第一章九話 傑物の眼差し
「やっと戻ってきたな」
茜色の空の下、不規則なリズムで揺れる馬車の中で、見えてきた町並みを眺め、タクは呟いた。
ミュルクの町を出発してから約一日半の道のり。それはつつがないもので、大きなトラブルに遭遇することもないまま、タクたちはサンポートの町に到着しようとしていた。
この馬車旅の間、誘拐犯たちの襲撃に備え、タクたちは神経を張り巡らせて警戒を行っていたのだが、出発から今まで少しの異変も見られていない。
「大人しく引き下がってくれたってんならありがてえんだけどな」
向こうもこちらがガーディアンを味方に付けていると分かった以上、手を出せないと判断したのかもしれない。それに、交戦したラキラたちには痛手を与え、また手の内も割れている以上、彼女らが再び襲ってくるとは考えづらい。
だが、彼女らの他に仲間がいて、その者がこちらを狙ってくる可能性はゼロではなく、警戒を続けるに越したことはない。そうしてタクが敵の動向について考えを巡らせていると、
「もうすぐ到着だけど、ひとまず防安署まで行こう。嬢ちゃんの家族もそこで待ってるはずだしな」
そう言って、御者台に座るイアンが振り返りながら指揮を執った。
タクたちが乗っているのは長距離移動に適した幌馬車だ。馬車内前方には壁に沿って四人程度並んで座れるよう座席が配置されていて、片側にタクとハル、もう片側にはスズカが座っている。
後方には寝具のほか、食料や水などの荷物が出入り口を塞がないように積まれているが、それらもこの旅路の中で既に消費された後だ。
「しかし、退屈な旅だったな。何事も無さすぎだ。折角この我が同行しているというのに、期待外れにも程がある」
タクがイアンの指示に頷いていると、スズカが不愉快そうなため息と共に不満を漏らす。
短い時間ではあったが、サンポートを目指す道のりの中で、タクは彼女の嗜好や性格をおおよそ把握することとなった。『力』、『闘争』、『強者』。これらを好物とする、いわゆるバトルジャンキーだ。
そんな手合いはラキラだけで満腹であり、あまりにも配慮のない巡り合わせにタクは辟易していた。
魔力切れのせいでまともに動けないとはいえ、万が一戦闘になった時の判断材料になるよう、既にカルムやイアンにはタクが龍人であることを明かしてある。
しかし、先述の理由で面倒事になることが明白なスズカには教えていない。彼女の同僚たちもタクと同意見であるらしく、同様にタクの素性については隠してくれているようだ。
とはいえ、誘拐犯たちの情報については共有せざるを得ず、ラキラのような強者と戦えるかもしれないと期待していた彼女は、道中これといった荒事が無かったことにご立腹なようだ。
「ま、何事も無いなら無いでいいじゃねえか。そもそも命の奪り合いなんて喜んでするもんじゃねえんだ。平和が一番、ってな」
「ふん、貴様は腰抜けだな。男児の癖に玉が腐っていると見える」
「言っとけ。お前もそのうち分かる時が来るさ。ま、来ねえ方が良いかもしれねえけどよ」
「おい、お二人さん、喧嘩は他所でやってくれ。嬢ちゃんが怖がってるだろ」
見下したニュアンスを含むスズカの悪態にタクが言い返していると、イアンから待ったがかけられる。彼に言われて隣を見てみると、そこには萎縮した様子のハルがいた。
「お、お気になさらず⋯⋯」
と、彼女がこんな様子になるくらいには、馬車の中の雰囲気はとても和やかとは言えないものになっている。九割方は不機嫌なスズカのせいだと思うが、和やかな空気の形成に動かなかったタクもこの雰囲気を作り出した要因ではあるかもしれない。
「悪かったなハル。やっと帰ってこれたってのに空気悪くしちゃ台無しだ」
「いやいや、ほんとに気にしないで! 私も全然気にしてないから!」
タクが己の行動を反省しつつハルへ謝罪をすると、対するハルは手と首をぶんぶんと振り、タクの謝罪を否定する。そして、そんな様子を眺めていたイアンが口を開いた。
「ま、でもオレはタクの言う通りだと思うよ。せっかく無事に帰ってこれたんだ。どうせなら楽しく行こう。もちろん、油断なくだけどな」
そのイアンの言葉に再び頷きながら、タクは己の気持ちを切り替える。終盤こそ気を抜いてはならないと、万が一に備えて警戒を怠らないようタクが気を引き締めると同時、タクたちを乗せた馬車はサンポートの町中へ轍を刻んでいた。
*****
幸いな事にその警戒の出番もなく、無事サンポートの防安署まで辿り着いたタクたちは、入口からそのロビーへと足を踏み入れる。タクがここを訪れるのは二度目になるが、昼時に訪れた前回とは違い、夜のロビーは人も少なく静かな雰囲気が漂っていた。
そんな中、受付口の前に立った二人の年老いた男女がタクの目に入る。どちらも小柄な体格で髪は白い。そしてその二人は━━、
「あら! お、お父さん、見て!」
「ん? あぁ! ハル!」
「おじいちゃん! おばあちゃん!」
こちらを見るや否や、二人揃って驚いた声をあげると、タクたちの方、正確にはハルのもとへと駆けてきた。すると、突如ハルもその二人のもとへと飛び出し、三人はお互いの体を抱きしめる。
「あぁ、もう戻ってこないんじゃないかと⋯⋯」
「良かった⋯⋯、無事で良かった⋯⋯!」
「心配かけちゃってごめんね。私は大丈夫だから⋯⋯」
それぞれハルの無事を喜びながら、老人たちは涙を流し、ハルを抱きしめているその背中を震わせている。その姿を見るに、きっと彼らがハルの家族なのだろう。
「ようやく再会できたな。これでひと段落ってとこか」
時間で表すと、ハルが攫われてから丸二日以上が経つ。ハルの家族はその間生きた心地がしなかっただろう。また、ハル本人も心配をかけていることを心苦しく思っていたはずだ。だがこうして、彼らはもう一度顔を合わせることができた。その喜ばしい事実を前に、タクはひとつ肩の荷が下りた気分になる。
そんなことをタクが考えていると、老爺が老婆とハルの元を離れ、タクたちの前へとやってきた。
「話は概ね聞いております。ガーディアンの方々、この度は孫娘を救ってくださり、本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れませんぞ」
「いえいえ、オレたちは特に何もしていませんから、お礼はこちらの兄さんと、ベッドで寝てるオレたちの仲間に伝えてください」
深々と頭を下げた老爺。それを前にしたイアンは、今回の功労者が自分でないことを伝えながら、その手でタクを指し示す。そのイアンの行動に、タクも顔の前で手を振って返した。
「俺も大したことはしてねえさ。それに、ハル本人の頑張りもあってこその結果だ。俺なんかに気ぃ遣わず、ハルを労わってやってくれ」
「おぉ⋯⋯、なんと高潔な方たちか⋯⋯。しかし、それでは私たちの気が済みませぬ。このご恩、いつか必ず返しましょう」
感嘆の声を漏らしながらまた深々と頭を下げる老爺に、タクは頭を掻きながら苦笑する。こちらとしては見返りを求めてした行いではないが、かといって厚意をあまり無下にするのもどうだろうかとタクが少々頭を悩ませていた、━━その時だ。
「━━おや、もう到着していたのか。少し出遅れてしまったようだね」
ロビーの中に、声が響いた。夕風のような涼しさを孕んだ声色だと、タクはそんな印象を抱く。そして、その声の主の方を見やると、一人の男がそこにいた。
見た限り年齢は三十代前後。髪は暗い茶色、前髪を後ろに流していて、背丈はタクと同程度だ。凛々しい顔立ちで余裕のある微笑を作り、深緑色の軍服のような衣服を身に着けている。
「おお、プロメシアス殿。貴方にも感謝を伝えなければなりませぬな。貴方がたのおかげで無事孫娘が帰ってきたのですから」
「いいや、礼はいらないよ。今回、私は何もできていないからね。それに堅苦しいなボド爺。ウィリアムで構わないと言ったろうに」
「そういう訳にはいきませぬよ。私めなぞが親しそうにしていれば、貴方の品位が疑われてしまいますからな」
「その程度で落ちるような品位ならば必要無いけれどね。まあ、無理強いがしたい訳じゃないんだ。ボド爺の好きなようにしたらいい」
目の前の男とボド爺と呼ばれる老爺は親しげに話をしている。その会話の中に、タクは聞き覚えのある名前を見つけた。『ウィリアム・プロメシアス』。話に聞いたところ、タクの目の前に立つこの男こそが、ここグリトニル王国の平和を守る組織、ガーディアンの創設者だというが━━、
「⋯⋯ぶっちゃけ、もっといかつい奴かと思ってたぜ」
前情報では生きる伝説や傑物などと評されていたため、タクはもっと威風堂々としている姿を想像していた。しかし実際は一切の威圧感も無く、口調の柔らかさもあり、いくらか親しみやすさすら感じられる雰囲気だ。といっても、国内の安全を担う組織のボスとだけあってか、滲み出る風格こそ常人の域を遥かに超えている。
「すみません団長。到着が遅れました」
「構わないよ。元よりこのくらいの時間だろうと予想していたからね。けれども、じきに夜が更ける。早めに本題へ入るとしよう」
ウィリアムは謝罪するイアンに穏やかな返答をすると、続けてタクの方へと顔を向け、その瞳でタクを射抜く。何の変哲もない茶色の瞳。しかし、タクはその中に異様な気配を感じ取った。だが、その違和感の正体にタクが気付くよりも早く、ウィリアムがその口を開く。
「君がタクくんだね。私の名はウィリアム・プロメシアス。既に聞かされていると思うが、ガーディアンの団長を務めている。先日の鬼人騒動も含めて、君には大変助けられたよ。心から、感謝を表したい」
「おう、どういたしまして。役に立てたんなら何よりだ。けど、本題ってのは別に俺に礼を伝えることじゃねえだろ?」
「っはは、話が早くて助かるよ」
タクへ礼を述べたウィリアムは、タクの言葉に微笑みを浮かべた。そして、「それでは」と前置きをすると、
「タクくん、それからハルさん。君たち二人に話があるんだ。時間をいただいても構わないかな」
「俺は構わねえよ。けど⋯⋯」
「わ、私も、ですか?」
まさか自分にも用があると思っていなかったのか、ハルは虚を突かれたといった表情を見せる。そんな戸惑いの混ざった彼女からの問いに、ウィリアムはさも当然といったように頷いた。
「ああ。とても大切な話なんだ。ご家族との再会に水を差してしまうことは申し訳なく思うが、どうか容赦してくれないだろうか」
「いえいえ。私たちはハルが戻ってきてくれただけでも十分ですから、そう畏まらないでくださいな。ハル、平気かい?」
「う、うん」
ウィリアムの言葉に対してハルの傍にいる老婆は首を振り、未だ驚きが抜けていないハルへと声をかける。それによってようやく落ち着きを取り戻したのか、ハルは戸惑いながらも首を縦に振った。
「ありがとう。そう時間は取らせないつもりだ。付いてきてくれ」
ウィリアムはそう言うと、タクとハルを手招く。タクたちはその後を着けてロビーを後にした。
*****
ウィリアムの後を付けながら、防安署の中を歩いてしばらく。やがてタクたちはひとつの部屋の前に辿り着いた。ウィリアムがその部屋の扉を開けると、タクの目に飛び込んできたのは革張りの大きなソファ。それが長机を挟んで二つ置かれていて、絵画や花瓶といったインテリアにも煌びやかさを感じられる。タクがカルムから取り調べを受けた時の部屋と比べ、より身分の高い客のために用意された応接室のようだ。
「自由にかけてくれ」
ウィリアムに促され、タクはハルと同じソファに並んで腰掛けた。そして同じように向かい側のソファへ腰を下ろしたウィリアムは、余裕を含んだ微笑のまま、その肘を自らの膝の上に置くと、「おや」と声をあげて机の上を見た。
「そういえば、茶の用意をしていなかったね。私としたことが、持て成しが不十分で申し訳無い」
と謝罪の言葉を口にするウィリアム。しかし、ガーディアンの団長なんて立場の者が、自ら茶の用意をするというのもおかしな話だとタクは思う。そういった立場の者は給仕を付けるものであるといった認識だが、彼の周りにそういった人物は見当たらない。
「ま、別にお茶が無かったくらいで文句つけたりしねえさ。な、ハル」
「ひゃい! 全然! 大丈夫です!」
「すっげえ、手本みてえなド緊張だ」
ガーディアンの団長にして創設者。そんな大物を前にしているからか、ハルはガチガチの緊張状態になってしまっている。名前を呼ばれただけで飛び上がるくらいのアガりっぷりに、タクは面白いものを見ている気分だ。だが、そう長く楽しむ訳にもいかない。
「んで、俺らになんの話があるって?」
折角ハルが家族と再会できたのだ。このウィリアムとの話とやらを早めに終わらせてハルを家族の元へ戻してやりたい。ウィリアムとて悪気は無いだろうが、タクはそんな考えで自ら話を切り出した。そんなタクの思惑を知ってか知らずか、ウィリアムは淡然と頷き、
「ああ。あまり遠回りに言っても逆効果だろうから、単刀直入に言わせてもらおうか」
と前置きをする。そしてウィリアムは一呼吸を置くと、鋭くした視線でタクたちを貫き、はっきりとその口を開いた。
「━━君たちを、ガーディアンに迎え入れたい」
「⋯⋯え!?」
「ま、んなとこだろうと思ってたぜ」
俗に言うスカウトというやつだ。と、カルムから話を聞いた時点で、タクにはある程度の予想がついていた。故に、驚いてばかりのハルとは対照的に、タクはさほど衝撃を受けていない。そんなタクの目を真っ直ぐと見据えながら、ウィリアムが話を続ける。
「今回はあまり実力を発揮できていなかったと思うが、カルムくんはガーディアンでも五指に入る実力者でね。今回の相手はそんな彼を易々と下したらしいが、タクくんはその相手とも互角に渡り合ったと聞いた。それだけの力と人を助ける正しき心を持った君を、みすみす見逃したくはない」
彼の口から流れ出る言葉の数々を聞いて、もっともな理由だとタクは感じた。自分が正しき心を持った人物かどうかは別として、確かに力には自信がある。ただし今回の事件でコテンパンにされたため、その自信も少し喪失しかけたが、実力を買われることについてタクは特に異論を持たない。
と、タクがひとりで納得している間、ウィリアムは続けてハルの方へとその目を向けた。
「ハルさんに関しては、治癒魔法が使えると聞いた。重症のカルムくんに治癒魔法を行使したともね。ガーディアンは職務柄、日々多くの怪我人が出るんだが、治癒魔法使いは数が少ないんだ。是非ガーディアンでその力を振るって欲しいと思っている」
「そ、そうですか⋯⋯」
流石にもう緊張は解けたらしく、再び落ち着きを取り戻したハル。だがしかし、まだ実感が湧いていないのか、返事をする顔は浮かない表情だ。ウィリアムはそんな彼女の様子を見届けると、改めてタクとハル両方に視線をやった。
「恥ずかしながら、ガーディアンは常に人手が足りていない。見境なく、という訳ではないが、有望な人材は多く確保しておきたいんだ。そこで、君たちの返事を聞かせてくれないだろうか?」
「━━」
ガーディアンのトップから直々の勧誘。きっととても名誉のあることで、大抵の人ならば断ることは無いだろう。だが、タクはあまり気乗りしていない。
なにせ『国の平和を守る』という仕事だ。きっと誘いに乗れば、タクはしばらくこの国から離れられなくなり、自由な行動も中々取れなくなるだろう。別にこの国を嫌っているという訳ではなく、むしろ好感すら抱いているが、タクは絶賛幸せ探しの旅の途中だ。その旅を続けるのに、ガーディアンという立場は重石となる。
そうともなれば、ここは断るべきだろう。と、タクが口を開こうとする、よりも早く━━、
「━━ごめんなさい。私には、できません」
隣に座るハルから、先に断りを入れる言葉が飛び出し、タクは少々驚きを覚えた。誘いを断ったこと自体にではなく、ハルがほとんど迷った様子もなく即決したことにだ。意思の弱い人物だとはこれっぽっちも思っていないが、まさかここまでだとも思っていなかった。
しかし一方で、誘いを断られたウィリアムはその余裕げな表情を微塵も崩していない。
「そうか。安心してくれ、無理にとは言わない。最も大切なのは貴女の意見だからね。ご家族と引き離してしまってすまなかった。先に戻ってくれて構わないよ」
「り、理由は、聞かないんですか?」
「問題無い。ここで勧誘の手を強めたとしたとしても、君の考えは変わらないだろう。ただでさえ無理を言っている立場なんだ。ここは大人しく手を引こう」
「━━」
すんなりと、一切引き止める様子も無く、理由すらも聞かずにウィリアムはハルの選択を尊重した。その様子にタクは少し奇妙な感覚を覚えるが、それを口にすることは無い。
「⋯⋯わ、わかりました。せっかくのお誘い、断ってしまってごめんなさい。タク、また後でね」
同じく、ハルも違和感を覚えているのか、あまり晴れない表情のままソファから立ち上がり、タクに手を振りながらそろりと部屋を出ていった。
しかし、ウィリアムのハルに向けた態度を見るに、人手不足といってもそこまで深刻ではないようだ。ならばタクも心置き無く断ることができる。
「んじゃ、俺も━━」
「━━待ちたまえ」
「⋯⋯んあ?」
ハルの作った空気に乗じようとして出鼻を挫かれたタクは、あまりの困惑に声を漏らした。そのまま、制止をかけたウィリアムへ怪訝な表情を向ける。
「なんだよ、俺の答えは聞きたくないってのか?」
「もちろん聞かせてもらいたいが、まだその時でないと思ってね。先に色々と話しておかねばならないことがあるんだよ」
「⋯⋯話しておかねばならないことだぁ?」
なにやら含みのある言い方に、より眉をひそめてみせたタクだったが、当のウィリアムは全く意に介さないまま、顎に手を当てて「ふむ」と思案する様子を見せている。
「そうだな⋯⋯、君は、この名前を知っているかい?」
ウィリアムはそうタクに問いかけをして、しばし沈黙を置いた。その雰囲気に妙な予感を感じたタクは、一体何が飛び出てくるのかと心の備えをして、こちらの顔を見つめるウィリアムの口にした『その単語』を、耳にする。
「━━『紅焔』」
「━━っ!」
衝撃に、襲われる。喉元に剣先を突き付けられたかのような衝撃だ。前持った心の準備はなんの役にも立たず、ウィリアムの口から飛び出てきた『その単語』が頭の中を反響する中、タクは己が目を大きく見開いていたことに気付く。
「これは、かの大戦で滅んだ大国アンストラ。そこでかつて、希望とも謳われた英雄の呼び名だ。顔も種族も本名もわからないと、あらゆる情報が欠落しているが、その身から放たれた赤い炎は数多の敵を焼き尽くし、戦争の最中、各所で多くの勝利をもたらしたと伝えられている」
なぜウィリアムはこんな話を始めたのか。未だ脳内を衝撃が駆け巡る中、脳裏に浮かぶ疑問すら言葉として継げないでいるタクを尻目に、ウィリアムは流暢な口調で話を続ける。だが、タクがその話を聞く必要は、おそらく無い。
「しかし、終戦直前、イヒカヤン平原の戦いで発生した大規模の爆発により死亡したとされている。と、前置きはこのくらいにしておこうか。⋯⋯おっと、なぜ私がこんな話をしているのか、疑問といった顔だね。だが、君にも心当たりはあるはずだ。なぜなら、この『紅焔』と呼ばれし英雄は━━」
なぜならば、彼から伝えられた英雄の話を、タクはどれも知っているからだ。知らないはずもないのだ。だって、その『紅焔』と呼ばれる英雄は━━、
「━━君のことだろう?」
「あんた、なんで、それを⋯⋯」
図星。そうとしか受け取れない返答をして、タクは己の失態を悟る。事実、ウィリアムの語った『紅焔』と呼ばれる者は、まさしくタクのことであった。しかし、ウィリアムはそうしたタクの言動に大したリアクションを取る素振りすらなく、依然として鋭い眼差しでタクを見る。
「国の平和、安全に関わる情報には基本的に目を通している。特に戦争や犯罪に関する情報は、些細なものでも見逃すことが無いように心がけているつもりだ。戦争で活躍した英雄なんて、格好の調査対象だろう?」
「そうじゃねえ! さっき、『紅焔』の素性は知られてねえって、自分で言ったんだろうが! なんで俺がそいつだって⋯⋯!」
「━━『見ればわかる』」
「⋯⋯はあ?」
思わず感情的になってしまったタクを、ウィリアムの一言が再び困惑の渦に突き落とす。ただ、未だ冷静な様子のウィリアムに、話の主導権を完全に握られていることだけがわかった。
「『見ればわかる』んだよ。昔から、人を見る目や観察眼、洞察力といったものには自信があってね。姿勢、息遣い、目の動き。無意識下で行われているそれらの仕草から、感情の機微を捉えることが得意だったんだ」
と、今までの余裕な微笑みに得意気な様子を混じらせながら、つらつらとウィリアムは語る。
「そしてその力を鍛え、また経験を重ねていくうちに、いつしか相手の心の内や、今後取るであろう行動、その者の本質までもを見抜けるようになっていた。有識者の話では、極限にまで磨き上げられた技術はやがて魔法と遜色が無くなるというが、私もその例だったらしい」
「⋯⋯」
ウィリアムの口から語られている情報が確かならば、彼の力は『読心』と同義。人の心を見抜くことができるのであれば、今タクが考えている思考すら、筒抜けであるということだが━━、
「そうだね。この力は読心に近い。ただ、ルーツの違いもあってか単純な読心魔法とは異なるようで、それらとの区別を図るため、私の能力を知る者はこの力を『泉鏡眼』と呼んでいるよ」
「⋯⋯はっ、実演ありがとよ」
今まさに、ウィリアムがタクの思考を見抜いて返答をしてみせる。つまり、隠し事は無意味という訳で、今さっきの問答はまさに茶番だ。ただ、これでウィリアムがタクを『紅焔』であると見破ってみせたワケはわかった。
「私の話はここまでにしよう。とにかく、今回、君の勧誘に関して私は本気なんだ。手を抜くつもりは無いよ」
「ハルが断った時は、すんなり認めたくせにか?」
「彼女に関しては、私がなんと言おうと決して心変わりすることはなかった。やむにやまれぬ事情があるのだろうね」
「⋯⋯俺には心変わりの余地があるってか」
心が読めるからこそ、相手が必ず意志を曲げないということも分かるということだろうが、それは同時に、タクへの勧誘には成功する見込みがあることを意味している。心を読めるウィリアムがタクの勧誘を辞めない理由は、彼にとって勝算があるからに他ならないからだ。
一方、一切の勝算を生ませないほどハルは強固な意志を持っていたということで、何が彼女をそうさせているのか興味は湧くが、話の本題から逸れてしまうとタクは思考を戻す。
「それと、君が『紅焔』という呼び名を嫌っていることもわかっていた。それをあえて口に出し、君を怒らせてしまったことは詫びよう。だが、君に衝撃を与え、この話を聞き逃せないものにする必要があったんだ。どうか許して欲しい」
「別に怒っちゃいねえよ。⋯⋯良い気分でもねえけどな」
ウィリアムの言う通り、タクは『紅焔』という名が嫌いだ。それはタクにとって思い出したくない記憶を想起させるためであるが、これ以外の方法でウィリアムから能力を明かされても、タクの中にここまで強い印象は付けられなかっただろう。しかし、そこでタクの脳裏にひとつの疑念が湧いた。
「とりあえず、あんたが心を読めるってのはわかった。けど、それでどうやって俺を勧誘しようってんだ? 今んとこただの自慢話にしかなってねえけど」
「簡単な話さ。君がガーディアンになることを拒否する理由。それを今からひとつずつ除外していく。あれだけ強い衝撃を受けたのなら、もうこれ以上驚くこともないだろうからね」
そう言い切ると、ウィリアムの茶色い瞳が再びタクを射抜く。心の中を覗かれていると思うとあまりいい気分はしないが、拒否をしたところで今更だ。ここは堪えるしかないとタクが割り切りをつけると、同時にウィリアムが話を始める。
「まず、君は友人の遺言から『幸せ』を求めているものの、その『幸せ』という像が浮かばないために、旅を通じて多くの人の幸福像を知ろうとしている。そうだろう?」
「⋯⋯ああ、そうだ」
「ならば、むしろこの仕事は推奨できる。ガーディアンは他者の幸せを守る仕事だ。気ままに旅をしてまばらに人と交流するよりは、より多く、深く、他者の幸せというものに関わることができるはずだよ」
一理ある、とタクは感じた。先程ウィリアムの勧誘を断った理由は旅ができなくなってしまうことだったが、目的が幸せを知ることであるのならば、手段を旅に限定する必要は無い。そもそもこの旅自体、成り行きで始めたもので、特別なこだわりが存在する訳でもないのだ。
「次に、君の抱えている、『紅焔』、『龍人』、さらには『不死身』といった秘密。これらが他者に知られてしまうのではないかという心配だね」
「龍人はともかく、不死身のことまでお見通しか。つか、今言われるまでそこらへんは考えてもなかったんだけど」
ウィリアムが挙げたタクの抱える秘密は、どれも無用なトラブルを招くタネだというのがタクの認識だ。できることなら隠しておきたいというのは確かだが、今ウィリアムに言われるまでは、そこにまで思慮は行き着いていなかったはずだ。タクの疑問に対し、ウィリアムは平然とした様子のまま答える。
「表層心理だけではなく、深層心理までもが私の視界の範疇だ。思考しているかどうかはあまり関係が無い。例えば無意識のうちに心の傷を抱えた者がいたとしても、私はその要因を特定することができるよ」
「あんた、ガーディアンよりカウンセラーの方が向いてんじゃねえの?」
「引退した後ならばそれも良いかもしれないね。だが当分先の話になりそうだ。ひとまず、君の懸念は杞憂だと伝えておこう」
タクの冗談にすら余裕のある返しをしながら、ウィリアムはタクの抱えている心配について杞憂だと言い切った。根拠は何か、そうタクが尋ねようと考えれば、ウィリアムはタクの思考を見抜いたのか、
「この国ではもう亜人に対する差別がほとんど横行していない。街中で亜人が数多く生活しているのがその証拠だ。君が龍人であることを明かしても最初は物珍しく見られるだけで、不当な扱いを受けることは無いだろう」
「でもよ、俺がぶっ倒したあの鬼人、あいつは差別だなんだってキレてたぜ? あれはどう説明するんだ?」
「彼の場合は少し特殊だ。話が長くなってしまうのでね、また機会があれば詳細を伝えるつもりだが、彼が差別を受けたのは他国、それも数年前の話だ。この国で差別を受けた訳ではないとだけ言っておこう」
納得のいく内容ではないが、ウィリアムの言葉の真偽についてタクに分かる由もない。
しかし、心を見抜けるウィリアムならばタクが疑念を抱くこともわかるはずであり、わざわざ勧誘のためにそのような嘘をつく理由だって無いだろう。と言っても、深層心理まで見抜ける以上、タクがそう考えるとわかっていての行動かもしれないが、考えたところで答えの出ない問いだ。タクは湧いた疑念を無理やり飲み込んだ。
「⋯⋯そうかよ。んで、他のふたつは?」
「君が『紅焔』であることを知っているのは私だけだ。炎魔法を使うことが『紅焔』の特徴として知られているが、そのような魔法使いなどごまんといるからね。君と私が口を噤んでいる限り知られることは無い」
言われてみれば、タクの正体が見抜かれたのはウィリアムの力が理由だ。それに火水風土を操る魔法の使い手は数が多いうえ、そもそも『紅焔』は死亡したとされている存在。タクが普通に力を振るったところで、基本的にタクを『紅焔』と結び付ける者はいない。
「不死身に関しては、そもそも君の力量ならば、致命傷どころかそう易々と手傷を負うことも無いだろう。万が一再生する場面を見られたとしても、龍人の性質だとでも言えば大抵は誤魔化せるはずだ。希少な龍人の性質を詳しく知るものはそういないからね」
「⋯⋯なるほどな」
原理は分からないが不死身の能力によって傷が再生する時、傷口に火が灯っていたことをタクは思い出す。それをタクの魔法の一部だと言い張れば、余程龍人に詳しい人物以外にはバレることが無いというのは頷けた。
「それに旅を続けるにしても君は金銭的な余裕が無いだろう。元々そう必要としていないのだろうが、あるに越したこともない。旅を一度中断して、ガーディアンとして金銭を貯めてから再び旅に出ると言うのも選択肢のひとつだ」
「俺の財布事情まで透けてんのね。あんたの前じゃプライベートもクソもねえな」
「申し訳ない。けれど、もちろん他言するつもりは無いのでね、そこに関しては安心して欲しい。━━そして、最後にひとつ、伝えておこう」
と、タクの軽口にも応対するウィリアムの声色が、そしてその目つきが、様相を変える。今までのこちらを見透かすための鋭いものではなく、暖かみと優しさを含んだ柔らかいものとなって━━、
「━━私は、罪を犯した者が二度と幸せになってはいけないとは思わないよ。ただ、償いを果たさなければならないだけだ」
「━━っ!」
勝てない。と、タクは心の底から、そう感じた。
勝ち負けを競っていた訳ではない。実際の強さの話でもない。タクに敗北感を抱かせたのは、ウィリアムの持つ『傑物』の名に違わぬ器。彼の言葉はまさに、タクの魂を穿つ一言で━━。
「今までの話を聞いてみて、どうだろうか。答えを聞かせてくれるかい?」
「⋯⋯一晩、考えさせてくれ」
改めてタクに加入の是非を問うウィリアム。彼によってタクが拒否する理由はほとんど無くなったが、これは今後を決める重要な決断だ。今決めて、寝て起きたらやっぱ後悔なんてこともあり得る。ひとまず、タクは考える時間が欲しいという旨をウィリアムに告げた。
「ああ、構わない。良い返事を期待しているよ」
ウィリアムは快い言葉をタクに返す。と思えば、ウィリアムはその顔をやけにいたずらっぽくさせながら「ちなみに」と前置きをして、
「君に教えた私の力は、ガーディアンの中でもほんの一部しか知る者のいない極秘事項だ。くれぐれも、他言はしないでくれたまえよ」
「⋯⋯ならそんなもん易々と人に教えんなよ、って言いたいところだが、そこんとこもアンタの目ならわかるんだろうな。まったくもって便利なこった」
「ははは」
ウィリアムからしてみれば、バラしてしまうような相手にはそもそも教えなければいい話。結局彼の手の平の上から降りることはできないようで、タクも嫌味を返したもののウィリアムはそれすら笑いとばす。その様子に一抹のムカつきを覚えながら、タクはソファから立ち上がった。
「話は終わりだろ。もう特に用が無いなら外させてもらうぜ」
ドアに手をかけ、部屋から退出しようとするタク。その背に向けて、ウィリアムが「そうだ」と声をかけた。
「もうひとつだけアドバイスをしよう。ガーディアンになるならないに関わらず、この国に滞在するのであれば適当でも構わないから家名を名乗るといい。家名無しは一目で外国人だとわかるが、中には外国人を毛嫌いする者もいるからね。気休め程度だが無用なトラブルは避けられるかもしれない」
「そうか。助言感謝するよ」
ウィリアムの気遣いに礼を言いながら、タクはドアを開け、蝶番の軋む音を響かせる。そして、タクは応接室から立ち去った。
「⋯⋯願わくは、君が自らの業と向き合い、超克せんことを」
その背に抱えた宿命すらも、『傑物』に見透かされたまま。




