海の女王
◆ ◆
早朝。
水平線から昇る朝日に照らされながら、平太は剣を振っていた。とはいえ、グラディーラが変化した剣ではなく、片手剣を模した木剣である。訓練なのでもう片方の手には樽の蓋に持ち手をつけただけような木の盾も持っている。
場所は、コンクラータの岬に続く街道から少し離れた場所。昨日はそこで、久しぶりにシャイナに剣の稽古をつけてもらった。
当然、剛身術を使わず本来の身体能力での稽古だったが、しばらくサボっていたとは言え、自分でも驚くくらい身体が動かなくなっていた。
平太は反省とともに、昨日の稽古を思い返す。
☽
「お前、防御が甘いんだよ。いい加減盾の使い方を憶えないと死ぬぞ」
もう何度も口を酸っぱくして言ってるんだぞと言わんばかりのシャイナの口調だが、何度言われようができないものはできないし、そう簡単にできるようになったら苦労はしない。
平太とシャイナは訓練用の木剣と盾を手に、かれこれ一時間ほど打ち合っていた。
「そんな事言われても、両手を別々に動かすなんて器用なマネ、そう簡単にできないよ」
防御するためとは言え、盾をじっと構えていれば良いというものではない。敵の攻撃は上下左右と立体的に襲ってくる。そして盾をそれに合わせて動かしつつ、剣を振らなければならない。平太は盾を動かせば剣がおろそかになり、剣を振れば盾が仕事をしなくなる。つまり不器用なのだ。
「できないよ、じゃねえよ。やるんだよ。でないとお前、あの盾のガキどーすんだよ」
「どーすんだよ、って言われてもなあ」
先日コンクラータの岬で偶然会ったスクートという少女は、グラディーラと同じ前勇者が使った伝説の武具のひとつである。だが今の平太では、もし仮に彼女が仲間になってくれたとしても、持て余すだけだろう。
だからこうしてシャイナに特訓してもらっているのだが、生来の不器用が一朝一夕でどうにかなるわけはなかった。
「あーもう! 何でできねーんだよお前はよー!」
平太のあまりのダメっぷりに、とうとうシャイナがブチ切れた。だが平太とて、別にふざけてこんな盆踊りの出来損ないのような動きをしているのではない。彼だって真剣なのだ。
「ゲームだったら片手剣なんて完璧に使いこなせるのになあ……」
言っても仕方のない事だが、ゲームは所詮ゲームである。ゲームで強い奴が現実でも強いのなら、格闘ゲームのチャンピオンがそのまま格闘技の世界チャンピオンになれる。
しかし、不思議な事に大剣や大太刀、そしてクロスボウなどは、ゲームでしか扱った事がなかったはずなのに何故か現実でも同じように扱えた。だったら片手剣と盾も扱えると思ったのだが、世の中そう甘くはできてないらしい。
「しっかしお前、両手持ちの剣やクロスボウみたいな複雑な武器は使えるくせに、どーして片手剣と盾がまともに使えねーんだよ?」 シャイナも同じ疑問を持っていたようで、奇妙な生き物を見るような目で平太を見ている。
「両手持ちだと手を別々に動かす必要がないし、クロスボウは何となく使えるだけだからなあ」
「何となくってお前、ケンカ売ってんのかよ……」
あらゆる武器が使いこなせるくせに、クロスボウだけは上手く使えないシャイナが少しムッとしたような顔をする。
「じゃあもういっその事いつもの馬鹿でっかい剣に盾をくくりつけとけよ。そうすりゃお前でも少しはサマになるかもよ」
「むちゃくちゃ言うなよ……」
聞いた瞬間はコイツ腹いせに適当な事言いやがってと思ったが、次の瞬間、ほんの一瞬だけ頭に解決案のようなイメージが浮かんだ。
「ん?」
「あ? どうした?」
だが、あまりにも一瞬で、しかもぼんやりとしたイメージだったので、気のせい以上の領域を出なかった。
「いや、何でもない。それよりもう一回手本を見せてくれ」
「何度目だと思ってんだよ……。いいか、今度こそしっかり見て憶えろよ」
「おう!」
返事だけは威勢が良かったが、結局あれから何度やっても平太は盾の扱いに慣れる事ができなかった。
☽
「朝稽古か。感心だな」
気づけば、背後にグラディーラが刷毛状に削った木の枝で歯を磨きながら立っていた。ここ最近ずっとドーラたちと同じ馬車で寝食を共にしているせいか、初対面の頃にあった伝説の剣という神秘性が薄くなってきて、何となく所帯じみてきたように思える。本人に言ったら怒りそうなので絶対に言わないが。
「お前は圧倒的に基礎が足りないからな。奇策や奇抜な攻撃は基礎があってこそというのを忘れるなよ」
そう言ってグラディーラは手に持ったコップでうがいをすると、ぺっと吐き出した。完全に朝のオッサンみたいな姿に、こいつ本当に伝説の剣なのだろうかと疑いたくなる。
ともあれ、グラディーラに言われるまでもなく、平太自身が己の基礎の無さを痛感している。
だが、こればかりは日々の積み重ねでしか解決できない。一日でも早く上達するように、平太はこうして朝早くから一人で訓練しているのだが、
「何だ、その妙な踊りは?」
「ぐ……」
グラディーラの目にも平太の動きは奇妙に映るようだった。
「もしかして、それは剣と盾で戦っているつもりなのか……?」
「……それ以外にどう見えるんだよ?」
恨みがましい目で平太が問い返すと、グラディーラは「む……」と答えに詰まり、これまでに見せた事がないような困り笑顔のまま結局何も言わなかった。
シャイナのみならず、グラディーラにも呆れられ、平太は本気で凹む。
「これまでずっと両手持ちの剣を使っていたので気づかなかったが、まさかお前が盾を使えないとはな……」
「使えないんじゃない。ちょっと人より使うのが苦手なだけだ」
「それを使えないと言うのだ」
一刀両断され、平太は再び「ぐ……」と唸る。
「しかし、そうなると困った事になるな」
「何がだよ?」
「いや、お前が盾を扱えないとなると、スクートが仲間になった時困るだろう」
「う~ん。その事なんだけど、ちょっと訊いていいか?」
「ん? 何だ?」
「まず、そのスクートって子について詳しく教えてくれ」
「そうだな。いずれわかる事とは言え、事前に知っておいて損はあるまい」
そう言うとグラディーラはコップに残った水を地面に捨て空にすると、木の枝を中に放り込む。
「とはいえ、何から話せば良いものやら……」
グラディーラが話の切り出しに困っていたようなので、平太がきっかけを与えてやる。
「ん~。性格とか、好きな食べ物はどれとかかな?」
「そんな事を訊いてどうするんだ?」
「いや、とりあえず話をするきっかけを作る材料がないと……」
何だかんだ言っても、平太は未だに他人と会話するのが苦手である。最近はかなりマシになって、共通の話題があったり共感できる物があるとそれなりに会話できるようにはなったが、やはりまだ自分から積極的に話しかけるのはハードルが高い。
「性格は、わかりやすく言えば子供だな。だがそれゆえに常識に囚われず、自由な発想を活かした魔法が使える」
「使うのは増幅魔法だったよな」
うむ、とグラディーラは頷く。
「スクートが使う増幅魔法は分類的には補助魔法に属し、それ単体では効果が無い。だがかける対象をほぼ選ばないため、使い方次第でいくらでも強力な攻撃に化けさせる事ができる」
「そのひとつが肉体強化ってわけか」
「そうだ。自分のみならず誰にでもかけられ、しかも単純に筋力が数倍になるから、かけられる奴によっては物凄い効果が期待できる」
逆に筋力が弱いドーラやシズのような対象は、いくら増幅してもたかが知れてるというデメリットはあるが、シャイナのようなパワーファイターにはいくらでも使いようがある魔法だ。
「おまけにスクートの増幅魔法は、自分以外がかけた魔法にも効果がある」
「つまり、ドーラの魔法やスィーネの神聖魔法の効果も倍増できるってことか」
これは物凄いメリットだ。単純にドーラの魔法による攻撃力を倍にするだけでも、この世界の軍隊なら一個大隊くらい相手取れるだろう。そこにシャイナと自分の物理攻撃、そしてスィーネの神聖魔法による援護や回復、それらすべての効果が倍増されるとしたら、小さな城くらいなら攻め落とせるのではなかろうか。
平太は自分の想像に、ぶるりと身体が震える。それは、こんな物騒な考えをしてしまう自分にと、やればできてしまうのではないかという危うさと、魔法という使い方次第では神にも悪魔にもなれる強大な力に、何の制限もかかっていないこの世界のでたらめさに気づいてしまった震えだった。
いや、この世界が均衡を保っているのは、何もこの世界の人々が平太のいた世界に比べて善良だからではない。むしろモラルという意味に関しては、こちらの方が遥かに水準が低い。そもそも道徳とかいう概念すら無いし。
では何故誰も魔法や能力を使って戦争をしないかと言うと、
魔王がいるからだ。
魔王が復活し、魔物が街や村の外を跳梁跋扈しているからだ。
この世界で人間同士が表面上とはいえ争っていないのは、そんな事をしている場合ではないだけなのだ。そうでなければ、平太ごときが真っ先に考えるように、魔法や亜人の能力は真っ先に軍事利用されるだろう。いや、見えない所ではされているのかも知れないが、少なくとも目に見える戦争は平太の知る限りどこにも起こってはいない。
そうなると、世界の均衡を保っているのは、むしろ魔王なのでは――
「おい、どうした?」
平太の思考は、グラディーラの声によって拡散した。
「ん? あ、ああ、悪い。ちょっと考え事してた」
「人と話をしている最中に考え込むとは失礼な奴だな。話を続けていいか?」
「すまん、続けてくれ」
平太は思考を切り替える。今は詮無き事を考えていても仕方がない。それよりも今考えるべき事は、スクートの事である。
「スクートが精神的に幼いというのはこの間話したし、お前も実際に会って実感しただろう」
「まんま見た目通りって感じだったな。けど、見た目が幼女で中身が年寄りってのよりはよっぽどいいだろ」
「いや、問題はそこではない」
「――と言うと?」
グラディーラは少し考えるように「ふむ」と間を取る。
「わたしたちの中で、スクートが一番勇者――前の勇者に打ち解けていた。ちょうど子供が年上の異性に甘えるような感じだったな」
「容易に想像できる光景だが、まあ別に悪い事じゃないだろ」
「魔王を倒すまでならな。だが、スクートが今でも前勇者の事を引きずっているとしたら――」
思い当たる。スクートは、前の勇者が自分を探しに来てくれるのを今でも岬で待っている。
だが前勇者は、すべての記憶を失っている。
つまり、スクートたちの事も。
それはスクートも知っているはずなのだが、それでも待ち続けているという事は、それだけ前勇者に対して彼女の想いが強いのだろう。そうなると、
「俺たちの仲間にはならない、という事か」
平太の言葉に、グラディーラは「そうだ」と頷く。
「わたしや姉のアルマは心身ともに成熟しているから、論理的に割り切る事ができた。だが心も身体も未熟なスクートは、どうあっても納得できなかった。アルマ姉が側にいたから安心していたのだが、まさかスクートを置いてどこかに行くとはな……」
グラディーラは「困ったものだ」と腕を組む。
「何とかグラディーラから説得できないのか? 仲間になる、ならないとかはこの際置いといて、せめて前の勇者の事は諦めろとか」
「それができれば苦労はせん。お前はぐずる子供を論理的に諭す事ができると思うか?」
「……ゴメン、無理」
言葉で言い含める事ができるのなら、それはもう子供ではない。身体の小さな大人だ。子供は理屈が通用しないから子供なのだ。
とはいえ、来るはずもないものをずっと待っているスクートをこのままにしておくわけにもいかない。
「とりあえず、もう一度会って話してみるか……」
言い含める切り口も何も見つからないが、とにかく平太たちはもう一度スクートに会うために、コンクラータの岬へと向かう事にした。
☽
一方その頃。
海から生えてくるように昇る朝日を見つめながら、スブメルススは途方に暮れていた。
散々泳ぎ回ってようやく、自分が何のあてもなくただ探している事に気づいたのだ。今はそんな間の抜けた自分を反省しつつ、海に浮かびながら今後の身の振り方を考えている。
「……って言うか、ここはどこかしら?」
何も考えずに泳いでいたので、現在位置を見失っていた。パクス大陸を目指して泳いでいたのだから、恐らくその近辺だとは思うが、夜が明けてしまった今では星の位置で現在地を測る事もできない。
考えながら泳ぐのも面倒なので、スブメルススは海流に乗って適当に流される事にした。こうしていれば、そのうちどこかの海岸の近くを通るだろう。
そうと決まれば、とスブメルススは仰向けに寝転がるように海面に浮かぶ。ちょうど小腹が空いたので、どこからか魚を捕まえ、生のまま頭からバリバリ食べた。
魚の血と鱗で汚れた口元を海水で洗っていると、太陽はすっかり海面から顔を出していた。今日も天気は快晴。空には雲ひとつなく、波は穏やかで絶好の海遊日和である。
そういえば、魔王が復活したものの、すぐに失踪してしまったためにこれといった指示もされず、毎日やる事と言えばウェントゥスの催す何も決まらない無意味な会議ばかり。このままだと身体がなまるだけでなく、自慢のプロポーションが崩れてしまいかねない。
「ヒマだから漁船でも襲おうかしら?」
こうして泳ぐだけでも運動になるが、それだけだとつまらない。それよりも戦って身体を動かす方が性に合っているというのは、やはり自分が魔族だからだろう。
「決まりね。となると、どこかに漁船はいないかしら?」
きょろきょろと周囲を見回してみるも、幸か不幸か漁船はおろか大型海洋類の背びれひとつ見えない。
「ンもう。こういうのって、探すといないわね……」
ここまで沖に出てしまっては、交易船ならともかく漁船はまず通らないのだが、人間の事情など知らないスブメルススは、無いものを延々と探し続けた。
「はあ……首が疲れちゃった」
疲れたというよりは、飽きたと言った方が正解なのだが、ともかくスブメルススは漁船を探すのをやめた。けれども、一度火が点いた闘争本能のようなものはなかなか消えず、行き場のないモヤモヤした感情を持て余す。
こうなったらもう相手が人間だろうと海竜だろうとお構いなしに、目についた生き物を殺してやろうと思っていると、
「――あら?」
唐突に、記憶の隅をつつかれるような感覚に襲われた。
「この感じ……、気配? どこかで……」
懐かしい、とは違う。古い記憶なのは間違いないが、これはそういう生ぬるいものではない。もっと心をかき立てられ、熱い感情が湧き起こるような、例えるなら宿敵に出会ったような。
内なる自分が叫んでいるのはわかるが、何を言っているのか聞き取れないもどかしさにスブメルススは苛立ち、少しでも強く感じようと気配のする方向に闇雲に泳ぎ出す。
どれくらい泳いだだろう。距離が近づいたせいか、アンテナが電波をキャッチするように、突然スブメルススの脳ミソの中でシナプスが繋がり、溢れるほど記憶がよみがえる。
それは、かつて人間に殺された時の記憶。
そして今感じているのが、
あの時と同じ気配。
スブメルススは今度こそはっきりと内なる自分を見た。叫んでいたのは、魔族という種を超えた原始の声。
敵が近くにいると警告する本能の声。
「思い……出した」
この気配は、かつて自分と戦った人間が放っていたやつだ。
泳ぐ速度を上げる。一秒ごとに気配が強くなる。つまり、どんどん近づいている。
陸が見えた。もう自分が当初どこに向かおうとしていたのかどうでも良かった。
どうして忘れていたのだろう。これだけの怒りをそう簡単に忘れてしまえるほど、自分は錆びついてはいないつもりだ。
原因があるとしたら、やはり一度死んでいるからか。誰もかれも、あの魔王でさえ一度勇者とやらに殺されている。どういうわけだかわからないがみんな生き返ったが、やっぱりそれ以来何となくみんなおかしい。
こんなおかしい事を、おかしいと思わなくなるほどおかしくなってる。
だが、今はそんな事はどうでもいい。秒速で濃くなる敵の気配に、スブメルススの理性はあっという間に本能に支配されていく。
そしてついに、岬の先端に立つ一人の少女を視界に捉えた。
その少女が気配の持ち主だと確信した瞬間、スブメルススの意識は完全に戦闘本能に飲み込まれた。
「み~つけた」
海面から顔だけだして笑う彼女の顔は、どんなケダモノよりも凶暴だった。




