んー? とくにないと思う。可愛い」
黙ってしまった。
解いてあげようかとも思ったけど、少しこのままにしてみよう。似合ってるし、別に解いてくれと言われたわけじゃないしね。
「まあ、魔術の訓練を始めよう」
せっせと机をベルンの目の前へと引き出し、使い古した木片を置く。すると、珍しく明るい顔をしてベルンが言った。
「ああ、そう言えば、少しわかったことがあるんだ」
「何かわかったの?」
「そこら辺に木の枝がないか? リョエたちが森から拾ってきたやつなんだが」
僕は周囲を見回して、落ちてる木の枝を拾って机の上に置く。そして、他にも数本落ちてるのにも気づいて、全部拾い上げた。
「あいつらなんでも拾ってきちゃうのは別にいいけど、僕の家の中をごみだらけにするのは勘弁して欲しいよ。この小瓶とか、その小汚ない布も」
「その枝を使うんだ。少し見ててくれ」
「え? わかった」
ベルンの指示に従ってそれらを並べ、ベルンに向かい合って座った。
何をする気かは、すぐにわかった。
「励起」
ベルンの魔力が一斉に起きる。訓練の成果か、ここで失敗することはほぼない。
「木、木、木」
魔力を練る。いつも通りだ。
「押せ」
魔力が流れ、木の枝に向かう。そして、それらが通り抜けるとき、数本の木の枝が、ずずと動いた。
「え、できてる」
「そこじゃない、見てくれ。反応した枝と反応してない枝がある」
確かに、ベルンの言う通りだ。数本の木の枝しか反応していない。そして、ずっと使っていた木片も反応していない。
「動く木の枝は、毎回同じ枝なんだ。もう一度やる。見ててくれ」
魔力を起こし、練り、操る。
すると、やはりベルンの言う通りだった。
「どう思う?」
僕はベルンの問いかけには答えず、動いた枝を観察してみる。反応したのは三本。いずれも特に変わったものは感じられないし、種類もバラバラ。強いて言うなら、魔力と反応した痕跡がわずかに見られるくらいか。
反応しなかった木の枝も手に取ってみる。こちらもやはり普通の木の枝だ。
「うーん、わかんないな」
「そうか。旦那様なら何か、と思ったんだがな」
「強いて言うなら、動いた枝の方が新しいかな。それくらい」
落胆しているかもしれない、と思ってベルンへ目を向けたが、そんなことはなかった。むしろ、やる気に溢れているように見える。
「べ、ベルン?」
「まあ、というわけで安心してくれ旦那様。別に私の適性が消えたわけではないようだ。このまま訓練に励むから、まあそのうち使えるようになるだろう」
よかった、よかった、とベルンは繰り返す。
それがまるで自分に言い聞かせてるかのようで、僕は少し不安になった。
それから、さらに数日後。
ベルンの魔力に反応していた木の枝は、すべてが反応しなくなっていた。
訓練を一時中断して、僕は頭を悩ませた。
原因がわからない。これまでも村の人に魔術を教えたりはしたけど、こんな事例は初めてだった。ベルンが南の人だからかとも考えたが、肌や髪の色、顔の形や体格に差こそあれ、基本的な能力に関して差はないはずだ。ベルンに亜人族の血が混じっている可能性も考えたが、ベルンはないと断言した。
理由として考えられるのは、やはり木の生命魔術としての側面だろうか。氷を操りたい場合は、力属性と水属性を同時に行使する必要があるように、いくつかの属性の複合魔術というのはそれなりにある。木も、玉属性と陽属性の複合魔術だ。しかし、木が複合魔術としての側面を持つのは、成長させながら操る等と言った場合であり、単純に移動させるだけなら陽属性は考えなくてよいはずだ。生命魔術は僕の専門外なので、もし陽属性が鍵を握っていた場合はお手上げだった。
嫌な想像が頭をよぎる。それは、ベルンが新鮮な木しか操れないのではないかと言う想像だ。
詳しい理論はわからないが、もしそうだとしたら、ベルンに義手を作る案は没にしなければならない。さすがに木を新鮮なまま加工する技術は持っていないだろうし、そもそも線引きがわからない。そんな状況で作ってくれなんて頼んだところで、デデーさんは決して首を縦には振らないだろう。
最近はベルンが焦っているのがわかる。これが成功すればベルンは再び自分の腕を手に入れることができるかもしれないので、当然だ。
しかし、もしできなかったら?
僕はベルンに偽物の希望を与えてしまったのではないか?
僕の焦りも日増しに増えていった。
ある日の夜、僕は夢と現実の間でベルンの声を聞いた。
「なんで……」
背中から微かに届いたその声は、確かに震えていた。
こんなときに限ってムツは来ない。元々気紛れに訪れているだけだったが、二週間も現れないのは珍しい。ムツは長く生きているだけあって知識は豊富だ。頼れないのが歯がゆかった。
そして、ある日。僕が少し遅く家に帰った日のことだった。
チビどもはまだ家にいた。そろそろ帰らないと夕食に遅れて起こられるはずだが、いいのだろうか。
「おーい、チビども」
「しー!」
「静かに」
リョエに金玉を殴られた。例え相手が長南女の子であり力が弱くとも、そこは人体の、いや、男の急所。息がつまって、痛みが思考を止める。
「な、に、すんだ。そこは、駄目だって」
「静かに! ベル姉ちゃんが寝てるの!」
とにかく何も考えられず、僕はうずくまり、痛みが引くのを待った。
立ち上がれるようになるころ、ようやく脳に情報がとどき、その意味を理解する。ベルンはまだ夕方だと言うのに寝台で寝ていた。
無防備だ。その姿がなんとなく嬉しくもあり、疲労した表情が歯がゆくもある。
「ベル姉ちゃんね、疲れてたみたい」
「そうだね。ベルンは頑張ってるからなぁ」
「ワニトもちょっとは頑張らないと、愛想つかされちゃうよ?」
「そーだよ、ベル姉ちゃん綺麗だもんなー。ワニトなんかじゃなくてもお嫁にもらってくれる人はたくさんいるよな」
「そうそう」
みんなこそこそと小さな声を出す。いつもならすぐに騒ぎ出してしまうチビどもも、ベルンのことが心配らしい。
僕は寝台の端に腰かけて、ベルンの乱れた前髪を整えた。
「ん……旦那様、か」
すると、ベルンはすぐに目を開いた。触れてしまったのは失敗だった。
「あーもうワニトなにやってんの!」
「ベル姉ちゃん起きちゃったじゃん」
「い、いや、つい手が」
「そこを我慢するのが大人でしょー」
「偉そうにしてるくせに信じられない!」
ぐぅの音もでない。
チビどもの反応が面白かったのか、背後でくすくすとベルンが笑った。
慌てて振り返るが、ベルンは既に普段の表情だった。駄目だ、見逃した。ベルンが本当に自然に笑っているところを、僕はまだ見ることができていない。
からかうような顔で、ベルンが言う。
「旦那様はおっちょこちょいだからな、許してやってくれ」
「ベル姉ちゃんがいうなら」
「しかたにないなーもー」
「お前ら、僕の言うこともそれくらい素直に聞いてくれ」
「や、だ」
「じゃあそんけいできるにんげんになってください」
「ほら、早くお帰り。夕食の時間だろう?」
「やばっ」
ベルンの一言で、チビどもは慌てて走って帰っていった。
「なんていうか、ベルンはすごいな」
「旦那様が駄目なのではないか?」
本当に申し訳ない。僕が反論せずに口をつぐむと、ベルンは冗談だ、と平然と言ってのけた。ただし、それが本当に冗談なのか判断が付かないのはなんでだろうか。
ベルンは左腕を動かして、少し体を起こした。
「水浴びがしたいな、旦那様」
外はもう暗い。
けど。
「いいよ。行こう」
気分転換だ。
僕はベルンを抱き上げて川へ向かった。
空には星が瞬き、月が鋭く輝いている。虫が鳴く声を聞きながら、草むらを蹴飛ばして進む。もう陽が長い季節だ。生命の気配はそこら中からするが、あまり危険な毒を持つ生き物がいないこの村は本当に住みやすい。
川辺につくと、すぐには川に入らず、魔術で上流を温めた。
「今日は湯か。贅沢だ」
「さすがに風邪ひきそうだからね。なんとなくコツも掴んできたし、魔術は定期的に使わないと訛るし、贅沢もできる時にしなくちゃ」
ベルンの服を脱がす。暗闇でもその白い肌が浮かび上がり、恥ずかしくなって目を逸らす。
「たまには旦那様も脱がないか?」
「そ、それは、やめとく」
その柔らかい肌に直接触れるだけで理性が飛びそうなのに、素肌同士で密着などしたら確実に飛ぶ。ベルンだってそれくらいわかっているだろうにわざわざ聞いてくるのは、からかっているだけなのだろう。
人肌程度の温度の川につかり、肌を傷つけないように洗う。
「魔術は、偉大だな」
「そんなこと、あるといいな」
「あるさ。こうして温かい湯にすぐに浸かれる。料理も手軽。雨に降られてもすぐ乾く。狩りも出来る」
「あれ? そう聞くと、火魔術も悪くないかも」
「ああ、悪くない」
なんだか、穏やかな気分だ。最近は水浴びも人が来ない内にと手早く済ませていたからだろうか。こうしてゆっくり浸かるのは、久しぶりな気がする。
「ここは良い村だ」
「突然何さ」
「子供たちを見ればわかる。ここは良い村だ」
「あの悪ガキを見てよく言うよ。本当にもう手間がかかってたまらないよ」
「素直で賢いじゃないか」
「えぇー。ずる賢いのは認めるけど、素直―? ベルンは確かになつかれてるみたいだけど、僕のことは既になめきってて全然いうこと聞かないし」
「旦那様だって人気者だぞ。口からでるのは旦那様の話ばかりだ」
僕の話、と言われて少しだけ動揺する。変な話はされてないよな。背後から抱える形だから、ベルンの表情はわからない。
川の流れが静かに響く。視界があまり利かないからか、それ以外の感覚が敏感になっている気がする。
「ごめんね、ベルン」
つい、口から謝罪の言葉が漏れていた。
「焦らなくていい」
それに対するベルンの反応は穏やかだ。まるで焦っているのが僕だけなのかと錯覚してしまいそうなほどに。
「でも、それはベルンこそ」
「私に魔術を扱う才能がなかったと結論を出すにはまだまだ早い。この程度の努力でやり切ったような態度を取るなんて恥ずかしすぎるだろう。それに、木が私の適性ではなかっただけかもしれない。他にも試してないのはたくさんあるだろう?」
「そう、か。そっかー。水属性も、気属性も、まだ試してないもんな。電魔術も、力魔術も。まだ……そう言えば、土魔術の適性があやふやだったね」
不意に、何かが引っ掛かった。何かを忘れているような気がした。
それを、手繰り寄せ、正体を掴むために質問をする。
「土魔術は、反応したんだっけ」
「したような、しなかったようなだな」
そうだ、よくわからなかった。
「けど、砂も晶も反応しなかった」
「土に似かよっていて、しかし似ていない? 謎かけみたいだな」
そうだ、土が持っていて砂が持っていないもの。新鮮な木の枝が持っていて、古い木の枝が持っていないもの。
「ベルンは、新鮮な枝と、古い枝の違いはなんだと思う?」
「んー、なんだろうな。生きてる木は瑞々しい。死んだ木は朽ち果てる」
ベルンが僕にもたれ掛かってきた。
「ああ、新鮮な木は燃えにくいな」
「それだ!」
脳髄に衝撃が走った。
僕はとんでもない勘違いをしていた。そして、恐らくとんでもない早合点だ。なんて馬鹿なんだろうか。頭がくらくらする。
「ベルン、魔力を起こして」
「え? わかったが……何を?」
すぐに魔力が起きた。もう起こすのはばっちりだ。
「そして、練り上げるんだ。水、と」
「水? ……ああ、そういうことか」
暗くて見えにくいが、恐らく大丈夫だろう。土に含まれる水分に反応させ、木の中に含まれる僅かな水で木を動かせたなら、今のベルンなら、きっと大丈夫。
「持ち上げて」
「水」
泡が浮かび上がった。
そう錯覚した拳大の水の球は、ベルンの顔の前まで浮かび上がり、そこで限界が来て水面に落ちた。
「ベルン、おめでとう」
ベルンを抱き締める。
「君は、水魔術師のベルンだ」
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