分岐点
暗く静かな病室に、消毒液の匂いと絶望が満ちていた。
「ハァ……ッ、アーッ……! か、はっ……!」
粗末なベッドの上で、ヴェロニカは幼い全身を折り曲げてのたうち回っていた。小さな胸を内側から叩きつけるのは、生々しい激痛。あまりの痛みに喉が掠れ、声すら満足に出ない。
(痛い、痛い、痛い……! なんなのこれ、前世でもこんな死に方しなかったのに……!)
ヴェロニカには前世の記憶があった。日本の現代社会で平穏に生き、そして死んだ記憶。
異世界へ転生し、生まれたばかりの赤ん坊だった頃、病院のベッドの脇で医師が親に告げていた会話をヴェロニカは今でもはっきり覚えている。
『残念ですが、この子は生まれつき心臓に重い障がいがあります。……助かる見込みはありませんね』
(……まだ赤ん坊だから言葉なんて理解できてないと思われてたんだろうけどさ。耳だけはバッチリ届いてたんだよ! せっかく『人生2周目楽しむぞー!』って意気込んだ矢先に『これは死にます』宣告って、まじかー……!)
だが、ヴェロニカは諦めなかった。
五歳になった今、再び襲いかかってきた死の激痛に対し、うめき声を上げながら胸をギュッと力いっぱい押しつける。
(死んでたまるか……っ! 治れ……! 治ってよ……っ!)
全身に必死で力を込め、痛みをねじ伏せるように胸の奥へ意識を強く集中させる。すると、身体の奥で何かが弾けたような感覚とともに、奇跡的にスーッと激痛が引いていった。
「ヴェロニカ……! 痛みが……引いたの!?」
涙を流す母オリヴィアに抱きしめられ、胸を撫で下ろしたのも束の間――。
――ドカンッ!
爆発のような重低音と悲鳴が外から響き渡った。
オリヴィアに抱えられて外へ連れ出されると、そこは地獄絵図だった。
村の広場には、逃げ惑う人々の中から引き剥がされた女性と子供たちだけが一処に集められ、怯えて身を寄せ合っている。
そして、その周囲を「中央」の黒い騎士団が取り囲んでいた。
「な、何が起きているの……!?」
オリヴィアが蒼白になり、ヴェロニカを強く抱きしめる。
視線の先では、自分たちが暮らしていた家々が、騎士たちの放った松明によって勢いよく炎に包まれていた。
自分を縛り付けていた病魔を命からがら乗り越えた直後。
目の前で、生まれ育った村がゴーゴーと音を立てて燃え上がっていた。
燃え盛る村の広場で、冷酷な選別作業が始まっていた。
「おい、そこの子供の性別は? 女の子か? 男の子か?」
黒い甲冑に身を包んだ騎士が、震える母親たちと子供を順番に見下ろしながら事務的に問い詰めていく。
オリヴィアに強く抱きしめられたヴェロニカの番になり、騎士の冷たい視線が突き刺さる。
「……っ、女の子です」
オリヴィアが恐怖で声を震わせながら答えると、騎士は表情ひとつ変えずにメモへ目を落とした。
「わかりました」
騎士はそれ以上何も追及せず、次の子供へと向かう。周囲の母親たちも同じように「男の子です」「女の子です」と泣きながら答えていた。騎士たちが広場に集められた全員の性聞き取りを終えた、まさにそのタイミングだった。
「――よし、識別完了だ。掃討を開始しろ」
騎士の合図とともに、拘束されていた村の男性たちが広場の中央へと押し出される。
ヴェロニカの父親もその中にいた。身動きの取れない男性たちに向かって、騎士たちが掲げたのは不気味な黒い刻印のような物体だった。
それを顔や身体にじわりと近づけられた瞬間――男性たちの皮膚がヌメりとウロコで泡立ち、人型を保てなくなっていく。人間の悲鳴ではなく、水底から響くような異形の叫び声を上げながら、父親たちの姿は完全に化け物(深きモノ)へと変貌していった。
「清掃完了だ」
変貌し切った化け物たちに対し、騎士たちは一切の躊躇なく剣を叩き込む。刻印によって強制的に引きずり出された異形たちは、叫びを上げる間もなく光の粒子となって跡形もなく消滅していった。あまりに呆気ない、父親の死。
「あぁ……あなた……っ!?」
絶望の悲鳴を上げるオリヴィアと、言葉を失うヴェロニカ。
その静まり返った広場に、パチパチと薪がくべる音とともに、一人の背の高い女性が歩み寄ってきた。真っ白な服を身に纏い、彼女は倒れ込むオリヴィアを見下ろし、歌うような優しい声で、狂気に満ちた二択を突きつけた。
「さて、お母様。選択の刻です。……この子の死か、それともあなたの不妊か。どちらをお望みですか?」




