第一章八話 最後に笑う者
「引き分けだ」
背を向けようとするラキラへ言い放ち、足を止めた彼女を前に、タクは指を差して『それ』の存在を示す。タクの指の先にあるのは、暗い森に浮かぶ無数の火の玉。タクはその正体を知っていた。
「あれは⋯⋯」
「━━いたぞ! あそこだ!」
困惑の表情をしたラキラが、聞こえてきた声にその目を見開いた。そして思惑を悟ったのか、すぐにタクの方へと振り返る。その動揺を隠しきれない彼女の表情に、タクは鼻を鳴らしてみせた。
「言っとくが、俺は増援が来ないなんて一言も言ってねえからな。この国の正義の味方は用意周到なんだよ」
これは万が一、タクとカルムだけで事件を解決できなかった時のための保険だ。タクたちがここへ駆けつけるよりも前に、カルムがこの森に近い防安署宛に伝書鳩を飛ばし、手紙を運ばせていた。内容は事件の詳細と、犯人がいると思しき場所について。
ただそれだけでは正確な位置を伝えることは難しいと、伝書鳩にはタクの生み出した小さな炎も運ばせ、手紙にはその炎の説明と、ランプに入れておくよう指示する旨も書いておいた。
そしてタクが自分たちのいる方向に炎を向けさせ続ければ、救援に来るガーディアンたちは闇の森の中であっても簡単にタクたちの所へ辿り着くことができる。
ラキラの体の傷は見えなくなったが、消えて無くなった訳ではない。新たな分身体で覆っているだけだ。そんな消耗した状態で、万全なガーディアン数人を相手にするのは難しいだろう。
「⋯⋯引き分けかぁ。まぁ確かに、互いに痛み分けって感じになるねぇ。でもなんだかんだアタシらは満足できたしぃ、イイよぉ、その話、乗ってあげるぅ」
存外、満足気な表情でラキラは身を翻した。向かう先は彼女の仲間が避難していた方向。彼らを連れて逃げるつもりなのだろうが、それを引き止める余力はタクにも残っていない。
「次会った時はぁ、またアタシらと踊ってくれると嬉しいなぁ。楽しみにしてるねぇ」
「ふざけんな、二度と御免だ」
そんな台詞を吐いて、ひらひらと後ろ手を振り、ラキラは森の暗闇の中へと消えていった。しばらくの間彼女の戻ってくる様子がないことを確認して、タクの肩からようやく力が抜ける。
「はぁ、終わったぁー。魔力ももうほぼスカスカだ。流石にしんどいぜ」
魔力切れにより力の入らない体に鞭を打ち、何とか立ち上がる。とその時、丁度ラキラが去ったのとは別方向、森の暗闇の中から、火の灯ったランプを持ったガーディアンたちがようやくその姿を現した。
「おい! 大丈夫か!?」
タクに声を掛けてきたのは銀色の髪を短く切りそろえた青年のガーディアンだった。歳はタクと近いのか、かなり若い。そんな彼の声にタクは返答する。
「俺は大丈夫だ。怪我ひとつねえ。それより向こう、あんたらの仲間が重症だ。早く診てやった方がいい」
「そうか、わかった。すまないがそうさせてもらうよ。恩に着る!」
端的なタクの説明で銀髪のガーディアンは優先順位を理解したのか、他のガーディアンたちを連れてすぐさまカルムの元へ向かった。タクもそれに続きカルムたちの様子を見に向かうと、いつの間にかカルムから離れていたハルが地面に座り込んでいる姿が目に入った。
「おい、大丈夫か? ハル」
「⋯⋯あ、タク」
タクが屈みながらハルへ声を掛けると、彼女からはあまり元気のない声が返ってきた。無理もない。一歩間違えれば命を落とすような極限状態に身を置いていたのだから、体力的にも精神的にも激しく消耗しているはずだ。しかし、心配を掛けたくないのか、無理に貼り付けたような笑顔でハルはその口を開く。
「大丈夫だよ。腕はちょっと痛いけど、大したことないと思う。ただ、カルムさんがすぐまた気絶しちゃって、ガーディアンの人たちが今診てくれてるとこ。⋯⋯タクも、怪我は大丈夫? ほんとに、なんともないんだよね?」
と、ハルは酷く心配そうな瞳でタクを見つめる。確か彼女は先程タクの首が飛ばされた場面を目撃していた。明らかに死んだはずの人物が目の前に立っているのだから、気が気でないだろう。
だがタク自身、この『不死身』がどういったものなのか、説明することができない。ただ、体には傷一つ残っておらず、魔力がほぼ底を突いていること以外の不調もないことはわかる。直感でしかないが、きっと死なないこと以外に身体的な問題はないはずだ。
「自分でも詳しいことはよく分かんねえけど、多分大丈夫。今んとこ体は絶好調も良いとこだ。それと、カルムも一度は目が覚めたんだろ? 一回でも意識が戻ったならもう心配いらないと思うぜ。ハルが治療してくれたおかげだな」
「そんなこと、ないよ⋯⋯。タクが一生懸命戦ってくれてたおかげだから⋯⋯」
謙遜しようとするハルだが、その声に覇気がない。消え入ってしまいそうなほどに細く、彼女の顔からも次第に力が抜けていっているようだ。
「おい、あんま無理すんな。ハルこそ、ほんとに大丈夫か?」
「ごめん⋯⋯、ちょっと⋯⋯、眠いや⋯⋯」
「━━! ハル!?」
そして、ゆっくり気絶するようにハルも意識を失った。驚きの中、タクはハルの様子を確認するが、呼吸はしっかりしていて、脈も平常、まるで眠っているようだ。この現象にタクはひとつ心当たりがある。
「慣れねえ魔法の反動ってとこか⋯⋯」
覚えたての魔法をフル稼働させていたのだ。当然身体には大きな負担がかかる。ハルの様子からして、恐らく極度の疲労が彼女の体を襲っているのだろうが、命に関わるほどじゃない。
「揃いも揃って満身創痍だな、こりゃ」
自身は魔力切れ、ハルは気絶、カルムは重症と、全員が酷い有様だ。しかし、全員命は助かった。全滅していてもおかしくなかった状況だったのだから、それだけでもお釣りが来るほどに喜ばしいことだろうと、タクはひとりでに納得する。
やがて、森の中に続々とガーディアンが駆けつけてきた。そんな彼らに連れられて、タクは闇の森を後にした。
*****
汗ばんだ肌を、冷たく柔らかな風が撫でる。その涼しさの中で、ハルは目を覚ました。そして目に映ったのは知らない天井。右腕にジワジワとした痛みが走る上に、体はやけに重く気分が悪い。そんな不調の体を起こし、ハルは周囲を確認する。
ハルが眠っていたのは、大きなベッドの上。そしてそれが三つほど並び、なお部屋の半分も埋まっていないほど広い部屋だった。まだ夜なのか、明かりの点いていない部屋は暗く、辛うじてカーペットの模様がわかるかどうかといったほどだ。
「ここ、どこだろう⋯⋯」
かけられていた毛布をめくり、ハルは眠っていたベッドから降りた。痛む腕、ラキラに掴まれた場所には湿布が貼られていた。治療の跡があるということは、ここは防安署かなにかなのだろう。
そうして眠気の覚め切っていない目を擦りながら部屋を出れば、薄暗い照明に照らされた廊下がハルを出迎える。簡素な飾りで彩られたその廊下はそこそこの長さがあり、端にはベランダがあるようだ。
「もう、夜明けなんだ⋯⋯」
ベランダからはかろうじて外の景色が見える。空がうっすらと白み初めていて、ハルは今が夜明け時であることを悟る。
ひとまず、町の様子を見ればここがどこか分かるかもしれないと、ハルはそのベランダへ向かうことにした。こうも静かな空間だと、誰かが潜んでいたり、なにかが化けて出たりしないかなんて不安が湧く。そんなものに苛まれているせいか、目覚めたばかりにしてはやけに思考が速い。それは、この場においては決して良いこととは言えなかった。
━━みんな、無事なのだろうか。
━━誘拐犯たちは、もう襲ってこないだろうか。
━━私は、家に帰れるのだろうか。
ぐるぐる、ぐるぐると、やけに回転するハルの脳は、不安と寂しさをどんどんと募らせていく。嫌な想像ばかりが頭に浮かぶせいで、いつの間にかハルの目には涙が浮かんでいた。
そうして、やっとの思いでハルはベランダに辿り着くと、そこには一つの人影が見える。今までのハルの想像を消し飛ばすかのように、普段と変わらない後ろ姿で、彼はそこにいた。
「タク⋯⋯」
「ん? あれ、ハル、目ぇ覚めたのか。体の調子はどうだ?」
ハルが小さくタクの名を呟くと、タクもハルに気付き、振り返る。そんな彼は、ベランダに置かれた椅子に座り、同じくベランダに置かれた机の上のカップに口を付けている。見た限りでは元気そうだ。
「多分大丈夫。腕はやっぱり少し痛いけどね」
タクの問いに答えながら、ハルは彼から机を挟んで真正面、向かい側の椅子に腰掛ける。
「あの女にやられたとこか。あいつマジで馬鹿みたいな力してやがったからな、痛かったろ」
タクの言う通り、あのラキラという女の力は尋常ではなかった。そんな力にハルの腕も晒されてしまった訳だが、案外そう酷いことにはなっていないようで、少なくとも日常生活を送る上で支障があるほどの痛みはない。
「もうほとんど大丈夫だよ。動かす分にはそんなに痛くないから、少しすれば治ると思う」
「そっか、良かった良かった」
ハルが自身の腕の怪我の様子を見せると、タクは少し確認した後、安心した表情で笑う。そんなタクの姿を見て、ハルはある一つのことに気がついた。
「あれ、それって⋯⋯」
タクの腰元、そこにはハルが直した巾着袋が存在していた。紐の長さも足りていたようで、しっかりとタクの腰に結び付いている。
「ああこいつか。ここに来るまでの間に回収しといたんだよ。ちゃんと紐も結べるし、ほんと直してくれて助かったぜ」
「全然、大したことないよ」
と、タクは改めてハルに礼を述べる。今までしてもらったことのトータルを考えれば、タクがしてくれたことの方が圧倒的に上であるため、そんなことでお礼を言われるのはハルにとって恐れ多いことだ。
「そういやハルには教えてなかったな。実はこの巾着袋がハルの場所を知らせてくれてたんだぜ。最初に中身入れっぱにしちまったのはうっかりだったんだけど、結果オーライだったな」
「そうだったんだ。だから助けに来てくれたんだね」
ハルにはタクたちが駆けつけてくれた方法がわからなかったのだが、その一因をようやく知ることができた。と、納得するハルの前で、タクは手に持ったカップに再び口を付けた。そんな彼の様子を、ハルはまじまじと眺める。
今でこそ平然としているが、目の前にいるタクは一度、確かに殺されてしまっていたはずだった。しかし、今の様子を見る限りその身体に問題は無さそうだ。そのようなタクの姿を前にして、一つの疑念がハルの心の中に浮かび上がる。
「⋯⋯ねえ、タクってさ、━━不死身なの?」
踏み込んだ質問をしたと、ハルは自分でもそう思った。タクにとっての重大な秘密かもしれず、触れるべきでない種類の問いだとも言える。しかし、ハルはこの場で聞かずにはいられなかった。緊張の走った心持ちで、ハルはタクの返答を待つ。
「⋯⋯んー、そうみてえだな。俺もよくわかっちゃいないんだけど、どうも俺は死なないらしい」
対するタクは、特に感情を荒立てることもなく、手に持ったカップをゆらゆらと揺らしながらハルの質問に答えた。そんな彼の様子に安心を覚えながら、ハルは重ねて質問をする。
「心当たりとかって、あるの?」
「心当たり? 不死身になった理由ってことか? それならあるぜ。前に俺の親友について話しただろ。昔そいつが変な術を俺にかけやがってな、多分それが俺を不死身にする魔法かなにかだったらしい」
「そう、だったんだ⋯⋯」
そういえば、出会ったばかりの時、タクは自身の親友についての話をしてくれていた。その親友という人物がタクを不死身にしたというが、以前聞いた話を踏まえても一切の悪意はなかったのだろう。しかし、もしタクが今後絶対死ねなくなったとしたら、これから彼を待ち受けているのは喜ばしいことだけではないはずだ。
「おいおい、そんな暗い顔すんなよ。別に俺はこの不死身の体ってのもそんな悪いもんじゃねえと思ってるぜ。死にたい訳じゃあねえし、こいつのおかげでハルたちも助けられた。今んとこ良いことずくめだよ」
だが、当のタクはあくまでもポジティブ思考。彼の纏うその楽観的な雰囲気は、ハルに大丈夫だと伝えているようで、ハルは自身の覚えた心配が杞憂であるのだと理解する。そんな会話をしている内に、ハルはこのベランダを訪れた当初の目的を思い出した。
「そういえば、ここってどこなの? この建物が防安署だってのは分かるんだけど、街並みが見慣れなくて⋯⋯」
ハルはベランダから景色を一望してみる。やはり夜明けが近いらしく、白み始めた空に薄く照らされた街並みが目に映る。しかし建物や広場など、どれをとっても見覚えがない。
「ああ、ここは『ミュルク』って町らしい。あの森から一番近い町で、カルムが応援を呼んだのもここのガーディアンだったみてえだ」
そんなハルの疑問に、タクは的確な答えを返してくれた。『ミュルク』。ハルも今まで訪れたことのない町であったため、見覚えがないのは当然であった。
「そういや、カルムも無事みたいだぜ。この町のガーディアンが診た感じ、命に別状はないってさ」
「そっか、良かった⋯⋯」
タクの言葉を聞いてハルは息を吐きながら安堵する。彼の容態もハルの抱える不安のひとつであったのだ。
「ただ、ハルの『治癒魔法』が無かったら危なかったかもしれないってよ。ほんと土壇場でハルが魔法に目覚めなきゃヤバかったな」
「⋯⋯っ」
タクの補足に、ハルは一瞬硬直する。なんとなくわかってはいたが、やはりカルムの命は危ないところにまで差し掛かっていたようだ。ハルが魔法を使えたから良かったものの、そうでなければ、タクの言いつけを守らなかった己の短慮のせいで、事件に巻き込んでしまったカルムの命は失われていた。そんな認識が、また強くハルの脳裏にこびり付く。
「ああ、あとハルが倒れた原因だけど、十中八九魔法の反動だぜ。まあ、死にかけの人ひとりの命を救うくらいの出力だ。慣れてねえ状態でそんなもん使えば、間違いなく体に負担がかかるだろうよ」
「⋯⋯反動、か。ごめんね、ただでさえ色々迷惑かけちゃってるのに、私まで気を失っちゃって⋯⋯」
どんな顔を見せればいいか分からず、俯きがちに返事をしたハル。そのせいで心なしか声のトーンが落ち、その様子を見てかタクは若干戸惑った表情を見せる。しかし、そんなハルを励まそうとしてか、彼は明るい調子の声を掛けてくれた。
「何言ってんだよ。お前のおかげでカルムが生きてんだからむしろお手柄なんだ。誇ったっていいんだぜ?」
タクはそう言ってくれているが、とても誇れるようなものではない。結局、タクとカルムを事件に巻き込んだのはハルなのだ。ハルが日頃から気をつけていたのなら、彼らが痛い思いをすることも、命の危機に晒されることもなかった。
ハルの行いが、彼らを苦しめてしまったという意識が、頭の片隅から離れない。そして、一度は押しとどめたはずの自己嫌悪の感情が、再び勢いを増して膨れ上がる。
「でもっ⋯⋯、私が、タクの言う通りにしてたら、こんなことには、ならなかったのに⋯⋯っ」
自らが取った行動への後悔と、巻き込んでしまった二人への申し訳なさがとめどなく湧き上がって、まぶたの隙間から零れ落ちた。ぽたぽたと水滴が机を叩く音が、いやにうるさく聞こえる。
「ごめん⋯⋯っ、ごめんな、さい⋯⋯っ」
謝ったところで、何の解決にもならないことは分かっている。タクやカルムはきっとハルの謝罪なんて求めていないし、そもそもハルを許せないのはハル自身。むしろ、泣き顔を見せたことでタクを困らせてしまっているはずだ。それでも、一度溢れてしまった感情は、拭っても拭っても止まってくれはしない。
「ほんとに、ごめんね⋯⋯、私、やっぱり部屋にいるよ⋯⋯」
こんな情けない姿をこれ以上タクに見せる訳にはいかない。見せたくない。気持ちが落ち着くまで、先程の部屋で大人しくしていようと、ハルが椅子から立ち上がろうとしたその時━━、
「━━ハル」
この場を離れようとするハルへ、タクから声が掛けられた。彼の顔を見ると、とても真剣な面持ちで、しかし優しさを含んだ表情で、ハルの目を見つめている。
「前に言ったろ。いざって時に助けようと動ける勇気は大したもんだってな。お前のしたことは褒められたもんなんだから、気に病む必要はねえんだよ」
「⋯⋯」
タクの口から出てきたのは、ハルをフォローする言葉だった。彼を悪人と勘違いしてハルが飛び出した時に、そんな言葉を言われた覚えはある。しかし、善意から取った行動だったとしても、結果としてそれで罠にかかってしまったのなら、警戒できなかったハルに落ち度があるはずだ。
「⋯⋯ま、お前が気にしい奴なのは十分わかった。気にすんなって言っても無理な性質なんだろうよ。だったら、こういう時は逆に考えてみようぜ」
「⋯⋯え?」
タクからの唐突な提案に、ハルの頭の中で疑問符が浮かぶ。しかし、タクはその真剣な表情を崩さずに、指を立てて話を始めた。
「もしもの話をしよう。もし、ハルがルナとかいう女の子を助けようとしなかったとする。もしくは他の人を呼んだ場合だな。そうなりゃ、きっとあいつらはそのまま姿を消してたはずだ。狙いづらいと見たなら、それ以降ハルの前に姿を現さなかったかもしれねえ」
タクが語るのはもしもの世界。ハルがタクの言いつけを守っていた場合の話だろう。タクの言う通り、ハルの警戒心が高ければ、あの誘拐犯たちがハルを襲うことはなかったかもしれない。
「でもよ、そしたらハルはあの女の子が誘拐犯の仲間だとは知らないまま、助けられなかったことをずっと後悔する羽目になってたはずだぜ。多分一生引きずってたかもしれねえな。お前責任感強いし。だから、逆にハルが罠にかかったおかげであいつらの本性がわかって、ハルはそのことについて後悔する必要が無くなったって言える訳だ」
「そ、それは⋯⋯」
違う、とは言えない。確かに、そうなればハルは少女を見捨ててしまったと思い詰めることになっていただろう。そのことについて否定するつもりはないが、しかしそれは結局のところハルの心の問題でしかなく、タクたちに迷惑をかけた事実を正当化することはできない。
「納得できねえか。そんじゃもうひとつ。俺は今飲んでるこいつ、ガーディアンの人から貰っためちゃくちゃ美味いホットミルクなんだが、どうやらこの町の牛乳は美味いことで有名らしい」
そう言って、タクは中身をハルに見せるように手に持ったカップを傾けた。半分ほど飲み進められたそのカップからは、優しさを帯びた甘い香りが漂っている。
「そんで、俺は今こいつのおかげでかなり気分が良い。けど、もしハルが襲われてなかったら俺はこいつを飲むことはできなかった。ってことは、ハルが勇気を出して女の子を助けようとしてくれたおかげで、俺は良い思いができてることになる」
「⋯⋯そう、なの?」
恐らく、今回の事件ではタクにも利があったという話がしたいのだろうが、あまり腑に落ちない。頭に浮かぶ疑問符がさらに大きくなってしまったハルの顔を見て、タクも微妙な表情を浮かべてしまっている。
「⋯⋯とにかく、俺が言いたいのはな、何もかもが悪いことになった訳じゃねえってことだよ。少なくとも、取り返しのつかないことは起きなくて、プラスに働いた面もある。結果だけ見れば、割と良い結末に落ち着いたって言えるんじゃねえか?」
「⋯⋯そうかな」
ハルを励ますため、タクは多くの言葉を尽くしてくれている。しかし、どうしても、ハルは自分の中にある後悔の意識が拭えない。それもまた、嫌なのだ。自らが感情に振り回されているせいで、迷惑をかけてしまった相手に更なる迷惑をかけている。本当に、どこまで行っても自分のことしか考えられない自分が━━、
「━━なあ、ハル」
再び自己嫌悪の渦に呑まれかけたハルの思考を、また一段と落ち着いたタクの声が引き止めた。元々真剣だった彼の表情から、纏っていたはずの楽観的な雰囲気まで無くなっている。そんな面持ちで、タクは続けざまに口を開いた。
「コロコロ話を変えて悪いんだが、もう一個だけ、話をさせてくれ。⋯⋯こいつは受け売りなんだけど、この世界のあらゆる物事において、勝者って呼ばれる奴にはある共通点があるらしい。⋯⋯知ってるか?」
「⋯⋯ううん、わからない」
今度は、何の話だろうか。もう、何を言われてもこの負の感情から脱せられないのではないか、なんて考えてしまう自分のどうしようもない性根にまた嫌気が差す。だが、タクの眼差しはハルの目を見たまま、少しもブレることはない。その眼差しに感化されて、ハルは自然と彼の言葉を待っていた。そして、タクははっきりと言い放つ。
「━━笑えてる奴だよ」
「━━」
力強く、そして柔らかな声色が鼓膜を震わせて、ハルの頭の中で響いた。一語一句、ハルが決して聞き漏らすことのないように、タクは言葉を紡いでいく。
「勝者ってのはな、物事が終わった時に、心の底から笑っていられたやつのことを指すんだ。もし試合に負けたとしても、負けたことで笑えるんならそいつは勝者だって、昔よく俺の親友に言い聞かせられてた。今でも完璧に理解できてる訳じゃねえんだが、それでも俺はこの言葉を信条に生きてるつもりだ」
タクの顔に浮かぶのは、昔を懐かしむような表情。彼の言う親友という人は、さぞかし彼に大きな影響を与えてきたのだろう。しかし、それでもタクの目はしっかりと『今』を見据えている。タクがその親友から受け継いだ言葉を、今、彼はハルに伝えようとしているのだ。
「だからさ、ハルも笑おうぜ。このままじゃ負けっぱなしだ。ラキラには引き分けだって言ったけど、全員助かったんだから、少なくとも俺は勝ったつもりでいたい」
真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐな彼の瞳が、ハルの目を射抜く。テーブルを挟んでいるはずなのに、ハルはその瞳に吸い込まれてしまうんじゃないかと思う。だからきっとこの言葉は、嘘偽りなんて全くない、心から出た彼の本音なのだろう。そんな言葉だからか、やけにハルの心根が震える。
そうしてハルがタクの瞳から目を離せないでいると、突如、彼の目が細まった。いつの間にか太陽が地平線から顔を出し始め、彼の目元に光が差し込んだためだ。
「⋯⋯日の出か」
眩しさに渋い顔をしながら、タクは赤く染っている地平線に目を向ける。それに釣られ、ハルもその地平線を見やった。群青色だった空を曙色へと染め上げながら、太陽はその全貌を見せつけるように、ゆっくりと高度を上げている。そこから放たれた光が次第に大地を包み込んでいき、青々とした平原が、風に揺らめく湖畔が、人々の営みが始まろうとする街並みまでもが、輝いていく。
「⋯⋯きれい」
朝日が顔に当たり、夜風で冷えきった肌を優しく暖める。その温もりに抱かれながら、ハルの口から言葉が零れ落ちた。その声を聞いたからか、タクは頬杖を突きながら笑みを浮かべていた。
「絶景だな。これもまた、こうならなきゃ見られなかったって訳だ。⋯⋯ま、つまるところさ、こういう良い方向に転んだ結果くらいは、素直に楽しんでもいいんじゃねえか? ってことが言いたいんだよ、俺は」
「⋯⋯そっか」
朝の日差しに染まる町を眺めながら、タクはもうすっかり冷めてしまったであろうミルクに口を付けて、満足気に笑っている。そんな彼の横顔を見て、ようやくハルは自分の心につかえていたものが外れたような気がした。
「ねえ、タク」
「ん?」
ハルの呼び掛けに、タクはカップから口を離し、ハルの方へと目を向けた。思い返してみれば、ハルは一番大切な言葉をタクに伝えられていなかった。その言葉を今一度、彼に向けて伝えてみる。
「━━ありがとう、私を助けてくれて。貴方のおかげで私、今笑えてるよ」
まだ完全に気持ちを切り替えられた訳ではない。でもハルの心は、先程まで暗がりにいたことが嘘のように晴れ晴れとしている。それはきっと、眩い朝日が照らしてくれたからだろう。そのことに感謝を込めて、ハルは『ありがとう』をタクに贈り、対するタクは歯を見せて笑った。
「どういたしまして。俺も体張った甲斐があったってもんだな」
その笑顔は、まるで心の底から出たような、屈託のない笑みだった。ハルとタク、互いに笑顔で語らうベランダを、一日の始まりを告げる太陽は、より強く照らし出していた。
*****
朝日が顔を出してから数刻が経ち、タクたちはカルムの病室を訪れていた。命に別状はないと聞いていたが、彼がかなりの重症を負ってしまったことは事実。タクは作戦の協力者として、ハルは自身を救ってくれた恩人として、彼の見舞いに行くことは当然の行いである。
落ち着いた性格をしたカルムのことだから、病室で大人しく読書でもしてるのではないかと思い、手をあまり汚すことのない食べ物を持って、タクたちは病室へ向かった。しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、自分たちの想像と全く異なる、異様な光景であった。
「やめて! やめてください! それは本当に死んじゃいますって!」
「ええい、うるさいぞ! 男児たるものこのくらいで命を落としたりはしない! いいから口を開けろ!」
「やめなさいスズカ! カルムの怪我が悪化しますわ! 貴女は大人しくしていなさい!」
「⋯⋯なーにがどーなってんの、これ」
カルムが療養している病室は、さほど広くはないが、狭くもない絶妙な塩梅の大きさ。そこに置かれたベッドの上で、至る所を包帯で巻かれたカルムが体を横にしているのだが、たった今、そのカルムの横に二人の人物がいた。
一方は大柄な女だ。髪色は黒、肌も浅黒く、肌の露出が多い服を着ているため、筋骨隆々な体付きをしていることがよく分かる。そして頭には二本の角が生えているため、恐らく鬼人だろう。
もう一方は対照的に小柄な女だった。翠色の髪を頭の後ろで団子状にしていて、眼鏡を装着し、装飾の多い衣服を身にまとっている。
そして、大柄な女は片手にサソリのような生物を持ってカルムに襲いかからんとし、その女の体を抑える小柄な女が声を荒らげていた。
大怪我を負い、安静にしなければならないはずのカルムは、大柄な女から逃れようと壁際で体を縮こめている状況だ。
「お、見舞いに来てくれたのか」
目の前の困惑を隠せないタクたちへ、声をかけてくる者がいた。昨晩タクに声をかけてきた、銀色の短髪が特徴的なガーディアンだ。
「おっと、そういやそっちの嬢ちゃんには挨拶がまだだったな。オレはイアン・バルカーノ。カルムとは同期なんだ。よろしく頼むよ」
イアンはタクの隣に立つハルへと挨拶をした。タクとは昨夜の時点で自己紹介を済ませてある。
「私はハル・ニエルドです。こちらこそよろしくお願いします。⋯⋯あの、この状況は、一体?」
イアンの挨拶に対し、律儀に名乗り返すハルは、続いて目の前の光景について尋ねた。タクも目の前で繰り広げられている騒ぎが一体何なのか気になっているところだった。
「アイツらも俺らの同期、気の置けない友人みたいなもんだな。それで、カルムが重症を負ったって報告したらみんな駆けつけて来たんだけども⋯⋯」
言葉尻を濁らせながら、イアンは未だ騒々しいベッドの方へ目を向ける。そこではさらに激しくなった騒ぎが繰り広げられていた。
「止めるなフェルテ! これは我が里に伝わる秘薬の材料なのだ! 本来は乾燥させたものをすり潰すらしいが、生の方が効くはずだ!」
「絶対間違ってますわ! どう見ても毒ですわよ! しかもまだ生きてますし! カルムにトドメを刺すつもりですの!?」
「だ、誰かっ、誰か助けてくださいっ⋯⋯!」
激化していく言い争い、その中心部から逃げることのできないカルムが悲痛な表情で助けを求めている。そんな光景を一瞥して、イアンは再びこちらへと向き直った。
「⋯⋯と、あんな感じで、暴走した奴が約一名、それを抑えようとする奴が約一名、可哀想な被害者が約一名って感じだ。オレは面白そうだから眺めてたんだけど、流石にそろそろ止めてくるかな」
「その方がいいと思うぜ、間違いなくな」
止めに入るというイアンへタクは百パーセントの肯定を返し、騒ぎの元へ向かう彼の背中を見送った。
*****
「お、お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありませんでした。折角お見舞いに来ていただいたのに、恥ずかしい限りです」
イアンの活躍により、騒いでいた女性二名が追い出されたことで病室の中は平穏を取り戻していた。そしてようやく命の危機を脱することのできたカルムは、ベッドの上で息も絶え絶えのままタクたちを出迎える。
「別に構わねえさ。お前がそんだけ人気もんだってことがわかってむしろ嬉しいよ。それに、怪我の具合も思ったより平気そうで良かったぜ」
あれだけの騒ぎに巻き込まれていながら、カルムは特に痛みに苦しんでいる様子もない。巻かれている包帯こそ仰々しいが、案外回復は早そうだ。
「フェルテさん⋯⋯、眼鏡をかけた方の女性ですね。彼女がよく効く鎮痛剤を使ってくれたおかげで痛みがだいぶ和らいでいます。それに、ハルさんの治癒魔法がよほど強力だったみたいでして、幸い後遺症も無く治りそうです。それにタクさんにも誘拐犯たちを追い払って頂きましたから、お二人は僕の命の恩人ですよ」
タクとハルへの感謝を述べ、深々と頭を下げた。それに対し、タクの隣に立つハルが『とんでもない』といった表情で両手を振る。
「そんな、私の方こそ助けていただきましたから、お礼を言うのは私の方で⋯⋯!」
「いいや、オレたちからも礼を言わせてくれ。なんだかんだ、こいつは欠かせない仲間だからな、アンタたちのおかげで失わずに済んだよ。本当にありがとう」
あたふたするハルの前にイアンが出ると、カルムと同じように頭を下げた。そんな二人を前に、ハルが助けを求める視線を送ってくるため、タクも口を開くことにした。
「こうも面と向かって礼を言われると小っ恥ずかしいぜ。つか、途中でカルムが手助けしてくんなきゃ危なかったんだ。この件に関しちゃお互い様だよ。それと、この後どうすんのかについても、そろそろ話さなきゃならねえんじゃねえか?」
このままお礼合戦になっても仕方がないため、タクは新たな話題を提示した。タクの言う『この後』というのは、ハルをサンポートに送り届けるまでのことであるが、その意味を察したカルムも相槌を打つ。
「確かにその通りですね。ただハルさんがサンポートに帰るまでの間、申し訳ないことに僕は安静にしないといけないので、付き添うことができません」
「事情はオレたちも手紙で読んだ。カルムの代わりにオレとスズカが付き添うことにするよ。あ、スズカってのはあの暴走女のことだ。あんなんでも腕は立つし、頼りになるんだよ」
動けないカルムの代わりとして、イアンと、カルムに襲いかかっていた大柄の女、スズカという名前のガーディアンが護衛をしてくれるらしい。帰り道にまた襲撃に遭う可能性もある以上、戦力は多い方がいいだろう。
「タクはこれからどうするつもりなの?」
「ん? 俺か?」
完全にタク自身も同行する前提で話していたが、言われてみれば自分がこれ以上この件に関わる理由はないことに気が付いた。
時間に追われカルム以外のガーディアンの力を借りられなかった行きの時とは違い、現在は多くのガーディアンが力を貸してくれるため、タクの力はもう必要ない。さらに魔力が回復していないタクでは戦力としての価値も低い。しかしこれらの事実を踏まえた上で、ここで離脱するというのも不完全燃焼感が否めないというのが本音だ。
「ま、乗りかかった船だ。ハルが無事家に帰るまでは付き合うつもりでいるよ。それに事の一部始終を知ってるやつは多い方が良いだろ」
そうしてタクも同行の意志を表明したため、これ以上メンバーが増えない限りはタク、ハル、イアン、スズカの四人でサンポートを目指すことに決まった。などと決定事項をタクが頭の中で整理していると、イアンがさらに話を切り出した。
「ちなみに、とっくに馬車の用意もできてる。準備が整い次第出発できるが、午前中に出れば明日の夕方には到着するはずだ」
「仕事が早すぎねえか? ガーディアンってのはどいつもこいつも手回しがいいのかよ」
タクたちがここ、ミュルクの防安署を訪れてからまだ一晩しか経っていないが、既に馬車の用意ができているという。イアンたちもかなり慌ただしかったはずだが、そんな状態で夜中の間に用意を済ましておいてくれたのだろうか。
「いいや、オレらが森に向かってる間に、手紙に書かれてた指示に従って残りの奴らがやっといてくれたんだよ。手回しがいいのはカルムだけだ」
「はは⋯⋯、もし保険が発動した時に余計な時間がかからないようにと、馬車の用意もしておくべきだと考えていたんですよ。使わなかったとしてもそれはそれで良いですからね」
タネ明かしをされ、恥ずかしそうに頭を掻きながらカルムがその理由を述べた。本人はあくまで保険だったと言っているが、実際に出番が訪れている以上、その思慮深い行動には脱帽するしかない。
「ほんと、カルムの慎重さには助けられてんな。どうもありがとうよ」
「いえいえ、タクさんがいなければそもそも誘拐犯のもとへ辿り着けていませんでしたし、戦闘にも敗北していましたから、これこそお互い様ですよ」
先程の自身の言葉を返され、意表を突かれたタクは思わず笑みをこぼす。己とカルムの言う通り、今回の件は誰の力が欠けていてもハルの救出及び、全員の生還は叶わなかったのだと、そうした奇跡的な綱渡りを乗り越えた実感がタクの中に湧いてくる。そんな実感を咀嚼していると、突如としてカルムは「あ」と声を上げてタクたちの顔を見た。
「そういえば、タクさんもサンポートへ向かうのですよね?」
「ああ。そうだけど、どうかしたか?」
質問の意図がわからずタクが問い返すが、カルムは依然として落ち着いた態度のままでいる。しかし、タクはなにか新たな出来事の始まる予感を感じずにはいられなかった。
「いえ大したことではないのですが、ただとても好都合だなと思いまして。実はお二人がこちらに来る前に手紙が届いていたのですが、それによるとサンポートでタクさんたちを待っている方がいるのですよ」
「待ってる方? 誰のことだ?」
生憎、タクには思い当たる人物が存在しない。一体何者だろうと考えようとしたが、その必要はなかった。なぜなら、すぐにカルムがその答えを口にしたためだ。そして同時に、タクは自身の予感が的中したことを悟った。
「━━ガーディアンという組織の創設者にして、生きる伝説と称される傑物。僕らの指導者、ウィリアム・プロメシアス団長です」




