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【書籍化御礼】ボタンを巡る攻防

完結、そして書籍化&コミカライズに感謝の気持ちを込め、番外SSをご用意いたしました。

本編の後、アリアとラウル(とバルト)の日常の一コマ。

「あ、ボタン、外れかけてる」


 それはもう何度目になるかわからぬ「下町の視察同行」――つまり、ラウルが「デート」と呼び、アリアが「貨幣流通状況の確認作業」と言い張り、バルトが「いい加減にしろよおまえら」と嘆息する行為――のときのことだった。


 アリアは、隣を歩くラウルの袖口から、ボタンが緩くぶら下がっているのを見つけ、思わず声を上げた。

 いつも完璧に身だしなみを整えているこの男にも、こんな隙があるのだと思うと、なんだかやけに嬉しい。


「もしもし、完全無欠の次期伯爵殿? ボタンが大層情けない風情で取れかけているようですけれども」


 隙だ、隙だ、とにやにやしつつ指先でボタンを突くと、ラウルは長い睫毛を瞬かせ、「ああ」と頷いた。

 そしてごく淡々と、かつ雑な手付きで、ボタンをぶちりと引きちぎり、なんでもない感じで話題を戻した。


「それで、君が出たいという夜会に関してだが」

「いやちょっと待て」


 アリアがドスの利いた声で突っ込んでしまったのも無理はない。

 伯爵家のまとうシャツ一枚、そこに付くボタンひとつが、いったいいくらすると思っているのだ。


「なんなのその無頓着な感じは! 糸がみょーんと垂れてるでしょうが、袖口がだらっと開いてるでしょうが、ボタンはちゃんとポッケに入れとかないと絶対迷子になるでしょうが! もっとちゃんとしなさいよ!」


 なにしろ、折り目正しいベルタに育てられ、かつ、孤児院では姉貴分であったアリアである。

 ごく身近な人間のだらしない姿が見ていられず、半ば本能的にラウルの袖を掴んだ。


 軽く目を見開いた彼を、強引にそのへんの木陰に連れ込み、「おら、出しなさい」と先ほどのボタンを寄越すよう命じる。

 彼がぎこちない仕草でボタンを差し出すと、素早くそれを検分したアリアは、ちっと舌打ちをした。


「ほら、見なさいよ。伯爵家の刻印がされたボタンじゃないの。普通に金品だっつの。ちょっとじっとしてて」


 それから、ごそごそと籠バッグを漁り、中から携帯用の針と糸を取りだした。


「……なにを」

「僭越ながらこのわたくしめが繕って差し上げましょうか、って言ってんの。銀貨一枚でいいわよ」


 ふふん、と笑いながら盛大に吹っかけてやる。

 もちろんこれは、針仕事が得意なアリアからすれば、ヨーナスの洟をかんでやることと同様、他愛のない行為であり、金を取るなど冗談だ。

 まあ、ちょっとご機嫌を取って、今夜の夜会行きを見逃してもらいたいな、などと考えなくもないが、なにせ相手はモテモテの伯爵令息。

 こんな風に尽くされたところで、心にさざ波ひとつ立たぬだろう。


 そんなわけで、アリアは淡々と、垂れた糸を引っ張り始めたのだったが、ラウルはなぜか、やけに姿勢良くその場に立ち尽くし、奇妙な間を挟みながら質問を寄越してきた。


「……君は、針や糸を持ち歩いているのか」

「んー? まあね。変装のときに便利で持ち歩いていたら、癖になっちゃって。あー、これ、ガッチガチに縫われてんな……切んなきゃダメだわ」


 アリアは質問を聞き流しながら、糸切りばさみを求めて手を伸ばす。


 はさみは武器と分類しているので、スカートの裾裏だ。

 まあ、人目もないしいいや、と思って素早く裾をまくろうとすると、ぎょっとした様子の彼が光の速さで裾を押さえてきた。


「なにをしている」

「いや、糸切りばさみを取ろうとしただけだって。裾に仕込んでるのよ」

「なぜ裾なんかにはさみを仕込む」

「あんたのクソ叔父に襲われかけてから、護身レベルを引き上げたのよ。様々な角度から比較検討した結果、ドレスの裾裏が一番取りやすいと判断したの。いちいち突っかからないでよ」


 アリアは鼻に皺を寄せたが、肩に乗ってやり取りを聞いていたバルトも、これには微妙な表情だ。


『やべえ、どっちに先に突っ込んでいいのかわかんねえ……』


 たかがボタン付けに大層そわそわしているラウルと、裾に鋏を仕込むアリア、どちらに向かって叫ぶべきか、わからなくなってしまったらしい。


 ともあれ、叔父ドミニクの話題は、ラウルの弱点だ。

 彼が黙って引き下がったので、アリアは満足し、手際よく糸を外していった。


「はい、この糸くずあげる」

「……ありがとう」


 嫌がらせのつもりで、抜いた糸くずを押し付けたら、意外にも丁寧な礼が返る。

 怪訝に思って顔を上げれば、ラウルは神妙な表情で、糸くずを懐にしまい込んでいたところだった。


「いや待て、なんでボタンより大切そうに糸くず仕舞ってんの?」

「だって、君から初めて物をもらった」


 しみじみと返されて、アリアは顔を引き攣らせた。


「ちょ……やめてよ! 初めて人間の友達ができたと喜んだ怪物が嫌がらせで押し付けられただけの動物の死体を抱きしめてるみたいな、めちゃくちゃ可哀想で後味の悪い光景になってるでしょうが!」

「大切にする」

「重! ちょっと、やっぱその糸くず返して! 捨てとく!」


 慌てて糸くずを奪い返そうとするが、しっかりと懐にしまい込んでしまったラウルは、まったく返すつもりがなさそうだ。

 無駄に身長も防御力も高いせいで、小柄で非力なアリアが背伸びして掴みかかろうが、相手はびくともしなかった。


(い、糸くずが初めての贈り物っていうのは……ちょっと……)


 基本的に皮肉屋で攻撃的なアリアだが、一度懐に入れてしまった相手には、強く出られない。


 糸くずごときで喜ぶ相手に、さすがに罪悪感が芽生え、脳内のメモに「近日中にラウルになにかを贈ること」と書き付けた。

 伯爵令息がなにを好むかは知らないが、きっと糸くずよりはマシだろう。


(っていうか、このあたしが男に贈り物なんて……ああああもう、なんで最近、調子の狂うことばかり)


 こうもストレートな好意を向けられれば、いかに色恋と縁遠いアリアでも、ラウルの気持ちに気付いてしまう。

 敵意なら全力で叩き落とすだけだが、まっすぐな好意はどう受け止めていいのかわからない。

 複雑な思いをごまかす意味も込めて、せっせと針を動かしていると、頭上から声が掛かった。


「アリア」

「なによ」

「君がボタンを付けてくれて嬉しい」


 針が人差し指にぶっ刺さった。


「…………へ、へえ。そう。じゃあ喜びはカネで表現することね。さっさと銀貨を払いなさいよ」

「後で裁縫道具を贈る。純金の針を千本ほど用意すれば足りるだろうか」

「てめえ毎度毎度過剰なんだよ!」


 たかがボタン付けの御礼に、金塊に相当しそうな代物を返そうとしている相手に、堪らずアリアは口調を乱した。

 折しもボタンを付け終えたこともあり、きっ!と玉結びを決めると、素早く糸を断ち切る。


「はい完成! お代なんていらないわよ、馬っ鹿じゃないの!? 冗談もわからない貴族なんて、ヴェッセルス伯爵家の行く末が心配ね!」

「では五百本でも」

「いらんわ! 譲歩してほしいわけじゃないっつの!」


 神妙な表情で訂正するラウルを、アリアは大声で遮った。


「いい? べつにこれ、特別扱いとかそういうのじゃないから。ヨーナス様にならほぼ毎週やってることだし、そこら辺のいけすかない貴族相手でも、見かけたら普通にしてやるから」


 べらべらとまくし立てながら、アリアはそうとも、と思った。


 そうとも、べつに特別扱いじゃない。

 ラウルのことをヨーナスと同じくらい、つい世話を焼いてしまう相手と見なしているわけではない。


 実際のところ、そこら辺のいけすかない男がボタンを落としていたら、アリアはすかさず踏みつけて、高級品なら売り払ってやるだろうが――いやいや、機嫌によっては付けてやらないこともないかもしれない。

 そうだ。

 だからこれは全然、特別扱いなんかではないのだ。


 自信がないことに限って、口調が攻撃的になるのは、アリアの悪癖だ。

 ラウルが無言で目を細めたのには気付かず、よせばいいのに、彼女は勢いよく続けた。


「そうよ。特に一定年齢以上の男って、こういうあざといお節介に弱いんだから。家庭的に見えるのかしらね? ああ、落としたい独居老人を見つけたら、ボタン縫い攻撃を仕掛けるのも手かも」

「…………」

「うん、いいわね。手にも触れられるし? 軽いボディタッチでじじいもメロメロ。今日にでも実践に移したい、完璧な誘惑だわ」

「…………」

「そんなわけだから、思い上がってもらっちゃ困るわね。でもまあ、恩に着るというならやぶさかじゃないわ。具体的には、今夜の夜会に参加することを、あんたは妨害しないと約束――」

「だめだ」


 ご機嫌取りの必要性を思い出し、さりげなく話を誘導しようとしたアリアだったが、その瞬間、低い声とともにがしりと腕を掴まれ、肩を揺らした。


「夜会に出ることは、禁じる」

「な……っ、ちょ、離し……、っていうか待って、なんの権利があってあたしに命令するわけ?」

「出ないでいただきたい、と丁重にお願いしている。出たら速やかに妨害する」

「全然丁重じゃない!」


 叫ぶアリアから、ラウルは恭しく、かつ強引に針と糸、糸切りばさみを取り上げた。


「針は不要のようだから、これは預かっておく」

「は……はぁ!? いや、いるわよ! あたし、これしか持ってないんだからね!? こちとら、ドレスが破れたからって、すぐ買い換えられる財力の持ち主じゃないんだってば!」

「言ってくれれば、ドレスはすべて贈る」


 ラウルはきっぱりと言い切り、こう付け足した。


「ただし、夜会用のものを除く」

「な……」


 そうして、絶句しているアリアを置いて、スタスタと歩いて行ってしまうではないか。


「な、なにあれ! 信じらんない、強奪じゃないの! なにあの横柄! ちょっとバルト! のんびり日向ぼっこしてないで、あの泥棒にブレスでもかましてやってよ!」

『やだよ』


 すぐ傍らに蹲っていたバルトに呼びかけるか、相棒はてんでつれない。


 くあ、とあくびをしながら、彼はトカゲ姿に見合わぬアンニュイな様子で、こう呟いた。


『どう考えても、おまえの分が悪いだろ、アリア……』

互いの印象を動物に喩えると?


ラウル「野良猫(懐かせたい)」

アリア「実際には嫌がらせで押し付けられただけの動物の死骸を初めて人間の友達ができたと喜んで抱きしめてる可哀想な怪物」


ラブラブですね。ありがとうございました!



***



カクヨムさんで、他にあと2種類の番外SSをご用意しております!


◆カクヨム一般公開

「気付けばそこに宿るもの」

※本編の七年ほど前。幼かったアリアとベルタの絆

https://kakuyomu.jp/works/16816927862693549924/episodes/16816927863327595596



◆カクヨムサポーター限定公開(@近況ノート)

「ルビーを巡る攻防、その後で」

 ※押し倒してしまったときのラウル視点、そしてその後。



よければお楽しみください^^

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― 新着の感想 ―
笑いと涙とドキドキの詰め合わせ豪華セットで面白かったです!! テンポも良く、物語の過不足なく読みやすかったです!!
どの作品でも中村先生の書く話が大好きですが、すっっっっっっっっっごく良かったです。全ての詰め合わせセットありがたく私の心にブッ刺さりました。ベルタを思ってめちゃくちゃ泣きました。好きです。明日からベル…
[一言] とてもよく書いている小説! ご馳走様でした!
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