第五十話 沖田畷に散る
天正十二年(一五八四年)三月
龍造寺隆信の軍勢約六万が島原に迫る、という報せを受けた義久は、島原の地に援軍を送ることを決定した。
当初は一万余りを送り出す予定だったが、折からの悪天候で波が高く、急ぎ渡るには精々三千程度ということになった。
島原遠征軍の総大将は中務大輔家久。
他、島津一族からは先代の末弟尚久の嫡男である図書頭忠長。先代長弟忠将の嫡孫、又四郎彰久。
他諸将としては、新納武蔵守忠元、山田有信、伊集院忠棟ら。
その他従軍者としては家久の嫡男、十五歳で元服したばかりの又七郎豊久の姿もあった。
忠平は八代に着陣して筑後、豊後の備えに、また義久ら本軍は葦北郡の佐敷城に入城して後詰として着陣した。
そこには歳久も本軍副将として従軍していた。
本来であれば歳久も島原に渡海するべき戦であったが、義久の側にあって従軍していたことには理由がある。
それはこの頃から義久は慢性的な腹痛に悩まされるようになっていたからだ。
虫気とも称された腹痛に義久は苦しまされた。
義久は自身に万が一のことがあった時の備えとして、次席に歳久を座らせてこの戦にあたっていた。
天正十二年(一五八四年)のこの時、義久五十二歳、忠平五十歳、歳久四十八歳、家久三十八歳。
上の三人は、戦場ではそろそろ無理が利かなくなる年頃でもある。
同年三月二十一日
大将家久を筆頭に、諸将ら含めて千五百余の人数を引き連れて島原へ渡海。
その日の内に島原半島南岸の有江の地に到着した。
そこで有馬晴信の出迎えられて早速相談し、東岸の島原城を最前線として龍造寺六万の大軍勢を迎え撃つことにした。
家久の軍勢は有江の地から半島東岸を進軍して深江城を通り、安徳城に入城。そこで人馬を休めるように指示を出した。
安徳城は島原城の南五キロの位置にある。
同年三月二十二日
家久は決戦の地を安徳城の北にある眉山近くにある湿地帯と見定めた。
まずは多くの工作兵と農民を借り出して、眉山から東の海岸に向かって柵を並べるように指示を出した。
次に山手側左陣には猿渡信光。
中央に伊集院忠棟に千の兵を与えて主力とし、龍造寺隆信に恨み深く寝返った赤星統家もその横に置いた。
さらには中央の右手の山中に新納忠元を伏兵として置き、防衛拠点となる右手の森岳城には有馬晴信を入れさせて総大将とした。
家久はその背後に五百余の兵を連れて伏せることを考えた。
その日の夜から途切れることなく龍造寺軍の動きを山林に潜んで探る者たちが、家久の元に密かに訪れた。
そしてそれらの情報をまとめると、龍造寺軍六万の兵は伊佐早の地にあり、二十三日夜から二十四日朝にかけて衝突するだろう、という予測がたち、次第に島津の兵たちにも緊張が走り始めた。
また安徳城の家久の元にはひっきりなしに多くの将が訪れていた。
まず訪れたのは森岳城を任された有馬晴信であった。
「中書殿、よろしいですか」
歳は十八ばかりか。
血気盛んな若者が大鎧の下に着ける襦袢姿で頭を下げる。
「おう、晴信殿。いかがした」
「此度の戦、やはり相手が多勢すぎる。一度軍を引いて、後詰めの太守殿の本軍上陸を待ってから迎え撃つのはどうだろうか」
「お主らの兵は怯えているというのか?」
「いや、怯えているわけではないが、現実的に考えたまでです」
必至に否定する晴信を家久は安心させるように微笑む。
「我ら島津の軍勢は幾多の死線を乗り越えた精強揃い。勝負に数は関係ないと心得ておる」
「真にございますか」
当然ながら島津兵の精強さは晴信の耳にも入っていた。
伊東家と争った木崎原での奇跡の勝利、大友家との高城川での大勝、それらの戦の話を聞くたびに身震いした。
だからこそ圧倒的な不利を承知のうえで龍造寺家の侵略に抵抗し、島津家に従属することを条件に応援を請うたのだ。
「既に必勝の策はこの畷に張り巡らしておる。これを活かすも殺すもお主の槍働き次第である」
そこまで言われて島原の若武者は言葉は詰まり、引き下がるほかなかった。
(やってやる……!)
その瞳には覚悟の炎を宿らせて迫る戦に備えるのだった。
次に訪れたのは武蔵守忠元だった。
「お呼びに預かり参上いたしました」
「武蔵守殿、ご足労であった」
「滅相もございません。して、お申し付けの事とは」
「うむ。愚息は元服したてで此度が初陣。その面倒を武蔵守に見て欲しいと思うた次第」
「それは勿体無き御役目。是非とも見事な初陣となるように致しましょう」
「うむ。当日に合流させる故、よろしく頼みます」
「はっ」
家久は島津家随一の武士に嫡男豊久の初陣の目付を任せると、戦を前にささやかな宴を催した。
名だたる将が安徳城に集まり、戦を前に故郷の話を肴に騒いだ。
その内小唄を歌い、舞を踊るなど、ほどよく酒が回り始めた頃である。
「みんな聞いてくれ! 此度の戦では俺が肥前の熊の首を見事討ちとってくれよう!」
気持よく豪語したのは川上左京亮忠堅という将だった。
島津家の古い分家である川上氏の庶流の武将で、父の忠智は忠平の家老を務め、木崎原の戦いでは宰相殿と共に加久藤城を守った勇将である。
その歳二十八ばかり。
勇気、体力、全てがその体躯に満ちあふれている頃である。
忠堅の言葉に周りの将たちも
「よう言うた!」
「それでこそ薩摩武士だ!」
とやんやと喝采を浴びせる。
だがそれを諌めたのは忠元だった。
「いやいや忠堅殿、さすがにそれは言葉が過ぎますぞ」
「なにが言葉が過ぎるものですか、武蔵守殿」
忠堅は笑顔で武蔵守の前にどっかと座り、忠元の盃に酒を注ぐ。
「我が言葉、決して妄言ではございませぬ! 我が槍をもって熊の如きその胴体に突き立て、その首を掻き斬ってご覧にいれまする!」
その言葉にまたワッと喝采が起こり、周りの将たちも忠堅がそこまで言うなら、きっとそうなるのだろうとさえ思った。
その日の夜はこうして更けていき、刻一刻と決戦の日が迫っていった。
同年三月二十三日
防御柵の設置が大急ぎで進み、夕刻にはようやく完成した。
そして日が沈んだ頃に龍造寺軍が伊佐早を発ったという報せが届くと、決戦は翌朝になることを伝えて、早めに寝て身体を休めるように指示を出した。
同年三月二十四日三時
未だ夜の空ではあったが、一番鶏が鳴いた頃に目を覚ました家久は、手早く鎧武者装束になった。
そして朝食を手短に済ませて看経すると、静かに瞑想した。
「殿、ご子息が参りました」
「通せ」
ふすまの向こうから聞こえた近習に家久は目を開ける。
「父上、戦支度が済みましたので挨拶に伺いました」
そう言って頭を下げた十五歳の豊久は、蝋燭の灯りに照らされて薄暗い板間ではあったが、どこか顔が上気しているように見えた。
「眠れたか?」
「あまり……」
「俺も初陣の時はよく眠れんかったよ」
家久は緊張する豊久を足元から髪の先まで見て微笑む。
「実に天晴な武者振りであるな」
家久は藍糸の具足鎧を身にまとった息子の姿を見て目を細めた。
「ただ、上帯の結び方はこうするものだ」
そう言うと大鎧と草摺の間に結ばれた上帯の結び目を解いた。
豊久は上帯の結び方を間違えていただろうか、と不安になってその様子を見守る。
家久は上帯をきつく結びつけて解けないようにすると、その端を小刀で切り落とした。
こうなると自力で解くことはもちろん、手で解くことも難しい。
「よいか。よく聞けよ」
家久は豊久を目を見据えた。
「もし戦に勝って討死しなければ、この上帯は我が解こう。だが此度の戦で屍を晒すことになった時、この上帯を見た敵兵は島津が家に生まれた者の思い切った所作を知って驚嘆するだろう。……そして我もその死を喜ぼう」
「はい……!」
豊久は力強く頷き安徳城を後にすると、忠元の待つ陣へ急いだ。
同年同日 卯の刻
夜が明けた頃、龍造寺軍は中尾川の手前まで進軍して陣容を整えていた。
山手沿いには龍造寺隆信の義弟、鍋島直茂。
浜辺沿いを龍造寺隆信の次男、江上家種。
そして中央には龍造寺隆信の本隊が陣取った。
そして隆信は中尾川の手前にある、森岳城を見渡せる丘に登って、島津軍の陣容を確認した。
「ふっ。たかが三千だか五千程度と聞いていたが真のようであるな」
突き出た腹をさすりながら痰唾を吐いた。
「彼奴らの主力は森岳城の脇にあるのがそうか?」
「はい、そう聞いております」
「かような人数で対抗しようとは笑止の至。一気に押しつぶしてくれよう」
そう吐き捨てて踵を返した。
この龍造寺の六万の大軍には龍造寺四天王と名高い将も名を連ねていた。
すなわち、成松信勝、百武賢兼、木下昌直、江里口信常、円城寺信胤の五人である。
うち、木下昌直だけは鍋島直茂の別働隊に加わり、島津軍と対峙していた。
なお四天王と言いつつ五人いるのは、後の世にまとめられた史料の差異に因る。
同年同日辰の刻
龍造寺方より攻撃を命じる法螺が鳴り響き、運命の一戦が始まった。
その目標は有馬晴信がいる森岳城だった。
山手、浜手、そして中央の本体が一斉に森岳城に向かって進軍を開始する。
最初に衝突したのは中央の先陣大将である伊集院忠棟であった。
しかし槍を合わせること数度、相手の勢いや強し、と見ると次第に押されて兵を引き始めた。
またその様子を見て、龍造寺軍も押せや、かかれや、と号令で押し寄せて、島津軍に劣勢の気配が見え始めた。
同年同日巳の刻
島津軍からようやく反撃らしい反撃があった。
一斉に弓矢、鉄砲が撃ち放たれ、龍造寺軍の先陣にも被害が出た。
しかし噂の三段一斉射撃ではなく、散発的な乱射に過ぎなかった。
その様子を後方から見ていた隆信は、八人の担ぎ手が運ぶ輿の上に座り、嘲り笑った。
「なんだ今のは! あれが噂に名高い島津兵か!」
下品な笑い声をあげ、周りの兵たちも釣られて嘲笑が龍造寺軍を包んだ。
この様子を見た有馬晴信は、家久の命で森岳城から千五百の兵で打ち出てその救援に向かったが、湿地帯を進むことに難渋して、まともに龍造寺軍に取り付くこともできなかった。
同年同日午の刻
幾度と無く槍を合わせて次第に後退していく島津軍を見て、龍造寺軍は進軍を一時止めると、遠巻きに眺める島津軍を前に小休止を取った。
その間に隆信は島津軍の様子を見に行くように使いを出した。
隆信は完全に慢心しきっていた。
「おい、島津の雑兵はどんな様子か少し見て参れ」
「はっ」
そう言うと使者は草木が生い茂る道を、一人先陣まで駆け出した。
隆信のいた本陣と、先陣の間はわずか数百メートル。そのわずかな隙間に林があり、そこは誰の目にも届かない死角になっていた。
その山林の横の木影から素早く島津兵五名ほどが飛び出したかと思うと、その龍造寺兵を音もなく斬り殺し、林の中に引き連れ込んだ。
「よし。この体付きならお主がよかろう」
「任せろ」
島津兵の一人が素早く鎧を脱いで殺した龍造寺兵の鎧を身につけると、龍造寺の使者の証である杏葉紋の幟を背中に刺した。
隆信の使者に化けた島津兵は龍造寺軍の先陣に到着すると、先陣の将たちに様子を伺いつつ、こう言った。
「敵勢は軟弱にて命を惜しまずに攻めかかり、本日中に決着をつけるべしとのことです」
「なんだと? それはまるで我らの攻め手が緩いとでも言うのか」
しかしその返事を待たずに隆信の使者は「ごめん」と頭を下げて先陣を後にした。
使者の言葉を真に受けた龍造寺軍の先陣大将は、鬨の声を上げると再び進軍を開始しその様子を見てとった隆信の本陣も慌てて後を追うように進軍を開始した。
先陣の部隊が森岳城まで差し掛かった頃である。
隆信の周辺がにわかに騒がしくなった。
「何事だ! 騒々しいぞ!」
隆信は背伸びして先陣の辺りを確認する。
いつの間にかその目の前に島津の十字紋が翻っていた。
「や、奇襲か! どこから湧いたか!」
隆信は慌てて周りを見渡した。
「全軍! かかれ!!」
森岳城の山林に伏せていた家久から、突撃の采が振られ、島津方より法螺が吹かれた。
龍造寺軍先陣部隊のすぐ横に、家久の伏兵隊が潜んでいたのだ。
島津軍から鬨の声があがり、一斉に攻めかかる。
「さあ相手は浮ついているぞ! 首に構うな! ひたすら斬り捨てろ! 存分に功を立てよ!!」
「おお!!」
家久の檄に、雪崩を打って島津兵が龍造寺軍に攻め寄せる。
さらには中央の忠元隊、豊久隊も弓矢、鉄砲を撃ちかけて態勢を崩させると、一斉に突撃する。
まさに一瞬にしての逆転、龍造寺の先陣部隊はあっという間に壊滅した。
それを見た隆信は慌てた。
「押し堪えよ! 島津兵は少ないぞ! 押し堪えよ!」
隆信本隊の前にいた先陣部隊が崩壊した今、本隊の前に守る部隊がいない。
先陣部隊が壊滅することを想定していなかった隆信の慢心であった。
それでも必死の号令で島津兵を押し返そうとしたが、龍造寺軍の先陣部隊を飲み込んだ島津兵の眼光は鋭く、まるで血に飢えた狼の如きその凶暴さに、龍造寺の兵たちに怯えが宿った。
「ひい! 駄目だ! 死にたくない!」
次々と部隊に襲いかかる島津軍の恐ろしさに耐え切れなくなった龍造寺兵が一人一人と逃げ出していく。
島原の湿地は、完全に乱戦状態になった。
湿地帯は大変足場が悪かった。畷、つまりあぜ道にまっすぐ一列に並んでいた龍造寺軍は退くことも出来ず、前に進むこともできず、ただ火縄銃の的にしかならなかった。
「くそったれが! 退却だ!」
隆信の声と共に退却の法螺が吹かれ、隆信の旗本隊と隆信を乗せた輿は反転して、一路海岸を目指した。
しかしその目の前には有馬晴信の隊が待ち構えており、再び乱戦状態になる。
「北だ! 北に迎え!」
隆信の号令で輿の鼻先は海岸から北に変わる。
その輿に近づいた龍造寺の将が一人。
「殿! ここでお暇を頂きたくご挨拶に参りました!」
「おう! 円城寺か!」
「殿と過ごしたこの戦国乱世、実に愉快でございましたが、ここでお別れのようです! さらば!」
円城寺信胤はそれだけ叫ぶと、馬を反転させた。
「我こそは龍造寺山城守隆信であるぞ! この首欲しくば尋常に勝負いたせ!!」
円城寺信胤はそう叫ぶと、島津軍の中に飛び込んでいった。
恐慌状態に陥り、逃げる龍造寺の軍数万の兵を、島津有馬連合数千の兵が追撃して、その背中を斬り捨てていく。
その斃れた武者には四天王に名を連ねた成松信勝、百武賢兼の姿もあった。
追撃戦が始まってまもなく、敵味方が入り混じった乱戦状態になりながらも、旗を差さずに龍造寺軍にまぎれて駆けまわる島津の将がいた。
川上忠堅である。
足軽大将簗瀬平右衛門、万膳仲兵衛、出石五郎兵衛を連れて敵軍に潜り込み、隆信の居所を聞いて回った。
「殿はどこにおわすか! 殿をお守りせねば!」
「殿なら沖田辺りまで逃れているようだぞ!」
反射的に龍造寺の兵が応える。
「よし! おい! 殿をお守りするぞ!」
そう言って川上忠堅は隆信がいるらしい北に向かった。
「殿! 殿はいずこや!」
川上忠堅は沖田畷の辺りまで駆けた。
周囲にはまばらに林があり、身を隠すにはちょうどいい。
そしてその声に反応する者がいた。
「隆信はここだ! 汝らはどこに敗走する気だ!」
忠堅が声をした方を見ると、木の根本にでっぷりと太り荒々しく髭をたくわえた将が床几に座っていた。
そこで休んでいたのだろうか、こちらに視線を送ろうともせず、肩で息をしている。
その横には人が乗る輿が棄てられており、輿の担ぎ手の姿は見えなかった。
それを見た忠堅は後ろについてきた足軽共と頷いた。
「龍造寺隆信と見たり! その命、島津が将、川上左京が貰った! 御覚悟!!」
「な、なんと!?」
隆信、そして残り僅かに居た旗本衆が反応する間も与えずに、四本の長槍が龍造寺隆信の身体を深々と貫いた。
「龍造寺隆信公、討ち取ったり!!」
その報せは一瞬にして沖田畷の戦場全体を駆け巡った。
「おおおおおおおおおおおお!!!!」
島津兵とも龍造寺兵ともしれない唸るようなどよめきが地鳴りとなって戦場を包む。
前線で奮う忠元の槍も、その側で刀を薙いだ豊久も勝利を確信する。
忠長も、忠棟も、有信も、怯えながらなお立ち向かおうとする龍造寺の将兵を斬り捨てた。
山手で堪えようと奮戦していた龍造寺方の鍋島直茂、木下昌直はその報せを聞くと退却を開始した。
大将討死の報せを受けた龍造寺四天王の一人、江里口信常は落ちていた島津の十字旗を鎧の背中の隙間に差し込むと、単騎で島津軍の本陣に飛び込んだ。
龍造寺大将討死の報せが飛び交う戦場では、なお乱戦が続いていた。
家久の本隊も最後方にあって軍全体の動きを見ながら指示を出していた。
そこに一人の将が真横を横切った。
「中書殿、中書殿は何処や!」
「いかがした、中書殿ならここにおるが」
島津の兵が一人、その只事ではない慌てた様子につい応えてしまった。
ふと馬上の家久と目があったその将こそ家久と見るや、眼をカッと見開いた。
「島津御大将、家久! その命、江里口正右衛門信常が貰い受ける!!」
猛然と駆け迫って抜刀すると、家久の右脇から斬りかかった。
「なんの!」
家久は済んでのところで馬の首を捻って避けたが、その切っ先がわずかに左太ももを斬った。
家久も思わず馬から飛び降りて膝をつく。
「己! この不届き者!!」
家久の馬廻衆が一斉に江里口信常に斬りかかり、あっという間に見るも無残な肉塊に成り果てた。
「殿! 殿! 平気でございますか!」
慌てた兵たちが家久を囲んで受けた傷を確認する。
「いや、外側に受けただけで、傷は浅い。平気だ」
家久はそれを押しとどめるように立ち上がり、素早く止血処理を施した。
「申し訳ございませぬ。ここまで容易く敵将を近づけさせるとは……。いかなる処罰も受けまする」
馬廻衆の一人が口惜しそうに謝罪の言葉を述べる。
家久はそれを制するように笑ってみせた。
「いや褒めるべきはこの乱戦の最中に単騎でここまで迫った龍造寺が将の豪胆さよ」
苦悶の表情を浮かべたまま絶命した首に手を合わせた。
「この御仁はまさに無双の剛の者である。一族が残っていれば召し抱えたいものだ」
そう言って家久は三会の麓まで追撃したという報告を受けて、追撃中止の法螺を吹かせ、安徳城に戻るよう命令を下した。
その帰りに生け捕った何人かの龍造寺の将と兵を連れて、名のある将の首を回収し、全軍が安徳城に戻ったのは太陽が沈もうかという頃である。
報告によれば龍造寺軍は舟で竹崎という地に逃れたということだった。
「さすがは中書殿でございます! この晴信、心より畏れ入り申しました!」
「晴信殿も随分と槍働きに励んだそうだな。ご苦労であった」
家久はなお興奮冷めやらぬ様子の晴信を出迎えた。
「このまま肥前を制圧いたしましょう! 敵勢はもはや及び腰と聞いております。やつらにこれ以上対抗する力は残っておりませぬよ!」
なお息巻く晴信に家久は諌めた。
「相手は敗軍ではあるが、本来ならば我らでは勝てそうもない大敵であった。それに相手方には隆信殿の義弟、鍋島殿が健在であるようだ。調子づいて攻めかかれば恐ろしい反撃が待ち受けていよう。これ以上の深追いは無用だ」
「……うぬぬ。中書殿がそうおっしゃるのであれば致し方あるまい。ひとまず島原に神デウスの安寧をもたらしましょう」
そう言って晴信は笑って、神の加護に対して感謝の十字を切った。
「父上!」
また家久に駆け寄る若武者が一人、その後ろには武蔵守忠元も付いてきていた。
「おう、又七郎。怪我はなかったか」
「はい! 拙者も一人、将を討ち取りました!」
「おお、それは真か!」
家久は満面の笑顔で豊久の肩をたたき、忠元に確認する。
「見事な太刀振る舞いにございました。どうやらご子息が討ち取ったのは先方の四天王が一人、成松殿であったようです」
「それは見事だ! 大したものだ!」
家久は我がことのように歓び、約束通り豊久の上帯を解いてやろうと手を伸ばす。
身を父に委ねながら、しかし豊久は口を尖らせた。
「ですが拙者はまだまだです」
「そうか? 大将を組み伏せて討ち取るとは初陣にしては出来すぎだ」
「ですが」
豊久は続けてまた眉をしかめる。
「拙者がようやく一人討ち取った時には、武蔵守は既に三十もの首を討ち取っておりました」
それを聞いて、その場に居合わせた一同は腹を抱えて笑った。
「さすがは鬼武蔵殿だ!」「気張り過ぎだ!」
新納武蔵守忠元、この時五十九歳。
なおも第一線で槍を奮う老将は、この戦で三十六もの名のある将を討ち取り、比類なき軍功として激賞された。
後の世に島原・高木合戦とも、沖田畷合戦とも言い伝えられるこの戦で、龍造寺軍六万の兵のうち、死者は五千人以上とも、一万人以上とも伝わる。
しかし龍造寺家にとっては、失った兵の数以上に、四天王を始めとした竜造寺家の快進撃を支えた名将の殆どを失ったことが最大の痛手であった。




