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第6話:【幻術と金貨】裏社会の頂点と、陰謀をスルーする最強の女神

ヴァレングラードの午後の空はゆっくりと赤橙色へと染まり、辺境都市のシルエットは今やひどく陰鬱なものに感じられた。アリスは何気ない様子で酒場から出てくると、石畳の通りを無音の足取りで歩き出した。


彼女の身体を包む白き外套は、その圧倒的な威圧感とオーラを完璧に隠し通し、彼女を午後の散歩を楽しむごく普通の貴族の令嬢のように見せていた。

現在、アリスは派手すぎない白き外套を身にまとい、その威圧的なオーラを完璧に潜めて酒場の外にいた。通りの静寂の中、アリスの耳は、前方を足早に歩く二人の街の住人の会話を捉えた。


「知っているか? 明日、ヴェルメイユ平原の戦いの犠牲者のために、大規模な合同葬儀が執り行われるらしいぞ」

男の一人が囁き、大気が急に冷え込んできたかのように、着ているコートをきゅっと引き寄せた。


「本当か? どこでだ?」


「南東にある、この街の巨大な墓地広場だ。明日の午後に行われると聞いている」


「お前が行くなら、俺も一緒に行こう。あの血の霧に呑み込まれた者たちの魂のために、祈りを捧げねばならん」


アリスは足を止めることなく、その表情は彫像のように平坦なままであった。しかし、血のように赤い双眸の奥底で、小さな興味の火花が散った。


その話を聞いてもアリスは一切の感情を表に出さなかったが、内心ではその葬儀とやらを見物し、参加してみるのも悪くないと考えていた。今はもう夕暮れ時であり、アリスは宿を見つける必要があった。


(ほう、興味深いな……)


封印される以前のアリスは命を刈り取ることしか知らなかったが、人間がこれほど大規模に死を悼む姿など見たことがなかった。その催しに参加することは、ちょっとした娯楽であり、明日の午後の稀有で興味深い時間になりそうであった。


アリスは明日の午後、そこへ赴くことに決めた。


とはいえ、今は日が沈み始めており、アリスは身を清めて眠るための場所を必要としていた。彼女のような存在に睡眠など不要であったが、三千年もの封印から目覚めた今、どういうわけかわらわは横になって身体を休めたいという気分になっておったのだ。


あいにく、ヴァレングラードは正常な状態ではなかった。アリスが豪華な三階建ての旅籠の前に到着すると、入り口にはイグラシア帝国軍の兵士たちが厳重な警戒態勢を敷いて立っており、槍を交差させ、緊迫した表情を浮かべていた。当然ながら無用な騒ぎを起こしたくないアリスは、別の宿を探すことにした。


そこだけではない。別の宿へ移動するたびに全く同じ光景が繰り返された。アリスは宿を求めてヴァレングラードの街を彷徨う羽目になり、最後に辿り着いた宿でも状況は変わらず、イグラシア帝国の兵士たちによって占拠されていた。


宿の外からでも、アリスの鋭い鼻は、開け放たれた窓から漂ってくる医療用ポーションのツンとした悪臭、汚れた包帯、そして金属的な血の匂いを察知することができた。


(母さん、あの鎧のドブネズミどもがなぜ入り口を塞いでいるのか、確認させていただけますか?)

ノックスのかすれた声が脳内に響いた。


(行け)

アリスは短く答えた。


人間に一人として気づかれることなく、アリスの足元にあった影のシルエットが離脱した。ノックスは目にも止まらぬ速度で宿の石壁を這い上がり、二階の窓の隙間へと滑り込んだ。ほんの十数秒のうちにその影は滑り降りて戻り、アリスの白き外套へと再び溶け込んだ。


(ヴァレングラードの病院が収容限界を超えております、母さん)

影の中からノックスが報告する。


(母さんが記憶を強制消去した数百の兵士どもが、現在ひどい高熱と痙攣を起こしております。軍はこの都市のすべての旅籠を接収・レンタルし、応急救護院として使用しているようです)


アリスの足が止まった。彼女は目の前の宿の建物をただ見つめ、ごく微かな苛立ちを滲ませた平坦な視線を向けた。


(なんと迷惑な話じゃ……)

アリスは小さくため息をついた。その声音は、心底邪魔をされて迷惑がっている者のそれであった。


(今夜のわらわのベッドを独占させぬよう、ヴェルメイユ平原で全員まとめて灰にしておけばよかったわ。将来、奴らが役に立つことを願うばかりじゃな)

アリスは不機嫌そうに口にした。


ノックスは低く笑い、そのかすれた声に心からの心酔を滲ませてアリスの頭の中を揺らした。


(戦場における母さんの慈悲深さが、あの脆弱な人間どもに誤解されるのは実にいつものことでございます。ですが、遥かに素晴らしい一時的な休息の場のご提案がございます)


(申してみよ)


(東の区画に、軍すら接収や介入を躊躇う場所がございます。強欲と秘密、そして人間の汚らわしい欲望の香りに満ちた場所……奴らはそこを黒蓮閣と呼んでおります。兵士の警護など皆無にございます)


「兵士がいない」という言葉を耳にし、アリスはノックスの残りの説明などどうでもよくなった。彼女は即座に身を翻した。


(よい。案内せよ)


数分後、アリスは黒蓮閣の外へと到着していた。外から見る限り、この館は四階建てで、陽光の下では漆黒に見える濃いマホガニーの木材を用いて建てられていた。その屋根は典型的な開封建築の様式で反り返り、暗色の釉薬が施された瓦で覆われていた。


屋根やバルコニーの至る所に、血のように赤く、そして深い紫色の絹の提灯が何百と吊るされており、ヴァレングラードの夜とは対照的な仄暗い光を放っていた。正面玄関には、黒い蓮の形をした巨大な木彫りの装飾が施されており、その花びらは訪れる罪人たちを迎え入れるかのように、わずかにほころんでいる。


当然のことながら、黒蓮閣の意匠は周囲のありふれた建物とは強烈な対比をなしており、それがアリスの興味を惹いた。アリスの記憶によれば、この建築様式はここから遠く離れた、おそらく数千、あるいは数万キロ彼方にある大陸の南東部が発祥であったはずだ。


そのような様式の建物が、この辺境の地に堂々とそびえ立っているという事実は、この世界の建築技術の発展においてアリスをわずかに驚かせた。


(母さん、ここには少々目障りで不潔なゴキブリどもがうろついているかもしれませんが、この周辺ではここが最も極上の場所でございます)


(構わぬ)


アリスが黒蓮の木彫りの玄関を通り抜けた瞬間、ヴァレングラードの凍てつく空気は一瞬にして吹き飛ばされ、濃厚で暖かな大気へと様変わりした。白檀の香炉、梅酒、そして高級な香水の入り混じった、人を酔わせるような芳香が即座に彼女の嗅覚を襲う。


続いてアリスを出迎えたのは、一階部分に広がる俗人の間(モータル・ホール)の豪華絢爛な光景であった。そこは一階から四階の天井までが完全に吹き抜けとなった、極めて壮大なアトリウム構造になっている。


一階の中央には、滑らかに磨き上げられた木製の巨大な円形舞台が鎮座しており、その周囲は薔薇の花びらと作り物の蓮の花がたっぷりと浮かぶ浅い水路に囲まれていた。


吹き抜けの空間には、抑えきれない歓声と拍手が鳴り響いている。古箏と琵琶のテンポの速い音楽がリズミカルに流れ、その場にいるすべての人間を魅了する、極めて質の高い芸術的な演舞を導いていた。


眩いばかりに照らされた四階の天井から、極めて長い赤と金の絹のショールが何十本も垂れ下がり、一階の水上の円形舞台へと真っ直ぐに伸びている。魅惑的な薄絹の衣装を身に纏った三人の遊女たちが、まるで宙を舞い、空中に浮かんでいるかのように見えた。


踊り子たちは長いショールの先端を、袖の裏に巧妙に隠された命綱とも言える結び目で、自らの腰と手首に固定していた。極めてしなやかで鍛え抜かれた動きで、彼女たちは高所から急降下し、天空から舞い降りる天女のごとく空中で回転しながら、猛スピードで滑空していく。


その身体が舞台に激突するまさに直前、ショールがピンと張り詰め、急降下の勢いを殺す。そして、彼女たちの足の爪先だけが水面を撫でるように滑り、水しぶきと薔薇の花びらを空中に美しく舞い上がらせた。


一階にいる豪商、軍のエリート指揮官、そして傭兵たちは、ぽかんと口を開けたまま上空を見上げていた。重力を忘れさせるような錯覚と、俗世の舞いの完璧なまでの優雅さに、彼らは完全に魅了され、催眠にかけられたかのように心酔しきっていた。


ヴェルメイユ平原の惨劇を受けてヴァレングラードの街全体が恐怖に縮み上がっているというのに、黒蓮閣だけは、現実そのものを拒絶した独自の別世界を生きているかのようであった。


では、アリスはどうであったか。魅了されていたか? 芸術はそれなりに好むゆえ、あるいはそうかもしれない。


だが、好色な男たちが感嘆の溜め息を漏らしながら舞台を見つめているその最中、白き女神はといえば、左の外套の裏に潜むノックスの空っぽの胃袋に、右腕を半分まで突っ込む作業に没頭していた。彼女の顔はひたすらに無表情であり、まるで散らかった引き出しの中から家の鍵を探すかのような手つきで、影の化け物の胃袋の中身を無造作にかき回していたのである。


(よし、あったぞ)

アリスは、指先で質の高い金貨を数枚掴み取ると、平然と呟いた。


(ノックス、ここの支配人がどこにおるか探れ。部屋を取りたいし、この場所の情報も集めたいのでな)


(御意に、母さん)


一筋の細い影がアリスの外套の裾から滲み出し、木製の床を這うように滑ると、命令を遂行すべく瞬きする間に姿を消した。自身の「財布」への用事を済ませたアリスは、再び視線を前方へと戻した。


そして、彼女は歩みを進めた。アリスは群衆を掻き分けながら歩く。その身のこなしは、舞台上のいかなる舞いよりも遥かに致命的なまでの、絶対的な優雅さを伴っていた。簡素な白き外套がその身体と顔の大半を覆い隠しているというのに、その足取りは軽く、無音でありながら、女帝のごとき絶対的な支配感と威厳を放ち続けている。


一人、また一人と、周囲にいた好色な男たちが彼女の存在に気づき始めた。強欲な商人たちの笑い声が途切れ、一階の喧騒がゆっくりと引いていく。


フリーチャンピオンや貴族たちの視線が、水上の踊り子たちからゆっくりと外れ、その白きシルエットへと釘付けになった。彼らは息を呑み、この威圧的で神秘的な「新たな花」が一体どこからやって来たのかと値踏みするように見つめていた。


しかし、酔っ払った男の誰一人としてアリスに言い寄る勇気を出せないでいるうちに――荒々しく乱暴に木戸が蹴り開けられる音が、その静寂を粉々に打ち砕いた。


バァァァンッ!!


マホガニーの木戸が、外から乱暴に蹴り開けられた。二人の男が足を踏み入れる。一人はグリズリーのような巨体を有し、もう一人は小柄だが狡猾そうな顔つきをしていた。


彼らは、その場の優雅な空気を一瞬にして破壊した。そのブーツは高価な絨毯に薄汚れた泥の跡を残し、身につけた革鎧からはカビ臭い悪臭が放たれている。空間に漂っていた梅酒の芳香は、彼らの吐息に混じる安酒のひどい臭気によって即座に汚染されてしまった。


二人の男は、それぞれ大剣を携えているようであった。


「聞け、黒蓮閣の犬ども!」

頬に傷のある男が、大剣を宙に振り上げて怒鳴り声を上げた。


「俺たちはクリムゾン・ベールだ! うちのボスからの伝言だぜ。俺たちの提示した額でこの場所を売り渡すか、それとも俺たちに襲撃されるか、選ぶ道はねえんだよ! とっとと決めな、時間切れだッ!!!」


その脅迫が最後まで遂げられることはなかった。

水上の舞台の中央。優雅に着地したばかりの主役のショールの踊り子の一人が、ゆっくりと首を巡らせた。赤い絹の衣装の裾を水に濡らしながら歩み、梅の花が描かれた扇子で顔の半分を隠したその踊り子は、二人のならず者をじっと見つめた。


突如として、そのショールの踊り子の瞳が、仄暗く魅惑的な紫色の光を放った。


(ほう?)

外套のフードの下で、アリスの血のように赤い瞳がわずかに細められた。


(あれは 【Special Skill】 ――いや、あのスキルはさらに密度が高く強固な基盤を持っておるな。【Ultimate Skill】 に限りなく近づいた、極めて強力な版の 【Special Skill】 じゃ)


アリスにとってはありふれたものであったが、あの二人の下等なならず者にとっては、それは死刑宣告に他ならなかった。その後、ノックスはアリスの外套の中へと戻り、受付の場所を伝達した。アリスは一切の時間を無駄にすることなく、背後の騒ぎなど完全に無視して受付のカウンターへと向かった。


二人の大男の身体が突如として硬直したかと思うと、握りしめた大剣が激しく震え始めた。踊り子の幻術の影響下において、彼らはもはや互いを仲間として認識していなかった。彼らの目には、隣にいる親友が、今にも襲いかかってこようとする悪夢の化け物へと変貌していたのである。


ガキィィンッ! ギィンッ!


二人の錆びた剣が激しくぶつかり合い、空中に火花が散った。二人は野獣のように数分間戦い続け、パニック状態のまま互いを斬りつけ、攻撃を躱し合った。館の客たちはむしろ歓声を上げ、その生死を懸けた殺し合いを無料の見世物として楽しんでいた。


熊のような巨体の男が、仲間を直接叩き潰そうと残忍に大剣を振り下ろした。


ズガンッ!


鋼の刃が木の床に叩きつけられ、磨かれた木片が飛び散ったが、その攻撃は外れた。一方、より俊敏なもう一人の男はその隙を利用し、親友の剣の刃を踏み台にして宙へ跳躍すると、巨漢の首を斬り裂こうとした。


巨漢の男は、間一髪で身体を後方へ引いた。


ズバァッ!


その斬撃は彼の肩を切り裂くにとどまり、鮮血が噴き出した。戦いは極めて拮抗していた。巨漢の男はその速度を頼りにし、小柄な男はその俊敏さを頼りにしていた。


そしてついに、互いの死角を突くように、二人は同時に前方へと飛び込んだ。


ズブゥッ!


二人の剣刃が互いの革鎧を貫き、胸を深くえぐり、それぞれの心臓を引き裂いた。即座に、空中に鮮血が噴き出した。


まさにその瞬間。舞台上の赤いショールの踊り子が扇子を下ろし、指を鳴らした。それにより、彼女の幻術は即座に断ち切られた。


二人のならず者の視界は瞬時にクリアになり、その目は大きく見開かれた。彼らは、自分たちの胸に深々と突き刺さっている武器の刃が、他でもない自らの親友のものであると理解し、恐怖と絶望に満たされた。


「お、お前……。な、何を……」


二人は鮮血を吐き出し、震える手で自らの胸を押さえながら、同時に膝から崩れ落ちた。彼らはまだ死んではいなかったが、その命が尽きるのも時間の問題であった。


しかし、その二人の暴漢が完全に息絶える前に、柔らかでありながら極めて威圧的な女の声が、吹き抜けの高い天井から響き渡った。


「クリムゾン・ベール、ですわね……。野犬の群れが、よくも私の絨毯をその汚らわしい血で汚してくれましたこと。もちろん、あなたたちのそのゴミのような提案はお断りですわ」


黒蓮閣の全体が、突如として静寂に包まれた。客たちはもちろんのこと、軍のエリート指揮官たちでさえ即座に息を呑み、四階を見上げた。


影に包まれた最上階から、三人の女性の踊り子たちが赤い絹のショールを使って滑空してきた。先ほどの舞いとは異なり、今度は三人の踊り子たちが空中で手を伸ばし、互いの腕を絡み合わせて「人間椅子」を形成した。


宙を舞い降りる三人の踊り子たちの腕の「椅子」の上には、一つの帝国を崩壊させるほどの美貌を持つ女が腰掛けていた。

彼女は深いスリットの入った優雅な黒い絹のドレスを身に纏い、その滑らかですらりとした脚を惜しげもなく披露していた。その極めて華やかな顔立ちは、冷酷で致命的なオーラを放ち、彼女の細くしなやかな指先は、無造作に二枚の金貨を弄んでいた。


その女こそ、黒蓮閣の主である西の翠玉《エメラルド・オブ・ザ・ウェスト》であった。


三人の美しい踊り子たちは、二階のバルコニーと平行になるように宙に浮き、絹のショールの力だけで主人の体重を支えていた。その腕の上で、西の翠玉《エメラルド・オブ・ザ・ウェスト》は、死にゆく虫ケラを見下ろす女神のように冷酷な視線を落としていた。


ショールが彼女たちの墜落を防いでいるとはいえ、その光景はまるで空中にふわりと浮遊しているかのようであった。


「地獄で待つあなたたちのボスに、よろしく伝えてくださいませ」

血も凍るような薄い微笑みを浮かべながら、その美しい女は言い放った。


「この黒蓮閣で騒ぎを起こそうとする者は、誰一人として首を繋げたまま帰ることはできませんわ」


「ふざけやがって、このアマがッ!」

ならず者の一人が叫んだ。


キィンッ!


女の親指が、手の中で弄んでいた二枚の金貨を弾き飛ばした。


ギュンッ!


その二枚の金貨は、バリスタの矢すら凌駕する速度で空気を切り裂いた。黄金色の閃光を残し、骨を砕く鈍い音とともに二人の暴漢の額を深々と貫く。二人の頭部は瞬時に後ろへと大きくのけぞり、そのまま床に崩れ落ちた。頭蓋骨に金貨を埋め込まれたまま、即死であった。

一階で再び割れんばかりの歓声が爆発した。この黒蓮閣において、死は悲劇などではなく、極上の娯楽にすぎないのだ。


一方、その喧騒から遠く離れた場所で、アリスはマホガニー製の受付カウンターに静かに寄りかかっていた。VIPルームの代金として、彼女の三枚の金貨がテーブルの上に置かれたところであった。


白き外套の奥で覗く血のように赤い双眸は、西の翠玉《エメラルド・オブ・ザ・ウェスト》を真っ直ぐに見つめていたが、アリスの表情は凍りついた湖面のように平坦なままであった。


(金貨を投擲武器として使うとは……よほど裕福と見える。それにしても、あのように金貨を無駄遣いするとは、実にもったいないことじゃ)


(母さん、お部屋の準備が整いました。すぐにお休みになられるのがよろしいかと)

ノックスが提案した。


アリスは細いため息を漏らし、西の翠玉《エメラルド・オブ・ザ・ウェスト》から視線を外すと、まだ激しく震えている美しい受付嬢の手から真鍮の鍵を受け取った。


アリスが身を翻し、絨毯が敷かれた木製の階段を三階へと上がり始めたその瞬間、ノックスが再び思考伝達(テレパシー)を開いた。


(ほう……なかなか興味深い香りがいたしますね)

ノックスのかすれた声が、その鋭い嗅覚で大気を味わうかのように、微かに鼻を鳴らすように響いた。


(何の話じゃ?)

アリスは淡々と返し、その足取りを微塵も緩めなかった。


(先ほど下で幻術を使っていた、赤いショールの踊り子の娘です。鼻をつく汗と梅酒の香水の裏に、甘く腐敗したような香りが一滴だけ混じっております。まるで、死の花の樹液エキスを極めて濃密に煮詰めたかのような……)


それを聞いても、アリスの表情は一切変わらなかった。踊り子が衣服の裏に猛毒を隠し持っているという事実に対しても、彼女は微塵の疑念も、興味すらも抱かなかった。


(ここは夜の歓楽街じゃぞ、ノックス。罪人や強欲な貴族どもの吹き溜まりじゃ)

アリスは退屈しきった、冷淡な声で答えた。


(客を大人しくさせたり自衛したりするために、あらゆる違法な薬や媚薬、安っぽい神経麻痺の毒にいたるまで何でも使う。そんなものはよくあることじゃ)


(今のわらわの目的は、温かい湯と柔らかいベッドじゃ)

アリスはそう切り捨てた。


(御意のままに、母さん)


アリスの外套の裏で影は再び沈黙し、そして二人は、三階にあるVIPルームへと足を踏み入れた。


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