第一章10 明空
寄せては返す波の音。一定のリズムで響き渡る涼やかな音色は、自然と心を落ち着かせてくれる。そんな感慨に耽っている傍ら、遠くの水平線が光を帯び始めたのがわかった。
「━━朝か⋯⋯」
その景色を前に、タクは一日の始まりが訪れたことを認識する。
タクがいるのはサンポートの浜辺。ウィリアムとの話が終わり、ロビーに残っていたハルたちへ声をかけた後、タクは一足早く防安署を後にしていた。
そのままぶらぶらと町中を歩きながら思案に耽っていた中、この浜辺を通りがかった。その際、海辺から見える日の出が綺麗だと以前ハルに教わったことを思い出したタクは、砂浜に腰を下ろしていたのだ。しかし、気が付けば時刻は既に日の出前。
「⋯⋯どうしたもんかな。このままじゃ、またケイに叱られるぜ」
現在タクの頭を悩ませているのは、ガーディアンになるか否かについての問題。
ひとまず夜が明けるまで考えた結果として、勧誘に乗るのも悪くはないとは思えた。ウィリアムの話を聞く限りは、むしろタクにとっても利点が大きいように思えるからだ。
しかし、一つだけ。ただ一つだけ、胸の中につっかかるものがある。その感覚のせいで、タクは未だ結論を出せないでいた。
「あれ? タク? こんなところでなにしてるの?」
突如、不意にタクの背中へ声がかかる。振り返ってみると、背後に立ったハルがタクを見下ろしていた。
時刻はまだ日も昇っていない早朝だというのに、こんな海辺になんの用か、というのが彼女の疑問だろうが、それはこちらにも言えることである。
「そっちこそ、こんな時間に何してんだ?」
「私はちょっとした日課かな。毎朝この海を見に来るのが習慣になっちゃってて。タクの方は? というか、寝てないの?」
互いに言葉を交わしながら、ハルはタクの隣へと腰を下ろし、三角座りの姿勢になった。胡坐をかいていたタクもそれを見て、何気なく彼女の真似をする。
「昔からあんまぐっすり寝られない体質なもんで、不死身になったみてえだし、寝なくても何とかなるだろって思ってさ。この場所にいる理由については、ここから見える日の出を見た方がいいって教えてくれた奴がいただろ?」
「あ、そういえばそうだったね」
ハルはタクの指摘に「えへへ」と苦笑しながら、その視線を遠くの海へとやった。こうして会話を続けている間にも、空は明るさを徐々に増している。
「⋯⋯そろそろだね、日の出」
「ああ、この間のも良かったが、地平線と水平線じゃまた趣ってのが違うだろうからな。楽しみだ」
「⋯⋯」
タクの言葉の後、少しの間、沈黙が挟まった。ハルは何かを言いたげにしていて、しかし中々言い出せないというような様子だ。
タクは急かすことなく彼女の言葉を待つが、その間に少しむず痒い空気が二人を包む。しきりに響く波音をタクが気にしだした頃、ようやくハルはその口を開いた。
「⋯⋯ごめん、なんか変な空気にしちゃった。そういえば、ガーディアンの話、結局どうするの?」
「ん? ああ、まだ考え中だ。⋯⋯ちょっと、決めあぐねてるとこ。そういうハルの方はなんで断ったんだ?」
「⋯⋯色々あってね、できるだけ、この町から離れたくないんだ。ガーディアンになっちゃったら、色々なところに行かないといけなくなっちゃうでしょ? それに、私には荷が重いかなって⋯⋯」
問題ないという風に話すハルだが、誤魔化し方が下手なのか、何かを隠そうとしていることは明白である。
それも、タクにはあれだけの手を尽くして勧誘してきたウィリアムが、易々と彼女の勧誘を諦めるほどだ。一体何を抱え込んでいるのか心配にはなるが、ハルが隠そうとしている以上、タクが簡単に首を突っ込んで良い問題なのかは分からない。
「⋯⋯そっか。ま、なんか困ってることがあれば言ってくれよ。力になれることなら手伝うからさ」
「ありがとう。⋯⋯タクも、ガーディアンにはなりたくないの?」
そうして当たり障りのないように、気遣いを添えた言葉を返すタクへ、ハルは礼を伝えながら、今度はこちらの番と言わんばかりに問うた。それは、今まさにタクの頭を悩ませている問題で━━、
「⋯⋯いや、なりたくないって、わけじゃない。むしろ、悪くなさそうだとは思ってるんだけど⋯⋯」
「じゃあ、どうして?」
ハルは三角座りのまま、タクの顔を覗き込むように首を傾けた。そうした彼女と目が合って、やがてタクは息を吐く。
タクの胸につっかえているもの、それを今、ここで吐き出すべきなのかもしれない。そう考えて、タクは何から話そうかと思案する。
「⋯⋯そういや前に、コイツについて教えるって言ったままだったよな」
「え?」
突然な話題の切り替わりに首を傾げたハルの前に、タクは袖を捲り、肌を露にした腕を差し出した。そしてその腕は瞬きをする間に黒く変色し、細々とした光沢を帯びる。
「これって、あの時の⋯⋯?」
「そ、『龍鱗』って言ってな、龍人って種族の持つ特徴だ。ってことで、実は俺、人間じゃねえのよ」
「え、そうなの!? 私、てっきり人間だと⋯⋯。それに、龍人って⋯⋯」
「珍しいだろ。こういう風に『龍化』ってのをしてなきゃ、見た目は人間とほとんど変わんねえ。けど、龍人ってのを見せびらかしてたら、珍しい種族なだけあって厄介な奴らが寄ってくることもあるからな。俺は基本的に人間を装ってるって訳だ」
龍人であることを公にしていれば、亜人差別の問題だけでなく、どこぞの研究機関や戦力として勧誘してくる傭兵集団など、面倒な輩が集まってくることもある。そう思えば、ガーディアンからの勧誘も今挙げた例に近しいものを感じるが、今は差し置いておこう。
「へえー、そうだったんだ! 聞いたことあるけど、龍人って確かすごく強い種族なんだよね。タクがあんなに強いのも納得だよ。⋯⋯これ、触ってみてもいい?」
「ああ、構わねえぜ」
納得したというような表情を浮かべながら、ハルはタクの『龍鱗』に恐る恐る触れ、「つやつやだぁ」などと感想を述べている。その横顔を眺めながら、タクは心の底で覚悟を決めた。
「⋯⋯そんで、さっきの質問に答えようか。━━三年前までの大戦争って、ハルも知ってるよな?」
「え? う、うん」
再び話題を切り替えたタクに、ハルは戸惑いがちな頷きを返す。投げられたその話題が明るいものではないことを察したのだろう。
そして、タクは己の腕から手を離したハルから、ふと足元の砂場へと視線を移した。何となく、彼女の顔を見たくないと思ったからだ。
「その戦争に、俺も昔、参加してたんだ。そこでこの力を使って、大勢の人を傷つけた。⋯⋯いや、はっきり言おうか。━━殺したんだ。数えきれないくらいの人たちをな」
「え⋯⋯」
タクの告白に、ハルは驚いたような声を漏らした。当然だろう。善人だと思っていた者が過去に人を殺めていたと聞けば、誰だって少なくない衝撃を受けるはず。それが自分と関わりのある者であれば尚更だ。
「戦争だから仕方なかった、とか、殺らなきゃ殺られてた、とか、言い訳はいくらでもつける。⋯⋯でも、俺が大勢の命を奪ったって事実が消えてなくなることは、無い」
命を奪い合う場に身を投じた時点で、人を殺めることは避けられない運命であったのかもしれない。
しかし、たとえ仕方のないことであったとしても、タクが殺めた人の命が戻ってくることは、決して無いのだ。
「⋯⋯だから、俺はガーディアンみたいな、正義の味方にはなれない。資格がねえんだ。こんな血に塗れた奴が、どの面下げて平和なんてもんを引っ提げりゃいいかわからねえし、⋯⋯人殺しなんかに守られたいって思う奴が、どんだけいるかもわからねえからな」
「⋯⋯そう、だったんだ」
タクの言葉を聞いて、ハルはゆっくりと咀嚼するように相槌を打った。
彼女は今、何を思っているだろうか。所業が所業なのだ。例え嫌われ、糾弾されたとしても、なんら不思議でないだろう。
そして訪れるかもしれない拒絶を受け入れるべく、タクは腹を括る。すると━━、
「━━でも、少なくとも、私のことは助けてくれたよね」
「⋯⋯え?」
ハルの口から予想外の返事が飛んできて、面を食らったタクは思わず彼女を見る。そして、凪いだ海のように穏やかな表情で、依然としてタクの顔を覗き込んだままのハルと、目が合った。
「私が捕まっちゃった時もだし、サンポートの時もそう。私、タクにすごく助けられたよ」
「そりゃあ、目の前のやつを見捨てられるほど腐っちゃいねえけど⋯⋯、それとこれとはまた話が違うだろ」
「そうかな。私は同じだと思う」
「⋯⋯なんでだ?」
なぜハルはそこまで言い切れるのか、タクは彼女へ聞き返した。対して、ハルは至って真剣な表情で、タクの瞳を真っ直ぐと見据える。
「だってさ、タクがガーディアンにならなくても、ずっと目の前の困ってる人を助けてたら、いつの間にか世界中の人を助けちゃってるかもしれないもん。それならガーディアンになったとしても、やってることは変わらないでしょ?」
「おいおい、そいつは流石に極論じゃ⋯⋯」
想定よりも豪快だった彼女の言い分に、タクはすかさず突っ込みを入れようとする。しかしハルの瞳は真面目そのもの。その瞳を前に、タクはそれ以上軽口を叩けなかった。
「⋯⋯タクも、自分が許せないんだよね? 私とおんなじで。自分のせいで、他の人を不幸にしちゃったことを、すごく、後悔してる」
「⋯⋯そう、なのかもしれねえな」
━━自分が許せない。
言い得て妙だと、タクはそんな感想を抱いた。いや、違う。ただ日頃から考えないようにしていただけだ。まさしく、タクは己を許せないでいる。
多くの無辜な人々を不幸へと追いやっておきながら、宿願も果たせず、彼らの犠牲すら無駄なものとした自分が、腹立たしくて仕方がない。
そうして自己嫌悪の感情に俯くタクへ、ハルは落ち着いた口調のまま、「でもね」と二の句を継いだ。
「私は、タクがやってみてもいいって思えるなら、やってみるべきだと思う。タクは自分のこと血塗れだとか、資格がないとか言ってたけど⋯⋯、私はむしろ、誰かを守るって仕事、タクより向いてる人なんていないと思うもん」
「⋯⋯それは、俺が強いからか?」
「それもあるけど、それだけじゃないよ。タクってすごく優しいし、それに、とっても暖かい人だから。落ち込んでた私を励ましてくれたみたいに、━━タクには、人に前を向かせる力があるから」
曲げた膝の上で指を重ねながら、微塵も疑うことのない口調で、ハルはそう言ってのけた。しかし、そのハルの言葉が、タクには聞き捨てならなかった
「⋯⋯そんなもん、俺にはねえよ」
人に前を向かせる力。そのような力があったのなら、タクは今、ここにいない。いるはずがない。でも、そうではなかった。
「むしろ、逆だ。俺は人を、不幸にさせちまう。殺した人たちだけじゃない。俺に関わってくれた人たちを、俺は⋯⋯、みんなを不幸にさせちまったんだ。⋯⋯だから、俺にそんな力、あるはずがねえんだよ」
過去、不幸のどん底にいたタクを、助けてくれようとした人がいた。支えてくれようとした人がいた。守ってくれようとした人がいた。
しかし、どうだ。どん底から引き上げてもらうどころか、タクは、彼らまで底へと引きずり込んだ。タクは彼らのために、何もしてやれなかった。
その事実と向き合い、タクは膝の隙間に頭を埋め、袖を破れそうな程に強く握る。一度考えてしまえば、自己嫌悪が溢れて止まらない。だから、目を背けてしまいたかった。向き合いたく、なかったのだ。
そうして失意に沈んでいるタクの手に、ふと、なにかが触れる。
顔を上げれば、ハルの手がタクの手に重ねられていた。そして、先程よりも距離を近くした彼女が、口を開く。
「⋯⋯じゃあ、どうして、私を助けてくれたの?」
「━━、どうしてって⋯⋯」
知り合った者が、窮地に陥っていた。自分が動けば助けられるかもしれなかった。そのような状況で放っておける理由など、タクには無い。それ以外には、なにも━━、
「タクと関わったら不幸になるって言うなら、タクは私を、不幸にしたかったの?」
「違う! そんなこと⋯⋯!」
━━あるはずが無い。確固たる意思の元、そう言い切ろうとしたタクの声に、ハルの言葉が重なった。
「━━ならタクは、心のどこかで、自分を変えたかったんじゃないの?」
「⋯⋯っ」
「人を不幸にさせちゃう自分を変えたくて、私を、助けようとしてくれてたんじゃ、ないの?」
「そ、れは⋯⋯」
そのようなことを考えて、ハルを助けたつもりはない。しかし、違うとも言い切れず、タクは言葉を詰まらせた。もしかしたら心の底では、ハルを助けることで、変化を望んでいた自分が、いたのかもしれない。
「⋯⋯わからねえ。わからねえよ。俺だって、普段からこんなこと考えてる訳じゃない。⋯⋯ただ、不安だったのかも、しれない。今まで、誰一人として、助けてやれなかったから⋯⋯」
━━不安。そう口にして、タクは腑に落ちるものがあった。そうだ。不安だったのだ。あのまま、ハルを助けることができなければ、タクは今後も誰一人守ることができないような気がして━━、
「━━タクが不安なら、私が、タクといて不幸にならなかった人、第一号になるよ」
「⋯⋯え?」
また思いがけない言葉が飛んできて、呆気にとられたタクは再び間抜けな声を漏らす。しかしその中でも、タクは己の手に触れているハルの手に力が入っていることに気がついた。
「⋯⋯私、誘拐されちゃった時、すごく怖かった。みんなを巻き込んじゃった時、すごく苦しかった。でも、タクがそんな私を助けてくれたから、私はあなたに、恩返しがしたい。━━あなたを、苦しんでいるままにはさせられない」
「━━、」
「私は、タクが守れなかったっていう人達がどうなっちゃったのかは知らない。けど一人でも、タクといて不幸にならなかった人がいれば、タクの不安が無くなることはなくても、少しは良くなると思うの。だから、私がその一人になるよ」
確かな決意を抱いた表情で、ハルはそう宣言した。そんな彼女を前に、タクはまるで陽光を反射した青い海面のような、優しい眩しさを覚える。
「━━それでも、まだ自分を許してあげられない?」
「⋯⋯ハルがそう言ってくれるのは、すげえ嬉しい。けど、それで俺の罪が消えてなくなる訳じゃない。俺は、数え切れないくらい人を傷つけたんだ。許しちゃ、いけねえよ」
ハルの優しさに感謝する気持ちはあれど、タクの罪は忘れていいものではない。これだけ言葉を尽くして貰っているというのに、未だ下を見続ける己が情けなくて、タクはまた、ハルから目を逸らした。視界に入るのは、砂ばかりだ。
「⋯⋯じゃあさ、タクが傷つけちゃった人たちと同じくらい、数え切れないくらいの人たちを守る、っていうのは、どうかな? 不幸にしちゃった人の分、誰かの幸せを守るの。━━そうすれば、いつか自分のこと、許せるようになるかもしれないよ」
「━━━━っ」
まだ前を向くことのできないタクへ、優しく言葉を紡いだハル。その一語一句を受け止めたその時、タクの脳裏に聞き覚えのある言葉がよぎり、思わず息を呑んだ。
『━━大事なのは過去とどう向き合うかだよ』
『━━ただ、償いを果たさなければならないだけだ』
「⋯⋯そういう、ことか」
思い出したのは、十数年を共にした親友の言葉と、人の心を見抜く力を持った『傑物』の言葉。どちらも、タクの心の内を知る人物であることに思い至り、その彼らの言葉を反芻して、ついにタクは合点がいった。
「⋯⋯はっ、情けねえ。ハルに散々あんだけ言った癖にこのザマじゃ、立つ瀬もねえな」
そう自嘲しながら、タクは面を上げた。そして、水平線から顔を出した太陽がその視界に入る。水面に映った直線上に輝く陽光が、遮るもののない水上を通過した日光が、眩しく、暖かく、タクたちの元へと降り注がれる。
「⋯⋯俺は、ずっと苦しかったんだ。大勢を無意味に殺して、大切な人たちまで苦しめた自分が、生きていいと思えなくて、でも生かしてもらったこの命を捨てることも出来なかった。⋯⋯まあ、結局は不死身だった訳なんだけどさ」
「⋯⋯タク」
タクが吐露するのは、これまで抱えていた葛藤。今まで考えてこないようにしていた、しかし薄々気づいていた、己の心の内だ。
「だからせめて、生きる意味があればいいと思った。あいつの遺言を果たすことで、意味を持たせようとしたんだ。けど、それでも先が見えなかった。幸せが何かもわからなくて、罪人の俺が幸せになっていいのかもわからなくて。⋯⋯心の底から笑える気も、しなかった。でも、やっとそれだけじゃないことに、今気づけたよ」
生かされた意味。生きていく意味。それらが無ければ、自分が不幸にした命も、自分を幸せにしようとした命も、全てが無駄になってしまうと思っていた。恐らくは、この考えも間違いではない。ただし、たった一つだけ、欠けていたものがあったのだ。
「━━俺は、罪を償わなくちゃいけなかったんだな。それでようやく、始まりだ。そんで、いつか自分を許せるようになった時に、俺はあいつの遺言を果たして、心の底から笑えるようになる。それが、俺の生きる意味なんだと、思う。だから━━」
━━過去と向き合い、償いを果たし、そして己を許せるようになること。
そうして初めて、タクは幸せに至るための資格を手に入れるのだと。そのことを、タクは三人もの人物に諭されて、ようやく理解することができた。
━━ようやく、スタートラインに立てた気がした。
「━━決めた。なるよ、ガーディアン。背中、押してくれてありがとうな。ハル」
一度決めてしまえば、もう迷いは無い。代わりに湧き上がる気概のまま口角を上げ、タクはハルへと礼を伝える。そんなタクの表情を見てか、ハルはふっと微笑んだ。
「⋯⋯良かった。力になれたみたいで。私、応援してるからね!」
「全くもって心強え。よし、そうと決まれば即行動だな。朝一であの団長と話をつけてくるとするよ」
砂浜に座り込んでいた体を起こし、衣服に付いた砂を払う。もう一方で、タクの仕草につられたのか、ハルも同じように立ち上がっていた。その様子を片目で捉えていたタクは、ふとあることを思い出し、思わず「あ」と声を上げる。
「どうしたの?」
「いや、大したことじゃねえ。そういやあの団長に家名をつけた方がいいって言われてたのを思い出してさ」
昨夜、最後にウィリアムから貰った、この国で生活するなら家名を付けておいた方が良いというアドバイス。ガーディアンについての問題が先行していたために、まだなにも考えていなかったのだ。
「⋯⋯そうだ。ハルが良ければだけど、俺の家名、なにか考えてくれないか?」
「え? そんな大事なもの、私が付けていいの?」
「当然。自分で付けても面白くねえし、この国に来て初めて仲良くなれたのはハルだ。この上なくピッタリだろ」
名は体を表すというが、自分で自分に大層な名前を付ける気にはなれないし、かといって面白みのないものになっても退屈だ。ならば、他人に付けてもらった方が良いだろう。それも、心を許せた相手なら尚のこと。
それにこの国で生活するための名でもある。現時点、タクが最も親しくなれたのもハルなのだから、彼女に名付けてもらうのが一番良いはずだ。と、タクが言い切ると、ハルは恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
「て、照れるなぁ⋯⋯。じゃ、じゃあ、折角だし任されるけど、そういえばタクって名前、家名が先に来る形なんだっけ?」
「そうそう。この辺じゃ少し珍しいかな」
タクという名は、拓とも書くことができる。こういった複数の書き方を持つ名前の形は、他の形と異なって家名が先に来ることも特徴のひとつであり、主流ではないものの世界各地で見ることのできる名前の形である。またこの形を、ここグリトニル王国では北西部でよく見られるという話を、タクは以前聞いたことがあった。
そしてタクに確認を取り終えたハルは、「どうしようかなぁ」と顎に指をあてて考えを巡らせている。うんうんと唸りながらしばらく頭を悩ませ続け、やがてその目を遠くの海へと向けた。見えるのは日の昇る水平線。彼女の提案を待つ間、タクもそちらを見やる。その中で、ハルがおもむろに口を開いた。
「━━明空」
「え?」
「━━明空タク、っていうのはどう? ほら、今みたいにタクと日の出を見ること、よくあるなぁって思って。それにタクって明るくて暖かいし、なんか太陽みたいじゃない? 炎の魔法も使えるし」
「さっきまでの俺、だいぶ暗かったと思うけど⋯⋯」
「い、いつもの話! 落ち込んでたら人はみんな暗くなるよ!」
命名の理由に少しの疑問を抱くと、すぐさまハルからフォローが入った。そんなやり取りに自然と口角が上がる中、タクはハルの提案した家名を舌の上で転がしてみる。
「⋯⋯明空、明空ね。⋯⋯悪かねえな。つか、かなり良いよ。気に入った」
「本当? 変だったら遠慮なく言ってね。他にも考えてみるから⋯⋯」
「いいや、これがいい。これ以外に無いね。なんかこう、ビタっとハマる感じがした」
「そう? それなら良かった」
言い心地も耳心地も、中々に収まりが良いように思える。字面も悪くない。何より、タクも夜明けは好きだ。
「ほんと、ハルには助けられたな。情けねえとこも見せちまって恥ずかしい限りだ。でも、俺はもう下を向くつもりはねえよ」
「そんな、助けられたのは私の方だって。タクには命まで救ってもらっちゃったんだから、他にも恩返しができることがあるなら、なんでも言ってね」
「そんじゃあお互い様だ。さっきも言ったが、ハルも困ってることがあるなら遠慮なく言ってくれよ」
昨晩のウィリアムの言葉と先程のやり取りで、ハルが何か秘密を抱えていることは分かっている。タクのために不幸にならないとまで言ってくれたのだ。彼女の決意を尊重するためにも、なにか助けられるのであれば、力を貸してやりたいところだ。
「⋯⋯うん、ありがとう。いつかまた、助けて貰っちゃうかもしれないや。でも、今は大丈夫」
「⋯⋯そっか」
しかし、彼女は秘密を明かさなかった。それは心を許されていないといったような話ではなく、言えない事情があるか、今タクに話しても解決に繋がらない事だからなのだろう。
だが、いつか頼るかもしれないとは言ってくれた。ならば無理に詮索して彼女の傷に塩を塗るようなことはしまい。
「では、明空タクさん! これからも頑張ってください!」
今の問答で静まった空気。それを打ち破るかのように、ハルは元気な声を出してタクにエールをくれる。確かに、これが明空タクの門出となるならば、雰囲気は明るい方がいい。それならばと、タクも勢いのまま歯を見せて笑ってみせた。
「おうよ! そんじゃ、行ってくるぜ。もう明るいけど帰り道には気をつけてな」
「うん、ありがとう。またね、タク!」
ハルとの別れの挨拶もそこそこに、心機一転と意気込みを抱えて、タクは夜明けの海へと背を向けた。
*****
夜が明けてから数刻。タクは既に、昨晩も訪れた応接室にいた。今日は部屋の窓が開いていて、新鮮な空気が室内を循環している。そのような心地よい空間の中で、目の前のソファに腰を下ろしているのは、四盾守護士団、通称ガーディアンの団長、━━『傑物』ウィリアム・プロメシアスだ。
彼はその凛々しい顔立ちに微笑を浮かべたまま、タクの来訪を待ち構えていた。
「━━それでは、君の答えを聞かせてもらってもいいだろうか」
と、話を切り出すウィリアム。彼の『眼』を持ってすれば、タクの考えなどお見通しであるだろうに、ウィリアムはあえてそう尋ねた。言質を取る意図でもあるのか、それともただこういった形式を重んじる性格なのかはわからない。わからないが、タクの結論はもう変わらない。
「━━なってやるよ、あんたらの仲間にな」
ハルのおかげで固めることのできた決意を込め、タクは堂々と言い切った。すると、ウィリアムはその顔に柔和な微笑を浮かべてみせた。
「その言葉を待っていたよ。今、私たちガーディアンには、君のような若者が必要だ。どうか、この国のため、民のため、その力を十全に奮って欲しい」
ウィリアムはその鋭い眼差しをタクへと向けながら、柔らかな口調でそう語る。しかしそのウィリアムの言葉に対し、タクは首を横に振った。
「いいや、俺があんたらに力を貸すのは、あくまで俺のため、俺が償いを果たすためだ。もちろん仕事として国も人も守るつもりではいるが、もし俺の意にそぐわねえようなら、遠慮なく抜けさせてもらうぜ⋯⋯って、わざと俺に言わせたろ、あんた」
「はは、私との付き合い方に慣れるのが随分と早いね。とても心強いが、少し寂しくも思うよ」
「俺はあんたの玩具じゃねえぞこの野郎」
前回の会話と同じく、ウィリアムの手のひらの上で踊らされているような感覚に腹立たしさを覚えるタクだが、といって憎むほどでもないと、最低限の噛みつきで済ませた。
しかし、これもまた彼の思惑の上であると思うと苛立ちが再燃しそうで、これではキリがないとタクは無理やり思考を切り替えようとする。
「しかし、この一晩でだいぶ良い顔になったじゃないか。まるで、自分が何者なのか定まったようだ」
「まーた遠回しな言い方しやがって。聞きたいなら素直に聞けばいいだろうがよ。あんた、結構人をからかって楽しむタチだな?」
「さあ、どうだろうね」
「けっ、何から何まで鼻につくぜ。けどま、口喧嘩じゃあんたには勝てねえ。気に食わねえが、お望み通り言ってやるよ」
まるで火に油を注ぐようにウィリアムは婉曲な言い回しをやめず、タクをさらに苛立たせようとする。だがここで怒りを露わにしたところで仕方がないと、タクは大人しくウィリアムの要求を叶えることに決めた。
━━程よく湿気を含んだ透き通る空気を肺の中へと吸い入れて、タクは瞑目した。きっとここが再出発点なのだと、そんな自覚を胸にして、静かに目を開け、言い放つ。
「━━俺は明空、明空タクだ。俺は今日から、この名前で生きていく」
タクを大切に思ってくれる少女が付けてくれた家名。それは単に名前としての役割を果たすだけではない。新たなタクの在り方を表す指標となる。だから、この名に恥じることのないように生きることを、タクは心に決めた。そんなタクに、ウィリアムは微笑の域を超えた笑みを見せて━━、
「ああ、君に相応しい、良い名前だ。━━では、明空タクくん。今、この時をもって、君の入団を宣言しよう。大いなる活躍を期待しているよ」
日の昇る海辺の町。開けた窓から吹き込んだ風が、しがない旅人の新たな人生の幕開けを告げる━━。
これにて第一章完結です!
たった10話、最初の6話は書き溜めだったので、実質3話に2ヶ月もかけてしまいましたが、今後もしばらくこの投稿ペースが続いてしまいそうです。
できる限り早く書き進められるように頑張りますので、読んでくださってる方は、気長にお待ち頂けると幸いです⋯⋯!




